第4話 未来図①

 翌、土曜日。

 類は寝不足の目をこすりながら、出勤していった。


 さくらは家事をこなしつつ、夕方になったら親の家へ皆を届けようと考えている。

 あちらの部屋も聡子の妊娠で、きっと大変なことになっているはずだ。ごはんとか、日々の生活をどうしているんだろうか。

『親からの自立!』とか生意気なことを言って、さくらたちは与えられたマンションを出たはいいけれど、この事態。もしかして、焦った?


 いやいや、甘い。


 あのままでは、親(聡子)のペースに巻き込まれ、それこそ家政婦を脱出できなかった。現在の、徒歩で通える距離感ぐらいがちょうどよい。


 さくらの家だって、類と話せていない。訊きたいことが全然聞けない。社長就任について、今後について。


 あおいはかわいい。皆もかわいい。聡子に新しい赤ちゃんが宿った。

 がぜん、さくらも次の子が欲しくなってしまっている。対抗意識なんて、ないと思っていたのに。それに、あんなふうに類から気持ちを疑われたら、形で誠意を示したくなってしまう。


「赤ちゃん、ほしい!」


 叫んだら、あおいが驚いた。


「あかちゃん、いるよ?」


 皆を見た。


「んん~、それも赤ちゃんだけど、ぱぱとままの赤ちゃんだよ。あおいのきょうだい」

「あおい、ふたごちゃんがいい」

「ふたご?」

「かわいいいいいいいいーの! おんなじおかおで!」


 あおいを預けている園に、男のふたごちゃんがいる。年齢はあおいのひとつ下で、確かにかわいい。


「ふたごかぁ。かわいくて、楽しいだろうね」

「まま、ふたごちゃん!」


 それは……さぞかし子育てが大変だと思う。女の子ひとりだって、振り回されてばかりなのに、ふたご……!


「きょう、ぱぱにおねだり、して。まま」

「えっ」

「ふたごちゃん、ほしいって、ゆって」


 ふたごなんておねだりしたら……めちゃくちゃ喜んで張り切るだろう。想像しただけで、まじエロ案件なんですが。


「そ、そうだね、言ってみる。ぱぱの子どもなら、間違いなくかわいいし、将来もかっこいいだろうね」


 十五年もしたら、類くんがふたり増える? やだあ、うれしい。ひとりで照れて騒ぐ、さくらだった。


***


 夕方。

 皆とあおいが昼寝から起きたあと、両親の自宅へ向かった。


 まずは皆を返し、あおいを預けて夕食の買い出し、支度。部屋の片付け。

 ああもう、また柴崎家の便利な家政婦に逆戻りだよと思いながらも、困ったときはお互いさまなので、ここは我慢。

 夕食会場は実家、と類もメールで呼びつけておいた。終業後、来てくれるはずだ。


 父の涼一に連絡を入れてみると、すでに帰宅したという答え。


「おじゃまします……」


 そういえば、両親の家は久しぶり。あおいは我が家のように、とことこ歩いてゆく。廊下の途中で涼一に出会い、だっこされた。


「さくら、ありがとう。おー、皆よ。おかえり」

「いいこだったよ、皆くん」

「うんうん。えらいぞ皆、助かるぞ皆」


 いちばん、苦労というか迷惑をこうむっているのは、最年少の皆かもしれない。


「お母さんはどう?」

「今、寝ているんだ。片倉さんのところで、正式な診断を受けたら、とりあえず落ち着いてきたよ。妊娠八週目だと」

「よかった、おめでとう!」


「あ、ありがとう。この歳で、娘に祝福されるなんて恥ずかしいけれど」

「おめでたいことはおめでたいんだから。私もうれしい。あやかろうっと」


「え、あや……かる?」


 父の動きが止まってしまった。


「だって、私だって、次の赤ちゃん、ほしいよ?」

「うああ。娘と、同じ歳の子どもとか……!」


 実際もう、弟の皆のほうがあおいよりも年下じゃん……とは、突っ込めなかった。


「あら、おかえりなさい。さくらさん」


 リビングから、エプロン姿で出てきたのは叶恵だった。


「か、叶恵さん?」


 会社で会うのも珍しいけれど、親の自宅で会うなんて考えてもみなかった。


「たまに手伝いに来てくれるんだ。ここで会ったのは、はじめてなのか」

「社長に、ヘルプの連絡をいただいて」

「ありがとうございます、柴崎家の窮状にお付き合いさせちゃってすみません」


 さくらは頭を下げて感謝を述べた。


「点数稼ぎよ。玲さん方面に向けての」


 玲? 壮馬マネージャーとは、どうなってんの? 聞きたいけれど、聞けない。聞けるわけがない。


 家事が得意ではないと言っていたけれど、室内はきれいに整っていた。昼間、がんばってくれたのだと思う。そうなると、聡子も父も叶恵に頭が上がらない。『じゃあ、ほうびに玲でもあげようか』なんて論調になりかねない。叶恵が義姉……!


「叶恵さん、おつかれさまでした。夕食は私が作ります! 叶恵さんもぜひ、食べて行ってください」


 張り切って、さくらは宣言した。


「そうだね、それがいい」 


 父も同意してくれた。


「じゃあ、ごちそうになろうかな」


 よし! これ以上、点数は稼がせないぞ! さくらは下心満載だった。あおいを父に預け、近くのスーパーまで買い出しに出ることにした。ごちそう、作っちゃおうかな……と考えたところで、肝心なことを思い出した。


 類にも、夕食はこちらでと伝えてある。このままだと、類と叶恵が鉢合わせ!


 まずい。あのふたりを会わせたくない。だって、かなりきわどいこと……いたしたみたいだし。浮気ではなかったにしても、もやもやは残っている。


 類に連絡を……と思いながら携帯電話を持ち上げたところへ、ピンポンが鳴った。


「みんなー、ただいま。母さんどう? 具合がよくないって言ったら、みんな心配して早退させてくれたよ。有休、使っちゃった」


 すごいタイミングで帰宅した、類だった。ああ、なんでこんなときに。


「類くん、もう帰ってきちゃったの?」

「イップクに仕事を押しつけて、あわてて帰って来たのに なにその言い方」


 あからさまにさくらが落胆したので、類は機嫌を損ねてしまった。


「あ、ごめん。おかえりなさい。あのね類くん」

「ぱっぱ! おかえりなちゃい!」

「あおい、ただいま。いいこだね、んー。よく言えました」


 さくらが叶恵のことをに触れようとしたけれど、類の意識はあおいに向いてしまった。抱き上げて、べたべたちゅっちゅである。


「あのね、ままがあかちゃんほしいって! ぱぱ、ままにあかちゃん!」

「ままが、あかちゃん?」

「うん! ふたごちゃんなの! あおいもほしい」


「ふうん、なるほどねえ……」


 意味ありげな流し目をくれる、類。さくらはあわてた。


「ち、違うの。赤ちゃんは……その」

「おおきいこえでゆってた! あかちゃーんって」

「分かった。ぼくもほしいんだよ、ぱぱも。さくら、そういう大切なことは娘に言わず、直接ぼくにベッドの中でおねだりしないと」


 あおいをだっこしたまま、類はさくらに迫った。


「ううあの、待って。それより話が」

「この話より大切なことなんて、ないと思うけど」


 そして、さくらの唇にもちゅっとキスをした。


「ぱぱまま、ちゅーした! ちゅってした!」

「あおいにもあるよ」


 類とあおいがきゃあきゃあ騒いでいると、リビングからもうひとり出てきた。


「まったく、人の家の廊下でよく盛り上がれるわね。おかえりなさい、ルイさん」


 万事休す、叶恵のご登場だった。


「叶恵さん、お久しぶりです。こんにちは」

「こちらこそ。先におじゃましていました」


 ふ、普通の会話。普通の対応。笑顔の。あ、北澤ルイの顔。叶恵と類は、普通に雑談した。


「じゃあ、行ってきます。あ、脱いで行こ」


 自然な流れで、類とさくらはふたりで買い出しへ行くことになった。あおいはお留守番を選んだ。


「ハンガーにかけておくわね」


 スーツのジャケットを脱ぎ、ネクタイを外す。叶恵が受け取った。ふだんはさくらしていることだが、見ているだけでどきどきする。こういうこと、いずれ玲にしちゃうのかなあ?



 エレベーターホール。

 さくらは類の顔を直視できないでいる。無言で俯く。あかちゃんほしい、なんていきなり、あおい……!

 まもなくエレベータが到着したので、会話がなくてもおかしな場面ではなかった。

 けれど、類は違った。『1』ではなく、途中階のボタンを押した。


「類くん?」


 類が選択したのは、数か月前まで三人が住んでいた部屋の階。


「ちょっとだけ」


 そう言って、さくらの腕をつかまえて、かつての部屋に連れ込んだ。鍵をまだ持って歩いていたのかとか、気になることはあるけれど、類の横顔をちらっと見ると、そんなこと聞けなかった。


 すごく我慢しているときの顔、欲情100%の顔。爆発寸前。


 室内は、ほとんどそのままである。京都時代から愛用していたベッドすら、ここに置いてあった。今住んでいる新居には、大きすぎて入らなかったので断念したのだ。


「ぼく、夜までがまんできない。さくらが、そんなに赤ちゃんほしいなんて」


 さくらの身体をベッドに押し倒し、上にまたがってきた。


「ちょ、ちょっと類くん! ごはんの準備が。みんな、待っているし」

「すぐに終わらせる。三十分、いや十五分ちょうだい。とりあえず、今のぼくの気持ちをあげる」


 シャツのボタンをぷちぷち外される。

 ああ、逃げられない!

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