二十.白き夜のおわり


 太古の時代、〝乾潤かんじゅん千界せんかい〟と呼ばれるこの世界には、神々がったという。

 神々が世界を去った理由は一説によれば、いずれ訪れるであろう世界の滅びを予見したからだといわれている。


「シロは、その時代から生きてるんでしょ? ぜんぜん憶えてないのぅ?」


 薄い部屋着に毛織りの上着を羽織ったカナイが、カビ臭い本を指先でそっとめくりながら白夜へと視線を送る。

 屋根裏に仕舞われていた古書の山は、バクワーズ夫妻の物なのかユーキの物なのかわからなかったが、それほど傷んでおらず読むのに支障はなかった。ただ屋根裏部屋全体がホコリだらけで、古書類もそれに埋もれていたため、ページを開くたび乾いたホコリが舞うのが厄介だったが。


『憶えていないような、憶えているような。そもそも、私がどれほどの時を寝過ごしたかもわからぬのだ』

「寝過ごすって……なんか違ぅくない?」


 くすくすと小鳥みたいに笑う少女を見つめ、白蛇は無意識に光色の目を細める。

 カナイは傭兵の若者が口にした〝蒼竜の呪詛じゅそ〟については聞いていない。スオウが蒼竜と呼ばれる神獣であること、自分の両親が十年前の戦禍で死んでしまったことをも、ハッキリ言葉にしては聞かされてはいない。

 けれど、もう気づいているだろう。

 十四歳という年齢はまだまだ幼いとはいえ、自分ら定命ではない者が想像するほどに子供ではないのだ。

 

 彼女は、スオウが隠していた多くのことに気づいており、それでも兄を思うゆえに尋ねるのを我慢していた。十四歳の心には抱えきれないほどの葛藤と孤独感だっただろう。

 全部でないとはいえ思いの丈をスオウ自身に伝えたことで、彼女は幾らかでも自由になれただろうか。


『それより、そろそろ休憩を挟んではどうだ。オマエはまだ安静にしていなければならないと、ユーキも言っていただろう』

「わかってるもん。シロってば過保護なんだからッ」


 もっと粘るかと思ったが、カナイは案外と素直に応じ、三冊ほどの古書を袋に入れて立ちあがった。


『うん? それはどうするのだ』

「休憩しながら読むの。バイトお休みの今じゃなきゃ、ゆっくり本読むなんてできないでしょ?」

『それでは休憩にならぬだろう』

「お茶飲みながら読むンだもんッ」


 昨日来たときも「安静にしなさい」と説教していったユーキの立場がないな、と思ったが、白夜はそれ以上は言わないことにする。

 

 カナイが、世界を知ることで理解しようと望んでいるもの。

 それはスオウであり、白夜なのだろう。


 彼女は、ることでスオウを支えようとしている。神狩りの者たちを憎むことで自身の感情を処理するのではなく、神と人の間に何があったか、人間と神獣や亜人たちの間に何があるのかを、理解しようとしているのだ。

 それは悪いことではないと思う。


「シロは、何飲む?」

『私は……何が飲めるのだ?』

「わかんないけどッ。うーん、お酒とか? でもお酒ナイし、ミルクセーキでいいッかぁ」


 ミルクセーキは、ミルクと溶き卵を混ぜた飲み物だっただろうか。と首を揺らめかせつつ想像しながら、白夜はキッチンへ向かう少女の後についていく。

 白夜の折れた両翼はユーキが丁寧に治療してくれたため、もう痛みはない。とはいえ飛ぶのはまだ心配だと言うので、普通の蛇のように腹這いで移動している。

 

 カナイは本を丁寧にテーブルへ重ね、貯蔵庫を開けて鍋を取りだし火にかけた。ユーキが作り置いてくれたものだろう。

 食器棚の前に立ち、しばし悩んだあと、小鉢用の皿を手にして振り返る。


「こっちの方が飲みやすい?」

『そうだな。縦長の容器よりそちらの方が良さそうだ』

「飲みにくかったらまた考えよ?」


 ぬるめに加温したクリーム色の液体からは、ほのかに甘い香りがした。そっと首を差し入れて味見をする白夜の隣に、少女は自分のカップを持って腰掛ける。


「どぉ?」

『悪くないな。滋養もつきそうだ』

「神獣って栄養必要なの?」

『いや、私の食物は朝露と鉱物だ。……言葉の綾ということにしよう』

「何か違うと思うぅ」


 他愛のない会話を交わしながら、カナイは飲み物をついばみつつ本のページをめくり、白夜はそれを眺める。

 特別なことなど何もないはずなのに、流れる時間が無性に掛け替えのないものに思えた。

 そうか、と、不意に気づく。

 スオウが、カナイが、戦争に巻き込まれた多くの人々が、奪われたのは――、こんなあたりまえで替えがたい時間だったのだ、と。


「……シロは、白夜びゃくやじゃなくていいの? その名前、大切な誰かにもらッたんでしょ?」


 不意打ちに、問われて。

 

 ――明けぬ夜の導き手として、この名を、貴方に。


 優しい声が脳裏に響いたような気がした。

 自分を深く愛した彼女は、人々にと呼ばれていたんだっただろうか。


(何だ、忘れてなどいないではないか)


 今は全部を思いだせないとしても、記憶は魂の一部となって自分を形成しており、こうやって折に触れよみがえってゆくのだろう。

 自分も、いつかは、カナイも。

 

『私はシロでいい。明けぬ夜は、明けたのだから』

「……? んぅ、シロがいいならいいンだけど」


 意味わからない、というふうに小首を傾げる少女のヒナみたいな仕草を愛らしいと思い、その感情が全身を満たしてゆくように感じた。

 

 深い眠りから覚めたとき、強い憎しみと殺意を向けられた。

 死にたくないと思ったのは、遠い過去に自分を愛したひとの記憶につき動かされたからだったのだろう。

 

 その先で、カナイに会った。

 明けない孤独に沈む白い夜は、その時、終わりを迎えたのだ。


『カナイ。オマエが復職したら、私もユーキの店へと連れていってくれ。オマエの仕事ぶりを見てみたい』

「はうッ? シロ突然なに言いだすのぅッ!?」

『ここに一人でいても、暇なのだ。オマエにもこの気持ちはわかると思うが』

「うぅ、それ言われると……。わかった、ユゥ兄来たら聞いてみるぅ」


 眉を下げ、考え込むカナイを眺めながら、白夜はこれから将来さきへと思いを馳せる。


 人は、愛しいものだ。

 彼らの一部が――あるいは多数が憎しみを向けてくるのだとしても。自分に彼らを憎むことはできそうにない。

 だから、蒼竜スオウの葛藤も理解できる気がした。


 そうだとしても、白夜シロ蒼竜スオウは同じ道を択ぶことはできない。だから自分は、自分の在り方を貫けばいい。

 この先に何が待ち受けるのだとしても、自分を愛してくれる者たちに寄り添っていこうと思った。いつか人のしゅが滅びる時代ときが来るのだとしても、自分は最後までともに。


『楽しみだな』

「そぉ? シロ、ああいう騒がしいトコ好きかなぁ」


 カナイの懸念を聞き流しつつ、白夜はゆらゆらと首を揺らめかせる。まだ見ぬ出会いを思えば、浮き立つ心を抑えられそうにない。


 無彩色の明けない眠りは終わり、極彩色の日々がここから始まるのだ。






[白き夜の涯 -片翼の小鳥と優しき神獣の物語- 完]

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白き夜の涯 -片翼の小鳥と優しき神獣の物語- 羽鳥(眞城白歌) @Hatori

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