囚人のジレンマ



 タイヤの振動が、体中に伝わってくる。


 きっと道が悪いせいだろう。車は絶えず揺れて、ガタゴトとしきりに音を響かせている。それは静寂の中では余計にうるさく感じられた。トラックはもうずいぶん長いこと走っているが、誰一人としておしゃべりを始める者はいなかった。


 外は見えない。


 人が大勢積み込まれた、このバンタイプのトラックの荷台には、窓がない。外から差し込むわずかな光がとても眩しくて、私は体育座りになり、顔を伏せた。傍らのライフルを引き寄せ、抱き締める。私はこれさえあれば、どんな環境でもいつも安心して目を瞑ることができた。


「……」



 車に揺られていると、昔のことを思い出す。



 まだ幼く、この世界のことを何も知らなかった頃のことだ。無知がゆえに、きっと今よりは幸福だった。


 あれは七歳の時だった。


 初めて「学校」というところに行った。同じコミュニティで生まれたほかの子どもたちと共にバスに乗せられ、数分後にたどり着いた学校は、バリケード代わりの深い森のすぐそば……スピーカーたちの支配する世界と最も近い場所にあった。私達が数人ずつ分かれて教室に入り、席に着くと、厳しい表情の先生が教室に入ってきてこう言った。


「いいですか、皆さん。これからあなた方に、この世で最も大切なことを教えます。この世界で1秒でも長く生きていたいと思うのなら、今日教わったことは絶対に忘れないで」


 すると、先生は今度は教室の照明を消し、古びたプロジェクターを起動させて映像を映し出した。そこに現れたものに、私達は悲鳴を上げた。ある子は椅子から転げ落ち、ある子は両手で顔を覆った。それでも先生は構わずに続けた。


「聞きなさい! そして目に焼き付けなさい。これが私達の敵、スピーカーです。スピーカーこそが、私達がこうしてシェルターに隠れて生きていかなくてはならなくなった原因です」


 先生の言葉通り、今でも私の目にはまざまざと焼き付いている。手ぶれの激しいカメラのフレームの中に映るのは、寒々しい曇天と、廃墟と化した都市。崩れかけた道路の上に、人間と限りなく近い形をした化物たちが立っている。彼らは皆、なぜかとても小綺麗な服装で、でもどの顔も血相が悪かった。動きは俊敏だけれど、疲れきった虚ろな目をしていて、その眼差しを必死にこちらに向けながら、しきりに何かを訴えてくるのだ。


『縺ュ縺医↑繧薙〒縺昴s縺ェ縺ォ蟷ク縺帙◎縺?↑縺ョ縺壹k縺?★繧九>縺壹k縺?★繧九>』

『縺ゅ◆縺励□縺台ク榊ケク縺ソ繧薙↑蝌倥▽縺阪◆縺吶¢縺ヲ繧』


 その言葉ともつかぬ呻きを聞いた瞬間、反射的に耳を塞ぎたくなった。でも、先生はそれを許さなかった。

「スピーカーはかつて世界を恐怖に陥れた『DTL』という感染症に罹患した患者のことです。発症すると言語野をはじめとする脳の特定の箇所が蝕まれ、意味不明の言語を話し始め、凶暴になります。そして、一時的な四肢欠損や脳の破壊で停止することはありますが……基本的にはまるで全身ががん細胞になったかのように、ほぼ不死に等しい状態になります。特効薬や治療法は現時点では存在しません」

 先生は指示棒をスクリーンに向けた。

「スピーカーは基本的に、『人間の姿を視認したとき』に襲ってきます。彼らの視覚や聴覚は、私達と同様に機能しているので、もし姿を見られていなかったとしても、物音を立てて気づかれるようなことはしてはいけません。彼らは基本的に群れになって行動し、銃やナイフなど簡単な武器も使うので、見つかれば高確率で捕まってしまいます。

 なぜ人間だけを襲うのか? その理由は未だ解明されていませんが、推測では彼らは常に『話し相手』を求めているからだと言われています。彼らはわかってほしいのです。自分の言い分を聞いてほしいという欲求だけが彼らの行動原理だと、今のところは考えられています。だから彼らは『言語を解さない人間』、つまりまだ話せない赤ん坊や死人、知的な障害などで言語を話すことのできない人々には興味を持ちません」

 先生はそこで映像を止め、スクリーンの一部分を拡大した。

「そして今から言うのが、話の最も肝心な部分です。これが何だかわかりますか?」

 私はまだ恐ろしかったが、それでもなんとか目を凝らした。先生が指差していたのは、スピーカーのうちのひとりの手元だった。薄い携帯端末のようなものが握られている。それは私達のシェルターにいる偵察隊が、互いに連絡を取り合うときに使っているものによく似ていた。


「そう、わかっている人もいますね。これは携帯端末。かつてはスマートフォンとも呼ばれていました。私達の使っているものとほとんど同じ。スピーカーたちは皆このような携帯端末を持っていて、ある一つのソーシャルネットワークサービスで繋がっています。先ほど『彼らはただ欲求のまま、動物のように動いている』かのように言いましたが、実は少し違っています。彼らにはなぜか……社会性がある。スピーカーたちはすべてこのSNSで繋がっており、互いに情報をやりとりして、計画を立てて獲物を捕まえることもあるのです」


 車の振動が、徐々にゆっくりになっていく。


「……」


 私はおもむろに顔を上げ、周囲を見回した。全員が戦闘の準備を始めている。私も皆に習い、左右の耳の穴にきつく耳栓を入れた。


 私達は、兵士だ。


 この世界では、人類の誰もが戦わなければならない。確かにずっと静かに隠れたまま、他のコミュニティの助けを待っていられれば楽だろう。しかし、私達のコミュニティの暮らしはとてもギリギリで、毎日死人が出る。このままではいずれ皆が死んでしまう。だから、いつまでも囚われたままでいるわけにはいかない。

 

 二、三度ガタガタと揺れた後に、トラックは完全に停止した。


 トラックを運転していたエドガー隊長がこちらを振り返り、ハンドサインを出した。最終確認のようだ。皆が同じ「準備完了」のサインを出しはじめる。私も「アリシア、OK」と送る。ほどなくして、私達は外の世界へと足を踏み入れた。


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