第13話 土中都市アリスネスト 2
殆ど野宿と変わりなかったが、その夜の眠りには妙な安心感があった。天井があることが大きいのだろうと、エルバは思う。頭上を何かで覆ってしまうと、生物は無闇に安心するものらしい。
泥のように眠って目を覚ますと、違和感がエルバを襲った。寝る前に見ていた風景と目が覚めてから見る風景がどこか違う。視線を
「おお、起きたか兄ちゃん。」
ゴートは口元をにやけさせてエルバに声をかけて来た。
「貴様!」
エルバは飛び起きて周囲を確認した。そこはエルバたちが就寝した部屋よりもさらに
「な、一体、どういうことだ?」
「オレたちは捕まってるのさ。土中都市アリスネストの連中に。」
ゴートは陽気とさえ思われる声でエルバの混乱に答えた。
「何がオレたち、だ! ていうか、お前どうしてここにいるんだ!」
「落ち着け、エルバ。」
ティエラの声が恐慌状態のエルバに冷水を浴びせかけた。
エルバは深く深呼吸し、狭い檻を横切って鉄格子に手を触れた。冷たい鉄格子にエルバの熱が溶けてゆく。鉄格子はすっかりぼろぼろになっているが、力一杯引いても何ともならなかった。手を放すと、
「ゴート、どうしてここに?」
エルバは努めて冷静にゴートに問いかけた。
「いやあ、おたくらから逃げる途中に、この都市に通じる穴を見つけてな? お宝があるかもと思って入り込んだのよ。そしたらこの通り、
「何故閉じ込められている? お前みたいなならず者はともかく、僕らは何も……。」
「
ゴートは吐き捨てるように答えた。
「この街の信仰対象であるミハシラってのに捧げる生贄が必要らしいぜ。」
ゴートの言葉は全てを明らかにしていながら、さっぱり意味の解らないものだった。生贄だなんて、エルバには理解しかねる言葉だったのである。
「ち、だから人間なんて信用できない……」
油断しきって眠ってしまった昨晩の自分をひとしきり責めてから、エルバは気を取り直した。
人間というのは自分よりも混乱している者がいると存外に冷静になれるものであるらしい。フューレンプレアの惑乱はエルバの比ではなかった。青い目を
「ゴートはどこまで把握しているのですか? そもそも、どうやって情報を入手したのですか?」
エルバは丁寧な口調を取り戻して、ゴートに問いかけた。
「いや、ご丁寧に色々教えてくれたぜ? 兄ちゃんがぐっすり眠っている間に来た爺さんがな。そこのお嬢さん方も聞いてた。」
ゴートに水を向けられて、ティエラは軽く頷いた。
「この街は、
エルバは懸命にティエラの話を聞いた。
「つまり、この街は邪悪な王を狂信する者たちの隠れ里だった、ということですか。」
エルバがざっくりと
「ミハシラと言うのは砂の蜥蜴が彼らに与えたものだそうだ。年に一人の生贄を捧げることで人々に恵みを与えるのだとか。」
淡々と状況整理を続けるティエラに、もはや変わった様子は見られない。エルバの気のせいだったのだろうか。
「年に一人、ですか。」
エルバは呟いた。
「彼らは五百年ここにいると主張していますから、五百人が生贄になったということですね。」
時間感覚のズレのために必要数の五倍もの生贄を捧げた、ということであろうか。
「案外生贄を一人捧げたら一年が経過したものと考えているのかもしれないな。つまり、彼らが時間の感覚に合わせてミハシラに生贄を捧げているのではなく、ミハシラの要求する生贄の数に合わせて時間を進めている、と。仮説だがね。」
ティエラは肩を
「それじゃ、オレ達が捧げられたらこの街の連中は四年も年を重ねなきゃならなくなるな。大変だぜ。」
ゴートは不謹慎にからからと笑った。
「笑い事ではありませんよ!」
フューレンプレアが叫んだ。
「生贄、だなんて! まるで贄の王国の焼き直しではありませんか! こんなことが許されていいはずがありません。生贄なんて、残虐なばかりで何の意味もないのに!」
「落ち着いてください、プレアさん。逃げる方法を考えますから。」
エルバはなんとかフューレンプレアを
「に、逃げる? そう、そうですね。何とか逃げて……いえ、駄目です、エルバ! 戦わなくては。私たちが逃げたら、別の誰かが生贄にされるかもしれません!」
不意にフューレンプレアは決然と表情を引き締めた。
「彼らが贄の王国の信奉者だとすれば、身内であれど生贄にすることになんの痛みも
苦り切った溜息が、牢の中の空気を冷え込ませた。皆の視線は自然とそれを吐き出した人物に向かう。
「君は世の中には守るべき筋があると思っているのだね。」
ティエラは言う。淡々とした口調と裏腹に、そこには確かに深く熱い怒りが籠っていた。
「世の中には正しい道が確かにあって、君はそれを知っていると思っている。そして君が正しいと思っているその道は誰もが正しいと認めているはずで、またそれを守りたいと心の底では考えているのだと、そう思っているだろう? それは君、了見が狭いというものだ。」
「え? え?」
フューレンプレアは戸惑ったように視線を泳がせた。
「……なに、今は逃げるのが最優先だと、そう言いたかっただけだよ。」
ティエラは
「逃げるにせよ戦うにせよ、どうにかして脱出せねばなりませんよ。武器も何もないというのに。」
「脱出の方法になら心当たりがある。問題は、彼を連れて行くかどうかだな。」
ティエラの視線を受けて、ゴートは
「おいおい、そりゃねえだろ? こうして一緒に捕まっている以上、オレ達は運命共同体じゃねえか。連れて行ってくれよぉ。」
「嫌だよ。君はあまりに得体が知れないもの。」
ティエラは素っ気なく言って、人の悪い笑みを浮かべる。
「山賊の砦で出会った時、ヒトハミはあまりにも君に都合よく動いていた。一体どうやった? どこでやり方を覚えた? それを教えてもらわなければ、とても連れて行けやしない。」
しばしの間ゴートは宙を見つめて考え込んでいたが、やがて観念したように両手を上げた。
「オレはなあ、ヒトハミに育てられたんだよ。」
意外に過ぎる一言に、エルバは思わずゴートに視線をやった。
「育てられたっていうと
「え?」
フューレンプレアは目を瞬かせた。
「襲わねえんだよ。子供が助からねえのは、ヒトハミの群れに何頭か紛れてる獣に食われちまうからだ。オレの故郷の村を襲ったのは、まじりっけのねえヒトハミの群れだった。」
だから大勢の子供が生き残った。生き残った子供たちはヒトハミの群れと共に移動した。旅のうちに出会った人に助けを求めた。受け入れられた子供もいたが、
大人たちは子供たちの救いにならなかった。そのうちに子供たちは、ヒトハミに襲われた人々から奪うようになった。獣を避ける方法を学び、ヒトハミの動きを肌で感じた。
「なるほど。そうした子供たちの話はしばしば耳にする。多くは人間社会に適応することができず、やがてヒトハミに喰われるか、あるいは獣の餌食になると聞くが。」
「まあ、殆どはそうなったわな。オレは賢かったから、大きくなったら喰われるっていち早く気付いたのさ。だから襲われない方法を必死で探ったよ。
ゴートは陽気に笑った。
「まあ、そういうわけで、ヒトハミがどう動くのか、なんとなくわかるのさ。勘と経験ってわけだ。」
「具体的にどうやってヒトハミを操った?」
ティエラは話を先に進めるように
「ああ、それな。ある方法で手に入る石がすこぶる強烈にヒトハミを引き寄せるのよ。そいつをうまく使えば誘導できる。」
「なるほど。では、その石を使って山賊の砦にヒトハミをけしかけたというわけだ。」
「おうよ。今は没収されたから持ってねえけどな。あれをうまく使えば、守印がなくても安全に移動できるぜ。」
ティエラさえ一緒にいなければの話だ、とエルバは内心で付け足した。彼女がヒトハミを引き寄せることを、ゴートはまだ知らないのだから。
「なあ? オレのこと、可哀想だと思うだろ? まともには生きていけなかったんだ。あんたらと違ってさあ。それでもあんたらみたいに生きたいとは思ってるんだぜ? 人間にヒトハミをけしかけるような生き方、したいはずないだろう?」
ゴートの声には、言葉ほどの重みが伴っていなかった。
「残念ですが、あなたは信用できない。今だって嘘を吐いているかもしれないし、外に出た途端ヒトハミを僕らにけしかけるかもしれない。」
エルバは冷たい声できっぱりと答えた。
「何より、あなたは僕から奪ったものを僕に返していないではありませんか。」
「ああ、あの剣な。だって取り上げられたし。」
ゴートはやれやれと肩を竦めた。
「それに、兄ちゃんみたいな弱っちい奴が使うよりオレが使った方が、多くのヒトハミを殺すことができるぜ。ヒトハミ殺しの才能のないオレでもヒトハミを殺せる剣なんて、二つとねえ。」
エルバは
「あの剣、オレに譲ってくれよ。オレが全てのヒトハミをぶった斬る。オレが世界を救ってやるよ。」
ゴートの目には、
「ヒトハミを全て殺す、か。」
ティエラが失笑する。フューレンプレアは笑わなかった。
「ゴート、あなたに世界を救う意思があるというのなら、私たちに協力してください。」
ごく真面目に、フューレンプレアはゴートに向かって言った。
「私たちは贄の都を目指して旅をしています。分断の王の呪いを解き、世界をヒトハミから解放するために。」
「はあ?」
怪訝そうな声が二つ重なった。ゴートと共に、ティエラも目を丸くしてフューレンプレアを見つめていた。
「君、そんなことをするつもりで旅をしていたのか?」
ティエラは呆れたように言った。
「ええ、そうです。」
フューレンプレアは堂々と頷いた。
「プレアさん、こんな奴を仲間に加えるとろくなことになりませんよ。」
エルバは敵意を剥き出しにしてゴートを睨みつける。
「エルバ、人を疑いすぎるのはあなたの悪い癖ですよ。この滅亡の瀬戸際で、人が人を信じずしてどうします?」
フューレンプレアはどこまでも真剣な様子だった。
「人を騙すのは人間だけだと思いますが!」
エルバは負けじと反論した。
「この男には前科があります。救いがたい男です。仲間にするなんて無理です!」
「でも悔いています。」
フューレンプレアはきっぱりと言った。
「まさか、先ほどのへらへらした懺悔を真に受けているのですか?」
「本心を語るのは、誰にとっても恥ずかしいことです。誤魔化し笑いだってするでしょう。」
エルバは軽い
不意に、ゴートが声を上げて笑い始めた。
「わ、解った。いいぜ、一緒に贄の都まで行ってやる。楽しそうだ、おたくらの一行。」
「本当ですか?」
フューレンプレアは喜びの空気を放ち、エルバは不本意な気持ちを惜しげもなく振り撒いた。
「それでは、手始めに何をする?」
ゴートはにやにや笑ってフューレンプレアに問いかける。
「脱出を!」
フューレンプレアがティエラへと視線を向けた。
「それじゃ、聞かせてもらおうか姉さんよ。道具も何もなくこの檻から脱出する方法って奴をさ。」
ゴートは挑発的にティエラに言った。
「別にどうということはないよ。」
ティエラは答えて鉄格子を
「単なる力任せだ。」
言葉を見つけるのに苦労している三人に向けて、ティエラは何でもないように笑った。
「さあ。荷物を取り返して、脱出するとしよう。」
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