僕らの最初で最後の夏?

 約束の日の朝は、これ以上ないほどに眩く、青々と照り映えていた。

 少しだけ寝不足の身体には、本気を出してきた夏の暑さがキツく感じる。

 今日はちょっとオシャレして、白シャツの上に水色のトップスを合わせてみた、が。

 これは失敗だったなぁと、汗を拭いながら後悔する。


 僕は今、自宅を出てショッピングモールへと向かっている最中だった。

 スマホと財布をズボンのポケットに入れ、右手で顔を扇ぎながら、セミの鳴き声をぼんやりと聞いている。

 あまりに暑いものだから、モールまでの途中にある自販機で、何か飲み物でも買おうと考えていた。

 しかし中々見つからず、気がつけば、


「……やっぱここにしかないかぁ」


 白鷺運動公園の休憩所まで、休むことなく歩いてきてしまった。

 特に汗っかきでもないが、炎天下に近いなか、20分も徒歩すれば汗もかく。

 友人たちと遊ぶこともあり、あまりみっともない姿は見せたくないのだが──拭っても拭っても、まるで汗は止まらない。


「はぁ……あっつい」


 へばり付く衣類への苛立ちと、夏を甘く見ていたことへの後悔。

 スポーツドリンクを買い、無造作に取り出しながら。

 つい、ダウナーな気分になっていると、


「──夏貴くーん!」


 聞き馴染みのある声が、僕の名前を呼ぶ。

 その明るい声の主は、これまた可愛らしい服装でおめかししていた。

 少し主張の激しい胸部を揺らしながら、僕のもとに駆け寄ってくる。

 そして軽く前かがみし、少し荒い息を整えると、


「おはようございますっ。いい天気ですね!」

「……は、はい。そうですね」


 ばっと上目遣いをしながら、僕のほうを見上げて笑った。

 対して僕は、彼女──千冬さんのほうを直視できず、つい視線を逸らしてしまう。

 僕の瞳を見て、すぐに気がついたのだろう。

 千冬さんは不思議そうに、首を傾げながら尋ねてきた。


「大丈夫ですか、夏貴くん? 何か私、変なところでも……?」

「いや、その……えっと」


 ちらっと問題の部分を覗く。

 それはそれは、見事な谷間だった。

 ゆったりとしたシャツを下に着ているから、前かがみになると、つい見えてしまうのは仕方がない。

 しかし大変伝えにくいのも、また事実で。

 なぜかジェスチャーをしながら、僕はそっぽを向いて言った。


「シャツ。見えてます」

「えっ? 何がですか?」

「この、胸元の部分から、中が」

「えっ……あっ!」


 シュバッ! と素早い動きで隠す千冬さん。

 紅潮して恥ずかしがる姿に、つい興奮を覚えてしまいそうになる。

 しかし理性で本能を抑えると、一つ息を吐いて、


「……今日は暑いですからねー」


 千冬さんに右手を差し伸べた。

 恐る恐る、蒼色の瞳が見上げてくる。

 何か小動物みたいで可愛いなぁ、なんて思いながら。

 僕は頰を綻ばせて、明るく言った。


「お互い、気をつけていきましょうね」

「……うぅっ。すいません……」


 千冬さんは申し訳なさそうに謝った。


***


 公園からモールまでの道を、手を繋いで歩く。

 8月が近くなってきたせいか、街路の掲示板にはイベントのチラシが大量に貼られている。

 千冬さんはチラチラと、それらのチラシを気にしていた。

 空いていた左手に持ったスポドリを飲み、次いで尋ねてみる。


「何か、気になるイベントでもありますか?」

「あっ、えっと……そうですね。白鷺運動公園で、近々夏祭りをやるみたいですけど……」

「あぁ、恒例のね。毎年8月の第3土曜日に、どデカイ花火を打ち上げるんだよ。その花火見物のサイドイベントとして、いろんな催しを開くんだ」

「へぇー。例えばどんな?」

「定番の屋台はもちろん、ちょっと有名な芸人さんが来たりする。あとは老人向けのカラオケ大会だったり、小さい子向けの輪投げ大会もやったり……まぁそんな感じで、本当にいろいろやるよ」

「そうなんですね」


 ふむふむ、と熱心に頷く千冬さん。

 もしや行きたいのだろうかと、勘繰らずにはいられなかった。

 今日のデートが終わって一段落ついたら、誘ってみてもいいかもしれない。

 もっとも、そうしたらレンタル料が高くつくだろうが。


 程なくして、モールの正面入り口まで来た。

 見知った顔の奴らが集まっている。

 僕の友人たち3人組と、顔見知り程度のクラスメートの女子が3人。

 あらかじめ聞いていた通りだ。

 3人組のうちの、派手な金髪に染めた似非チャラ男が僕たちに気づく。


「あっ、来た来たっ!」

「おっせーぞー!」

「もう待ちくたびれちまったよー!」


 ちゃんと時間通りに来ただろ、というツッコミは飲み込んで。

 ひとまず歓迎の輪の中に入った。

 そして案の定、すぐに男どもが卑猥な視線を向ける。

 女子陣も何やらひそひそ話しながら、千冬さんのことをジロジロ見ている。


「えーっと。薄々察してると思うけど、隣にいるのが俺の彼女で……」

「初めまして。越藤千冬といいます。今日は一日、よろしくお願いしますね」

「……ということです」


 紹介し終わったが、しかし反応は薄かった。

 盛り上がったり、逆に萎えたりすることもなく──ただジロジロと、千冬さんを観察し続けている。

 まぁ他人の彼氏彼女アピールなんて、さほど面白いものでもあるまい。

 変にもて囃されないでよかったと、少し油断した瞬間。


「……可愛い」

「あぁ……」

「まだいたんだなぁ、清純派って……」


 惚けるような声が、はっきりと聞こえた。

 男どものほうを見ると、何とも阿呆らしい表情をして、口を小さく開けていた。

 一方、女子のほうも驚くように目を見開き、しきりに感嘆の息を漏らしている。

 少なくとも千冬さんに対して、悪い印象を持ったようには見えなかった。


 かといって、ひそひそと話をされたままでは、どうにも不安になって仕方がない。

 僕は半ば強引に、友人たちに尋ねた。


「で、どう? あんだけ『いるわけない!』って否定してた彼女を、生で見た感想は」

「いやぁ、その……」

「……何というか」

「夏貴、ちょっとこっち来い。はよ」


 3人組のうち、黒髪を真面目に整えた友人が手招きする。

 何だよもう……と渋々近づくと。

 がっちり肩をホールドされ、強制的に円陣を組まされた。

 そして3人とも、血眼になって呟くことは、


「可愛すぎんだろ!!!」

「リア充滅べ!!!」

「このイケメン野郎っ!!!!」


 清々しいぐらいの罵倒だった。

 辟易とし、恨み節を軽く受け流しながら、円陣を抜け出す。

 千冬さんは──と振り返ると。


「いいなぁ髪サラサラー!」

「どうやって手入れしてんの? 羨ましー」

「特別なことはしてないですよ。大事なのは乱暴に扱わないことです」

「ぶーぶー! そんなの私たちだって気をつけてるのにー!」

「ふふっ。じゃあもっと優しく扱わないとですね」

「うげー、面倒くせー!」

「いっそ千冬さんの髪分けてー!」


 ──ものすごい順応力で、女子の中に溶け込んでいた。

 キャッキャと楽しそうにはしゃぐ姿は、まるで普通の女子高生である。

 いや、千冬さんはまさに普通の女子高生だから、別におかしくはないのだけど。

 同性の友達と触れ合っている光景は、普通のデートでは絶対に見られないわけで──何だかとても、新鮮な感じがした。


 そんな風に惚けていると、後ろからチャラ男の声が飛んできた。

 クラスの喧騒の中でもよく通る声に、僕と女子一同が振り返る。

 注目を浴びたチャラ男は、親指でモールを指して言った。


「人も揃ったし、そろそろ行こーぜ!」

「最初は適当に回ってショッピングだかんなー」

「イケてる服買おうぜ、イケてる服!」


 さっさと行こうとする男子たちに、女子もまた、


「ちょっ待ってよー!」

「置いてくなっての男子ぃー!」


 文句を言いながらも、キャーキャー騒ぎながらついていく。

 こんなに暑いのに、何とも元気なものだ。

 同い年ながら羨ましく思っていると、


「千冬ちゃんも早く行こっ! 夏貴くん、手ぇ離してたら怒るからねっ」

「はい!」

「えぇ……?」


 クラスでは副委員長を任されている茶髪女子が、そう釘を刺して、皆の後を追っていった。

 言われなくても手を離すつもりはないが、「何だか態度が違いすぎない?」とも思う。

 まぁ逆に、それだけ千冬さんが気に入られたということで。

 彼氏(仮)としては、喜ぶべきなのだろう。


 隣に並んできた千冬さんに振り向く。

 千冬さんもまた、僕の顔を見上げて笑う。


「行きましょうか、夏貴くん」

「……はい。千冬さん」


 僕の左手と、滑らかな白肌の右手を繋ぐ。

 太陽が沈むときまで、誰がどう見ようとも、僕たちは1組のカップルだ。


 モールの入り口へと駆け出す。


 息の合った歩調は、まるで本物の恋人のような感覚だった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る