第2話

 おじさんはにやにや笑いながら、なおも話しかけてくる。

「いかにも! 俺はあの自来也だ! 江戸時代の人間がなぜここにいるかって、そんな顔しているなあ、教えてやろうか?」

 おじさんはとびっきり気味悪く、ニチャァと笑った。

「教えてやるぜ……俺に勝てたらなぁ?」

 おじさんが普通の声に戻って、周りにいた子供たち全員に話しかける。

「さあて、今からお前たちには忍者の恐ろしさってものを知ってもらうわけだが……なあに、安心しろ、殺しはしねえよ、大人たちに忍者がどれだけ怖いか、よぉく話してやってくれよぉ」

 おじさんがさっと手をあげた。それが合図だったのか、ガマが大きな口をぱっくりとあけた。

 子供たちはそれだけで大パニックだ。

「うわあ、助けてぇ!」

「ママ、ママぁ!」

 みんなで押し合いへし合い、大急ぎで逃げ出そうとするから、あちこちで転ぶ子や、泣き出す子がいて前に進めない。

 そうしているうちに、ガマが紫色の霧を吐き出した。

「うわああああああ! なんだこれ!」

 ガマの近くにいた子が、バタバタと倒れた。どの子も白目をむいて泡を吹いている。

 孝蔵が叫んだ。

「姉ちゃん!」

 しのぶは、ここに来てもまだ普通の子供のフリをしようとしている。押し合いへし合いする周りの子にもみくちゃにされながら、けっして忍術を使おうとはしない。

「孝蔵、ダメだよ!」

「ダメじゃない! 僕は戦う!」

「ダメだったら!」

 しのぶの言葉も聞かず、孝蔵はするりと人波をすり抜けて高く飛び上がった。

 高く、高く……みんなの頭よりも高く。

 これを見たガマ使いのおじさんは喜んで両手を叩く。

「お、いいぞいいぞ、坊主、勇敢だなあ」

「おじさん、僕が子供だからってナメてると、怪我するよ!」

「へえ、怪我させてみろよ、ちびっこ」

 孝蔵が空中で何度かクルクルと宙返りして、おじさんのすぐ前に着地する。体は小さいけれど、動きはすっかり忍者だ。

 おじさんは少しだけ感心したようで、目を大きく見開いた。

「なかなかいい動きをするな、どこの流派だ?」

「おじさんが僕に勝ったら、教えてあげるよ」

「ふふふ、その強気も良い。どうだ坊主、この自来也の弟子にならぬか?」

「やだよ、おじさん、悪い忍者だろ。僕は悪い忍者になんかならない」

「ふふん、ならば、死ね」

 おじさんが孝蔵に向かって両手を広げる。その指の一本一本から、細い糸がしゅうっと放たれた。

「おっと、そんな攻撃、僕には効かないよ!」

 孝蔵が大きく後ろに飛びのいた。糸は孝蔵の体には届かず、空をむなしくなでただけ……に見えたが、

「ははははは! これが単純な攻撃に見えるとは、まだまだ未熟なり!」

 おじさんがグイッと手首を引くと、指先の糸はそれにつられてクイッと動いた。そのまま蜘蛛の糸みたいにしゅるしゅるっと動いて、孝蔵より手前にいた数人の子に巻き付く。

「うわっ!」

「なんだ、これ!」

 子供たちは慌てて糸を振りほどこうとしたけれど、それは細いくせに丈夫で、おまけに複雑に絡まって、ほどくことはできなかった。

 その間におじさんは、自分の五本の指を両手とも立てて、孝蔵に手のひらを見せた。

「忍法『傀儡演武かいらいえんぶ』!」

 おじさんの叫びとともに、糸の巻き付いた子供たちの体がビクンと跳ねあがる。

「な、なに?」

「やだ、やだあ!」

 泣きわめく声とはうらはらに、子供たちは孝蔵に殴りかかった。

 孝蔵もまったく無関係な相手を殴るわけにはいかない。子供たちが殴りかかってきても、ただよけるだけで、攻撃は一つもできない。

「うわっ、何をするんだよ!」

「違うんだ、違うんだ……体が勝手に!」

 襲い掛かってくる子供たちの後ろでは、おじさんがピアノを弾くみたいに指をひらひらさせている。

「ほらほら、どうした、反撃しないのか~?」

「くっそ! 自分で戦わないなんて卑怯だぞ!」

「卑怯で結構、何しろ俺は、悪い忍者なんでな」

 言いながらおじさんは、ガマを呼んだ。

「おい、もういっちょ毒霧を食らわせてやれ。おっと、殺すんじゃないぞ、今回は忍者がどれだけ怖いかを見せつけるのが目的だからな」

 ガマは「ぐげぇ」と鳴いて、口を開いた。

 とても大きな口だ。孝蔵が三人くらい入りそうなほど大きな……。

 しのぶはついに我慢できなくなって、押し合いへし合いする子供たちを押しのけて叫んだ。

「孝蔵! その子たちは操られているだけだから! おじさんを倒さないとダメ!」

「わかってるよ! やってるよ! でも、近づけないんだ!」

「ああ、もう!」

 とん、と軽く地を踏んで、しのぶは跳んだ。それは孝蔵よりもずっと高く、建物の二階にまで届くような大跳躍だった。

「孝蔵!」

 一声叫んで、戦いの中に飛び込む。孝蔵は今まさに、つかみかかってくる子供たちに押しつぶされそうになっているところだった。

「孝蔵! いま助けるからね!」

 しのぶは子供たちには目もくれず、とん、とんと軽やかに飛んでガマ使いのおじさんの前に躍り出る。手には忍者が使う小刀――クナイが握られている。

 おじさんは、ほんの一瞬、目を見張った。

「ほう、お姉ちゃんはずいぶんと忍者っぽいじゃないか」

 だがその顔は、すぐに厭らしい笑いに変わる。

「しかし、本物の忍者には及ばぬ、あわれあわれ」

 おじさんはガマに向かって言った。

「あの娘を食って良いぞ」

 いままで少しトロント眠そうだったガマの目が、カッと見ひらかれてキラキラと輝いた。

「ぐえっぐえっぐえっ」

 そう鳴いた後で、ガマはぱっくりと口を開く。その大きな口から紫色の毒霧が吐き出された。

 さっきの霧とは比べ物にならない濃さだ。空気中にあっても散らばったりせず、煙みたいにモクモクと渦を巻いている。

「ぐえ~っ!」

 ガマがふっと息を吐くと、その雲の塊がしのぶに向かってふわりと飛んだ。それはフワフワフワフワと、今にもしのぶに触れそうなほど近くに……

 それでもしのぶは、怖がったりしなかった。クナイを右手に、左手で忍術を使うための印を結んで!

「伊賀忍法『疾風迅雷しっぷうじんらい』!」

 しのぶの声とともに、強い風が吹いた。その風はしのぶの背後から吹き抜けて、ガマが吐いた紫の煙を砕く。

「ぐぐぐぐぐ」

 悔しそうに鳴くガマにクナイの先を向けて、しのぶはカッコよく胸を張った。

「どうよ、私の『疾風迅雷』は!」

 しかしおじさんの方は少しあごを撫でただけで、びっくりした様子はない。むしろ忍術について解説を始める。

「なるほど、『疾風迅雷』ね、確かに大したワザだ。このあたりの建物の配置と、あと風が吹く方向をきちんと理解して、自分の体で風の通り道をふさぐことによって、風の動きをコントロールする……伊賀秘伝の忍術だな」

「な、なぜそれを!」

「驚くことはないだろう、昔からある忍術なんか、もう研究されつくして、ぜ~んぶタネが知れちゃってるわけよ」

「まさか、『忍法・百花繚乱』も?」

「ん、ああ、幻術で花を見せるってやつだろ、知ってる知ってる。しかしねえ、このご時世にただの幻覚とか、古臭いねえ」

 おじさんはケラケラ笑って、ぴょんと飛び上がった。そのままガマの背中に飛び乗って、しのぶを見下ろす。

「お嬢ちゃん、今や忍術にも科学が使われる時代だよ、古臭い昔の忍術なんかじゃあ、俺には勝てねえぜ」

 おじさんがぱちんと指を鳴らすと、子供たちに巻き付いていた細い糸が切れた。その反動で子供たちはしのぶと孝蔵の上に倒れ掛かる。

「危ない!」

 間一髪、大きく跳んでそれを避けたしのぶが見たのは、ブルブルッと大きく震えるガマの姿だった。

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