エピローグ 姿を消した少女たち

 エドワード・モーリス討伐から五日が経った平日の夕刻。

 レオンとアルカードが住む事務所兼自宅に、アシュレイが訪ねてきた。背中に大きなリュックを背負い、右手にはこれまた大きなブラウンのトランクを持っている。首に巻いたマフラーには小さな枯れ葉がついていた。赤くなった鼻の頭が、外の寒さを物語る。


「こんにちは」


 そう言って挨拶した顔に、あの夜以前の溌剌はつらつとした表情は無く、玄関に対応に出たレオンの顔についた痛々しい爪痕を見て、今にも泣きだしそうな顔で深々と頭を下げた。自分が付けた傷を見るのが忍びなくて、頭を上げてからも視線は足元に落ちたままだった。


 レオンは彼女を中へ招き入れ、数日前に初めて彼女が訪れた時のように、客人用のソファーに座らせた。

 事務所内をせっせと掃除していたアルカードも、レオンに促されて三人分の紅茶を淹れてから、レオンの隣に腰を下ろす。


 アシュレイもレオンも、どうしてか自分から口を開こうとはせず、妙に重々しい雰囲気に包まれている。

 いたたまれなくなったアルカードは、アシュレイに紅茶を勧めつつ、「その後、変わりはないか?」と優しい声音で訊く。

 アシュレイは力なく微笑み、「はい」と頷くと、

「ショーコちゃんたちは……?」と、続けた。


「一昨日、目を覚ました。多少、記憶の混濁が見られるが、――健康体だよ」


 レオンは最後の言葉を躊躇いがちに言った。

 ショーコ、ソフィア、マーリアはあの事件の後、レオンの事務所に身を置いていた。


 彼女らは、初めて夢を見た日から、エドワードに攫われた夜に起こったことについて、アルカードたちにゆっくりであったが子細に語った。


 それは、一日、また一日と夜を迎える度に夢の続きが展開され、まるで、自分がヒロインの小説を読み進めていく感覚だったという。

 物語が進むにつれて、謎の甘い香りが強くなり、だんだんと思考がぼやけていって、香に誘われるままにそれを辿ってゆくと、エドワード・モーリスが待ち構えていた。ショーコは首が折れた薔薇の庭園で、マーリアは油絵にあった夜の海で、ソフィアは溝と生ごみの匂いに満ちた廃れた路地裏で、奴と出会ったという。


 そして彼女らは夢の中で奴に攫われ、目を覚ますとあのE通りの森の中にいた。

 そこには小さな丸太小屋があって、しばらくそこに監禁された後、月の良く見える快晴の夜、三人のうら若き乙女たちは、悪鬼エドワードの毒牙にかかったのである。それは、レオンたちがアシュレイと出会う前日の夜の出来事であった。


 彼女たちは元気のない様子で、己が人間でなくなった恐怖の夜を語った。訪れる死の瞬間。悪鬼エドワードの魔物のような相好。月光差し込む丸太小屋の薄暗い景色。少女たちが生前に見た風景の殺伐さを想像すると、酷く胸が痛む。


「すまなかった、アシュレイ。おれは自分の正体を黙っていただけでなく、打開策が思い浮かばなかったばかりに、彼女らを……」


「いいんです」


 アシュレイは、アルカードの言葉を遮るかのように言った。


「エドワードはショーコちゃんたちを殺した。……その代わりにアルカードさんは、命を与えてくれた。エドワードに囚われていた魂は、あなたのおかげで解放されたのでしょう。――やさしいアルカードさん、あなたは、私の友達を自由にしてくれた」


「……」


 微笑むべきか涙を流すべきか悩んだ挙句、アルカードは表情を隠すようにして俯いてしまった。

 彼の下した判断は、あの状況の中では一番賢い選択であったといえる。アシュレイは、どんな形であれ、ショーコとまた以前のように言葉を交わせるようになったのが嬉しかったのだろう。だからアルカードを責めるようなことはしないし、あまつさえ感謝の言葉を口にしたのだ。


「これからどうする?」

 と、レオン。沈んだ声。


「みんなを連れて山に帰ります。……行方不明になった娘やきょうだいが、吸血鬼に襲われて人間でなくなってしまったと知ったら、家族はきっと、酷く悲しんでしまうでしょう? 私が育った山には、私の仲間がたくさんいるし、きっと、彼女らを受け入れてくれますから」


「……そうか」


 レオンは小さく頷き、アシュレイの大荷物の理由を悟る。


 その夜に、アシュレイは三人の少女を連れて、この町から姿を消した。夜の眷属となった彼女たちは、「いつか、必ず家族に会いに来る」と人間の世界に別れを告げて旅立っていった。


 冷たい風が吹いていた。冬はもうすぐそこまで迫ってきていた。少女らの背中は、寒さに凍えるように丸くなって、夜道の彼方へと消えた。


 その日からしばらく、レオン・シェダールは何をするにも上の空で、食事もろくに摂らず、夜も眠らず、幾日も幾日もぼんやりと、普段吸いもしない煙草なんかを吹かしては、物憂げにため息ばかりついていた。


 ショーコたちを助けることが出来なかった己の無力さを嘆いているようだと、彼を傍で見ていたアルカードは思った。


 今回の出来事はレオン・シェダールにとって、忘れることなどできない一件となったことだろう。

 そしてまだ、暫くは己のこの仕事に対して思うことを抱えながらも、少女たちの家族が、愛する娘が帰る日を心待ちにしている胸の内を想像して、人知れずにため息をつく日々を送ることとなるのだ。


 少女たちを襲った悲劇譚の幕引きは、なんとも悲しい結果となってしまったが、一か月後、故郷に帰ったアシュレイから届いた手紙の中に数枚の写真が同封され、そこに映っていたアシュレイと三人の少女たちの屈託のない笑顔を見て、レオンは人知れず安堵した。



     ヴァンピール―魔物の眷属・完

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ヴァンピール―魔物の眷属 駿河 明喜吉 @kk-akisame

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