第4話 臭いものは土に還せ
屋内市場を出て、アイユーのあとを追って歩くと、右手に川が見えてきた。川幅も広く、長く遠くまで伸びているようだった。そして、なにより驚いたのは、その水の透明なことだった。遠目にだが、その川底が見えたし、熱帯魚かと思うような奇抜な色とりどりの魚たちがスウ―と泳いでいるのが見えた。
川辺では、少年少女たちが集まり、石を投げて遊んだり、釣りのようなことをして遊んでいる様子がうかがえた。
「あ、あの住宅地。あの中に、私の家があるんだ。歩きっぱなしも疲れるだろうから、休んでいこう。トロヒも帰っているでしょう」
と言って、アイユーが少し先のとんがりコーンのような形の屋根をした家々が並ぶ辺りを指さした。家々は、煉瓦製だろうか。色は明るく萌黄色、というような色をしていたが、素材から重厚な感じが伝わってきた。
「え。トロヒとアイユーって、兄妹?」
僕が聞くと、アイユーは、ん? と聞いて、
「まぁ……恋人みたいなものかな。向こうの気持ちはわからないけど」
と返した。予想外の返事に、僕は答えを失ってしまう。微かに傷ついたのは、密かに僕の心に恋心のようなものが芽生えていたからなのかもしれない。僕の淡い恋心のようなものは、彼女のその言葉ではかなくも散った。
そんな僕の心中を知るはずもなく、アイユーはつやつやとした木製の扉を押して、
「ただいまー」
と声を上げた。
「おー。お帰りー。あ、お客さんも。ゆっくりしていってくださいー」
玄関には、先ほどの黄色い詰襟の制服から黒Tシャツと白のジャージ着替えたトロヒが快活に微笑んでいた。
「あ、
と僕は返して、中に入った。どうやら靴は履いたままでいいらしい。あたたかいオレンジ色の光に包まれた廊下を歩きながら、どこか僕は、ほぅと緊張がほどけた。
しかしなぜだか不意に、お腹が痛くなってきてしまった。そういえば、新幹線でお弁当を食べてから、トイレに行っていなかったし、さっきアイスを食べたからな、と勝手に一人納得をする。僕は、思わず、うぅ、とお腹を押さえた。
「あ、あのー……トイレ借りていい?」
「ん? あー。排泄ね」
アイユーが言うとどこか爽やかさを伴うのがどこかおかしくて、僕は思わず、笑いそうになってしまった。しかし、笑うと、お腹を刺激してしまいそうだったから、ぐっとこらえた。
「そこの扉の中」
アイユーがそう言って少し先を指さす。僕は申し訳程度に会釈をしながら小走りした。
トイレの扉を開けて、僕は少し違和感を覚えた。これまで、僕の住む世界とこの世界は異なることが多くて、驚きの連続ではあったのだけれど、便座の形は幸い、普通の洋式トイレのそれと同様のようだった。しかし、その便座には、なにやら半透明の袋が垂れ下がっている。
中を覗き込んで、僕はぎょっとした。そこには、排泄物がたまっていた。しかし、のぞき込むまで気づかなかったように、嫌な臭いは、微塵もしなかった。
そんな気づきもつかの間、僕のお腹はピンチの頂点に達したため、僕はあわててズボンを下ろして便座に腰かける。
この世界の人の排泄物は、臭くないのだろうか、僕が出た後、アイユーの家族に、嫌がられないだろうか……なんていうことを考える。
せめて、水で流せたら、と思うのだが、どうやら、形は立派なトイレの便座だが、水を流すところはないらしい。トイレットペーパーはあるが、拭いたら側のゴミ箱に入れるスタイルのようだ。
僕は、はぁ、とため息を吐きながら立ち上がった。とりあえず、お腹はすっきりした。
そして、僕は、おや、と思った。
まったくもって、臭くないのである。
手洗いの洗面台はあったため、そこで、手を綺麗に洗って僕はトイレを後にした。
二人の声が聞こえる方に来ると、トロヒとアイユーが薄橙色のソファでゆったりとくつろぎながら、もぐもぐと、ベリー色のチップスと青い色をしたジュースを飲み食いしていた。
「あー、優さん。セーフでしたー?」
トロヒがにやにやと笑いながら聞く。
「セーフじゃなかったら、恥ずかしさで戻ってこれません……」
僕のその返しに、二人は、あははは、と楽しそうに笑った。こういうところに若さを感じる。トロヒが、ほら、とチップスやジュースを勧めてくれた。僕は、ありがとう、と言いながら、
「それより……あのトイレにかかっていた袋……何か特殊な効果でもあるの?」
と聞いた。僕のその質問に、二人は、ん? と首を傾げて互いに顔を合わせた。
「え、優のところとは事情が違う?」
アイユーがきょとんとした表情でそう聞いてきたため、
「あ、えっと……僕のところだと、トイレは使ったあと、水で流すんだよね」
と返した。
「その流した水は、どこに?」
彼らのその質問は素朴な疑問といった感じだった。確かに、トイレというものは生活に一番身近なものだから、このスタイルで子供のころから使っていたのであれば、自分たちの使っているものに疑問はないだろう。現に、僕自身だって、トイレは流すものだと思っていたのだから。
「えっと。最近の日本の場合だと、水に流した後は、下水道を通って、下水道処理施設で様々な処理をして、水を綺麗にして、海や川に戻しているみたい、です」
僕は、小学校四年生くらいのときに社会科見学の後に、汚水がどのようなルートを通って海に戻るのかを書いた新聞の絵を思い出しながらそう言うと、二人は、
「下水処理施設!!」
「そのまま流すってこと? 臭そうー」
と思い思いの感想を呟いた。それを聞いて、やっぱりこっちの人の排泄物も臭かったか、良かった……と謎の安心をした。
「ポンニーでは、排水溝の先は、そのまま川なんだよねぇ。だから、排泄物はそのまま流さないし、排水溝にも、フィルターを貼って、そこで浄化させた水を流す仕組み。トイレにかかっている袋は、排泄物のバイ菌をすぐさま除去・消臭できて。ちなみに、尿は、この袋でろ過された後、綺麗な水だけそのまま川に流れる。で、ある程度中身がたまったら、封をして、土に埋めるの。この袋も含め、中身もろとも、微生物が分解してくれて、安全に土に還るらしいですよー。川も汚れないし、土も豊かになるよー。仕組みまったくわからないけど」
説明してくれながら、トロヒはベリーチップスをもぐもぐする。聞きながら僕は、なんだか、どっちのほうが進んでいるのか、わからなくなってきたな……と感じた。
「日本のトイレ衛生環境は、世界に誇るものだね。もう、どこ行っても安心できるもん」
と海外短期研修に行っていた友達が言っていた。確かにそうだと思う。基本的にどこのトイレに行ってもはずれがないし、下水道の普及率も高い国だ。それは素晴らしいことだろう。
けれど、最近、豪雨時の下水垂れ流しによる東京湾の水質汚染問題が話題になった。いろいろ対策をしているようだけれど、もしポンニーのように排泄物を土に還していたら、そのような水質汚染はおきなかっただろう。もっとも、そのためには、あの高機能な袋がなければならないのだろうけど。
「ポンニーの仕組みは、面白いね。なんだか、勉強になる。新幹線で間違えて降りて良かったよ」
僕が笑うと、彼らは、いやー、それはこっちもー、と言って頷いた。そうして、のんびりとお菓子を食べながら談笑をした。
が、ふと、トロヒがはっと時計を見ると、
「や、優さん! そろそろホームに戻らないと、帰れなくなるよ!」
と小さく叫んだ。僕は、えぇええ、と慌てて立ち上がる。
「送っていくよ。もうお腹は大丈夫?」
「あ、じゃあ、念のため……」
そんな会話を交わして、再びトイレを借りた後、僕らは慌てて、アイユーの家をあとにした。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます