波乱の予感


 女王陛下と後嗣殿下との謁見が終わったあと。

 はく月影げつえいたち後嗣許婚候補は、礼部の官吏に連れられて、大極殿前の広場を後にした。

 官吏に指示されたように、蟻の行列よろしく、一列になって歩く。その姿は、どこか母鴨の後を追いかける子鴨のように微笑ましかった。

 一行は、王宮を抜け、女王を始めとする黄王家の方々の私的な御座所である奥ノ宮の方に向かった。

「ねえ、月影。私たちは、どこに行くのかな?」

 月影のすぐ後ろを歩いていた青柳桂が、こっそりと尋ねる。

 その問いに、月影は声を潜めながら、答えた。

「…………わからない。でも、どこかの宮殿ではないかな?」

「宮殿、か…………。この方角だと、奥ノ宮か、離宮のどちらかだと思うな」

 実は柳桂は、宮城や王宮、奥ノ宮がどこにあるか、正確に覚えていた。柳桂自身、一度も王都自体に来たことはなかったが、当主の息子であったため、情報は比較的簡単に手に入ったのである。

「ふぅん…………。そうなんだ………」

 月影は、感心したようにつぶやいた。あまりきょろきょろとしないように心掛けてながらも、辺りを観察する。

 すると。

 行列の先頭を行っていた官吏が、ふいに立ち止まった。

 勝手に話していたことを咎められると思った月影と柳桂は、肩を縮こませる。

 しかし、それは杞憂に終わった。

「みなさま。早朝から大変お疲れだと思いますが、これから向かいます奥ノ宮の離宮の一つ、桂花けいかきゅうで、ちょう礼部れいぶ尚書しょうしょ(長官のこと)からのご挨拶がございます。昼餉は、もう少しお待ちください」

「はいっ! 一つ言ってもいいですか」

 ここで突然、手を上げる少年がいた。

「は、はい…………。ど、どうぞ」

 官吏は、面食いながらも是、と言う。

 その対応に、少年は、調子に乗ったように話し始めた。

「朝っぱらからこれだけ歩かせておいて、休息の一つも与えてもらえないのですか? さすがに横暴だと思いま――す!」

 その言葉に、一行の少年たちがみな、後ろを振り返る。

「ええっとそれは…………」

 案内人の官吏が、困惑したように口ごもった。まさか、そんなことを言われるとは、まったく思っていなかったらしい。

 さも当然といった風にふんぞり返っている少年を見た柳桂は、面倒臭そうに顔をしかめた。

「どうしたの?」

 月影は、柳桂の方を見て、不思議そうに尋ねる。

 柳桂は、あからさまに言うのははばかれたのか、月影の左耳にそっと耳打ちした。

げん家の我がまま坊ちゃんだよ。まったく…………なんでこんなやっかいな者を、あの家はよこして来たんだか………」

「玄家………?」

 月影はもう一度、くだんの少年の方を見た。

 彼の纏う服の色は、黒。つまり、正真正銘の玄家の子息だ。でも、それの何が問題なのだろうか?

「柳桂。それが一体どうしたの?」

「どうしたもこうしたもないよ。玄家は、昔から無駄に矜持が高い。それは、天海山もかくやというほどさ。だから正直、あんまり期待はしていなかったんだけど………」

 そう言って、もはや嫌そうな表情を隠すことなく例の少年の方を見る柳桂。

 そこでは、応対するかわいそうな案内役の官吏の姿があった。それはまるで、大したことでもないのに文句を言う迷惑千万の客の苦情処理に負われている、商家の店員さんのようである。

 悪いことに、その官吏があいまいな態度を取り続けているため、かの少年はますます無茶な要求を繰り返している。これではいつまでも経っても収拾がつきそうにない。

 早く桂花宮に行きたかった月影は、仕方なく助け船を出してあげることにした。

「あのう………。これ以上、騒ぎ立てるのはやめましょう。第一人をお待たせしているのです、早く行かないと失礼になりますよ」

「なんだとおまえ、どこのどいつだ?」

 案の定、少年にぎろりと睨まれた月影は、臆することなく名乗った。

「わたしの名は、珀月影。四斎家が一つ、珀家から参りました。どうぞ、よろしくお願いいたします」

 そう言って、拱手をする。自儘で勝手に騒いでいる人間相手としては最大の敬意を払った月影に、その少年はふん、と鼻で笑った。

「部外者が、口をはさむんじゃねえ。これは、俺とこいつとの問題なんだ。黙っていろ」

「そういうわけにもいかないな。月影は、私の友だから。それに、この官吏の対応に文句を言うことはすなわち、女王陛下のお計らいに文句を言うことと同じだよ」

 ここで、柳桂が月影に助太刀するような形で話に入ってきた。どうやら柳桂も、かなり頭に来ていたらしい。(多分)初対面の相手であろうに、敬意の一つも見せない。

「なんでだ?」

 その少年は、女王陛下の名を出されたためか、少しこちらの話を聞く気になったのかもしれない。

 そんな絶好の機会を逃さないように、柳桂は一気に畳みかけた。

「そんなこと、簡単さ。彼は女王陛下と国に仕える官吏だろう? それに、今回の後嗣許婚選びノ試しの運営の責任者の一人はおそらく、礼部尚書さまだ。そんなお忙しいお方を――――選考にも参加なさるかもしれないお方を、いつまでもお待たせするのかい? 君だけじゃなくて、私たちの評点も下がる。――――――――巻き込まないで、欲しいな」

 最後の言葉は、一瞬で空気が凍るほどの凄みがあった。季節は夏に近いというのに、雪がこんもり積もった冬山にいるような気分だ。

 柳桂と少年の睨み合いが、数拍……いや、数十拍ほど続いただろうか。

 先に目をそらしたのは、少年の方だった。

「………………わかった。ほら、行くぞ。案内しろ」

 少年は、同族と思われる一人の少年についてくるように促す。まるでお付きのようなその少年は、月影たちの前を通り過ぎるときに、かなり申し訳なさそうに頭を下げた。

 騒いでいた張本人はというと、案内役の官吏に先導させながらも、月影たちの前の方に行ってしまった。

 すれ違いざまに、彼はちっ、と舌打ちをする。

 それを、ただ黙って見送った月影と柳桂であった。



 波乱の予感がした。


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