導く声

なつき

第1話導く声

 この病院では気をつけないといけない事がある。


 ……それは午前二時に『自分を導く声』がしても、絶対に声に従ってはいけないという事だ。


 そんな噂が、この病院にはあった……。



 ◇◇◇



 ……そんな話を聞いたのは。自分がちょっとした病気で入院した時だった。



「変わった話ですね?」



 夏場の高校で部活中に倒れて入院し、やっと回復した彼女は。同室の患者であるお婆さんの退屈しのぎにそんな話を聞いたのだ。



「そうなのよ。特に女の子は誘われやすいから気をつけて欲しいわ。

 ……とはいえただの噂なのだけれどねぇ」



 幾年月を顔の皺に刻んだ白髪の老婆は苦笑しながら答えた。彼女もまた、こんなのはただの噂だと思っているのだろう。自分も確かにそう感じるし。



「まぁでも……午前二時付近はねぇ。急変してそのまま帰らない人が多いから」


「そうなんですか。気をつけますね」



 彼女は朗らかに笑い、横になった。



 ◇◇◇



 ……その日の夜だ。ふとトイレに行きたくなって彼女は目を覚ましてしまう。



「午前二時……嫌な時間だなぁ」



 飲み物等を置いておく台、その上にある時計を見て呻く彼女。その理由は昼間の話を思い出してしまったからだ……。



「いけない。トイレトイレ!」



 取り敢えずはトイレと。彼女は起き上がり、トイレの場所を探す為にそっと部屋を出る。ナースコールは使わない。だって看護師さんに悪いから。


 気味の悪い月明かりが射し込む空調の音だけの夜の病院はとても静かだ……。昼間の喧騒が嘘みたい。学校にも言える事だが、昼間が賑やかだとここまで静かになるとどうにも薄気味悪いものだ。



「いけない。看護師さんに見つからないようにトイレいかないと!」



 彼女はそう判断すると歩いてゆく。


 確か教えてもらったトイレの場所はナースステーションの隣ぐらいだった。早く行かないと。


 ふとその時に。窓が気になった。


 そっと寄ってみると。窓の外の密やかな一角。そこにある小さな建物が『二軒』、視界に飛び込んでくる……。多分位置取り的にはそこはこの病院の裏手だろう。


 何だろう? あれ? 彼女は顔をしかめた。そこが多分、病院の裏手だというのは判る。でもその建物が何なのかは、自分には判りかねた。


 いけない。そんな事よりトイレだよ。彼女は慌てて先を行く。


 行き先はただ一つ。この階のナースステーションの隣にあるトイレだ。だから、一階まで階段降りて裏口開けて来ておくれ。



 彼女はそう思うとまずは一階へと向かう階段を目指して進んでゆく。



 階段の空気は真夏だというのにひんやりしていた。非常灯だけしかないが、背筋に氷が這い回るようなぞくぞくとする月明かりのお陰であまり暗くはない。彼女は足音が響かないようにひっそりと、階段を下ってゆく。踊場付近に着いた時、少しだけ息をついた。だってここは三階。まだまだ先は長い……。



「……?」



 出発しようとした瞬間。壁に何かを見つけてしまう。



「……落書き?」



 それは確かに落書きだ。絵では無くて、文字だけの。どうにもここの病院は清掃が行き届いていないらしいと、彼女は呆れてしまう。



「何々……?」



 とはいえどんな落書きかは気になるところ。彼女は暗がりで顔を寄せて読み上げてみる。



 ――午前二時に自分に語りかけてくる声を聞いても絶対無視する事!――。



「あぁ何だ。お昼に聞いた噂かぁ……」



 彼女はため息をついた。しかしこうして落書きにされるぐらいにはきっと有名なんだろう。この噂話。



「まぁ私には関係ないか。それよりは早くこの階にあるナースステーション隣のトイレに行かないと……」



 彼女はそう感じてさらに階段を下ってゆく。


 やがて踊場から二階を通過する瞬間に、彼女はぴたりと立ち止まってしまう。



「……? ??」



 首を傾げる彼女。何か二階の廊下に違和感を感じたのだ……。



「……」



 そっと階段の入り口から。彼女は廊下を覗いてみる。やっぱりこの時間、皆が寝静まる院内はどこも変わらず静かだ……。


 その瞬間。階段の踊場から音がしてきた。



「!」



 もしかして当直の看護師さんに見つかったかな? 彼女はそう心配すると階段の方を覗きこむ。


 もちろん……そこには誰もいない。非常灯がひっそりと照らす踊場があるだけだ。


 その片隅、非常灯の陰の下に。何か落ちていた。


 彼女が静かに階段を降りるとそこには細長い棒みたいな物が落ちていた。



「ボールペン……?」



 彼女が拾い上げたそれは。確かにボールペンだった。誰かが落とした物だろうか……?



「巡回の看護師さんかな……? あれ? でも今は巡回しない時間帯なはずだし……? あれ? あれれ??」



 首を捻る彼女。まぁ考えたところで解決はしないのだし……。


 階段を、降りて行くべきだろう。



「……そうだ。早くトイレに行かないと」



 彼女はそっと階段に右足を降ろして次は左足を降ろす。交互にゆっくりと降ろして、進んでゆく。



「早くトイレ済ませてもう一眠り……だね」



 一歩一歩を踏みしめ丁寧に降りてゆく。そこに向かう為に、目的の場所にたどり着く為に。しっかりと進んでゆく。



「……や、やっぱり帰ろう。トイレなんか我慢してさ! うん! それがいいかなっ!」



 やがて彼女は一階まで階段を降りきって。迷い無く外へと向かう。向かうべき場所……この病院の裏手にある建物――霊安室。そして今は使われていないその隣にある旧霊安室にたどり着く為に。



「いやいや! トイレぐらい我慢するよ?!」



 旧霊安室に、向かって歩き始めた。



「ね、ねぇ誰?! さっきから誰なの?! どうして私をしつこく病院の外に案内するのっっ?!」



 旧霊安室に、向かって歩いてゆく。



「嫌だって言ってるじゃん! 私帰る! 帰って寝るもん!!」



 旧霊安室に、向かってゆく。



「嫌なの!」



 きゅうれいあんしつに、むかっていく。



「嫌だって!」



 きゅうれいあんしつに、むかえ。



「嫌なの!!」



 きゅうれいあんしつに、こい。



「だから! 嫌なのっっ!!」



 おいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでおいでこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこいこい。



「い、いや……なんで、足、止まらなし、扉、開いてるの……!!」



 きゅうれいあんしつにこい。そして、そこで死ね。シネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネシネ。



「あ……!」



 ヨウコソ。



 ◇◇◇



 ……とある病院で起きた行方不明事件がある。まだ高校生だった入院患者が突如失踪し。見つけた旧霊安室で眠るような姿勢で息を引き取っていたという、不可解な事件が。


 当然の事ながら鍵は開いておらず、また扉自体も開かないようにしていたにも関わらずだ。


 もちろん真相は迷宮入りしたこの事件だが……まことしやかに囁かれている噂がある。



「彼女は午前二時の声に導かれたのだ、と」



 ◇◇◇



 おいでおいでおいでおいでオイデオイデオイデオイデ……。


 ヨウコソ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

導く声 なつき @225993

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ