ホラーナイト・ショートストーリー

野掘

第1話 土砂の中

季節はずれの台風が、海岸の町を狂ったように襲いかかった翌朝のことである。岬のはずれの、ひときわ小高い場所にある建物の中庭が、溜め込んだ雨量に耐えかねて、下の国道に向かって大きな土砂崩れを起こした。そのおかげで、この未曾有の猟奇事件が世間に露呈することになったのである。

 発見者は早朝練習で崖下の国道を走っていた地元高校の陸上部員たちだった。まだ日の出前の薄暗く狭い道路で土砂崩れを発見したのが、走行中の自動車でなかったのは幸いだった。現場はどちらの方向から来てもちょうど曲がり角で、高速の自動車だったら発見と同時に土砂に乗り上げ、大変な事故になっていたことだろう。

 最初、道路の真中まで蔽った土砂の中に見えたものを、学生たちは動物の死骸かと思ったようである。もっとも、それもニ三人の学生がかろうじて気がついただけのことで、ほとんどの部員たちはそれが何なのかなど、思いもかけなかった。ところが、何気なく近づいていった部員の一人が、この世とは思えないような金切り声を上げたのである。

 なんとそれは、人間の頭の骨や腐りかけた胸部だった。

 学生たちは仰天し、あわてて数人が港の駐在所に駈け込んだ。

 事件の概要を聞いた駐在の狼狽は目も当てられないほどだった。もう何十年も事件らしい事件に出会ったことがないのである。しかし通報を受けた県警と報道が現場に到着するまでに多くの時間はかからなかった。県警の優秀な刑事たちが現場検証を始める時には、すでに道路からはみ出した野次馬が溢れ返れかえるようにいた。

 現場から振り仰ぐと、土手の上に小さな洋館がある。どうやらそこの土地の一部が台風の雨風にゆるんで崩れ落ちたようだ。発見された異物がもともと上の土地に埋められていたものだろうということは、容易に推測できた。

 捜査は基本通りにすすめられた。

 建物はある会社役員の所有する別荘だった。さっそく所有者の名前が確認され、重要参考人として身柄を拘束すべく手配がされた。

 鑑識によると、ばらばらの死体はすべて女性のもので、最低でも三人である事がわかった。ただ不思議なのは、土砂の中に彼女らの下半身が見つからないのだ。もっともその時点では、さらに建物の敷地を徹底的に探ってみなければ、簡単に結論を出せる段階ではなかった。

 ひょっとしたら、まだ数人の死体が埋まっているかもしれない、というのが捜査陣の懸念だった。この国では類を見ない大量殺人事件に発展する可能性もある。そう思うと皆、身震いを禁じえなかった。それは、未曾有の大事件を目の前にした捜査のプロたちの、一種、武者震いでもあった。


 

 翌日には別荘中が隈なく捜索され、その敷地内の怪しげなところはすべて掘り起こされた。その結果、まず大量殺人の可能性は杞憂に終わった。他に犠牲者らしい死体がどこにも見つからなかったからである。

 ただし、この事件が相変わらず猟奇性を帯びていたのは、依然として死体の下半身が見つからないことだった。さらに、バラバラ死体の女性の身元がまったくわからないのである。鑑定の結果から、すべて十代から二十代前半の若い女性であるということ、それぞれが月日を開けて殺害されていることがわかっただけだ。過去数年間の行方不明者等の記録と重ね合わせても、被害者の特定はできなかった。

 一方、事件発覚から数時間後には、すでに重要参考人として別荘の所有者が県警本部に連行されていた。結局、事件の進展は参考人の供述を待つのみとなった。


 当日、取調べは簡単に参考人の名前と住所の確認をすることから始まった。

 髪の薄くなった中年男であったが、すでに人生の成功を手にして、会社役員として悠悠自適の生活をしているという。あっさりと目立たないカジュアルを着こなしてはいるが、すべてブランド品であるということはすぐわかる。

 子供がいなかったため、数年前に妻を無くしてからは家族は誰もいない。この男にとって、そういう環境がどんな意味を持っているのか、おいおいわかってくることに違いないだろう。

「事件のあった別荘は、確かにあなたの物か」

 と、刑事のひとりが問いただした。

 クルーザーを停泊し、高級外車を三台も収納する車庫を持つほどの高級別荘である。が、これらはすでに確認済みの事務的質問に過ぎない。男はそれらを簡単に認めた。

「昨日、この敷地内から三人の女性の死体が発見された。知っているな」

「はい」

「お前がやったのか」

「はい」

 刑事たちは唖然として互いの顔を見見合った。一番重大な事実をあっさりと認めてしまったからだ。

「彼女たちはどこから連れてきたんだ」

「捕まえてきました」

 あっけない展開だった。事の運びの容易さに刑事たちはかえって戸惑った。言いながら、男は平然とした顔をしている。

 この場合、まず男が精神的な障害を持っている可能性を疑っておかねばならないだろう。人を傷つけ死に至らしめることによって、快感を得る性倒錯者かもしれない。事前にベテラン刑事は、そのことを部下たちに話している。

 海外ではそういう犠牲者が材料として人身売買されている。日本でも一部の熱狂的なマニアは、外国の闇市場から女性を買ってくるそうだ。女たちは薬漬けにされて、国内に入ってきたときには、すでに廃人になっている。もちろん、彼女たちの死体は、どこへ投げ捨てられても、身元を確認するすべなどはない。

 だが、これらの倒錯マニアは、かならずその痴態をビデオなどに記録しているものだ。それを同好のマニアにさらに横流しし、高値で売り払って二重に楽しむのである。当然、これも闇市場が存在し、そんな変態嗜好をビデオで発散させる裾野のマニア人口はさらに多いといわれている。

 ところがこの事件では、そのようなビデオ、写真、録音テープ類などは一切発見されていなかった。動機を裏付けるものがまったくないだけに、証拠調べにはかなりの慎重さが要求される事件といえた。

 それにしても、取調べは思いもよらない急展開となった。犯人が、まるで自らの犯罪をしゃべりたくて仕方がないかのようにも思えた。

 刑事らは、さらに死体の下半身について単刀直入な尋問をした。

「彼女らの下半身はどこにあるんだ」

 すると、男は、その頬を奇妙に緩めてにやりと笑った。

 微かにしか聞こえない声でしゃべり出したとき、その場にいた刑事たちの誰もがまず自分の耳を疑った。

「今なんて言ったんだ……?」

「食べました……そう言いました」

「食べた?」

 にわかに信じられない男の言葉を鸚鵡返しにしながら、若い刑事たちは、そこに悪魔を見ているかのように怯えた表情を隠せなかった。

「な、なんて事を……」

 狭い取調室の澱んだ空気が刑事たちの肩に重くのしかかってくるようだった。

 男はしばらく彼らの反応を舐めまわすように観察していた。そのうち口の端が三日月のように片方にめくれ、その赤い裂け目の中から、低い笑い声が微かに、ほほほ、と洩れた。人に話したくて耐えきれないことをとうとう吐き出した愉悦に、笑いを我慢できなくなったのだ。

 しばらくして、男は緩んだ唇を噛み締めるようにしていった。

「それが、実においしいのです。一度食べたら次がどうしても食べたくなってしまう。その味を恋焦がれるあまり、私は身悶えするような毎日をおくっているのです」

「ば、化け物め」

 興奮して詰め寄ろうとする若い刑事の胸倉を掴んで、年配の刑事が後ろへ突き飛ばした。その同じ手で、男の肩口を締め上げるようにしてゆすった。

「もういい、馬鹿笑いはやめろ。もう一度聞くが、女をどこから連れてきたんだ」

 男は相変わらず、へらへらと笑っている。

「海からです」

「海から……」

 意外な答えに刑事たちは皆、面食らった。

「近くの海水浴場か?」

 男は首を横に振って、いいえ、といった。

「クルージングで、三回も釣り上げました。こんな奇跡はめったにあるもんじゃない。ところがそれから何度あの穴場へ行っても四回目がないのです。狂おしいほどあの味に魅せられているというのに……」

「いったいこの男、なんの話をしているんだ!」

 刑事は一様に眉をひそめるばかりだった。やはり異常者だとしか思えない。

 男はその時、自分の話のとりとめのなさに初めて気がついたような顔をした。

「彼女たちは人魚です」


 一瞬、部屋中の空気が凍りついたようになった。男は一息つくと、再び笑いを堪えるように話を続けた。

「私は魚の部分を食べて残りカスを埋めただけです。ですから、私はあなたたちの考えているような殺人鬼ではありません」

 この男にとって、女の上半身は食べカスだというのか!

 それから、男は今度は心から懇願するような表情になった。

「ただ、どうしても私を罰したいというのなら、死刑にしてもらいたいですね。人魚を食べてしまった私は、すでに死ねない体になるという罰をうけているのですから。死刑にしてもらうことで、私はあなたたちに救われることになる」

「バカな、そんな話、信じられるものか」

「私は何も隠していないのですよ。もっとも、あなたたちが私の主張を裏返すような証拠を、この先裁判で提出できるとは到底思えませんけれども……ほほほほ……」


「何てことだ」

 薄ら笑いを続ける男から手をはなすと、この刑事は同僚たちを振り返ってうめくようにいった。

「こいつは起訴まで、かなりの長期戦になりそうだな」

 その実務が、永遠の戦いになるかもしれない事実に、どうやら取調室の刑事たちはまだ気づいていないようだった。

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