「戦争の理由と原因」

「戦争を起こす理由」

 

 ——何故、戦争は起こるのか——


 戦争が起こる直接の原因はなんなのか。軍事戦略を考える前提として理解する必要がある。

 オーストリアの世界的に有名な経営学者、ピーター・ドラッカーは「戦争とは外交の失敗以外の何物でもない」と言ったが、現実は違う。戦争は一種の外交手段として成立しており、優先的に選ばれることも無くはない。また多くの創作作品の舞台となるであろう中近世には、最終手段としてではなく、「略奪によって軍隊を維持するため」の戦争も盛んに行われた。

 戦争を起こす理由には様々あるが、クラウゼウィッツの『戦争論』に並ぶ名著、ジョミニの『戦略概論』で六種類にまとめられている。

 

「権利の回復・保守(+拡大)」

「国益の維持、防護」

「勢力均衡」

「政治的・宗教的な信条の普及」

「領土の拡大」

「征服欲求の達成」

 

 「権利の回復・保守(+拡大)」を簡単に言うとすれば、「もっとやりたいようにやらせろよ」である。

 具体例としてあげられるのは、『アメリカ独立戦争(アメリカ側)』や『フランス革命戦争(共和派側)』だ。前者は大英帝国による厳しい税金から、英領アメリカ植民地の権利を守ることが目的だった。後者は市民が上流階級から権利を奪取すること、つまり権利の拡大が目的だった。

 このように、選挙権や主権などなんらかの権利の保護、拡大を掲げれば「権利の回復・保守」を目的とした戦争は成立するのだ。

 

「国益の維持・防護」とはつまり、「まだまだこのままでいさせろよ」という意味になる、

 具体例としてあげられるのは、『日中戦争(中国側)』『米墨戦争(メキシコ側)』などだ。前者は日本から中国政府の利益を守るための戦争であり、後者はメキシコがアメリカからテキサスの領土を守るための戦争である。これは多くの場合、他国に宣戦布告された場合に行うこととなる戦争だ。しかし例外もある。例えば『アヘン戦争(イギリス側)』は、清(中国)がイギリスからアヘン、麻薬の輸入をやめたことから始まった戦争だ。つまり現状の変更を行ったのは清であるため、イギリスから宣戦布告したとはいえ、イギリスが国益の維持のために戦ったといえる。立派な「国益の維持・防護」を目的とした戦争となる。

 

「勢力均衡」とはつまり、「出る杭は早めに打つべき」という意味だ。

 具体例としてあげられるのが、『クリミア戦争(英仏)』『朝鮮戦争への中国軍参戦』などである。前者はロシアがオスマントルコに仕掛けた戦争で、当初ロシアの勝利は間違いなかった。さかしロシアがこれ以上勢力を拡大し、列強間での勢力均衡が崩れるのを恐れたイギリスとフランスがオスマン側に立って参戦。最終的には英仏の支援を受けたオスマン帝国が勝利するといった戦争である。

 後者の朝鮮戦争はもともと、北朝鮮が韓国に仕掛けた戦争だった。当初は北朝鮮が遥かに優勢だったものの、ここにアメリカが介入したことで形勢が逆転、北朝鮮は消滅の危機に陥った。しかし朝鮮が自由主義(西側)である韓国に統一され、アジアのパワーバランスが崩れるのを恐れた中国が北朝鮮側に立って義勇軍を派遣。結局戦争は引き分けのまま休戦状態になった。

 これら例を見るように、主に大国同士によって行われ、特別強い国の誕生を阻止しようと行われるのが「勢力均衡」を目的とした戦争だ。

 

「政治的・宗教的な信条の普及」とはつまり、「君たちも〇〇教を信じなさい!」「〇〇主義を採用しなさい!」と相手に強制する戦争だ。

 具体例を挙げるなら『三十年戦争』『マクタン島の戦い』などだろう。前者はプロテスタントとカトリックの宗教戦争である。後者は世界一周と並行してキリスト教を布教しに来たマゼラン一行に対して、「そんな邪教信じてたまるか!」とフィリピンのセブ島王国国民が襲撃を行った事件だ。宗教戦争やイデオロギー戦争といったものは基本的に「政治的・宗教的信条の普及」を目的とした戦争である。

   

「領土の拡大」とはつまり、「そこの土地いまから俺のもんな?」にあたる戦争だ。

 具体例はあげるとキリがないが、征服戦争の殆どがこれにあたる。

 

「征服欲求の達成」は専制国家(国のトップが圧倒的権力を持つ国)において、国王や皇帝の野望として行われる征服戦争のことだ。天下統一を目指した織田信長、オリエント世界を統一したアレクサンダー大王などがこれにあたる。ヒットラーの起こした第二次世界大戦も、ひょっとするとこの分類になるのかもしれない。

 

 

 ——近因と遠因——

 

 戦争の原因は大きく二種類に分けることができる。開戦へ至った直接の原因である「近因」と、本質的な原因である「遠因」だ。

 この二種類の関係は、なにより具体例を並べ立てるとわかりやすい。

 第二次世界大戦の「近因」は、ナチスドイツによるポーランド侵攻である。ドイツがポーランドを攻撃したから英仏はドイツに宣戦を布告し、世界大戦が始まった。 しかし本質的な原因、つまり「遠因」は別にある。代表的な説の一つが、第一次世界大戦での講和条約であるヴェルサイユ条約の厳しさだ。大きな被害を受けたフランスや、イギリスに貸したお金を回収したいアメリカのウォール街により、ドイツに凄まじい額の賠償金が請求された。これがドイツの困窮を招く。困窮した市民はファシズムや共産主義など耳心地の良い思想に傾倒したため、ヒットラーの誕生に繋がり、世界大戦へと繋がったいう理屈だ。

 

 第一次世界の「近因」がオーストリア・ハンガリー帝国の皇太子がセルビアで暗殺されたサラエボ事件にあるのは間違いないだろう。もし事件がなければ、あの時に戦争はなかった。しかしオーストリアとセルビアの間の問題が世界大戦へと発展し、止めどころがなくなったことにはやはり「遠因」がある。

 たとえばオスマン帝国の弱体化は、バルカン半島の諸国が独立するキッカケになった。これはバルカン諸国間での緊張を招くとともに、列強が勢力を広げやすい弱小国家だ誕生したという意味にもなり、南下政策を推進するロシアとオーストリアとの熾烈な勢力争いの場となっていた。 また中央同盟国と三国協商という二大陣営による国際秩序も、戦争の遠因となった。少しでも何処かで戦争が起これば、一挙に陣営同士の大戦が勃発する土台となっていたのだ。この反省として、現在は集団安全保障という「問題起こしたやつを世界で袋叩きにする」制度が国連で採用されている。

 

 以上のように、戦争の原因は一つではない。一見原因に見える出来事も、その更に原因へとさかのぼれば、本質的な原因である「遠因」にたどり着くだろう。創作活動における戦争の原因を考える時、遠因と近因を意識すればより説得力のある開戦が演出できるはずだ。

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