第13話 土中都市アリスネスト 2 

 殆ど野宿と変わりなかったが、その夜の眠りには妙な安心感があった。天井があることが大きいのだろうと、エルバは思う。頭上を何かで覆ってしまうと、生物は無闇に安心するものらしい。


 泥のように眠って目を覚ますと、違和感がエルバを襲った。寝る前に見ていた風景と目が覚めてから見る風景がどこか違う。視線を彷徨さまよわせるうち、エルバは一人の男の姿を捉えた。瞬間、寝ぼけた意識が一気に覚醒する。


「おお、起きたか兄ちゃん。」


 ゴートは口元をにやけさせてエルバに声をかけて来た。


「貴様!」


 エルバは飛び起きて周囲を確認した。そこはエルバたちが就寝した部屋よりもさらにせまい空間だった。フューレンプレアとティエラが壁に背を預けて座り込んでいる。土に囲まれた空間の一方向に穴が開いているが、そこにはびた鉄の格子がはまり込んでいた。


 牢屋ろうやに閉じ込められている。その事実を認めて、エルバは仰天した。


「な、一体、どういうことだ?」


「オレたちは捕まってるのさ。土中都市アリスネストの連中に。」


 ゴートは陽気とさえ思われる声でエルバの混乱に答えた。


「何がオレたち、だ! ていうか、お前どうしてここにいるんだ!」


「落ち着け、エルバ。」


 ティエラの声が恐慌状態のエルバに冷水を浴びせかけた。

 

 エルバは深く深呼吸し、狭い檻を横切って鉄格子に手を触れた。冷たい鉄格子にエルバの熱が溶けてゆく。鉄格子はすっかりぼろぼろになっているが、力一杯引いても何ともならなかった。手を放すと、めくれた錆の欠片が鉄格子からがれて床に落ちた。


「ゴート、どうしてここに?」


 エルバは努めて冷静にゴートに問いかけた。


「いやあ、おたくらから逃げる途中に、この都市に通じる穴を見つけてな? お宝があるかもと思って入り込んだのよ。そしたらこの通り、おりに入れられっちまって。結構長いこと閉じ込められているぜ。日の光がおがめねえから時間は解らねえけど。」


「何故閉じ込められている? お前みたいなならず者はともかく、僕らは何も……。」


生贄いけにえだよ。」


 ゴートは吐き捨てるように答えた。


「この街の信仰対象であるミハシラってのに捧げる生贄が必要らしいぜ。」


 ゴートの言葉は全てを明らかにしていながら、さっぱり意味の解らないものだった。生贄だなんて、エルバには理解しかねる言葉だったのである。


「ち、だから人間なんて信用できない……」


 油断しきって眠ってしまった昨晩の自分をひとしきり責めてから、エルバは気を取り直した。


 人間というのは自分よりも混乱している者がいると存外に冷静になれるものであるらしい。フューレンプレアの惑乱はエルバの比ではなかった。青い目を悄然しょうぜんと泣き腫らし、膝を抱えてうずくまっている。いつも綺麗に結っている金の髪は乱れていて、造花の髪飾りは失われていた。


「ゴートはどこまで把握しているのですか? そもそも、どうやって情報を入手したのですか?」


 エルバは丁寧な口調を取り戻して、ゴートに問いかけた。


「いや、ご丁寧に色々教えてくれたぜ? 兄ちゃんがぐっすり眠っている間に来た爺さんがな。そこのお嬢さん方も聞いてた。」


 ゴートに水を向けられて、ティエラは軽く頷いた。


「この街は、にえの王国が滅んだ際に分断の王の側近であった砂の蜥蜴とかげに率いられて地下に潜伏した者たちの末裔まつえいであるらしい。正当なる王を殺した者どもに天罰が下り、全ての罪が許され清浄なる大地が戻るその時まで、彼らは地下で暮らすのだそうだ。」


 エルバは懸命にティエラの話を聞いた。


「つまり、この街は邪悪な王を狂信する者たちの隠れ里だった、ということですか。」


 エルバがざっくりとまとめると、何故だかティエラは一瞬だけ不快そうな表情をした。


「ミハシラと言うのは砂の蜥蜴が彼らに与えたものだそうだ。年に一人の生贄を捧げることで人々に恵みを与えるのだとか。」


 淡々と状況整理を続けるティエラに、もはや変わった様子は見られない。エルバの気のせいだったのだろうか。


「年に一人、ですか。」


 エルバは呟いた。


「彼らは五百年ここにいると主張していますから、五百人が生贄になったということですね。」


 時間感覚のズレのために必要数の五倍もの生贄を捧げた、ということであろうか。


「案外生贄を一人捧げたら一年が経過したものと考えているのかもしれないな。つまり、彼らが時間の感覚に合わせてミハシラに生贄を捧げているのではなく、ミハシラの要求する生贄の数に合わせて時間を進めている、と。仮説だがね。」


 ティエラは肩をすくめた。


「それじゃ、オレ達が捧げられたらこの街の連中は四年も年を重ねなきゃならなくなるな。大変だぜ。」


 ゴートは不謹慎にからからと笑った。


「笑い事ではありませんよ!」


 フューレンプレアが叫んだ。


「生贄、だなんて! まるで贄の王国の焼き直しではありませんか! こんなことが許されていいはずがありません。生贄なんて、残虐なばかりで何の意味もないのに!」


「落ち着いてください、プレアさん。逃げる方法を考えますから。」


 エルバはなんとかフューレンプレアをなだめようと試みた。ゴートはニヤニヤしながら見ているばかりだし、ティエラは酷く冷たい目で彼女をにらみつけていた。確かに彼女の取り乱しようは見苦しいかもしれないが、この状況で取り乱すなと言うのも酷だとエルバは思う。


「に、逃げる? そう、そうですね。何とか逃げて……いえ、駄目です、エルバ! 戦わなくては。私たちが逃げたら、別の誰かが生贄にされるかもしれません!」


 不意にフューレンプレアは決然と表情を引き締めた。


「彼らが贄の王国の信奉者だとすれば、身内であれど生贄にすることになんの痛みも躊躇ためらいも伴わないことでしょう。洗脳状態にあるのです。生贄などと言う愚かな風習を打ち砕かない限り、犠牲者は増え続けます!」


 苦り切った溜息が、牢の中の空気を冷え込ませた。皆の視線は自然とそれを吐き出した人物に向かう。


「君は世の中には守るべき筋があると思っているのだね。」


 ティエラは言う。淡々とした口調と裏腹に、そこには確かに深く熱い怒りが籠っていた。


「世の中には正しい道が確かにあって、君はそれを知っていると思っている。そして君が正しいと思っているその道は誰もが正しいと認めているはずで、またそれを守りたいと心の底では考えているのだと、そう思っているだろう? それは君、了見が狭いというものだ。」


「え? え?」


 フューレンプレアは戸惑ったように視線を泳がせた。


「……なに、今は逃げるのが最優先だと、そう言いたかっただけだよ。」


 ティエラはけんの抜けた声で言うと、壁にもたれて目を閉じた。


「逃げるにせよ戦うにせよ、どうにかして脱出せねばなりませんよ。武器も何もないというのに。」


「脱出の方法になら心当たりがある。問題は、彼を連れて行くかどうかだな。」


 ティエラの視線を受けて、ゴートは大袈裟おおげさにのけぞってみせた。


「おいおい、そりゃねえだろ? こうして一緒に捕まっている以上、オレ達は運命共同体じゃねえか。連れて行ってくれよぉ。」


「嫌だよ。君はあまりに得体が知れないもの。」


 ティエラは素っ気なく言って、人の悪い笑みを浮かべる。


「山賊の砦で出会った時、ヒトハミはあまりにも君に都合よく動いていた。一体どうやった? どこでやり方を覚えた? それを教えてもらわなければ、とても連れて行けやしない。」


 しばしの間ゴートは宙を見つめて考え込んでいたが、やがて観念したように両手を上げた。


「オレはなあ、ヒトハミに育てられたんだよ。」


 意外に過ぎる一言に、エルバは思わずゴートに視線をやった。


「育てられたっていうと語弊ごへいがあるなあ。ただヒトハミについて歩いてただけだ。ヒトハミってのは子供を襲わねえのさ。」


「え?」


 フューレンプレアは目を瞬かせた。


「襲わねえんだよ。子供が助からねえのは、ヒトハミの群れに何頭か紛れてる獣に食われちまうからだ。オレの故郷の村を襲ったのは、まじりっけのねえヒトハミの群れだった。」


 だから大勢の子供が生き残った。生き残った子供たちはヒトハミの群れと共に移動した。旅のうちに出会った人に助けを求めた。受け入れられた子供もいたが、ほとんどは拒絶された。ヒトハミと共に移動する子供が不気味がられたというのもある。それ以前に、他人の面倒を見られるほどに余裕のある人は多くなかった。


 大人たちは子供たちの救いにならなかった。そのうちに子供たちは、ヒトハミに襲われた人々から奪うようになった。獣を避ける方法を学び、ヒトハミの動きを肌で感じた。


「なるほど。そうした子供たちの話はしばしば耳にする。多くは人間社会に適応することができず、やがてヒトハミに喰われるか、あるいは獣の餌食になると聞くが。」


「まあ、殆どはそうなったわな。オレは賢かったから、大きくなったら喰われるっていち早く気付いたのさ。だから襲われない方法を必死で探ったよ。守印しゅいんの存在を知った時にはありがたいと思ったもんだ。」


 ゴートは陽気に笑った。


「まあ、そういうわけで、ヒトハミがどう動くのか、なんとなくわかるのさ。勘と経験ってわけだ。」


「具体的にどうやってヒトハミを操った?」


 ティエラは話を先に進めるようにうながした。


「ああ、それな。ある方法で手に入る石がすこぶる強烈にヒトハミを引き寄せるのよ。そいつをうまく使えば誘導できる。」


「なるほど。では、その石を使って山賊の砦にヒトハミをけしかけたというわけだ。」


「おうよ。今は没収されたから持ってねえけどな。あれをうまく使えば、守印がなくても安全に移動できるぜ。」


 ティエラさえ一緒にいなければの話だ、とエルバは内心で付け足した。彼女がヒトハミを引き寄せることを、ゴートはまだ知らないのだから。


「なあ? オレのこと、可哀想だと思うだろ? まともには生きていけなかったんだ。あんたらと違ってさあ。それでもあんたらみたいに生きたいとは思ってるんだぜ? 人間にヒトハミをけしかけるような生き方、したいはずないだろう?」


 ゴートの声には、言葉ほどの重みが伴っていなかった。


「残念ですが、あなたは信用できない。今だって嘘を吐いているかもしれないし、外に出た途端ヒトハミを僕らにけしかけるかもしれない。」


 エルバは冷たい声できっぱりと答えた。


「何より、あなたは僕から奪ったものを僕に返していないではありませんか。」


「ああ、あの剣な。だって取り上げられたし。」


 ゴートはやれやれと肩を竦めた。


「それに、兄ちゃんみたいな弱っちい奴が使うよりオレが使った方が、多くのヒトハミを殺すことができるぜ。ヒトハミ殺しの才能のないオレでもヒトハミを殺せる剣なんて、二つとねえ。」


 エルバは瞠目どうもくした。白枝の剣が対魔武器であることには既に気付いていたが、ゴートの言うような価値があることは知らなかった。


「あの剣、オレに譲ってくれよ。オレが全てのヒトハミをぶった斬る。オレが世界を救ってやるよ。」


 ゴートの目には、じれた獰猛な光が宿っていた。


「ヒトハミを全て殺す、か。」


 ティエラが失笑する。フューレンプレアは笑わなかった。


「ゴート、あなたに世界を救う意思があるというのなら、私たちに協力してください。」


 ごく真面目に、フューレンプレアはゴートに向かって言った。


「私たちは贄の都を目指して旅をしています。分断の王の呪いを解き、世界をヒトハミから解放するために。」


「はあ?」


 怪訝そうな声が二つ重なった。ゴートと共に、ティエラも目を丸くしてフューレンプレアを見つめていた。


「君、そんなことをするつもりで旅をしていたのか?」


 ティエラは呆れたように言った。


「ええ、そうです。」


 フューレンプレアは堂々と頷いた。


「プレアさん、こんな奴を仲間に加えるとろくなことになりませんよ。」


 エルバは敵意を剥き出しにしてゴートを睨みつける。


「エルバ、人を疑いすぎるのはあなたの悪い癖ですよ。この滅亡の瀬戸際で、人が人を信じずしてどうします?」


 フューレンプレアはどこまでも真剣な様子だった。


「人を騙すのは人間だけだと思いますが!」


 エルバは負けじと反論した。


「この男には前科があります。救いがたい男です。仲間にするなんて無理です!」


「でも悔いています。」


 フューレンプレアはきっぱりと言った。


「まさか、先ほどのへらへらした懺悔を真に受けているのですか?」


「本心を語るのは、誰にとっても恥ずかしいことです。誤魔化し笑いだってするでしょう。」


 エルバは軽い眩暈めまいを覚えた。時として善性は悪性よりも性質たちが悪い。正しいと確信しているが故に修正を受け付けないのだ。


 不意に、ゴートが声を上げて笑い始めた。


「わ、解った。いいぜ、一緒に贄の都まで行ってやる。楽しそうだ、おたくらの一行。」


「本当ですか?」


 フューレンプレアは喜びの空気を放ち、エルバは不本意な気持ちを惜しげもなく振り撒いた。


「それでは、手始めに何をする?」


 ゴートはにやにや笑ってフューレンプレアに問いかける。


「脱出を!」


 フューレンプレアがティエラへと視線を向けた。


「それじゃ、聞かせてもらおうか姉さんよ。道具も何もなくこの檻から脱出する方法って奴をさ。」


 ゴートは挑発的にティエラに言った。


「別にどうということはないよ。」


 ティエラは答えて鉄格子をつかみ、力づくで捻じ曲げた。鉄の棒がぐにゃりと形を変え、人一人が通れるほどの隙間すきまが出来上がる。


「単なる力任せだ。」


 言葉を見つけるのに苦労している三人に向けて、ティエラは何でもないように笑った。


「さあ。荷物を取り返して、脱出するとしよう。」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る