サマーバケーション

青瓢箪

サマーバケーション

「もう終わっちゃったわよ」


 あたしはやっと現れたヨシュアにぶすり、と言った。


「え、もう?」


 登場したヨシュアは目を見開いて丸くする。


「なにやってんのよ! 花火は20時からだって言ったでしょ! 今、何時だと思ってるのよ!」

「そうか……ごめん」


 21時をとうに過ぎた湖畔のフェスティバルは、人が減り始めていて先程まで漂っていたワクワクお祭り感もガタ落ち。虚しさ極まりないわよ。


「ずっと待ってたわよ。一人で花火見ながらね!」


 癇癪を起こして私は怒鳴る。

 かき氷やフランクフルト、綿あめを食べながら一人でポツンとベンチに座ってた。カップルたちが仲良く手を繋いだり、腕を組んで歩いているのを横目で羨ましく見ながらね。


 ヨシュアはキョロキョロと周囲を見回して、遠慮がちに申し出た。


「まだ、夜店はやってるし……何か食べる? お嬢」

「要らないわよ! 待ちながら食べたから、もうお腹いっぱいよ」


 吐き捨てて、あたしはベンチから立ち上がった。


「帰るわ」


 勢いよく歩き出すと


「バス亭まで送るよ」


 ヨシュアは大人しくついてきた。

 あたしはズンズンと先を歩く。


 なんなのよ。せっかく楽しみにしてたのに。せっかくのデートだったのに。

 湖畔のホテルで皿洗いバイトをしているヨシュアの方から「フェスティバルに行って花火を見よう」と誘ってきたのに。

 これじゃ全く意味が無いじゃない。

 あたしは少し涙ぐんで下くちびるを噛んだ。


 ビンボー勤労中学生のヨシュアは夏休み中ずっと泊り込みアルバイト。

 クラスの女子たちがきゃあきゃあ遊んだり、彼氏とデートしている夏休みにヨシュアはフリーの時間が全くない。

 付き合ってるカップルのように、あたしもあなたと少しはデートみたいなことをしたかったのよ。

 いいえ、あなたにも夏を楽しんで欲しかったの。

 あたしはそれなりにいつも楽しんでいるのに。

 あなたは夏休み中、いつも働いてばっかり。


「お嬢、せっかくだったのに、ごめんね」

「全くよ!」


 横に並んだヨシュアを怒鳴りながら見上げて、あたしは気づく。

 バイト上がりに来たにしては、黒髪もサラサラで顔もテカってなくて、なんだかこざっぱりしている。ほのかに漂う石鹸の香りにあたしは眉を吊り上げた。


「もしかしてシャワー浴びてから来たの?」

「うん」

「何してんのよ! そんなことしてたら間に合うわけないでしょ!」


 ヨシュアの口からはミントの香りもして、あたしは更に腹が立った。

 歯も磨いてきたわけ?


「そのまま来ればいいじゃない! だから、花火に間に合わなかったんでしょ!」

「ええー……だって、オレ、バイト終わった後すげえよ? ひどいよ? ぞうきんみたいな匂いするよ?」


 困ったように告げるヨシュアにあたしはカッとした。


「構わないわよ! あたし、あなたの汗のにおい好きだもの!」


 大きな声で言っちゃった私に、周囲の視線がババっと一気に集まる。

 しまったわ。


「お嬢。ちょっとそれ。なんか恥ずかしい」


 周りを気にしながらヨシュアが顔を赤くして目を伏せた。

 言った直後から後悔してヨシュアよりも赤くなったあたしだったけど、やけくそで続けた。


「ま、マドモアゼルも言ってたじゃない。あなたの汗のにおいが好みだって。あたしだけじゃないわ」

「うん。……でも、アレは蚊の言葉だし」


 あたしは誤魔化すようにまたサッサと歩き出した。ヨシュアは歩調を早めることもなく、ゆっくりとついてくる。


 汗臭さなんかあたしはどうだっていいわよ。少しくらい臭くたって、あなたと少しでも一緒に花火を見上げることの方があたしには重要だったの。


 楽しみにしてたのに。

 だってあなたと夏休みに会えたのはこれが最初だったんだもの。夏休みももう終わりよ。


 また涙がこみ上げてきてあたしは必死で我慢した。


「ねえ。お嬢」

「何よ!」


 ためらいがちに声をかけてくるヨシュアにあたしは振り返らずに返事した。


「折角だから、湖の周り散歩してから帰ろうよ」


 いやよ、と言いかけて、あたしはその言葉をのんだ。折角ヨシュアと会えたのに、このまま帰路につくだけなんて確かに味気ないかもしれない。


「良いわよ。バスの時間もあるし少しだけね」


 振り向いて、綺麗に舗装された街灯の多い湖畔コースの方向に当然のように足を進めたあたしに


「ええと。オレ、こっちの方がいいかな」


 と、ヨシュアが違う方向を指した。

 指の先は、明らかに暗くて草が生い茂っている山道コース。


「嫌よ、 あんな道。蚊に刺されに行くようなもんじゃない」

「オレ、こっちがいい」


 ヨシュアがあたしの手を取り、引っ張った。


「ね? 行こうよ、お嬢」


 仕方なくあたしはヨシュアに従った。

 握ったヨシュアの手が夏休み前よりなんだか大きくなってるようであたしは少しドキドキした。

 相変わらず、手がガサガサね。水仕事で更に荒れがひどくなったみたい。


 早速、耳元で唸るか細い蚊の羽音にあたしは軽く首を振った。


「ああ、もうイヤ。あたし、最近は蚊が叩けなくなっちゃったの。振り払うのも気が引けちゃうのよね。もしかして、マドモアゼルの子孫かもしれないかと思うと」

「オレも。同じ。同じ。蚊に吸われるに任せてるよ。ホテルの部屋掃除も蜘蛛のイチローの子孫かもしれないと思うと慎重になって早く出来なくてさ。仕事が遅い、て怒られて困る」


 あたしたちの知り合いであるマドモアゼルとイチローはマドモアゼル蜘蛛イチロー。二匹はただの虫なんだけど、神の眷属に選ばれたおかげで何十年も生きていて、人のように言葉を話すことが出来るの。それだけでやっぱり、ただの虫とは思えなくて、彼らの子孫にも気兼ねしちゃうのよね。


「マドモアゼルはこの間、またドバーッと大量出産したって言ってたし、イチローは88人目の幼妻さんに卵産ませたって言ってたな」

「近くにいる蚊が全てマドモアゼルの娘のような気がしてきたわ。……それにしてもイチローはいい年でしょ。どうして年甲斐もなくいつも若い女の子ばかり狙うのよ。恥ずかしいわね」

「それは理由があってさ。別に若い女の子が好きなわけじゃないらしいよ。熟女だったら、交尾した後に襲われて食われそうになるんだって。若い女の子ならその危険性は無いんだって」

「ふーん」


 あたしたち、なんて会話してるのかしら。


 蜘蛛の巣に顔を突っ込みそうになったあたしをあわててヨシュアが手を出して寸前で止めた。


「だから、こんな道イヤなのよ。虫だらけ」

「ごめん。でも、お嬢に教えたいものがあってさ」


 ヨシュアは言って、この先、と指差した。


「この前、見つけたんだ。昔の石碑」

「石碑?」

「お嬢、古いの好きだよね」


 あたしはこの島に点在する歌の刻み込まれた石碑を巡るのが結構、好きなの。

 古代のロマンを感じるのよね。恋の歌が多いし。


「ここにもあるなんて知らなかったわ」

「だろ。そうだと思った」


 ヨシュアが地面から出ている丸い石を指した。


「これ」


 よく見つけたわね。

 この島には古い石碑が沢山あって毎年発見されるけど、これは発見済みの石碑なのかしら。


「古代字が書いてあるね。読める? お嬢」

「わかんないわ。撮って後で調べてみる」


 あたしはしゃがみこんでスマホで石の前面を撮った。長年の風にさらされて、刻まれた文字の凸凹が浅くなってるから解読が必要かもしれないわね。あたしは少しワクワクした。


「お嬢楽しそうだよね。こういうの」


 頭上から降ってきた声に見上げるとヨシュアが微笑んであたしを見下ろしていた。


「レキジョ? って言うんだっけ」

「知的好奇心が刺激されるのよ」


 立ち上がってヨシュアの前で胸を張ると、ヨシュアがあたしの髪に手を伸ばした。


「お嬢がそういう顔してるの、見るの好き」


 おでこを撫でて、ヨシュアの手があたしの耳に触れた。


 ……これって、この後、やっぱりそういうことになるのかしら。

 あたしは硬直した。

 周囲には誰もいないし、暗い。


 やっぱり、やっぱり、クラスで付き合ってる子たちってのはキスは済ませたって話がほとんどだし。

 ヨシュアとあたしは付き合って結構経つし、やっぱりやっぱりやっぱりやっぱり……。


 ヨシュアの顔が近づいてきて、あたしは目をぎゅっと閉じた。

 温かな肉があたしの唇に押し付けられるのを感じる。


 映画とかでは、こういうとき、女の子のあたしの片足が跳ねたりするんだけど。

 そんなことはなく。


 キ、キスってこんなものなのね。

 ……ふ、ふーん。こんな感じ。


 あたしは硬直したまま、ゆっくり目を開けた。

 別に世界に星が舞ったりなんかしないわね。

 ヨシュアがあたしから顔を離した。


「好きだよ、お嬢」

「は、はい」


 あたしは頷いた。


「ごめんね。今日、遅れて。でもお嬢と会えてすごく嬉しいよ」

「う、うん」

「すごくお嬢と会いたかった。他の奴らはみんなデートしてんのにさ。オレもお嬢とプールとか行きたいよ。お嬢の水着姿とか見たい」

「はい」

「夏が終わって涼しくなっちゃってもさ。温水市民プールにオレと行ってくれる?」

「は、はい」

「良かった」


 ヨシュアが嬉しそうに笑って、あたしの手を握った。


「今日、お嬢とキスするって決めてたんだよ。そう考えるとなんだか緊張してさ、身体何回も洗って。歯も何度も磨いた。だから、遅れて。ごめん」

「も、もういいわよ」

「ありがとう」


 ヨシュアがあたしの手を握ったまま、歩き出した。あたしも手を握り返し、ついていく。

 なんだかちょっと恥ずかしいわね。


「あ、貴方がそんなこと考えてたなんて思ってもみなかった」

「なんで? お嬢はプロセスについて考えないの?」


プ、プロセス?


「あ、貴方に会いたいとしか考えなかったわ」

「じゃあ、考えようよ。次のステージはどれくらい? 三カ月後ぐらいでいいかな」


 次ってなんのことよ!


「だ、だめよ! まだまだそんなの!」

「えー、じゃあ半年後ぐらい?」

「ダメよ、もっともっと後! 大人になってからよ!」

「お嬢って慎重なんだね……まだまだ先じゃん」


 ち、と微かにヨシュアが舌を鳴らした。


「貴方、そんな事ずっと考えてたの?」

「考えてたよ。お嬢は考えない? 今日だって、ホントはディープキスまでいきたかったんだけどさ。その先もいけそうならいけるとこまでいくつもりだったんだけど」


 い、いいいいきなり? そこまで!?

 ……コワッ……怖っ!


「とにかくダメよ! まだまだもっと後で!」

「ちぇー」


 ヨシュアが不服そうに呟いた時だった。


 ドンッ!


 さっきまで聞き慣れた発射音がして。

 振り返ると背後の夜空に光の花が咲き開いた。

 少し遅れて、お腹に響く爆発音が辺りに飛び散る。


「フェスティバルの最後の合図かな。良かったね、お嬢」

「……ええ」


 あたしは続けて何発か上がる花火にうっとりとして応えた。


「あたし、貴方と花火が見たかったの。すごく嬉しい」


 ヨシュアの手を握りしめて、あたしは満足だった。


「うん、綺麗だね」


 横に立つヨシュアの横顔も綺麗で、あたしは花火じゃなくてヨシュアを見上げた。


 どうしてそんな気が起こったのかわからないけど。

 諦めていた花火をヨシュアと見ることが出来たから感動していたのかも。

 それとも、始めてのファーストキスで舞い上がっていたのかもしれない。

 あたしはヨシュアからそっと手を離して、ブラウスのボタンに手を移動した。


 上から四つボタンを外して。

 前合わせを開いて少し肩を出して。

 あたしはヨシュアに呼びかけた。


「ヨシュア」


 夜空からあたしに目を移したヨシュアは、たちまち目を見開いてあたしのブラウスの間を直視した。


 夜空はフィナーレの花火だったけど、あたしもヨシュアも花火は見ていなかった。

 連続した爆発音の後は、急に音が鳴り止んで。

 静寂と同時にあたしはサッとブラウスを閉じて素早くボタンを留め始めた。


「え、え、ちょっと待って、もう少し、お嬢!」

「ダメよ、もう終わり!」


 あわてたように引き止めるヨシュアに拒否したそばからあたしは猛烈に恥ずかしくなって後悔し始めた。


「まだしっかり見てないよ。覚えるまで見てない」

「覚えなくていいわよ!」


 ボタンを留め終えて、あたしはくるりと反転した。


「か、帰るわよ!」


 ああ。恥ずかしい。なんでこんなことしちゃったのかしら。


「嬉しいけど。ビックリしたよ。どうしたの、お嬢」

「あ、貴方が水着が見たいって言うからよ!」


 あたしはまくし立てた。


「水着と同じようなものでしょ!」


 そうよ。水着とどこが違うのよ。同じことじゃない。


「ううん。水着とは全然、違うよ。お嬢。すげえ可愛かったよ」


 追いついたヨシュアはあたしの手を取って握りしめた。俯いて、ぼそりと小さな声で続ける。


「すげえ可愛いかったよ……ミントグリーンに……ピンクの小花の縁取りの4分の3カップ」


 しっかり覚えてんじゃないのよ。嘘つき。


「ありがとう。お嬢。これから、ずっと思い出すよ」

「き、気持ち悪いからやめてよ!」

「オレ、今日嬉しすぎて眠れないかも」

「寝なさいよ! 明日も早いんでしょ!」


 しまったわ。

 とんでもないことをしてしまったような気がする。

 少し、ヨシュアに喜んで欲しいと思ったのよ。それだけよ。

 衝動的にしてしまったの。


 夜とフェスティバルの空気と、花火のせいで。

 あたしは少し感覚がおかしくなっちゃったのかもしれない。


「お嬢、好きだよ」

「あたしもよ!」


 顔をゆでだこのように真っ赤にして。

 あたしはこれから先もこのような衝動に度々駆られることを予感して。

 気をつけよう、と心に誓った。



















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