カウント・セブン

アサミ

12月21日

プロローグ

○十二月二十一日


 十二月二十一日、土曜日。

駅の傍にあるスクランブル交差点は、クリスマス前の休日ということもあり、普段以上にごった返していた。言わずもがな若い男女の二人組が多い。


 かくいう私も、ごった返しを形成する一人なわけで、まるで一つの大きな生き物になったような気持ちになりながら人の波とともに目的地へと進む。


押しつ押されつされながらのろのろと進んでいると、スマホがブーンと震えて着信を告げた。


ここに来る途中、電車の中でバイブレーション機能をオンにしておいて正解だった。この人ごみでは着信音はろくに聞き取れなかっただろう。


画面には今日待ち合わせをしている彼の名前が表示されている。私は素早く右から左へスワイプしてスマホを耳に当てた。喧騒の中で聞こえた彼の声は途切れ途切れだったけれど、同じ交差点にいることをなんとか聞き取る。


 爪先立ちになって背伸びをしながら周囲をくるりと見回すと、横断歩道越しに、私と同じようにスマホを耳に当て、私を探している彼の姿が見えた。


「こっちからは見えたよ。いま横断歩道のところにいる」


スマホでそう告げれば、彼もすぐに私の姿に気づいて、ふ、と柔らかい笑みを浮かべながら軽く手を振ってくれる。


 そんな些細な、なんてことのない仕草なのに、私の胸にはきゅっと締め付けられるような甘い痛みが走った。彼が私を認識してくれているというそれだけで、私の世界は鮮やかに色づいていく。


 丁度信号が赤に切り替わってしまう。私ははやる気持ちを抑えながら信号が青になるのを待った。


(はやく、はやく彼に会いたい)


 甘酸っぱい気持ちで胸が満たされる。自分のこと以外で頭がいっぱいになるなんて、つくづく不便な感情だと思っていたけれど、今ではその不便さすらも愛おしいと思えた。


 カチリ、不意に私の頭上で何かが動いた音がして、私は向こう側に見えている彼から、ふと視線を外す。音の正体はからくり時計台の長針が動く音だった。時計は午前十一時を指し示している。


 続いてカラカラと、時計台内部のからくりが駆動する音が聞こえてきた。オルゴール調の「くるみ割り人形」が流れ、時計台の文字盤の一部がパカッと外側に開く。そして中から、小さなおもちゃの兵隊が三人出てきた。


年季が入っている時計だから遠目に見ても人形の汚れや経年劣化はわかってしまうが、自分の老いなんてちっとも気にせずに、兵隊はせかせかと踊る。


 兵隊の踊りをぼんやり見ているうちに、信号が青になり前の人が歩き始めた。


(私も行かなくちゃ)


 時計台から視線を前方へと戻し、横断歩道を渡って彼の方へと歩んでいく。小走りで行けば彼への好意が駄々漏れてしまう気がして、私は平静を装うためにゆっくりと歩いた。


 ただどうしても、彼に近づくにつれて表情は笑顔になってしまうので、ゆっくり歩くことにどれほどの意味があるのかは推して知るべしである。


 そんな私の気持ちをきっと知らないであろう鈍感な彼は、いつも通りの、のんびりとした歩調で私の方へ歩んでくる。口が裂けても言えないが、彼のその歩き方も好きだった。


 あと数歩で彼と合流する。……その瞬間、けたたましいクラクションの音が鳴り響いた。


(え……)


 振り向けば、私もふくめ人の行き交う交差点に向かってハンドルを切り損ねたらしいトラックが突っ込んでくる。


 人々は、悲鳴や怒号をあげながら散り散りになるが、とっさのことで何も反応ができない人もいた。私もその一人だった。


 そんな私の体を、誰かが歩道へ向かって強く突き飛ばす。


「……っ!」


あまりに強い勢いに尻餅をついた私の前すれすれをトラックは押し進み、私を助けた人物を轢いて乗り上げ、ようやく止まった。


「ナ、ナギサくん……?」


 私を突き飛ばし助けてくれた、待ち合わせをしていた彼の変わり果てた体に、私は震える手を伸ばした。

 彼に自分から触れるなんて平時はとてもできないのに、今はそうしなければならないと思った。伸ばした手が触れたナギサくんは温かかった。

 広がる血溜まりは生ぬるくベタついて、鉄の匂いは私の鼻孔をぐっと突き上げた。



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