「戦争の準備」

「戦争の準備」

 

 ——開戦の前に理由を「作る」——

 

 国家が戦争を開始するのは、確実に勝てると踏んだ時か、今攻撃しなければ後で危機的状況に陥ると判断した時だ。とはいえ勝てるから攻撃したなどと馬鹿正直にのたまう国は周辺から侵略国家の誹りを受けてしまう。

 よってどのような創作物においても、開戦事由(理由)というのは大切である。開戦事由とは戦争行為を正当化することを言い、『新しい古地図によるとその地域は我々の領土だ!』『貴国の軍隊が砲撃してきたので仕方なく応戦しよう。(まぁ自作自演なんだけどね)』と主張するようなことを言う。

 中世までならともかく、近世以降になってからは対外的な戦争理由の発表は大きな意味を持つ。もし異常に征服欲のある国や、話の通じない国だと思われたら、周辺諸国に袋叩きにされる可能性があるからだ。

 戦争をする場合には、正当性がこちらにあると言うことを近隣諸国、今となっては国際社会に印象付けなければならない。   中小国でこれに失敗すれば、クリミア半島をウクライナから奪ったロシアのように、キツイ経済制裁を受けるだけでは済まないだろう。国家消滅の危機だ。

 

 ——勝てるかどうかを判断する——

 

 宣戦布告をしても周辺諸国に警戒されにくい状況か、宣戦布告しないと重大な損害が出る場合、敵方との戦力比を確認すべきである。時代を遡るほど兵数が絶対的な戦力比になるため、中世ファンタジー世界ならば単純に用意できる兵数はどちらが上かを判断するのだ。

 もし1.5倍以上に差が開いていた場合は、単独で勝利するのは極めて難しいといえる。ただし、中近世の防衛戦争ならば敗北を避けることは可能だ。何故なら都市を陥落させるには包囲する必要があったため、攻撃側は都市を丸々包囲して、尚且つ敵の援軍に備えるだけの大兵力が必要となる。この場合、1.5倍程度の差であれば勝利は可能だ。しかし国土の荒廃は免れないだろう。前線の都市が包囲され、周辺の田畑が食べ尽くされることになる。よってより高い軍事力か、良い同盟国を手に入れなくては自国の国益を守ることはできない。

 戦争をするために軍隊を強化したい場合、数以外にも注意すべき点が数多く存在する。

 

 ・補給能力 軍隊は、当然ではあるが食べなければならない。戦車や戦艦なら燃料も必要である。もし兵数の多い軍隊を維持したいのなら、彼らを日頃から飢えさせない算段をつけなければならない。補給については別の話で詳しくやるが、基本的に中近世のヨーロッパでは、大規模な軍隊の進んだ道にある村々の畑は食い尽くされると思っていい。どれだけ軍隊が多くても維持が出来なければ本末転倒だ。

 これを解消する方法として、裕福な国を侵略し、常に軍隊の食料を略奪に頼ることもできる。敵国が肥沃な土地を多く有している場合は無理にでも大軍を募り、敵に食料を求めることも可能だ。しかしこれは高リスクである。想定通りの食料生産がなかったり、敵が自ら田畑を燃やして焦土戦術にでれば軍隊が飢えてたちまち崩壊するだろう。

 近代から現代にかけては補給物資は後方から届けられるものとなったように思われる。それでも食料などは現地調達が多く、予備や作戦時の食料として軍事糧食を持って行く程度だ。とはいえこの時代になると弾薬や武器の補給のために、補給線が重要となってくる。保持している軍隊にしっかり武器を届けられるのか、考えた上で軍拡は進められなければならない。

 

 ・維持費 軍隊とは当然ながら維持費がかさむ。中世などは傭兵というお金目当ての兵士がメインだったため、多額の金銭が軍隊のために失われた。今後の常備軍、国民軍に至ってもやはり多額の維持費が必要である。貧乏国家が身の丈以上に大きな軍隊を持てば、他のところに綻びが出てしまいかねない。

 

 ・質 中世において、また今でもとりあえず質より量ではある。しかし一人あたり何人を殺せるか、の数字は大抵質によって決まってしまう。またほんの少しの兵器によって戦況が決定付けられることもある。それ即ち大砲だ。大砲が一つでもあるかないかで、敵味方の士気(戦意)に与える影響は甚大である。少なくとも敵対している軍隊と同列の質を確保できるように、訓練と技術革新は重要だ。


 ・ドクトリンに合わせた編成 ドクトリンとは即ち、『基本戦略』である。つまりこの軍隊は、どんな戦い方をするために作っているのか決めなければならない。機動戦をするための軍隊に大砲と歩兵だけを使うなんてことはあり得ない。騎兵や戦車、機械化歩兵が使われる筈だ。もちろんある程度の柔軟性は確保しなければ、基本戦略が破綻した時に負けやすくなってしまう。しかし、自らが得意とする戦法を最もやりやすい編成の軍隊を作ることが勝利への第一歩だ。

 

 ——外交関係を整理する——

 

 第一次世界大戦のオーストリア・ハンガリー帝国にとって、ドイツは良い同盟国だったが、イタリアは良い同盟国ではなかった。 当時独伊澳三国同盟が結ばれていたものの、世界大戦でイタリアは三国同盟を抜けて、敵方として参戦した。

 果たして何故このようなことになったのだろうか。これは前回やった『キツネ型』思考ならば気付きやすい。起こりうることはいつか必ず起こるということだ。

 当時のイタリアの立場に立って考えてみればよく分かる。イタリアは西と東にそれぞれ領土問題を抱えていた。西のフランス(第一次世界大戦でドイツと敵対する)との間にアフリカのチュニジア問題、東のオーストリア帝国との間に未回収のイタリアと呼ばれるダルマチアや南チロル問題だ。当初はドイツの仲介もあってドイツ、イタリア、オーストリアの同盟は成立していた。しかしフランスとの間でチュニジア問題が解決されると、もはやイタリアにフランスと敵対する理由は無くなる。しかし同盟国オーストリアとの間には領土問題が存在するため、裏切るのが当然の帰結であった。

 このように同盟国というのは、相手の利害や立場に立って信頼できる国を選ばなければならない。中近世においては王の人柄や性格が良くも悪くも外交を左右するが、それでも利害が一致する以上に信頼の置ける同盟関係は存在しないのだ。 敵国が自国より強大で同盟国を求めたい場合、同じ相手を敵視しているか、敵国の拡大を恐れている国に同盟を持ちかけるべきである。

 とはいえ同盟を組むことだけが外交ではない。敵国が同盟を組めない状況を作り出すこともまた大切である。外交についても後で詳しくやるが、鉄血宰相として名高いドイツ統一の父、ビスマルクの外交は何よりの手本だろう。ドイツはほとんど全ての列強と勢力均衡のための友好関係を結びながら、フランスだけを関係の外に追いやったのだ。

 

 以上のように、戦争をするためには多くの準備が必要となる。だから始めようと思ってすぐに始められるものではない。また戦争のために軍隊を強化する行為は、今や市場によって簡単にバレてしまう。戦争準備はめったに隠すことが出来ないのだ。隠すことができないのならば、堂々とやれるだけのことをやらなくてはならない。

 中国の兵法書、孫子の兵法から抜粋する。

 

「勝兵は先ず勝ちて而(しか)る後に戦いを求め、敗兵は先ず戦いて而る後に勝ちを求む」


 (勝つ者は、先に勝ってから戦い、負ける者は戦ってから勝とうとする)

 

 勝敗は戦う前に決まっている。現実はそうもいかないが、実際この通りである場合も多い。戦争において何より勝敗を分けるのは準備なのだ。

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