第3話 「お金」という概念がない

 アイユーに引っ張られ、僕は、ポンニーの街を出た。広々とした広場が広がっていて、子どものための遊び場があちこちに設けられている。トランポリンをする子ども。カーブした壁を使って、キックボードの練習をする子。民族衣装のような服をまとったお兄さんを中心に、真ん中の棒から伸びたリボンを手に持った子供たちが、自ら走ることで遊ぶ、人力メリーゴーランドのようなもの……など、いろいろあるが、ゲーム機やスマホで遊ぶ子というのは見かけられなかった。なんだか、とてもアナログな感じがするところだと感じた。

 そして、僕は、ふと気が付いた。駅のスロープで見かけたお母さんや、おじいさん以外に、トロヒ、アイユー含め、僕はまだ、子どもにしか会っていない。

「アイユー」

 と僕は彼女に声を掛けた。綺麗な白いうなじがくるり、とひねられて、ベリーショートの中の整った小顔が僕を見据える。

「ん? どうした? そういえば、まだ名前を聞いていなかったね……聞いてもいい?」

 彼女の声は、少し低いが、凛とした音をしていて耳に心地よい。

「あ。自己紹介、遅れたけど、僕は、まさる。あのさ、ここは、子どもが多いところだね……」

 僕が自己紹介がてらそう言うと、

「優。よろしく。あー。子どもが多い理由ねー……まあ、産みたいなあと思える環境なんじゃないの?」

 彼女はそう言いながら、ちら、と遊ぶ子供たちを見てゆっくりと微笑んだ。

「産みたいと思える環境……」


 聞きながら僕は、最近大学の食堂で友人らとテスト勉強をしながら、話をしたことを思い出した。と言っても、みんなが同じ科目の勉強をしていたわけでもなくて、ごはんを一緒に食べるついでに、各々好きな勉強をしようの会、という感じだった。

 僕は社会学を履修していたから、その内容を復習していた。

非正規雇用が増え、賃金は減っている。今起きている、少子高齢化には、晩婚化や共働きの増加の他にも、その他経済状況の影響がある、と勉強をする中で僕は感じていた。

授業で見た映像の中の女性は、貧困の世代間連鎖を乗り越えたくて、貸与型の奨学金を借りながら、大学に通ったが、就職できず、奨学金の返済を抱えながら、アルバイトをして、暮らしていた。彼女とその友達はインタビューの中で、

「恋人とか、結婚とか、できるくらいの普通になりたい。今はその余裕がない」

 と言っていた。

 また、児童福祉論を取っている友達が言っていたことだけれど、望まない妊娠をした単身女性の場合、経済的余裕が無く、産む決断をした場合は、産んですぐに乳児院に預けたり、子を望む夫婦へ養子に出したりしている、という話を聞いていた。

 以前、「女性には、子どもを三人以上産んでほしい」、との政治家の失言が話題になった。そうできるような制度を整えろ、というのが、主な批判内容であった、と僕はスマホに浮かんでいた文字の記憶をよみがえらせる。

「確かにね、最近少子化が深刻だから、そう言いたくなってしまう気持ちもわかるよ。だけど、それ声に出して言うんじゃなくてさー、自然に、『あぁ、こどもほしいなぁ』って思えるようにするべきだよねー」

 僕らが勉強していたところの通路を挟んで隣のテーブルで、女子同士でおしゃべりしていた、名前も知らない女の子がそんなことを言っているのが、耳に入った。彼女は、言いながら、コンビニで買ったと思しき、カップにストローが刺さっている飲み物をチューと吸う。

確かにそうだな、と僕は感じた。○○しろ、って指図されてやりたいと思う人なんて、少なくて、どちらかというと、「これは、○○した方がいいな」と自ら心から感じた時に行動というのは伴う、と思う。

「私は、今は勉強したいし、自分でもある程度稼いでからじゃないと、結婚したいとは思えないな。子どもはいずれ欲しいけれど、お金がかかるから、一人か二人かなー。そもそも、私たちだって年金もらえるかもわからないのに、私たちの子どもの世代なんか、もっと苦労人になってしまうんじゃない?」

 そこまでの会話が、僕の聞こえた最後の部分で、彼女たちは、食器やゴミを返却口に戻すために立ち上がって、去っていった。知らない女の子たちの会話だったのに、僕の耳にその言葉は焼き付いて、離れなかった。


 そんなことを思い出していたうえで、アイユーに、ポンニーの事情とやらを聞いてみることにする。

「それは……どういう?」

 アイユーは、んんーと答えを考えるように宙を見つめていたが、

「それじゃあ、手始めに買い物にでも行ってみる?」

 と言って、エメラルドグリーンでドーム型の屋根をした、横に長い建物を指さした。

 僕はおぉ、と頷く。そして僕らは、日差しのまぶしい中、その建物に向かって、数十秒ほど歩いた。近づいてみると、より広く大きい建物のように見えた。木で出来た扉を押して、中へと入る。中には色とりどりの野菜や、肉片、新鮮な魚などが陳列されていた。屋内にある、市場というような感じだ。

「社会の授業で知ったのだけど、日本をはじめとする私たちが住む世界と反対側の世界には、『お金』という概念が存在するらしいね。だけど、ポンニーにはまず、『お金』という概念がないんだ」

 僕は、え? と驚いて、レジと思しきところを見た。品物を抱えた人々が、レジに商品を渡すと、ピッとカードをかざして去っていく。

 ――「『お金』という概念がない」、というより、ただのキャッシュレス?

 と僕が考えていると、

「ポンニーの考え方はこう。生きている限り、衣・食・住に不備があってはならない。けれど、お金というものがあると、お金がある人とお金のない人との間で、手に入れられるものの量に差が出てきてしまうね。そこで、『普通に一日生きる』だけで、好きなものを三食食べられる分のポイントが、この身分証に自動で付与される。みんながかざしているのは、この身分証。計算の必要がなくて便利だ。だけど購入可能なのは、ここに付与されている食料用のポイント分と、彼らの子どもの食事分を加えた分のみ。その内容チェックと身分証かざしのためだけに、あのレジがあるというわけ。一人の三食分以上を買いたいと思えば、なにかしらの仕事をするか、結婚して子供を産むか、ということ」

 と、僕をレジの近くに連れてきて、教えてくれた。アイユーは髪をかき上げて、得意げに、片方の頬を上げる。そして、僕の腕を引くと、

「優は何か食べたいものある?」

 とアイスやパンの並ぶコーナーに来て、聞いてくれた。

 どう働いてもお金が発生せず、食には困らない、と聞いたから、品数など、少ないものなのだろうかと思ったけれど、そうでもないらしい。色とりどり、それぞれ違った美しい柄のアイスの箱たちが、ひんやりと冷やされた冷凍庫の中に詰められている。パンのコーナーにも、焼き立てかつ、少しずつ内容物の違うパンたちがきちんと並べられていた。

「――報酬に違いが出るわけじゃないのに、なんというか……ちゃんとしている、ね」

 僕がそんな風に呟くと、アイユーは、あはは、なんだそれ、と言って笑った。

「まあー。人間に承認欲求があるのは変わらないからね。自分たちが作ったものを選んでもらいたいという心理は働くから、品質を上げる努力はちゃんとしている印象だね」

 アイユーはそう言って、迷う僕を見ると、ほらー、早く決めてよー、と僕の肩をバンバン叩いた。結構容赦がなくて痛かった。

 僕は、迷った挙句に、気になった、水色の千鳥格子みたいな柄がパッケージに描かれたアイスを取って、アイユーに渡そう……として手を引っ込めた。

「待って――僕のために買ったら、アイユーの今日のごはんとかは、どうなるの……?」

 アイユーは、んん? と首を傾げると、

「あー。生きているだけで、一人一日三食分のポイント。私は、学校にも行っているから、その分付与されるポイントもあるし、放課後ちょっとだけだけど働いているから、そこでもらうポイントを贅沢分や、人へのプレゼント分に充てている」

 と言って、僕のアイスをスッと奪った。そして腰から健康的に脚を動かして、レジに並ぶ。僕はその後を追った。サクサクと進む列に並びながら、僕は、

「生きているだけで毎日三食問題なく食べれるなら……働かない人も出てこない?」

 と聞いた。アイユーは、形の良い眉毛をひそめて、ん? と首を傾げる。

「それってなにか問題でも?」

 アイユーの返しに、僕は、不意を突かれた。僕は返す言葉が、見つからない……

「人間が生きるのは自分のため。だから、生きているだけでもらえるのは、自分が不自由なく生きていけるポイントのみ。だけど――人間、他の人のためにも、なにかしたくなるものでしょう? 『働く』とは、『はたをらくにする』こと。働くのは、他人のためだから、他人のために使うポイントは、働くことで得られる。理に適っていると思わない?」

 アイユーの言葉に、僕は、ますます言葉を失ってしまう。批判的にこれらの景色を見てみようかと思ったけれど、ここは僕の頭程度では、批判のしようがない、非の打ちどころのないところだった。

 アイユーは、レジで二人分のアイスを置くと、カードをピッとタッチして、商品を受け取り、僕に、はい、と渡した。

 外に出て、綺麗な柄の袋を開けて、白いアイスをペロリと舐める。面白いことに、そのアイスは、甘ったるそうな見た目とは裏腹に、少ししょっぱいものだった。けれど、さっぱりとしていて、これはこれで美味しい。

ペロリとアイスを舐めながら、僕の表情の変化を見ていたアイユーは、

「優のリアクションを見ていると、ここがとても好きになるよ」

 と言って、ふんわりと笑った。最初駅で見たときと印象がまるで違う。けれど、その態度の変容が、僕を友達として認めてくれているのだ、と感じた。

「それじゃあ、美味しいものも食べたところで、住宅街にでも行こうか」

 彼女は、アイスの棒を舐め切ると、側にあったゴミ箱に、優雅な手つきでそれを捨てて、歩き始めた。

「う、うん! ありがとう!」

 僕も同じようにゴミを捨てて、彼女の後を追った。

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