恋愛を諦めたギリギリアラサーオヤジVS恋愛に夢を抱かない15歳女子

由友ひろ

第1話 あるオヤジの日常

 なんとなく苦い唾液を飲み込み、独特な匂いのする枕に顔を埋めながら、オレは最後の一分まで惰眠を貪っていた。


 アラームのスヌーズ機能を何回切っただろう?

 そろそろ起きないと、まじで会社に遅刻だ。


 普通なら、味噌汁の良い匂いで自然と目が覚めたり(究極の憧れだ)、「あなた~、起きて~(ハート)」などという、愛妻の優しいおはようのキッスなどで目覚めるものかもしれない(恋愛から遠退き過ぎて妄想が半端ない)。

 しかし残念ながら、加齢臭の漂う部屋で、スマホのアラームに叩き起こされる……というのが、寂しいかな現実だ。


 ボサボサの頭をかきながら、だらしなく大欠伸をして起き上がると、寝室から出てトイレへ向かった。


 3DKのマンションは、独り身には広すぎる。28の年で、どうせ家賃を払うんならと、35年ローンで購入した新築マンションは、すでにローンの支払い6年目。

 しかも、独り身だと稼いだ金の使い道もないため、貯まった貯金をこの間支払いに突っ込んだら、一気に支払い年数が減った。


 潤いのない生活には、金が貯まるようにできているらしい。


 オレ、半田はんだゆづる34歳。彼女いない歴8年って、枯れっ枯れのオヤジにスクスクと成長してしまいました。


 戦隊モノに憧れた幼児期。

 ゲームにはまった小中学生時代。

 異性を意識してかっこつけ始めた高校生時代。

 初めて彼女ができた……大学生二年の春。

 社会人になり、6年付き合った彼女と結婚を考え始めたら、実は二股かけられていたことが判明して、やけ酒を飲んで初めて泥酔した26の秋。


 ★★★


「……子供ができたの」


 いきなり告げられた爆弾発言。

 彼女と付き合って6年。そろそろ結婚か……と思ってはいたものの、現実を突きつけられて、一瞬言葉がなくなった。


 頭の中では、「いったいいつ?!」と、最近の彼女とのHを思い返してみたが、失敗した記憶が思い当たらない。「あれか?」というものすらない。


 コンドームに不良品が?

 いや、毎回確かめてたけど、穴なんか開いてなかった。

 第一、付き合って6年間。一度だって生でさせてもらったことなんかなかったんだから。


 しかし、今日はエイプリルフールでもないし、彼女がそんな嘘を言うとも思えなかった。

 彼女はおなかに両手を当て、たまに撫でるような素振りをしている。いつもはカフェイン中毒かってくらい珈琲ばかり飲む彼女の前には、オレンジジュースが置かれてあり、カランと氷が溶けて落ちた。


「えーと……、何ヵ月? 」

「今、2ヶ月」


 2ヶ月? つまり、いつできた子供だ?


 オレは遥か昔の保健体育の授業を思い返してみる。


 確か……、最後の生理がきたときから数えるんだっけ?

 排卵日ってのが生理から半月くらいで、そこで受精したとして、次の生理予定日が1ヶ月目。

 ……つまり、1ヶ月半前のHってことだな。


 1ヶ月半前……?


 オレは頭の中でスケジュールを確認する。


 いや、でも正確に今日が2ヶ月目って訳じゃないだろうし、3ヶ月目に近い2ヶ月目かもしれないじゃないか!

 ってことは、2ヶ月ちょい前って可能性だって……。


 そこまで考えて、オレは頭の中で降参するしかなかった。


 いくら考えても、オレの子供だって確証がもてない。

 なにせ、オレは長期の出張に行っていて、1ヶ月前に帰ってきたのだ。出張期間は2ヶ月。


 オレの精子って、実は1~2ヶ月くらい生き延びてたりする?


 いや、まず有り得ないし、だから生でやってすらない。


「オレの子供だよな? 」


 もう、彼女がうなずいてさえくれれば、生命の神秘!!! ってことで、コンドームをすり抜けたオレの精子が、2ヶ月という長旅を生き残り、晴れて受精した……なんて医学的に無謀な結論すら受け入れるつもりでいた。


「……だと良かった」


 ポロリと涙を流す彼女。


「だと良かった? 」


 つまりは違うと?


 オレは落ち着こうと、アイスコーヒーを飲もうとストローをくわえたものの、下品にズズズッと音をさせたのみで、コーヒーは口には入ってこなかった。ストローを外し、グラスの中の氷を頬張る。バリバリと音をさせて噛み砕き、ゴクリと飲み込む。


「寂しかったの……」


 寂しい?

 2ヶ月の出張が?

 毎日ラインしたし、スカイプでTV電話だってしてた。


 大学時代は毎日会っていたが、社会人になってからは、なかなか休みが合わなくて、2週間に1度くらいの頻度でしか会えなくなっていた。つまりは、2ヶ月ならたかだか4~5回会えなかっただけじゃないか?!


 会う頻度が減ったことが寂しかった?


 いや、オレは普通に土日祭日休みの会社に就職したし、平日休みの仕事を選んだのは彼女だ。


 オレの頭の中では、彼女に対して聞きたいことや言いたいことが、エンドレスで渦巻き、溢れていたが、実際には何も言えなかった。


「……相手は? 」

「会社の上司。相談にのってもらってて、それで……」


 上にも乗られたってか?


 考え方がやさぐれてくる。もちろん、表にはださないが。


「結婚……するの? 」

「多分……」


 おい!

 多分の意味がわからんぞ!!

 浮気して、子供まで作って、多分結婚すると思うって何だ?!


 そんな思いをこめて、氷をバリバリ食べる。


「おめでとう、頑張れ……って言ってくれる? 」


 震える彼女の声に、オレはさらに氷を頬張る。


 彼女寝取られて、なおかつ子供まで作られて、どの面下げて祝福の言葉なんか言えるって言うんだ!


 オレにとって初めての彼女で、手をつないだのだって、キスしたのだって、もちろんSEXだって彼女しか知らない。

 これからだって、彼女と初めてを積み重ねて行くもんだと思っていたさ。


 それが、何だよ?!


 おめでとうって言えだと?

 マジで意味わかんねぇ!


 最後の氷を噛み砕くと、オレは手のひらに爪の跡がつくほど固く手を握りしめ、彼女に向けて最後になる言葉を吐き出した。


「……おめでとう。頑張ってくれ。身体、大事にしろよ」


 ★★★


 電動歯ブラシで歯を磨きながら、器用に逆の手でブラシを使い髪を撫で付ける。


 そりゃね、34年間も独り身こじらせてたら、洗濯物だって色物を分けるくらいのことはするようになるし、アイロンだってかけれるようになる。料理も掃除も完璧だ。


 何不自由ない生活。


 いや、嘘だ。

 やらなきゃいけないだけで、家事も掃除も洗濯も、本当はうっとおしいだけ。

 友人達が、「休日くらいゆっくり寝たいよ。家族サービスとか疲れるし」なんて愚痴ってる横で、「オレは一人だから休日は寝れるだけ寝てるよ」……って、嘘だ。

 二十代の時ほど寝れなくなって、なぜか休日ほど早く目が覚めたりする。


 やることのない休日、一人でやることもなく、かといって出かけるのもうっとおしいだけ。

 友人はみな家庭があり、子供と公園に行ったりしてるってのに、オレが一人で公園でボーッとしたら、不審者扱いだろうよ。


 電動剃刀で髭を剃りながら、自分の顔をつくづく見る。


 いやね、悪かないと思うよ。

 絶世の美男いい男じゃないけど、味がある。ごく普通のオジサンだ。

 一応切れ長の二重だし(かなり細いけど)、鼻は低からず、薄い唇はそれなりに引き締まっている。

 何より、生活感がないから、年より若く(といっても2~3歳だが)見られる。

 筋肉はついてないが、贅肉もついてない細身の身体。まあ、多少腹回りがきつくなってきた気もするが、20代の時のズボンだってはけちゃったりするし、スーツだってサイズアップはしていない。


 こんなオレが結婚しない(できない( ノД`)…)のは、やはり初カノのトラウマ意外の何でもなくて、あれから必要以上に女子と親しくなろうとすると、「どうせこいつだって……」なんて勝手に思い込み、自分から距離をとってしまうからだろうな。


 外は爽やかな晴天で、冬の寒さもそろそろ緩み、桜の知らせが間近になってきてるってのに、何だってアラサーオヤジの(慣れ親しんだ自分の)顔なんか眺めなきゃならんのか……。


 ため息ばっかだから幸せが逃げたのかな……と思いながら、大きくため息をついた。


 これから、何の変わりもない一週間が始まる。

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