第二章

01 試合準備(+ある男1)


 第二章 試合準備(+ある男1)


 52階廊下。

 エミルたち四人は集合していた。

 テロリストたちはすぐに追っては来なかった。――彼らはどうやら、何かを企んでいるらしい。

「まさか、テロリスト相手に〈ケイドロ〉をやることになるなんてな」

 ラスティが呟いた。

「おれたちの得意分野じゃないか、これはラッキーだぜ」

 ダイスケが目をぎらぎらとさせて言った。

「あんた、その手、大丈夫なの?」

 ヘディがそう言って、みんながダイスケの手をみつめる。

 大きく腫れていた。

 指の二、三本はありえない方向に曲がっている。

 見ているだけで痛々しい。

「この程度で泣き言をいうほど、おれはやわじゃねえよ」

 ダイスケは言い切った。「階段を跳ぶときに使うのは逆のほうだし、ケースは脇でも抱えられる――問題ない」

「とにかく、SWATが突入するまでのあいだ、おれたちはこの閉鎖された空間で、あいつらからケースを守らなきゃいけないんだ」

 ラスティが自分に言い聞かすように言った。

「そうだね」

 エミルが相槌を打つ。「でも、どうすればいいんだろう?」

「どこかに隠すのがいいんじゃない?」

 ヘディが言った。

「それができればベストだな。……だけど、どこに隠そう?」

 ラスティはそう言ってから、黙り込んだ。ケースを隠せそうな場所を考えているらしい。

 エミルも一緒に考えてみる。――広いマンションとはいえ、廊下のどこかにぽんと置くのは不用心な気がする。この建物内にはジムやプールがあるが、たぶん他と同じようにロックされているだろう。

「うーん」

 エミルは唸った。――どうやら隠せそうな場所がないぞ。困ったなあ。

 と、そのとき。

「おまえら頭が固いんじゃないか?」

 ダイスケが出し抜けに言った。

「どういうことだ?」

 ラスティが訊いた。

「いやさあ、おれ思うんだけど、この勝負、べつに乗っかる義理はないじゃないか」

「そりゃあそうだけど……」

 ラスティは指先で頬をかいた。「でも、それじゃあどうやって、あいつらからケースを守るんだよ?」

「SWATの突入を待つ以外にも、ゴールはあると思うぜ」

「……ゴールって」

 エミルは首を傾げた。「どこにあるの?」

 ダイスケはにやりと笑って、

「ほら、そこに」

 と視線を、外廊下にならぶ窓へとむけた。

「……まさか、ケースを窓から放り投げるつもり?」

 ヘディがぎょっとした顔で言った。

「そのまさかさ」

 ダイスケが答える。「SWATはまだみたいだが、パトカーならもう何台かきてるぜ。さっきから音が聞こえてる」

「え。そうなの?」

 エミルは気がつかなかった。

 ラスティとヘディの顔をみたが、ふたりとも首を横に振った。

 ここは高層だ。地表からはかなりの距離がある。そのうえ壁や窓はかなり厚く、防音は徹底されている。マンション内にあるのは静寂だけだ。外から喧騒が入ってくるのは、ヤンキースが地区優勝したときくらいで、いくらパトカーのサイレンといえど、中にいればふつうは気がつかない。でも、ダイスケだけは気づいたようだった。

「サイレンの音が聞こえたのか?」

 ラスティが訊いた。

「いいや。サイレンは鳴らしてない。でもエンジンとタイヤの音からいって、間違いないぜ」

「…………」

 どんな地獄耳だ。

 エミルはすぐに窓へと駆けよる。

 窓に付いたレバーを引こうとしたが、それは叶わなかった。ロックがかかっているようだ。ついでロックの解除を試みたが、スイッチがびくともしない。これでは、外に物を放り投げるどころか、下を見下ろすことすらできない。

「うーん……どうやら、開かないみたいだ」

「おそらく、出入り口になる得る場所は、すべて管理室からロックされてるんだ」

 ラスティが言った。

「そうよね……」

 ヘディがホッとした顔をする。

 しかし、

「――いいや、諦めるのはまだ早いぜ」

 と、ダイスケがにやりと笑いながら言った。

「なにをするつもり?」

 ヘディが眉をひそめる。

「開かないんだったら、割ればいいじゃないか」

「なにで割るの?」

「ん?」

 ダイスケは自分が手にもつ〈黒のケース〉を掲げた。「これ。ちょうどいい」

「あんた、ちょっと、本気なの!?」

「〈本気〉ってなんだよ?」

 ダイスケが怪訝そうな顔をする。

 どうやら、本気という言葉を知らないような風情だった。

「あ、あ、あんたの、その表情は、いったいなんなのよ……?」

 その顔をみたヘディが、めずらしく圧倒される。


 ――ダイスケ・ダテミチという少年は、そもそも〈ためらい〉という概念を持ち合わせていない。それは彼が初めて階段ジャンプを試みたのが〈生後十一ヶ月のとき〉であることからも歴然としている。(当然、そのときのジャンプは失敗し、全身を打撲し、手首と足の骨を折ることとなった)

 ダイスケは膨大な数の失敗を重ねた。その度に身体が壊れたが、いっこうに反省しなかった。医者は言った。『壊れているのは彼の本能です』――生まれたときから、〈死〉に対する本能が欠如している。壊れた身体はすこしずつ、前よりも強固なものとして生まれ変わった。その結果、現在の尋常ではない強靭さを獲得している。ダイスケは後先なんてものを、これまでの人生で一度だって考えたことがない。

 ……そんなわけで、彼は〈本気〉という言葉の意味もよくわかっていない。

 有名な思考実験の〈メアリーの部屋〉がごとく、把握はできても、理解ができない。


 ためらわない者には本気がない。


 片手ではあったが、ケースを握り、ハンマー投げの要領で彼はぐるぐると回転し始めた。

 一回転、二回転、三回転――

 他の三人はあわてて飛び退いた。

「おい、ケースの中身はどうすんだよ!?」

 ラスティが叫んだ。

「争いの種だ! 壊れりゃちょうど良いじゃねえか」

 ダイスケは身体をぶんぶん回しながら楽しそうに答えた。

 ……こうなってはもう、誰にも手が付けられない。

 四回転、五回転、六回転――

 エミルは耳を抑えた。

 となりでヘディも同じことをしている。

 そして、ダイスケは猛烈な速度でケースを窓に殴りつけた。

 けたたましい音が鳴る。

 まるで目の前で爆弾が破裂したようだ。

 エミルは思わず目を閉じる――。

「……ちっ、ダメか」

 ダイスケが残念そうに言った。

 エミルはまぶたをゆっくりと開けてみる。

 窓ガラスには大きなヒビが入っていたが、しかし穴にはならなかった。

 ケースのほうはというと、いっさい変形していない。まるで何事もなかったかのように以前の姿を保っている。

「……こういう高いところにある窓ガラスってのは、割れても、破片がこぼれないようになってんだよ」

 ラスティが言った。

「やっぱ、そうだよなあ……」

 とダイスケ。

「あんた、もし下にガラスが落ちて、人に当たったりなんかしたら、どうするつもりよ!?」

 ヘディが母親のように叱った。

「なるほど、たしかにそうだな」

 とダイスケは感心したように頷いた。

「あぁもうっ、ほんとにバカなんだからぁ……」

 ヘディは頭を抱えた。

「へへへっ」

 とダイスケは照れるように笑った。

 人にバカだと言われても、彼はまったく気にしない。

 ヘディのほうはというと、

「褒めてないわよ!」

 ――いつも本気で怒るのだった。

 エミルとラスティは目があって、二人はちいさく笑った。


 なんのことはない、いつも通りの光景だ。


     ***


 世界征服への道は悪意の汗で舗装されている

           コリー・クロ・コップ


 玄関ホール。

 ポールはコリーと共にトラップを仕掛けていた。

 SWATが来たときの対抗手段だ――地道な作業だが、コリーはこれをやると言った。

 バリーとフリッツの二人も、いまは他の場所でおなじことをやっている。

 ――こんな面倒なことをやる必要があるのだろうか?

 ポールの頭に疑問が浮かんだ。

 しかし、きっとコリーのことだから、何か考えがあるのだろう。

 ポールはボスのことを信じている。コリーは必ず結果をもたらしてくれる。だから彼の意思決定を疑う必要はないし、疑うつもりも毛頭ない。自分はただ彼の決めたことを全力でサポートする――それに徹するだけだ。とはいえ、疑問を疑問のままにしておくのは気もちが悪い。

 作業を止めずに手元をみたまま、ポールはさり気なく訊いてみた。

「ボス……思うのですが、律儀に勝負に乗ってやる必要はなかったんじゃないですか?」

「ん? どういうことだ?」

「さっきの子供たち……ボスも言っていましたが、すこし厄介ですよあれは」直接会ってみて、ポールはそれを感じた。はっきり言って、あの子供たちは普通じゃない。「四人を相手にケースの争奪戦をやるのは多少骨が折れそうです」

「だからあの場で三人の子供を捕縛しておけばよかったって言うのか? そうすりゃあとは、あの少女ひとりを、大人の男四人で追いかけまわし、追い詰めるだけで済むと。そのためにガキ三人は縄なり錠なりで縛り上げておけばよかったと。……きみはそう言っているのか?」

 ――急に背筋が寒くなった。

 なんだと思って顔をあげてみると、コリーがこちらを向いていた。

「……そのほうが手っ取り早くありません?」

「いいや、違う。間違っているぞポール。きみは、子供を捕縛しなければケースを奪えないと考えているのか?」

「そうは思いません」

「だったらそれは、不要なことじゃないか。ポール……きみは合理性を無闇矢鱈と追求する節がある。が、合理的であれば世界は征服できるだろうか? もしそうなら、とっくに誰かがやってのけているさ。それどころか、その方法が参考書として本屋に並んでいてもおかしくはないね。でも世の中そうなっちゃいない。知ってるか? ――世界征服をたくらむ組織の数は、ロックバンドの数にも等しいんだ。だがこの世界はまったくもってロックじゃない。ほとんどすべてのロックは暴走族の騒音と一緒だ。ハードロックだ? パンクロックだ? ポストロックだ? ——伝統芸能じゃねえか。本物はそのなかにはない。そもそも、合理性とはいまある社会を維持するためのコード進行だ。壊す側の人間がかき鳴らすものじゃない。ましてや振りかざして叩きつけるものでもない。それはもう誰かがとっくにやったことだ。――だから、むしろ逆なんだよ。おれたちがやらなきゃいけないことは……ロックと他人に呼ばれないようなロックってところだ」

「…………」

 そうか。

 なるほど。

 ポールは思った。――コリーの言い分にはまったく納得できない。理屈がめちゃくちゃで、破綻している。彼には根っからそういうところがあるが、しかし今の話はそれとも違う。長い付き合いなのだ、そのくらいはわかる。

 コリーには何か思うところがあるようだ――。

 だから合理的であることを、これほどまでに否定しなければならない。

 ポールはそう結論付けた。

 これ以上この話を追求したところで、マシンガンのような戯言で返されるだけだ。やめておこう。

 べつに、なんら問題はないのだ。

 ――子供たちを殺さず、捕縛せず、目的のケースだけを奪う。

 やることは明快なのだから。


     ***

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