文壇ドラフト会議

青キング(Aoking)

文壇ドラフト会議

 十月某日、都内のあるプリンスホテルの広いセレモニーホールは、ただならぬ厳粛さで静まり返っていた。

 ホールの半分には記者達が両隣を気にしながら、椅子に座ってひしめき合っている。

 今日のためだけに壁に取り付けられた大型パネルの光が降り注ぐ会場には、白いテーブルクロスの敷かれた円卓が会議に参加する出版社の数だけ配され、その円卓に囲まれる形で中央に一段高い抽選台が設えられている。

 観音開きの出入口が開き、一社目の出席者の数名が姿を現した。

 出席者の皆が一礼し、指定された隅の円卓に向かい席についた。

 一社目に続いて二社目、三社目と会場入りしていく。

 最終の六社目が円卓の座に就くと、俄然記者達の撮影欲が昂る。

「ただいまより、第一回新人作家選択会議を開催します」

 司会者の開会宣言により、会場は熱を持ち始める。

 余談や余興はなく、開会と同時に各円卓で社の出席者だけの密やかな話し合いが行われる。

 左隅の松葉社の円卓で、青山は百何人の名前や所属学校や企業、ジャンルや特徴などが記載された候補者名簿を誰々に決めようという意識もなしに捲っていた。

「青山編集長、一巡目の希望作家お決まりですか?」

 隣の松葉社専属の女性作家兼青山編集長補佐の三岳が、眼鏡の奥の落ち着いた目で青山の顔を覗き込んで訊いた。

「いや、まだだ。候補は絞っているんだがな」

「どの人ですか?」

「こいつと、こいつだ」

 ページを跨いで二人の名簿を指さす。他社に希望する作家の名が漏れると、競合をわざと狙われたり、希望を変更されたり、様々な駆け引きで分が悪くなるのは自明の理だ。そのためどの社でも出席者は、リストに載った名を口にすることはほとんどない。

「どちらも一巡目予想の作家ですね」

「この二人のどちらを選んでも競合は避けられんだろう。あえて二巡目の候補者を一巡目に繰り上げての大穴狙うでいくべきだろうか?」

「競合してでも、この子を選ぶべきです」

 青山の回避策を聞いて、三岳は強い意思を湛えた顔を横に振った。

「どうして?」

「うちはここ数年、女性作家が受賞から遠のいていますから、彼女はすでに知名度が高いですし、固定ファンも多いんです」

「そうか、じゃあこの子で行こう」

 三岳の案を採用し、青山は集計係に希望作家を告げた。

 しばらくして全社の一巡目の希望が出揃い、司会が一社目の希望作家の名を読み上げる。

「有元社 第一位選択希望作家――」

 大型モニターに全社の希望した作家の名が表示される。


有元社    三上竜神  ミステリー 四島大学

新風社    新渡戸築造 歴史    株式会社連陽

一二三社   神司小剣  ミステリー ヨネダ・コーポレーション

メフィスト社 尾根田桜  恋愛    東北文芸大学 

松葉社    尾根田桜  恋愛    東北文芸大学

教談社    尾根田桜  恋愛    東北文芸大学


 各社一巡目の希望作家を一目見て、青山は臍を噛んだ。

 三社競合は予想してなかった。競合でも多くて二社だと踏んでいたのだが。

「メフィスト社、松葉社、教談社の代表者は、抽選台の方へ登壇してください」

 青山は台に上がって、メフィスト社と教談社の代表者と横に並んで、抽選箱と向かい合う。

 抽選の担当者が折り畳まれた抽選用紙を箱の中に三枚置き、準備が整う。メフィスト社、松葉社、教談社の順で、抽選用紙を箱から選び取る。

 青山は普段自慰行為に使う右手で引くのは性的な倫理観から躊躇われ、利き手でない左手で抽選用紙を掴んで立ち位置に戻った。

 会場が緊張感に包まれ、代表者は一斉に用紙を開いた。

 青山の持った用紙は交渉権の交の字もない白紙。

 メフィスト社の代表者が、用紙を持つ手と反対の手で小さくガッツポーズする。

 司会者がメフィスト社の交渉権獲得を会場全体に口頭で通知した後、権利を逃した青山は教談社の人の後に続いて、悄然と台を降りて自社の円卓に帰った。

 席に腰をかけ落ち込む青山を、三岳は悔しさを孕んだ声で励ます。

「外したのは仕方のない事です。前向きに一位を選び直しましょう」

「外れ一位に新戸部にするつもりだったんだがな。新風社に獲られたか」

「新戸部は三十路超えたオジンですよ。即戦力じゃなく、若い女性作家を獲りましょう」

 三岳に促され、青山は外れ一位にも女性作家を選択した。


 松葉社  若葉秋月 ミステリー  松山大学

 教談社  蚤の蓑  ファンタジー 多田野小説教室


 全六社の第一位の選択が終わり、続いて第二位の選択が始まった。

 青山は三岳以外の者の意見も聞いた上での鳩首凝議の末、六社の中で申告が最後になったが、名簿リストから一人を選び抜いた。

 各社の第二位選択希望作家は次の通り。


有元社    松原宗介  サスペンス  シマダ製本

新風社    伊香保   サスペンス  三嶋書房

一二三社   美空ミク  ラブコメディ 旭日文理大学

メフィスト社 東雲樹   ホラー    日本クリエイティブ専門学校

松葉社    萬田オクラ ラブコメディ 新田工業高校

教談社    奈良原条吉 SF     寄田大学


 競合は無し。六社全て単独での交渉権獲得となった。

 青山はこの結果に満足して、胸の内で快哉を叫んだ。

 萬田オクラは全国高等学校小説家大会の地方最終選考落ちという、全国的には無名に等しい作家だが、青山直属のスカウトリーダーが彼の作家としての潜在能力を見出し、早い順位で獲得を狙うことを勧められた故の選択だった。

 我が社の未来は安泰ですな、と単独での指名に成功して、スカウトリーダーは鼻を高くして嘯いた。

「三位、どうする?」

 青山は円卓上の同僚に意見を催促する。

 松葉社の者達は揃って熟考した。

 青山には一人、名簿の中に是が非でも指名したい作家がいた。

 ひたすら名簿に目を走らせる同僚達に、決然と提案する。

「俺の独断で選んでいいか?」

 同僚は皆一様に頷き、早々の申告を目顔で促す。

 各社の第三位選択希望作家は次の通り。

 

有元社    佐々木寿  詩文    秋津モード学園

新風社    佐々木寿  詩文    秋津モード学園

一二三社   皆川有希  恋愛    ノベリストの森

メフィスト社 K‐岡田  現代ドラマ 日韓物流センター

松葉社    小松男右京 SF    フリーター

教談社    箒星鈴生  サスペンス 松本製薬


 有元社と新風社の競合。

 抽選の結果、有元社が交渉権を獲得。新風社は再指名。


新風社 相模雄作 現代ドラマ 横浜


 第三位までの指名が終わり、以降の指名を辞退する権利が各社に与えられた。

 専属の翻訳作家の人数では業界トップのメフィスト社が、会議を降りた。

 残りの指名は五社で行うことになった。

 青山は手元のリストで尾根田桜、東雲樹、K‐岡田の諸情報を確認して、メフィスト社の会議戦略に感服した。

 尾根田桜は英語圏での滞在期間が長く、東雲樹は大学時代に名教授の下でドイツ語を専攻していた経歴を持ち、K‐岡田は母親が韓国出身で韓国語を母語のように扱える。新人獲得の時点で翻訳家の後進育成を視野に入れているとは、まさに悪魔メフィストの名に恥じない端倪すべき手腕だ。

 青山は頭文字のKを英語表記の韓国の事か、と勝手に推理したことは措いて、専属の契約翻訳家が英語の一人しかいない松葉社の現状を思い出し、ここまでの指名を悔いた。

「メフィスト社の方たちは優れた先見性を持っている人がいますね」

 三岳がすでに緩んだ雰囲気のメフィスト社の座を、苦々しい顔つきで見遣って言った。

「メフィスト社の連中には脱帽するが、うちはあくまでうちの獲得方針に従って作家を選択するべきだろう。それでもやはり翻訳できる作家は欲しいな」

 青山が心中を漏らすと、松葉社の同僚は彼に同調する顔を向けた。

 同僚達の表情から自社の総意を見て取り、青山はリストから作家を選択する。

 松葉社は即戦力で翻訳もできる作家を第四位、第五位に指名したが、そのために年齢層が三十代以上に偏ってしまった。

 第五位の指名時点で、有元社と一二三社が指名の終了を宣言。

 新風社、松葉社、教談社の三社で会議は続行される。

 第六位指名を一位から五位までの指名を振り返り吟味すると、指名傾向の盲点に気付いた。

 学問系の新書を書き得る作家の指名を忘失していた。

 会議前に開いた社内のドラフト会議対策立案会で、オーナーが「新書の部門を昨年より広く展開するつもりだ」と経営方針を明確に口にしていた。

 新書の執筆をその道の専門である大学教授に依頼すると、売れ行きに関わらず相手によっては多額の依頼料を支払わねばならなくなる。そのためどこの出版社も、お抱えの大学教授や小説も新書も書ける作家を欲しがる。

 青山の顔が蒼白になったのを、三岳以下同僚は怪訝そうに見つめた。

「顔色がお悪いですが、どうかされました?」

「いや、なんでもない。あとの指名は俺に任せてくれ」

 自信に溢れているような真剣な面持ちを装った。

 青山は編集長としての虚栄心とオーナーの経営計画に対する罪逃れを背負いながら、第六位、第七位の指名を済ませた。

 第七位の指名が終わると、新風社と教談社は以降の指名を退いた。

 会議の場に取り残された松葉社は、記者達の退屈を感じ始めた視線に晒される。

 進行担当や各種係の人も、早く会議切り上げたいな、という本音を包含した目を松葉社の円卓に無意識だろうが投げつけてくる。

 青山は瞬間居心地が悪くなり、唐突に立ち上がった。

「指名終了だ」

 会場全体に聞こえる太い声で宣言し、卓上の資料を片脇に抱えて出入り口から足早に辞去した。

 青山の遁走に同僚達は呆気に取られて、待ってください、と叫びながら慌てて荷物を持って追いかけ、出入り口から退出した。

 後日、中継を観ていた社長に、恥さらしがと彼らがお目玉を喰らったのは言うまでもない。

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