第3話

 おじさんは得意そうに胸を張って、しっかりとガマの背の上に立っている。

「例えばこのガマ! なんとこいつはただのガマじゃねえ、古くからの忍術を研究し、さらに最新のバイオ技術を駆使して作り上げた……そうだな、お前たちちびっこにもわかるように言うなら、キメラってやつだ」

 バリン、ボキンと、骨の動く音がした。ガマの背中が大きく裂け、おじさんが立っているちょうど足元から、大きな羽がにゅぅっと生えた。

「つまりこのガマには、いろんな動物の遺伝子が組み込んである。この羽はそら、コウモリにそっくりだろう? それだけじゃないぜぇ」

 さらにゴリゴリと音を立てて、ガマの背中が膨れ上がる。

「さらにゾウの固い皮、ゴリラの筋力、ウサギの跳躍力……そういうもんを全部混ぜ合わせた結果、こいつは本物の怪獣になった」

 ガマは、もはや元の姿など少しも残っていない。後ろ二足で立ち上がり、背中に羽をはやしたイボだらけの大きな怪物が、そこにいる。

「姉ちゃん、やばいよ! 逃げよう!」

 孝蔵はそう言ったけれど、しのぶはクナイを構えたまま、ガマをにらみつけて動こうとはしなかった。

「孝蔵! ここは私にまかせて、あんたはみんなを避難させて!」

「無理だよ、姉ちゃん!」

「無理でも! 私が戦わなかったら、みんなやられちゃうでしょ!」

 おじさんがパチパチと拍手する。

「おお~、かっこいいね、お嬢ちゃん」

 だけど顔はニヤニヤ笑っていて、あれは絶対に「かっこいい」なんて思っていない。しのぶをバカにしているのだ。

 それでもしのぶは揺らぐことなく両足を踏ん張って、クナイをキュッと握りしめた。

 おじさんの楽しそうな声。

「そんな小さなクナイだけで、何をする気かな?」

「クナイだけじゃない! 手裏剣もあるし!」

「そんなものが、ゾウの皮膚を持つこのガマにきくものかよ」

 おじさんがからからと笑った。

 しのぶは……すでに覚悟を決めている。

(孝蔵たちが逃げる間……その間だけ時間をかせげれば!)

 しゅっしゅっとクナイを動かして、しのぶは空中に星の形を描いた。

「忍法、『百花繚乱』!」

 そのまま星を突くようにクナイを押し出せば、ガマの鼻先に花が咲く。それはふわりと小さい梅の花だった。

 その梅の花がポンと弾けて、あたり一面が花畑に変わる。

 桜、バラ、チューリップ、コスモス……ありとあらゆる花があふれて、ガマと自来也の目をふさぐ。これは催眠術で幻の花を見せる忍術だが、敵の目をくらませるにはとても有効だ。

「今だよ、孝蔵、逃げて!」

 しのぶは叫ぶ。しかし自来也は少しも慌てることなく、からりと笑った。

「無駄無駄!」

 それから人差し指と中指を宙に向け、しのぶが描いた星を消すように星形を描く。

「忍法『豪覇顕洛ごうはけいらくの術』!」

 強い風が――これも幻覚だが、それがあれほど咲き乱れていた花を全て空へと巻き上げた。

 をした。花々は空までは届かず、途中で砕けて消えた。鼻に隠れて逃げようとしていた孝蔵と子供たちの姿が丸見えになってしまった。

「はっはっは、そんな古臭い忍術、きかぬわ!」

 高笑いするおじさんの顔が憎らしくて、しのぶはきゅっと唇をかむ。

「こうなったら……」

 たとえ勝てなくても、戦うしかない。武器はクナイと手裏剣しかないし、きっとあの怪獣は倒せないけど……怪獣を操っているおじさんを倒すことができれば、もしかして!

「孝蔵、逃げるのは中止! 戦うよ!」

 しのぶはクナイを握りなおして構えた。

 孝蔵はポケットから手裏剣を取り出して構える。

「オーケー、姉ちゃん、こっちは任せて!」

 孝蔵は大きくとんで、怪獣の右側に回りこんだ。

「ぐ……げ……」

 孝蔵をたたきつぶそうと右を向く怪獣の左側へ、クナイを構えたしのぶが飛び込む。

「もらったぁ!」

 気合の声をあげて、しのぶはクナイを投げた。普通のナイフと違って、忍者用のクナイは少し大きな手裏剣として投げて使うこともできるのだ。

 クナイは風を切って、怪物の背中めがけて飛んで行った。このまままっすぐ進めば、間違いなく怪物を操るおじさんのおでこにあたるはず。

 しかし、おじさんも忍者、クナイの動きよりも早く腕を振る。

「あっ!」

 パシンと音がして、クナイははじき返されてしまった。

「ふは、ふはははは! なかなかの手練れ、しかし所詮は子供! 伝説の忍者『自来也』サマに勝とうなんざ、一億年早い!」

 おじさんがトンと足踏みすると、怪物はくるりと向きを変えてしのぶの目の前で大きく口を開いた。

「お嬢ちゃんにはこいつのオヤツになってもらおう。怨むんなら、弱い自分をうらみなよ」

 怪物が長くてブヨブヨした舌を出して、じゅるりと舌なめずりをした。

(もうダメだ……)

 きっと怪物は自分を食べた後、孝蔵のことも食べてしまうだろうと、しのぶは思った。孝蔵だけじゃなくて、逃げ遅れて震えている子供たちも、手当たり次第に食べてしまうかもしれない。

(私は、忍者なのに……)

 誰一人助けることができない、それが悔しかった。自分が食べられてしまうかもしれない怖さよりも強く、悔しくて悔しくて仕方なかった。

 だけどもう、クナイは弾かれて遠くに飛んでしまった。しのぶが一番得意な幻術、『百花繚乱』も破られてしまった。

 もっとすごい忍術を出しても、このおじさんには効かないだろう。

 しのぶは悔しくてポロポロと涙をこぼした。泣き声を出さないように歯を食いしばって、それでも目からこぼれる涙を止めることはできなかった。

 これを見たおじさんは、しのぶが可哀想になったのか、片手をあげて怪物の動きを止めた。

「おいおい、お嬢ちゃん忍者なのに死ぬのが怖いのかい、半人前だなあ」

 違う、しのぶが泣いているのは怖いからじゃない。ここで自分が食べられても、孝蔵や他の子たちが助かるのなら、ちっとも怖くなんかない。

 だからしのぶは首を横に振った。

「なんだあ、死ぬのは怖くない? じゃあ何で泣いて……」

 おじさんが突然、言葉を飲んで空を見上げた。しのぶも釣られて空を見上げた。

 どこか遠くから、ヘリコプターが跳ぶ「バラバラバラ」という音が聞こえてくる。

 おじさんはすごく怖い顔をして、「ちっ」と舌打ちした。

「何者だ?」

 しのぶは何が起きたのかわからずに、じーっと空を眺めていた。バララ、バラバラとヘリコプターの音はどんどん近づいてくる。

 ついにぶわっと巻き上がる風と共に、ヘリコプターがしのぶたちのすぐ頭の上に現れた。そこから、マイクでしゃべっている声が。

『こら~、そこの気持ち悪いおじさん! 今すぐにみんなを解放しなさい! しないとおしおきしちゃうからね!』

 まだ子供の――しのぶと同じ年ぐらいの女の子の声だ。

 怪物の背中の上で、おじさんが叫んだ。

「この自来也サマにおしおきたあ、できるもんならやってもらおうじゃぁねえか!」

『へえ、じゃあ、いっくよ~』

 女の子の声とともに、ヘリコプターから誰かが飛び降りた。それは忍者の服を着て、忍者の覆面で顔を隠した女の子だった。

「あ、危ない!」

 しのぶは叫んだ。女の子はパラシュートをつけていない。このままでは真っ逆さまに地面に落ちてしまう。

 だけど女の子は、とても落ち着いた声で言った。

「現代忍法『ムササビの術』」

 小さな電子音がして、女の子の忍者服が大きく膨らむ。素材はパラシュートみたいな薄くて丈夫な布、風を大きくはらんで、女の子の体が空中でグンと止まる。

 忍者服はさらにピピッと音を立てて、ハングライダーの形になった。ちょうど女の子の背中に大きな翼が生えたような形だ。

 それでもおじさんは、怪物の背中の上で余裕の表情だった。

「はっはっは、武器も持たずに飛び込んできて、どうするつもりだ!」

 怪物が口を大きく開けて、空に向かって毒の霧を吐く。落ちてくる女の子を毒で弱らせようとしているのだ。

 だけど、ヘリコプターから、また声がした。

『無駄無駄~! この忍者服は特別製で、毒の霧も通さないマスクが内蔵されてんだから!』

 空中にいる女の子の方は、ハングライダーですうっと飛びながら、筆箱ぐらいの大きさの、短い棒を取り出した。

『それに、武器ならあるよ。ブレードちゃん、見せてやって!』

 ブレードというのは、空中を飛ぶ女の子の呼び名だろう。彼女はこくんとうなずいてから、その棒を天にかざした。

「忍刀・月砕牙げっさいが!」

 ピピッ、ピピピッと音がして、棒の先から光が伸びた。それはちょうど光でできた刀の形になった。

『科学の力で忍術を使うのは、あんたたちだけじゃないんだからね! これはレーザーの力を使った忍者刀なの、普通の刀よりも、すっぱり切れちゃうんだからね!』

 空中を飛んでいた女の子が、ぼそりとつぶやいた。

「むささび、解除」

 ハングライダーの翼がたたまれ、女の子はすごいスピードで怪物めがけて落下を始めた。

 もしもしのぶが普通の女の子だったら、何が起きたかわからなかっただろう。そのぐらいの速さで、忍刀が怪物の頭にめり込み、あっという間に巨大な体を真っ二つに斬った。女の子は幾度か宙返りをした後で、すたりと地面に着地した。

 そのあとの出来事は、普通の子でも見えるくらいゆっくりと……おじさんを乗せたまま、真っ二つになった怪物は地面に倒れた。その体のあちこちがブクブクと泡に変わって、あれほど大きかった怪物の姿が溶けて消えた。

 地面に投げ出されたおじさんの鼻先に、忍者服の女の子がレーザー忍刀の切っ先をぴたりと突きつける。

 おじさんは悔しそうだ。

「くっ、貴様、どこの流派だ?」

『ブレードちゃん、ダメだよ、名乗っちゃ!』

 ヘリコプターからの声に、女の子が少しの間だまり込んだ。やがて、ぼそっとつぶやく。

「月影に忍び悪を討つ、くのいち『ルナーズ』……」

「はあ? そんな流派、聞いたことねえ」

「覚えずとも良いぞ、貴様はここで死ぬ」

 こうしてあらためて見てみると、この女の子はとても忍者っぽい。着ている服装だけではなく、古風なしゃべり方や、覆面からのぞく少し吊り上がった冷静そうな眼付きまで、何もかもが忍者っぽく見える。

 きっとこの子はためらうことなく、おじさんに忍刀を振り下ろすことができるだろう。しのぶは、おじさんが真っ二つに斬られる姿を想像して、目をそらした。

 だけどおじさんも忍者だ、慌てることなく女の子を見上げて笑った。

「俺は、死ぬことなんかちっとも怖くない」

「そうか、忍者として良い心がけだ」

「だけど、我らに敵する存在がいることを、ボスに伝えなきゃならんのでな」

 次の瞬間、おじさんが「破っ!」と叫んだ。同時におじさんの手の中で爆発するみたいにまぶしい光が沸き上がった。

 忍者の女の子が「あっ」というのが聞こえた。まぶしい光に目がくらんで、おじさんを見失ったのだ。

 逆に目をそらしていたしのぶは、光に気をとられて振り向いた。おじさんの体が日向に投げておいたアイスみたいにドロドロに溶けて、地面に染み込んでいくのが見えた。

「ふははははは! 『ルナーズ』! その名前、しかと覚えたぞ!」

 それだけを言うと、おじさんは完全に消えてしまった。

 忍者服の女の子が目をこすりながら顔をあげる。

「しまった!」

 ヘリコプターから、また声が聞こえた。

『ドンマ~イ、犠牲者が出なかったんだから、結果オーライ~』

 忍者服の女の子が、ふっとしのぶを見た。先ほどまでの厳しい目つきではなくて、少し優しく細められた……たぶん覆面の下で、その女の子は笑っているに違いない。

「結果オーライか、確かに」

 女の子はそのまま、しのぶに向かって片手を差し出した。

「先ほどの戦いぶり、見させてもらった。弟を、そして友を救いたいと涙する姿も。まさに我ら『ルナーズ』三人目の戦士としてふさわしい、勇気ある姿であったぞ」

「え、え? 私?」

「お主以外に誰がおるのだ」

 女の子はしのぶに向かって差し出した手を引かない。

「もしもあの悔しさを……守りたい者を守るためのチカラもなく、ただ悔し涙を流すだけの、あの思いを二度としたくないのなら、我らと一緒に来るが良い」

「どこに?」

「伊賀の隠れ里……」

『服部』は伊賀忍者である。だから伊賀の隠れ里は、しのぶにとって全く知らない場所ではない。だから迷わなかった。

「行く。連れて行って」

 しのぶは、忍者服の女の子の手を取って、立ち上がったのだった。


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