エピローグ

これで良かったんだ。

 月日が経つのは早い。

 あっという間に秋が終わり、あっという間に一年が終わる。


 しかし、システムエンジニアの一年は、そんなに簡単には終わってくれない。

 年末の駆け込み需要によって、吐きそうなほど忙しかった。

 ただでさえ営業日が短いのに、予算を使い切りたい企業が細かい仕事を突然投げつけてくる。

 それは、既に付き合いのある企業だけでなく、新規企業も同じ事だった。


 そんな忙しさに、私は秋に起こった人生がひっくり返るほどの出来事を若干忘れ始めていた。

 感傷に浸るどころの話じゃなくて。

 そう、それどころじゃない。

 そもそも、今は土日もない。

 休みたい。でも休めない。年が明ける前にやらなければならない事が沢山だ。

 ……倒れたら、許してくれるかな……


 すんごいギリッギリのタイミングで、発注依頼をしてくる会社があった。

 こんなタイミングで仕事をブチ込んでくる企業にイイ企業なんてない!!

 だから行きたくない!!!

 そう課長に愚痴ったら、大きな企業様だから捕まえておきたいんだ、全力でご機嫌取れよ、と笑顔で突き放された。

 ……鬼か。


 寒くて天気の悪い日に、一人資料を抱えて客先へと出向く。

 天気予報では、雪が降るかもと言っていた。

 ……いっそ、行く前に降って積もって電車止めてくれと空に懇願したけど、そんな私の黒い願いは神様は聞き届けてはくれなかった。

 なんでこんな日に一人で行かなきゃいけないのさ。……知ってる。みんな忙しくて手が離せないからだ。

 知ってる! でもなんで一人なのかな?! 私営業じゃないんだけど?! 作業担当者になるからか?! 余計な手間が省けていいね!! ちくしょうっ!!!


 そう、心の中で愚痴ってても仕方ない。

 客先企業へと辿り着いてしまい、私は会議室へと通された。

 閑散とした会議室で、上着を脱いで資料を机に並べる。会社支給のノートパソコンを広げて、説明資料を表示した。

 名刺をポケットに入れて準備ヨシ。

 ……ふふ。嫌々言いながら、ちゃんとやってしまう社畜根性が憎い……


 人が来るまで、窓から外を見ていた。

 目を凝らすと、チラホラと白いものが舞い落ち始めていた。

 ……オイこら。今降られたら逆に帰れなくなる。やめてくれ……


 そう、一人で文句をブチブチ言っていたら、会議室のドアがノックされたので慌てて振り返る。

 そして、営業スマイルを貼り付けて、やってきたクライアント担当者を迎えた。

「お待たせしてしまってスミマセンでした。寒かったでしょう? 雪の降ってるところ来ていただき、本当にありがとうございます」

 部屋に入ってきて、そう労いの言葉をかけてきたのは──


「あ……こ、こちらこそ。ご依頼いただきありがとうございます……」

 心臓が、一度ドクンと大きく跳ねる。

 何とか返事を返したが、ちゃんと言えたかどうか自分でも自信がないぐらい混乱する。


 様々な記憶が、鮮明に蘇り脳裏を駆け巡った。


「担当の、天雲アマクモ紫苑シオンです。よろしくお願い致します」

 そう言って、営業スマイルで名刺を差し出してきたのは、あの男。

 散々私を騙して翻弄して引っ掻き回した、あの男。


 息が止まるかと思った。

 いや、ちょっと止まった。


「あ、あの……。山本ヤマモトアカネと申します。この件の担当となります。よろしくお願い致します」

 動揺するな私。今は仕事だ。今は私はただの社畜だ。余計な感情は取り敢えずしまっとけ!

 なんとかビジネスの体裁を維持して、私は名刺を渡して、向こうの名刺を頂いた。

 この儀式をすると、何故か自然と仕事スイッチが入るのだ。

 もう慌てていない。

 私は冷静さを取り戻して、自分の席へと戻っていった。


 笑顔で名刺を受け取った天雲アマクモ紫苑シオンは、名刺を見てふと動きを止める。

山本ヤマモト……アカネ?」

 名刺をマジマジと見つめ、そこに書かれた名前を読み上げた。

「……? どうかなさいましたか?」

 間違えて、別人の名刺渡しちゃったか?

「いえ、なんか、知り合いにいた気がして……すみません」

 営業スマイルではなく、本当に照れた顔をして天雲アマクモ紫苑シオンは私の向かいの席へと歩いて行った。

「……ああ、よくある名前ですからね。同姓同名は多いですよ。実際、何人か会ったことありますし」

 私は、当たり障りのない返答をする。

 ──覚えている筈がない。一連の記憶は全て消したんだ。

 すると、彼は私の方を見てははっと笑った。

「そうなんですか? 私はかなり珍しい名前なので、少し羨ましいですね。特殊じゃないって」

「……お互い、無い物ねだりなんですね」

「そうかもしれません。あ! 失礼しました。どうぞおかけください」

「失礼します」

 少しだけ、他愛もない会話を挟んで、そこで終わり。


 お互いに席に着き、私たちは仕事の話を始めた。


 そう。

 彼──天雲アマクモ紫苑シオンは、私の事を知ってるはずがないのだ。


 彼の、特殊能力に関しての記憶は、柚葉ユズハによって全て忘れさせられたのだから。

 だから、彼は資質は持っていても、今は一般人。

 資質に気づかず、普通に仕事し、普通に生活し、普通に恋愛して、普通に歳をとっていく、普通の人。


 朱鷺トキさんから下された処罰だ。

 でも、恩情でもある。


 彼は──特別でありたくなかったのだそうだ。

 源和げんわ協会の役員でもある両親への反抗──それが、彼がこの罪を犯した最大の理由なのだと、朱鷺トキさんは言っていた。


 彼は、幸せだろう。

 望みが叶ったのだ。

 多分、その幸せには、気づけないかもしれないけれど。



 ──馬鹿が。

 違う形出会ったら愛してくれたか、だと?

 そっちが忘れてたら、どのみち一方通行じゃないか。


 でもいい。

 これで良かったんだ。



 長い説明時間が終わり、打ち合わせは終了となった。

 資料を片付け荷物を背負う。

「では、これからよろしくお願いします」

「はい、こちらこそよろしくお願い致します」

 ビジネスの定型挨拶を済ませて、私は会議室を出た。

 エレベーターホールで深々と挨拶を終え、天雲アマクモ紫苑シオンとはそこで別れた。

 エレベーターを待ちながら、外のことを考える。

 ……雪、積もっちゃったかなぁ。電車動かなかったらどうやって帰ろう。漫画喫茶? えー……この歳で?

 到着したエレベーターに乗り込み、『閉』のボタンを押す。

 扉が閉じ──


 ガタンっ


 突然、扉に手が差し込まれた。

 驚いて『開』ボタンを押すと、そこには天雲アマクモ紫苑シオンが立っていた。

「あ……あの、外は雪なので、良かったら駅まで車でお送りしますよ?!」

 焦った顔でそう早口でまくしたてる。

 その慌てっぷりに、思わず笑ってしまった。


「ありがとうございます、天雲アマクモさん」

 そうお礼を言うと、彼は少し複雑な顔をする。

「あ、あの、出来たらで構わないのですが、下の名前で呼んで頂けますか? 実は、苗字があまり好きではなくて……」

 コートを腕に持ったまま、エレベーターに一緒に乗り込んでくる。

『閉』のボタンを押して扉を閉じると、二人きりになった。


 ここに来て、執拗にアイツが下の名前にこだわった理由を知ってしまった。

 ……最初から素直にそう言えば良かったのに。


「はい。分かりました、紫苑シオンさん。

 これからも、よろしくお願い致しますね」



 そう告げると、彼は心底とても嬉しそうに、そして照れたように、優しく朗らかに微笑んだ。



 了

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不惑前にして異能バトルに巻き込まれてしまったんですが。 牧野 麻也 @kayazou

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