熱い抱擁



 帰りは列車に乗って帰った。これまでの行軍が嘘のようにひとっとびである。


 夕方には泰定酒家に帰ってきた。中に入るとまずはシャオタオが 熱い抱擁とともに出迎える。

「フェイロンおかえり~。寂しかった~」

「ああ、俺も寂しかったよシャオタオ」

 シャオタオが抱きついたまま厨房に声をかける。

「おやじさん、ただいま。戻ってきました」

 おやじさんが厨房から顔を出す。

「そうかね。そりゃあよかった」

 いつも通りにこにこしている。


 シャオタオがフェイロンの耳元でそっと呟く。

「後でね」

 そういうと仕事に戻って行った。



 奥に行くとザンが一杯やっている。


 フェイロンらはまず風呂に入り旅のほこりを落とす。一階に降りてゆき、おやじさんに適当な夕食を見繕ってもらう。


 シャオタオを呼び盃をもらう。フェイロンは手酌で酒を注ぐ。


「それで……あの男とは別れてきたんだろうな」

「ああ、父の墓前で一発殴ってきた。伝えたい事があってな」

「そうか……」

 ザンは酒をぐいっと飲み、それ以上詮索はしなかった。


 ハオユーとウンランも上から降りてきて、好きに夕食を頼む。


「揃ったな。まずは旅の安泰を祝って乾杯だ」

 ザンが音頭を取ると皆一口で盃を空ける。


「決行の日が決まった。明後日の夜十二時だ。フェイロンが集めた人数は三百七十人か、上々だ。詠春拳が加わってくれたのがよかったな。俺達義和門の七百人を合わせて軽く千人を突破した。これで上手くいくだろう」

「そうか、明日の朝さっそくみんなに電報を打つよ」

「そうしてくれるとありがたい」


「しかしよー、もう何年になるかな俺とザンの付き合いは。最初に会ったのは大会でザンと会った時の事だったな」

 フェイロンが感傷に浸りながらぼそりと言う。

「そうだな。俺は手も足も出せずに倒されたな。世の中にこれほど強い奴がいるのかと唖然としたもんだ」


「ザン先生が武術を初めたのはいくつの時なんですか」

 もうしこたま酒を飲んだウンランが訊く。

「俺は十四、五の時だ。そこに二人いる化け物のように三歳から始めたなんぞの末恐ろしい逸話は持ってないよ」

「それでももう二十年近くやっているんですね。俺なんかまだ三年ちょっとですよ」

 フェイロンが水餃子を食べながら口を挟む。

「こいつは物覚えが異常に早くてな、対戦してみると屁のような奴なんだが套路や対練はしっかり覚えている。俺がちょっと休憩したい時の補欠だ、ははは」

 ウンランは誉められたのかけなされたのか分からずただへらへらしている。


 なんという事のない会話が続く。四人明後日に迫った暴動のことには触れない。現場に行ってからしかなんとも言いようがないと観念しているのだ。


「さてと、俺は帰るとするかな。明後日の夜またここで落ち合おう」

「おーよ」

 フェイロンが力強く返事をする。ザンはおやじさんに挨拶をし、夜の闇に消えていった。


 フェイロン達も食事が終わった。三人も二階に上がるとフェイロンのベッドの上に手紙が置いてあった。名前を見てみると同じ洪拳の広東に居を移したソウ老師からである。さっそくハオユーに読んでもらう。


 前略、フェイロンよ元気にしているか。なんでもこのたび暴動に加わるとのこと。昔の怨恨があれど、そのような危ない火遊びに手を出さずこちらへ来ないか。わしの方はこちらへ移ってから弟子も五十人ほどになりなんとか生活の目処がついた。しかし寄る年波には勝てず苦労をしておる。わしもそろそろ七十じゃ、引退を考えておる。そこでじゃ。お主に後を継いで欲しいと考えておる。お主の名前は河北、河南はいうに及ばず、ここ広東でも知れ渡っておる。お主が武館を継げば二百人ほどの弟子はあっという間に集まるであろう。わしは大家となり、それを見届けたい。今言える事はそれだけじゃ。考えておくれ、河北の龍よ。曽より。


 フェイロンは黙って聞いていたが、思わず一筋の涙を流した。


「ソウの爺さんもいろいろ考えてくれているんだな、人ってやっぱりありがてーな」

 フェイロンは意を決したように起き上がり、二人に告げる。

「このフェイロン、その事しかと承知した。ただし暴動はやる。その後すぐにシャオタオと結婚し、広東へ飛び、ソウ爺さんの跡を継ぐ。二人とも、これで文句はないな!」

「了解!」

「もちろんです!」


 一時間後……

「フェイロン」

「あー待ってたんだ。仕事は一服ついたのかい」

「ええ、ちょっと外に出ましょう」

「ああ」


 二人はいつもの橋の欄干に腰をおろす。

 フェイロンが切り出す。先ほどの酒も手伝って大胆になっている。


「シャオタオ」

「なに~」

「今度の暴動が終わったら結婚しよう!」

 シャオタオはさほど驚く様子もない。

「わたしはもうずっとそのつもりだったわよ」

 フェイロンの肩に顔を寄せうっとりとした様子。


「それが終わったら広東に行こう。そこに昔馴染みのソウ老師という爺さんがいる。その武館を継ぐんだ」

「広東に!いいわねー。どこでも良いから私を何処か遠くへ連れ出して!」

 きつく抱きしめた後、フェイロンは熱く唇を奪う。


「明日おやじさんに俺が告白する。式は五日後、早ければ早いほどいい。何しろお尋ね者になるんだからな」

「分かったわ、五日後ね。学校へ行ってた頃の友達呼んでもいい?」

「ああ、好きにすればいい。俺達は三人だけだからな」


 シャオタオはまだ見ぬ未来を思い、フェイロンに寄りかかりながら店に帰っていくのであった。



 次の日、周家蟷螂拳のジィに明日決行の電報を打つ。詠春拳の頭の所と、やくざの親方の所には歩きで知らせに行く。


 詠春拳の頭がしらふで応接間へ現れた。

「俺達二百五十人は今か今かとその時を待ってるぜ。明日の夜に泰定酒家で待ち合わせだな。腕が鳴るぜ、兄弟!」

「当日は酒が飲めないからな、今日から酒断ちしてくれよ」

「分かった。俺も死にたくねーんでな。まかしといてくれ」


 これで連絡すべき所には伝えた。後は明日を待つのみとなった。

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