第一章 二度目の高校生活③

 さすがに晩飯は食えないな。

 家に帰って母さんにそう声をかけようとした時だった。「おかえり」と玄関先で出迎えてくれた母さんが変なことを言ったのだ。

「あんた、部屋に友達とおしておいたからね」

「友達?」

 あいにく僕には家を知っているような人も、わざわざ部屋に招くような仲の人もいない。それなのにどうして友達なんて、と若干恐怖を覚えた。

「借りたもの返したいって。坊主頭のちっちゃい子が」

 そこまで言われて、やっと健ちゃんだとわかった。急いで階段を上がって部屋へと向かった。

 バンッと音をたててドアを開けると、本当に坊主頭の健ちゃんがいた。

「おーわたるっち! おかえりおかえりー」

「お邪魔してるよー」と健ちゃんが図々しく僕のベッドに寝転がりながら言う。その手元には、僕の本棚にあるはずの漫画があって、なんかすごく嫌な気持ちになった。

「健ちゃんなんでいるの。てか、なんで僕の家を知ってるの」

「まーそんな細かいこと気にすんなよ」

「細かいことって、プライバシーの問題だよ!」

 わりと本気で怒っているのに、健ちゃんは全く気にしない様子で、八重歯を見せて笑う。一度も家に帰っていないのか、制服姿のままの健ちゃんが、ズボンのポケットから僕が貸した消しゴムを取り出した。

「これ、さんきゅーな。今日ほんと助かったよ」

 こんなの明日でいいじゃんって言いたかったけど、なんかもう面倒だからやめた。ため息をつきながら、制服からスウェットに着替える。目的は果たしたはずなのに、健ちゃんは再び僕のベッドの上に戻って漫画を読み始めた。――まだ帰る気はないみたいだ。

「健ちゃん、いつ帰るの」

「ん? んー……まあ、そのうち?」

 ひとの部屋に勝手に上がりこんでおいて、なにが「そのうち?」だ。気の利かない健ちゃんに対して、腹立たしい気持ちがどんどん溜まっていく。とりあえず怒りの逃げ道として、フーッと口から息を吐き出した。その様子を見て、健ちゃんがなにかを勘違いする。

「なに? わたるっち、ため息なんてついて。悩みでもあんの?」

 あまりにものんきな発言に、さすがに息を吐くだけじゃ足りなくなった。

「ため息じゃないよ。健ちゃんがさっさと帰ってくんないかなって、あきれてんの。人の部屋に勝手に上がり込んで、勝手に人のもの物色して漫画読んで……すごい嫌な気持ちになってんの」

 頭を掻いてそう言ったら、健ちゃんがものすごい勢いでベッドから起き上がる。それまで楽しそうに読んでいた漫画を本棚の元の位置に戻して、健ちゃんが僕の前に立った。

「ごめん! オレ、気づかなくて……」

 健ちゃんのその慌てように僕が驚いてしまった。どうやら健ちゃんは本当に、僕が迷惑がっていたことに気づいていなかったらしい。

「今すぐ帰るよ。ほんと、ごめん」

 健ちゃんが申し訳なさそうに部屋のドアに手を掛ける。なんだか、僕の方が申し訳ない気持ちになってくる。

「消しゴム本当にありがとうな。あ、あと、ほんと悩みとかあったら聞くから」

 それじゃ、と足早に部屋を出て行こうとする健ちゃんを、

「待って」

 と、なぜか呼び止めた。

 特に話すことはない。ただ、なんとなくこのまま別れてしまったらいけない気がした。少なくとも、健ちゃんの幸せにはならないと思った。

「悩み、というか、聞きたいこと、ある」

 健ちゃんが首を傾げる。

 空っぽの頭を揺さぶって、

「健ちゃんにとっての幸せって、なに?」

 とっさに出た言葉が、それだった。僕はもう、腕のいい医者を紹介されるかも、とかそんなことを考える余裕はなかった。

 部屋のドアに手を掛けたままの健ちゃんは、不思議そうに、だけど真剣な表情で僕の質問について考えているようだった。そして、いつものように八重歯を見せて笑う。

「今、かな」

 シンプルにそう言った。

「オレ、高校生って初めてだし、今みたいに友達ん家に来て話すっていうのも、すげー青春っぽくていいなって。だから今が、スゲー幸せ……って、なんだこれ。はっず。急にどうしたんだよ、わたるっち」

 鼻の下を触って、健ちゃんがはにかむ。

「ただ聞いてみただけだよ」

「変なヤツ」

 健ちゃんはそのまま「じゃーな」と言って、部屋を出ていった。

 気まずさが消えたかどうかは、正直わからなかった。


 翌日、昨日のことが気がかりで、学校に行くのが少し怖かった。教室に入ったら、もう健ちゃんがいて、僕は目が合ったのにあいさつするのを少しためらった。

 だけど、健ちゃんはいつものように笑ってくれた。

「おっす、わたるっち」

 健ちゃんのその様子があまりにもいつも通りで、僕は拍子抜けした。

 気まずいと思っていたのは僕だけだったのか。

 ――きっと一晩中悩んだのも僕だけなんだろうな。

 そう思ったら、急にバカらしくなって笑えた。

「おはよう、健ちゃん」

 今まではわからなかったけど、きっとこれが友達なんだと思う。これでいいんだと思う。

「なーに笑ってんだよ」

「うるさいな。なんでもないよ」

 二度目の高校生活――僕は、一度目とは全く別の毎日を歩みはじめた。

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