第12話 土中都市アリスネスト 1 

 巨大な空洞の中心に、白い柱が屹立きつりつしている。


 地の下からはるか高い天井までを貫いて伸びるその柱には、細かな模様が彫り込まれていた。溝を水が流れるように、緑の輝きが細工の中を流動している。


 その足元に老人たちが輪を作って腰掛けていた。干からびた肌は異様に白く、青く太い血管が浮き出している。血管の内部を流れる命は輝きに欠けていて、微動だにせず座す姿はさながら石像のようだった。


「あの客人をどうしたものか……」


 薄汚れた白いひげの隙間から漏れ出すこの問いは、すでに何度目かのものであった。白い石像たちは数日間にわたってここに座し、問いかけばかりの議論を延々と続けていた。


 結論は初めから用意されており、そこに至る過程も重要ではない。しかし彼らは一向に結論へと至ろうとしない。結論に到達するまでの時間が思慮深さに比例すると、彼らは本気で考えているのである。


「あの客人をどうしたものか……」


 問いかけが反響して耳に戻る。長い長い沈黙の後、再び同じ問いが生まれようとした時、静寂に馴れきった鼓膜が転がるような足音を捉えた。


「長老様! ま、また客人が訪れました!」


 石像たちは動かない。また議論の種が増えてしまった。しかし結論は変わらない。


 土中都市アリスネストはそうやって存続してきたのだから。



               *



 見渡す限りどこにも人の姿はない。


 ここは共栄帯きょうえいたいの街道から離れているし、周囲に街もない。共栄帯の二大都市を繋ぐ最短ルートではあるが、街道として整備されていない。さらには道の上にあった砦が山賊の根城になってしまい、すっかり人の通りは途絶えたのである。


 そんな土地に人工物を見つければ、気になってしまうのも仕方がない。


 切り立ったがけに挟まれた谷川に沿って歩いていたエルバは、崖を構成する張り出した岩の裏側に、金属的な輝きを見出したのである。


 近づいてよくよく見てみれば、それは巨大な金属の板だった。滑らかな板の中、手を引っ掛けるのにちょうどよさそうなくぼみが一つ。スライド式のドアというには枠もレールもいびつに過ぎるが、エルバが精いっぱいに引っ張ると、何とか体が通りそうな隙間ができた。


遺構いこうでしょうか?」


 フューレンプレアの声が狭い穴の奥へと吸い込まれていった。


「丁度いいな。雨も降りそうだし。」


 ティエラが空を見上げて呟いたその瞬間、狙いすましたように空から雨粒が落ちて来た。雨はヒトハミや獣の気配を隠してしまう。荷物を濡らしてしまうのも避けたい。雨宿りをするには、成程、確かに丁度良い。


「ご先祖様の残した人類の宝が眠っているかも、と思うと、わくわくしませんか?」


「しませんよ。」


 エルバはきっぱりと答えた。


 以前はそれなりに冒険心というものを理解したエルバだが、それは平和の中にあってこそ。実際に危険な状況で冒険を楽しむほどエルバは気楽な人間ではなかった。今望むのは、一刻も早い安全圏への避難である。


 狭苦しい土の回廊が延々えんえんと続いている。松明の動きが岩肌に怪しい影を形成する。外から入り込んだ雨の香りが、土の匂いを一層引き立たせた。


 回廊には、人為的に掘られた形跡が見受けられた。一体何者が掘ったものなのだろう。そんな疑問が頭に浮かぶ頃に、果たしてエルバたちは人間に行き遭った。


 淡い光を放つ棒を手に手に持って現れた人々はいずれも色素が抜け落ちたように髪も肌も白く、異様に大きな目は赤かった。皆ひどく痩せていて、薄汚れた肌には青い血管が浮き出ている。


「土中都市アリスネストへようこそ。砂の蜥蜴とかげに導かれし外界の民よ。」


 ぞろぞろと集まって来た人々のうちの一人が細く高いかすれ声でそう言って、うやうやしいとは到底言えない動作で頭を下げた。




 住人の語るところによれば、土中都市アリスネストは五百年前に災厄を逃れて地下に潜った人々の末裔まつえいであるらしい。


 五百年前、ということはつまりにえの王国の成立以前からここにいるのかと思えば、これがそうではない。贄の王国が滅亡した後、呪われ荒廃する世界から地下へと逃れたのだという。


 人知れない地下都市はあらゆる情報から隔絶かくぜつされ、太陽の光も届かない。長い年月を過ごすうち、彼らのこよみいちじるしくズレた、ということらしかった。


「こんなところに街があったなんて、知りませんでした。」


 フューレンプレアは興味津々と言った様子で、好奇心に満ちた視線をき出しの岩肌に投げかけた。


 無数の枝分かれを進んだ先、回廊の行き止まりを掘り広げただけの空間に、エルバたちは案内された。椅子もなければ机もなく、ただ部屋を薄暗く照らす小さなあかりがあるだけだった。


 エルバたちは地べたに腰掛けて、退屈を持て余した。好奇心を維持するには、ここは何もなさ過ぎる。


「豊かな暮らしを送っているわけではなさそうですね……」


 フューレンプレアは浮かない表情をした。


「確かにね。見るからにみすぼらしいし、暮らしも文化的とは言い難い。早々に出立した方がいいかもしれないな。」


 実際、ティエラの言う通りだった。歓迎してくれている様子ではあるが、この街でエルバたちが得るものはほとんどないだろうし、またエルバたちがこの街に提供できるものもない。すぐに去るのがお互いのためだ。住人にめられる可能性だってないわけではない。


「出る道が解らないのが問題ですね。」


 エルバは苦々しく呟いた。何しろアリの巣のように入り組んだ構造である。容易に出口を見つけられそうにない。


「いけませんよ、二人とも。せっかく歓迎してくださっているのに。」


 フューレンプレアはあくまでも素直だった。とぼしい灯りを反射して輝く彼女の金色の髪を、エルバはただまぶしく思った。


「そうは言うが、君――」


 何か言いかけて、ティエラは口を閉ざした。彼女の視線を目で追うと、六人の子供たちが通路からこちらをのぞき込んでいた。


 やはり皆一様に色素が薄い。血管の印象が強いからか、不健康に白い肌は青ざめて見えた。頬骨ほおぼねが張り出していて、あごは細く尖っている。顔に肉が付いていないために、赤い目は異様に大きく見えた。粗末な衣服は最低限しか体を隠しておらず、浮き出た肋骨ろっこつと不自然に張り出した腹とが薄灯りの中に痛々しく映し出されていた。関節の目立つ細い手には、何かの詰まった袋を抱え込んでいる。


「どうしたのですか?」


 フューレンプレアは優しい声で尋ねた。子供たちはおずおずと視線を交わすと、抱えていた袋をフューレンプレアに差し出した。フューレンプレアが開いた袋の中を見て、エルバは引きった悲鳴を上げた。


 中にはセミの幼虫がぎっしりと詰まっていたのである。


「ミィミィ、おいしい。」


 子供の一人が袋を指さして言った。


「まあ、ありがとう。セミの幼虫ですね。」


 セミ、と子供たちは首をかしげた。


「成虫を見たことはありますか? 大人になるとはねが生えて、空を飛ぶことができるようになるのよ。それに、雄は鳴くのです。ミィミィって。だからミィミィと呼ぶのではないかしら?」


 フューレンプレアの説明を、子供たちは目をキラキラさせて聞いていた。


「いただいてもいいの?」


 子供たちは首の太さに比べて大きすぎる頭を縦に振った。その動きがエルバにはひどく危なっかしく見えた。


「でも、私たちはお腹いっぱい。あなたたちで食べなさい。」


 食べるのか、と衝撃を受けているエルバの前で、子供の一人が無造作にセミの幼虫をつかんで口の中に投げ入れようとする。フューレンプレアは慌てたようにその子供を制止した。


なまはいけません、生は。お腹を壊しますよ。」


 子供たちはぽかんとした表情でフューレンプレアを見上げた。アリは生で食べてもいいのだろうか、とエルバは素朴に不思議がった。


げると美味しいのですけれど。……少しそこで待っていなさい。」


 フューレンプレアはティエラに了承を得て、背嚢はいのうの中から燃石ねんせきと鍋を取り出した。


 鍋の中に固形油こけいゆを置いて火にくべると、油はみるみる溶けて液体状に変じる。油の溶ける間に、フューレンプレアはマイを砕いて粉状にし、セミの幼虫にまぶしていた。セミの幼虫は嫌がってじたばたと足を動かした。生きている。


 ますます気分が悪くなるエルバをよそに、フューレンプレアは塩の塊を削る。油の温度が十分に上がったとみるや、下拵したごしらえの済んだセミの幼虫を煮えたぎる油の中に投じた。


 セミの幼虫は六本の脚を丸めて固まり、油の中を浮沈する。フューレンプレアは揚げ上がったセミの幼虫を串に刺して油から取り出すと、ぱらぱらと塩を振る。


「さあ、どうぞ。」


 フューレンプレアの差し出した不気味な料理を、子供たちは恐る恐る口に入れた。軽やかな咀嚼そしゃく音と共に、子供たちの顔に花が咲く。フューレンプレアは温かく目を細めて彼らの様子を見守っていた。


「さ、エルバもどうぞ。」


「いえ、僕は結構です。」


 エルバはきっぱりと断った。フューレンプレアは残念そうな顔をする。


「見て下さい、プレアさん。彼らの酷いせ方を。そして、初めて美味しいものを食べたと言わんばかりの表情を。彼らがあれほど喜んで食べている料理を僕が食べてしまうことなんてできるでしょうか? 僕の分は、是非ぜひとも彼らに食べさせてあげてください。」


 慌ててもっともらしい言い訳を述べると、フューレンプレアはすぐに納得した。


「そう、その通りですね、エルバ。あなたもお腹が空いているでしょうに。あなたの心がとても清らかなことを、私は知っていたつもりですけれど、全く認識が不足していました。あなたはなんて優しいの……。」


 感極まって瞳を潤ませるフューレンプレアを尻目に、ティエラはもりもりとセミの幼虫の揚げ物を食べていた。虫が苦手だと言っていたのに。何となく裏切られたような気分で、エルバはティエラを見やった。


「うん、悪くない。揚げ芋に似た仕上がりだ。」


「揚げ芋? それなら悪くはないですね。」


 エルバが言うと、ティエラは意地の悪い笑みを浮かべた。


「イモ? どこかで聞いたような気がしますが、何でしたっけ?」


 フューレンプレアが不思議そうな表情でエルバとティエラを見比べる。


 しまった、とエルバは舌打ちをした。この世界は殆どの植物が絶滅しているという。つまり、芋は現存しないのだ。ティエラの腹黒い話術にまんまと乗せられて、有り得ないことを口走ってしまった。それどころか、フューレンプレアがいなければ、それに気付きもしなかっただろう。


「何、大したものではないさ。」


 ティエラは堂々と誤魔化ごまかして立ち上がると、空間の隅に行って座り込んだ。光の届くか届かないかの位置でそうしていると、彼女の存在感は実に曖昧あいまいなものに思われた。


 その曖昧さが不気味さとなってエルバに圧力を加えた。


 彼女は一体、何を知っていて何を知らないのか。何を探っているのか。


 エルバは猜疑心さいぎしんを一層に振り絞って頭蓋に満たし、零れ落ちないよう固く口を閉ざした。




 子供たちが立ち去ってしばらくすると、エルバたちの逗留とうりゅう先に料理が運び込まれた。今日はこちらでお泊り下さいと勧められたが、寝具の類は持ち込まれない。


 土の上に直に寝るのが、この街では当然のようだった。ヒトハミがいないだけで十分に有難いと思うようになってしまった自分に、エルバは苦笑した。


 料理は質素なことこの上ない。やはり生きたままのセミの幼虫に、ミミズやナメクジ。そして土を固めたのではないかと思うような茶色の直方体のブロックが一人に一つ。アムブと呼ばれるその食糧が、この都市においては主食なのだという。それを見て、フューレンプレアはいよいよ表情を曇らせた。


 だがエルバはそれよりもティエラの方が気になっていた。彼女は明らかに動揺していた。


「これ、は……」


 緑の瞳が見つめる先には、質素極まりないブロックが置かれている。


「どうかしましたか?」


 エルバはいかにも心配そうに、その実彼女の内面を探る目的を持って問いかけた。


「大丈夫ですか? 顔色が悪いですよ。」


 フューレンプレアは本当に心配しているのだろう。実際、ティエラの顔色はいつも以上に白くなっていた。


「……すまない。食欲がない。」


 ティエラは短く言って再び部屋の隅に行ってしまった。エルバは自分の前に置かれた皿に視線を戻して考え込んだ。彼女が動揺した理由を探ろうとも思ったが、そもそも普通の感覚であれば動揺してしかるべきメニューに思われた。


「生、ですね。」


 フューレンプレアが呟いた。エルバにとっての問題はそこではない。虫という時点で食料として認識することは困難だ。


「マイはないんですね……。」


 この世界できょうされる食物の中で抵抗なく食べられる数少ない食材がないことを、エルバは嘆いた。


「マイはカテドラルでしか栽培されていません。マイが生育できる土壌がカテドラルにしかないのです。」


 カテドラルに存在が認知されていなかったこの街でマイにありつけるはずがない。フューレンプレアはそう言って、セミの幼虫に手を伸ばした。ぎこちなく六本の足を動かすセミの幼虫を、少し迷ってから口へと運ぶ。そして嫌そうに咀嚼した。


 虫の皿の中身を全部食べてしまうと、次に味気のないブロックを口に入れる。こちらはエルバの食べたところ全く無味無臭で、パサパサした食感だった。味のないクッキーのようなものである。


「……火も通さず、塩気も甘味もなく、量も十分ではありません。」


 フューレンプレアは項垂うなだれて呟いた。


「こんな、こんな暮らしをしていてはいけません。外に出るべきです。外に出て、日の光を浴びて、文化や文明に触れ、価値あるせいを育まなければ……。ここは、人の生きる環境ではありません。」


 言うが早いか、フューレンプレアはすぐに諸々もろもろの検討を始めた。彼らを受け入れてくれる街があるかどうか。その交渉をするために必要な情報は何か。彼らが何人いて、どのような秩序ちつじょの下に暮らしているのか……。


「やめておけ。」


 冷やかなティエラの声が、フューレンプレアの思考を止めた。


「君は彼らの事情を知らないのだ。彼らの姿がみすぼらしいとか、文化がとぼしいとか、それは君の価値観に過ぎない。あるいは、彼らにとっては外の世界こそ危険で野蛮なのかもしれないぞ。君の価値観を押し付けるのは傲慢ごうまんというものだ。」


「そんな!」


 フューレンプレアはティエラをにらんだ。


「彼らの歴史認識がどこまで正確かは解らないが、実に百年以上もの間外に出ずにいたのだ。外に出たいと望んでいるとは限らんぞ。」


「それは、知らないからです。滅亡の最初期に地下に逃げ込み、それきり全てを閉ざしてしまっていたのでしょう? 人類はぎりぎりのところで踏み止まりました。もう地下に閉じこもっている必要なんてないではありませんか。」


「そうかもしれないな。だが、そうではないかもしれない。せっかく収まるところに収まっているのに、半端な認識で散らかすべきではないと思うよ。」


 ティエラはあくまでも冷静だった。


「君は子供たちのためにセミの幼虫を調理してやっていたな。美味なものを知らなかったあの子たちがそれを知ったのは、果たして幸せだっただろうか? 君はこの街に災いを持ち込んだのかもしれないぞ。」


「それは……」


「そもそも君、何か目的があって旅をしているのだろう? この連中を外に出すなんて、数十年もかかる仕事だ。君に関わっている暇があるのか?」


「で、でも……」


 フューレンプレアはうつむいた。目の縁にまった涙がみるみるかさを増やしていく。エルバは慌てて仲裁に入った。


「もういいでしょう、二人とも。プレアさん、明日この街の偉い人にそれを進言してみましょう。先方が乗り気であれば、何かしら手配してみればいいではありませんか。ね?」


 フューレンプレアはうつむいたまま二度頷いた。長い髪で顔を隠してしまって、エルバからは表情をうかがうことはできなかった。


 ただ、鼻をすする音が何度も聞こえて来た。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る