第4話

 今夜は二十二時から、一ノ瀬いちのせさんの生配信がある。彼女はわたしがマオちゃんになってから半年後に、同じ会社のオーディションに受かった後輩だ。事務所は違うが、声優としての後輩でもある。


 ただし一ノ瀬さんの演技力を見るに、声優の道で大成しそうにはない。だから彼女にとってもVTuber活動は貴重な仕事だった。


 デビュー名は、薬師寺やくしじますみ。十七歳の女子高生にして、バーチャル世界では名の知れた家柄のお嬢様だ。その大人びた顔つきとつややかな黒の長髪、そして品のある振る舞いは見る者を釘づけにする。


 けれど持病のせいで学園には満足に通えず、一年の大半をお屋敷で過ごしている。その生活を変えるべく、勇気を出してVTuber活動をはじめた……という設定だ。


 チャンネル登録者数はたった半年で十五万人と、会社でもトップクラスの有望株だ。よどみない話術と創作意欲あふれる動画内容が特に評価されている。愛称は『ますみん』だ。


 ますみんの生配信は、わたしがYourTubeの配信ページに飛んだ直後にはじまった。


 お屋敷の書斎しょさい風イラストを背景に、紺のワンピースを着たはかなげな少女——ますみんのバストアップ3Dモデルが現れた。わたしはイヤホンをしっかり耳にはめる。


 ますみんは、腕を曲げてなめらかに手を振った。


「マスナーのみんな、こんばんます~。音、大丈夫? ちゃんと聞こえてる? ごめんね、体調不良でおとといは配信お休みしちゃって。でも今日からまた頑張りまーす!」


 画面の右側に表示されているチャット欄のコメントは、わたしの配信よりも流れが早い。『ますみ』の『リスナー』、通称マスナーが多い証拠だ。いまこのときも、投げ銭システムを利用した彼らのコメントが、四桁五桁の数字を引き連れていく。


「そうだ、聞いて聞いて」


 ますみんは声をはずませた。


「昨日さ、快気祝いで一人焼き肉に行ってきたの。そしたら若いカップルがいて、すっごくいちゃいちゃしてたのね。テーブル乗り越えてまで、油ギトギトの口でキスまでしちゃってさ。それ見て、このバカップルが! って思いながら一人寂しく牛タン食べてたんだけど、そのとき気づいちゃったの。私もいま、牛とディープキスしてるじゃん! って」


 牛にファーストキス奪われたぁ、などといいながら、ますみんは豪快に笑いだした。


 初めてますみんの配信を見た人からすれば、プロフィールとの印象にギャップを感じるだろう。


 実際、当初は設定通り大人しくて線の細いキャラクターだった。口調もお嬢様らしい丁寧な言葉づかいで、大声を上げることもなかった。


 けれど、徐々に中の人である一ノ瀬さんの性格が反映されていったことで、いつしかお嬢様キャラクターが崩れてしまったという事情がある。


 この件についてマスナーに突っこまれたますみんは、「リスナーと交流してきたことで持病が回復し、昔の明るかったころの自分に戻りつつある」……そのような設定をつけ加えて、なんとかつじつまを合わせた。


 するとこの後づけが、登録者数を大幅に増やすきっかけになった。病弱な少女がファンの力で元気になっていく物語性が受けたのだろう、と会社の人は語っていた。


 それにしても、つい数日前までは食事も喉を通らないほど思いつめていたのに、それを微塵も感じさせない明るさでしゃべり続けている。


 どうやら例の件からは立ちなおったようだ。わたしは目を閉じて、小さくため息をついた。


「雑談はこのくらいにして、今日の本題をはじめますか」


 画面全体がほの暗くなった。


「薬師寺ますみの、隔週ホラー配信~!」


 彼女が胸の前で拍手の動きをした。かちゃかちゃと硬いもの同士をぶつけたような音がする。


 一ノ瀬さんはいま、輪っかにグリップがついたような形をした二つのコントローラーを持っているはずだ。


 そのグリップを握った状態で腕を振ったり、輪っかを手に引っかけながら指を動かせば、部屋に設置したセンサーが感知して、3Dモデルも同じように反応してくれる。


「今回はね、ずっと書きためてた自作の『意味がわかると怖い話』を披露しちゃいまーす。なんと、全十二話!」


 一ノ瀬さんはホラー作品が好きで、部屋の棚には映像媒体や小説などが隙間なく詰めこまれている。今日の配信内容もその趣味のうちだった。


「じゃ、まず一つ目ね。タイトルは……『部屋の掃除』」


 かすかに息を吸った音がした。


 そして話をはじめるかと思いきや、彼女はこちらから見て斜め右を向いたまま動かなくなった。


 おそらく真横かそれ以上の角度に一ノ瀬さんが体をひねったため、3Dモデルの可動域をオーバーしたのだろう。会社のスタジオで3Dモデルを使う場合は全身をあますことなく動かせるが、自宅の場合は2Dモデルと同様、体の角度には制限がかかる。


 少ししてますみんの姿勢が元に戻ると、何事もなかったかのように怖い話を語りだした。



 ●●●



 部屋の掃除をしていたら、段ボールの中がゴミでいっぱいになった。


 段ボールを捨てに行こうとすると、もうすぐ四歳になる息子が来て、好物の手作りハンバーグが食べたいと泣きだした。父さんは料理が苦手なんだ、といってもまるで聞こうとしない。


 あまりにうるさいので、段ボールから大型のCDラジカセを取りだして使ってみた。


 しばらくその音を聞くうちに、これはまだとっておこうと思いなおす。


 シャワーで汗を流してから、満杯の段ボールを持って静かな部屋をあとにした。



 ●●●

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