第2話 ある女子中学生の日常

「行ってきまーす」

「おう! 気をつけてな」


 昨日まで私服に黄色い帽子、赤いランドセルを背負っていた少女は、少し大きめのセーラー服に袖を通し、新品の学生鞄を持って、元気よく玄関から駆け出した。

 それを目を細めて見るのは、母親でも父親でもなく、白髪頭の小さな老人だった。


 血の繋がりもないこの少女と暮らすようになった経緯を思い返す。


 ★★★


「これから一人で生活するのだって大変なのに、この子を引き取るのなんか無理よ」

「何言ってんだ。どうせ、相手の男と暮らすつもりだろ?」

「あっちにも子供いるのよ。未来みく連れてなんかいけるわけないじゃない! 」

「何言ってんだ! おまえ母親だろ! 俺は養育費払うって言ってるんだ。育てるのはおまえの役目だろ」

「何よ! あなただって父親じゃない! あなたにだって、養育の義務はあるのよ! 」


 ここにいるのは、誰なんだろう?

 自分のことを話しているのはわかるけど、こんな人達があたしの両親の訳がない。


 まだ小学生に成り立てだった未来は、向かい合って座り、お互いに自分を押し付け合おうとしている両親を、ただボンヤリと眺めた。

 父親は、仕事仕事で家に帰ってこなかった。実際は若い女の部屋に入り浸っていたらしいけど、今回女に子供ができたとかで、母親に離婚をつきつけたのだ。


 母親は、土日仕事で父親が帰ってこないのをいいことに、近所のオジサンと付き合っていた。未来は幼稚園の時から、一人でお留守番させられることがあり、そんな時は必ず母親はあのオジサンの家に行っていた。


 お互いにお互いの浮気を容認しているような関係だったが、今回浮気相手の妊娠を期に、円満離婚をすることになった訳だ。

 特に財産がある訳でも、持ち家だった訳でもないし、お互いに不貞を働いていた訳だから、慰謝料問題も発生しなかった。


 ただ一つ。


 彼等の子供のことを除いてだ。


「未来はお母さんと一緒にいたいよな? お母さん大好きだもんな」

「そりゃ、ほとんどいないあなたに比べたらそうでしょうよ! ずるいわ、そんな誘導するみたいな言い方して。未来はお父さんだって大好きよね? それに、お母さんといると貧乏になっちゃうの。お父さんと一緒なら好きなもの食べれるのよ」

「何言うんだ! うちはこれから赤ん坊が生まれるし、未来が肩身の狭い思いをするだろう。あいつに、二人の面倒を見るのは無理だ」

「あら、未来はもうお姉ちゃんですもの。自分のことは自分でできるわよね? それに赤ちゃんのお世話だってできるわよ。未来、お姉ちゃんになるのよ。お母さんの子供じゃないけど、お父さんの子供だからちゃんと血は繋がってるのよ。未来、お人形さん遊び好きだったもんね」

「赤ん坊は人形じゃないだろう!それにあいつは初めての妊娠でナーバスになってるんだ!未来はうちには引き取れない」

「未来、あなたが決めなさい。お母さんと貧しく暮らすか、お父さんと可愛い赤ちゃんと暮らすか」


 ひきつった笑顔で迫る両親を、未来はただジッと見るしかなかった。


 この人達は、きっと宇宙人だ。

 お母さんもお父さんも食べられて、皮だけになっちゃったんだ。

 この皮の下には、黒目がギョロギョロした宇宙人がいるに違いない。

 この人達についていったら、きっとあたしも食べられちゃう。


「……行かない」

「うん? どっちだって? 」

「お父さんって言ったのよね? 」


 未来はプルプルと首を横に振った。


「ほら、やっぱりお母さんだ! 」


 未来はまたもや首を横に振る。


「未来はどこにも行かない! お父さんともお母さんとも住まないの!」


 未来は部屋から走って逃げた。

 玄関を飛び出し、裸足でアスファルトを蹴る。小石を踏んで足の裏が痛かったが、涙を我慢して走る。


 捕まったら食べられちゃう!

 誰か、誰か助けて……。


 未来は、近所に住む老人の家に駆け込んだ。


「おじいちゃん、助けて!! 」


 未来は、汚れた足のまま玄関を駆け上がると、いつものように居間に座っている老人に飛び付いた。


「未来ちゃん?! 」


 老人はびっくりしながらも、未来をしっかりと抱き止め、彼女の様子を確かめる。


 身体に異常はないようだ。怪我をしたり、痛そうなところはない。足が汚れていて、小さな擦り傷はあるようだが、綺麗に拭いてやれば化膿することもないだろう。


「どうした、どうした? お化けでも出たか? 」


 老人は、未来を落ち着かせるように背中をトントンと叩くと、いつも通りの穏やかな口調で語りかけた。


 おじいちゃんと呼ばれているが、未来と老人には血縁関係はない。

 母親が留守の時に知り合ったご近所さんで、未来はしょっちゅう老人の家に遊びにきていた。


 老人は独り暮らしで、野良猫を数匹庭で飼っていて、未来は猫を追いかけて老人と知り合った。

 まだ未来が年小さんの時のことだ。

 さざえさんちのたらちゃんでもあるまいし、今時の幼児が一人で外を歩き回るなど、防犯の意味でも有り得ない。老人は最初、母親に文句を言ってやろうと思ったが、話しを聞くうちに、未来の家族像が見えてきて、静観することに決めた。ただ一言、「何か困ったことがあったら、じいちゃんとこにおいで」とだけ伝えて。


 あれから4年、未来の家はどこだ? と思うほど老人の家に入り浸っていた。

 いつもチャイムも鳴らさずに上がり込み、本物の孫のように老人の膝に座る。野良猫どもと、その定位置を取り合って喧嘩することなどしょっちゅうだ。


 そんな未来が、顔色をなくして老人にしがみついている。何かあったのは確定だろう。でも、それは身体的な物ではなく、精神的な物だと思うから、ことさらどうしたどうしたと騒ぎたてることなく、ただ未来の背中をさすってやる。


 すると、未来の首に下がっていたキッズホンがピロンピロンと鳴った。

 未来はビクッと震え、さらに老人にしがみつく。


「見るぞ」


 携帯を見ると、「おかあさん」と文字がでている。母親からの着信らしい。


「出ていいか? 」


 未来は一瞬首を横に振りかけ、コクンとうなずいた。


『未来、あんた急にいなくなって! 』

『未来ちゃんのお母さんかい? 』

『……どちら様? 』

『三丁目の半田だがねわかるかね? 近所じゃ、猫屋敷って言われとる』

『ああ、はい』

『未来ちゃんはうちにいるから迎えにきなさい』


 老人にしがみつく未来の力が強くなる。

 それから両親が迎えにくるまで、未来はさっきの出来事を老人に話した。あんな酷いことを言うのは、両親の皮を被った宇宙人だから、未来を絶対に渡さないでくれと懇願しながら。


 両親がくると、老人はすぐに未来を渡すことなく、居間に招いて茶をだした。


「すみません。うちの未来がご迷惑を」

「何ね、未来ちゃんは休みの日はほとんどうちにおるしね、学校が終わってもうちに帰ってくるし、こんなの迷惑でも何でもないわ」

「は? そんなにお邪魔を? 」


 父親は、ギロッと母親を睨む。


「あら、いつも出かけると思っていたら、こちらに来ていたのね」


 母親はすましたようにシレッとしている。


 それから、両親の罵倒大会が始まった。お互いに、「自分は悪くない。相手がこんなに悪いから仕方なくこうなったんだ! 」と主張し、最終的には未来を押し付け合う。見ていて不快になる光景が続き、老人は未来の耳を塞ぎたくなるほどだった。


「ね、未来はお父さんといたいわよね? 」

「いや、やはり何だかんだまだ一年生だ。母親が必要だろう」


 未来は老人の腕にしがみつき、目をギュッとつぶる。

 両親共、未来未来と迫る。


「いい加減にせんか!!! 」


 いつもは温厚な老人が久し振りに出した大声だった。


「お前らは、人間の皮を被った鬼だ! こんな小さな子に、なんと酷いことを! 第一、土日など朝から晩までうちにおるんだぞ。母親のくせに、どこにいるのかも知らんかったのか! 探しにもこんとは、それでも母親か! 」

「だ……だから、そんな母親と一緒にいるより父親といた方がいいのよ」

「まだ言うか! 第一、家族がおりながら、他に子供を作るような男に子供を預けられるか! おまえらに親の資格はない!!! 」

「ええ、そうでしょうよ。だから、私は無理だって言ってるんじゃない」


 母親は開き直って、笑顔さえ浮かべる。


「なんて女だ……。でも、うちも本当に無理なんだ。彼女はツワリが酷くて、今何もできない状態だし、赤ん坊が生まれたら、今以上に未来にかまうことができなくな……」

「もういい!! 未来ちゃんはおまえらには無理だ。あんたらの両親か何かに頼みなさい! それまで、未来ちゃんはうちで預かる」

「うちの母親は兄の家に世話になってて……」

「うちだって、小さい子どもの面倒なんか無理よ。母さんは足が悪いし、父さんは糖尿だし」

「いいから、話し合ってからまたこい! 未来ちゃんは置いてけ!」


 二人は、何が何でも未来を連れ戻るということもなく、逆に積極的に未来の荷物を老人の家に運びこみ、それから間もなく離婚が成立した。

 彼等……父親と母親の両親が未来を引き取りに来ることもなかった。


 ★★★

「未来、三組の武田君、未来のこと好きだって噂だよ」

「武田君って、バスケ部の? ウソ~ッ、あたし好きだったのにぃ!」

「彼人気だよね! ヤバい、未来コクられたらどうする? 高校入ったら別々になっちゃうかもじゃん。だから、みんな中3になった今のうちに付き合うんだって」


 女の子も中学生になると、いっぱしの女である。恋バナが大のご馳走で、誰が誰のことが好きって話しで盛り上がっている。


 未来は、そんな話しになると、いつも聞き役に徹していた。恋愛にまず興味がない。男だろうが女だろうが、恋愛感情として好きにはならない。

 初恋をする前から、恋愛に失望していた未来は、妙に覚めた小学生時代を過ごしていた。

 他の友達からしたら、大人っぽいところがあり、大人を客観的に見て判断する目を持っていたため、扱いづらい子……というのが大人の評価だった。


「どうもしないよ」

「何で?! もったいない!! 」


 みんな、エーッ!! と奇声をあげる。

 その中に、武田のことが好きだと言っていた友達もいた。彼女にしたら、未来が武田と付き合わない方がいいはずなのに。


 その程度の好きなんだろう。

 好きなんて、そんなもんだ。


 いつもなら、友達の恋バナに付き合う未来だが、自分が話題になると話しは別。


「今日はもう帰るね。じいちゃんが朝、頭痛いって言ってたから」


 嘘ではなかったが、この時はただの言い訳だった。


 未来は友達と別れると、途中まで走る。友達が見えなくなってから、足を止めた。


 ほんと、バカらしい。

 恋愛なんて、クソだ。


 それから未来は本屋に寄り、コンビニに寄り、アイスを買った。パピコだ。じいちゃんと半分こして食べるために。


「じいちゃーん、ただいまあ! 」


 相変わらず鍵のかかっていない玄関を開け、未来はバタバタと音をさせて居間へ向かう。


 いつもなら「おう、お帰り」と帰ってくるはずの返事がなかった。

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