「—―――あんたたち、そんなとこにしゃがみ込んで何話してるんだい?」


 ずっと地面を見ながら話しているジグムントたちの耳に女の声が届く。随分と男勝りな声だが、それより戦場に女性がいるという事実に二人のおもては自然と上がる。

 その声の主は、ゲルトほどではないもののジグムントと同じぐらいには若かった。

 腰あたりまで長く伸びた艶やかな薔薇色の髪で、貴族の前で舞う踊り子にいてもおかしくない程の美貌を持つ女性だった。戦場に咲いた一輪の華、とでも言うべきか。

 しかし彼女が肩に担いでいるのは、紛れも無い機械仕掛けのおおゆみ。しかも弦に鉄が使われている大型のアーバレストだ。クロスボウ自体は比較的軽量な武器とはいえ、構えれば上半身と同じくらいの長さ。普通の女性が扱うのは難しいだろう。

 だがそれと同時に、彼女が決して普通のたおやかな淑女でないことに気付く。その野性味に溢れる堂々とした表情。要所に必要な筋肉がしっかりと付いた体躯。

 ジグムントは訝しげな目線を送りながらも応える。


「……どちらさん? こっちは紅の狼グラナヴォルフの野営地なんだが」


 すると、その女は白い歯を見せて笑った。小さな八重歯がちらりと見える。


「あんたが赤毛の団長さんかい? なら、話は早いね。……アタシはヘルガ。ヘルガ・シェーファーヴォルフ。魔迅の弩手フライシュッツェ傭兵団の団長さ。明日はよろしくね」


 〈ヘルガHelgaシェーファーヴォルフSchaeferworf〉。そう名乗った彼女は茶色を基調とした狩人風の服装をしており、なるほど正規の弓兵ではないのも頷ける。

 ジグムントは立ち上がって、右手を差し出す。傭兵同士と分かって警戒を解いたのだろう。それに呼応するように、ゲルトも顔を綻ばせながら腰を上げた。


「アンタもヴォルフか。俺はジグムント・ウィルクスキ、よろしくな。で、こいつはゲルト。……今ちょうど、アンタらの話をしてたところなんだ」


 ヘルガも青年に応えるように握手を交わす。ジグムントは相方の少年のことも紹介しながら、友好的な態度を取った。とはいっても、個人的な親交が芽生えたといったような雰囲気ではない。あくまで明日の戦で共に戦う傭兵団長同士の、仕事上の付き合いといった感じだ。恐らくヘルガもそうだろう。仕事仲間がどんな奴なのか知るために少し野営地に偵察へ来た、大方はそんなところか。


「私らの話……ああ、なるほどね。明日の布陣図をそこの坊やに教えてたってわけ」


 ジグムントとゲルトの足元に描かれている簡易的な地図を見て、ヘルガは興味ありげに腰を屈める。乳白色で地味な下着の上からでもはっきりと分かるほどに揺れ動いた乳房ちぶさに、初心うぶな少年は露骨に目を逸らした。その様子を青年が目の端で捉えると、坊やって小馬鹿にされてるのにも気づいてねぇなコイツと心の中でからかう。そして同時に、少なくとも仕事に関してならこの女と話が合いそうだと確信する。


「何なら、ちょっと話に加わってみねぇか? 今は両軍の状況確認してる途中なんだが、実際に明日どう動くのかについても同じ配置の奴同士で話がしてぇ」


「ふぅん、なかなか面白そうじゃない。今は暇だし、作戦会議に入らせてよ」


 ジグムントの提案をヘルガは快く受け入れる。その理由は赤毛の青年と同じく「今は暇」だから。その髪色といい竹を割ったような性格といい、この二人は随分とお似合いなんじゃないのかとゲルトはませた子供のように勘繰る。

 それはともかく、ヘルガも加わって三人になった傭兵たちは状況確認を続けた。もちろん三人揃ってしゃがみ込み、地面を見ながら。

 本軍と本陣のちょうど間あたりに配置される千人の後詰のうち、五百はクルーヴェン伯爵軍。三百は〈紅の狼グラナヴォルフ〉傭兵団。残り二百はクロスボウを扱う〈魔迅の弩手フライシュッツェ〉傭兵団という配置。そして本陣には皇帝エルンストと数人の皇族、数十人の近衛兵、更に帝国軍の実質的な司令官たる副将のバルドゥル。

 本軍第一陣が七千、本軍第二陣が三千、後詰が千、本陣に残る兵はほんの少数。

 これで帝国軍の総勢は……と青年が言い掛けたところで、ゲルトが口を挟む。


「なぁ、帝国騎士団以外は五つの軍に分けられるって言ってなかったか? 主力のシルヴィーツ辺境伯軍に、ザリエルン大公軍、ヴェストアール・ザリエルン諸侯軍と、更に俺たち傭兵軍……あと一つ足りなくね?」


 指を折りながら疑問を呈す少年に、ジグムントは「おっと、一番肝心な軍を忘れてた」と額に手を当てた。ヘルガは「しっかりしなよ、団長さん」と微かに笑う。

 それから満を持して青年は口を開く。


「そう、最後の一つが……」


「—―――でありましょう?」


 すると、またしてもジグムントの声を遮って声が聞こえる。今度は後方からだ。

 帝都でディアークに助けを求めた時といい、さきほどヘルガと出会った時といい、どうして自分が言わんとすることはことごとく遮られるのだろうか。嫌になるわけではないが、やれやれと肩を竦めてから青年は首を少し後ろの方に向ける。


「次から次へと……。今度はアンタか」


 使い古された薄汚い天幕に背中を預けて、三角座りをしている老人が一人。

 ところどころ擦り切れた緑色のローブを羽織っていて、白髪交じりの黒髪を後頭部で縛っている。無気力な手はだらんと垂れ下がり、淀んだ目を地面に向けている。

 それでも来客の存在に気付いたのか一度だけ頭を少し下げた。老人がそれ以上何も言わないことを見越してか、ジグムントはすぐに視線をヘルガの方に戻した。

 

「アイツはミヒャエルって言ってな。この傭兵団で唯一、魔術の心得を知ってる。と言っても微細な魔力の動きを感じ取れるだけで、実際に魔術は使えないがな」


 ミヒャエルMichael。彼のように魔術は扱えなくとも、魔術が発現する際に術者の周囲に集積する魔力の流れに人一倍敏感な人々がいる。とはいえ、ただそれだけの能力を見込んで老人を迎え入れる兵隊は珍しい。若い兵士と一緒になって戦えるような老人ならいざ知らず、あの老人は兵糧の運び入れなどにも協力せず、ただずっと天幕に寄りかかっているだけなのだ。不思議な傭兵団ね、とヘルガは心の中で疑問符を付ける。


「じゃ、話を続ける。ミヒャエルが言ったように、最後の軍ってのは魔導軍のこと

だ。魔導軍は今までの四つの軍と違って、一つにまとまって布陣していない。まずグレンツェ魔導伯軍が三百とシルヴィーツ辺境伯の魔導軍が百。合わせて四百の魔導士が本軍第一陣の……更に西で布陣する。つまりはだ」


 ジグムントは先刻から描いていた地面上の地図に、三角形を四つ追加する。丸が七つ描かれた本軍第一陣より少し左側。続いて、その第一陣の近くにも二つの三角。それから第二陣を飛ばして、傭兵たちが布陣する後詰の辺りにもう一つの三角形。


「本軍第一陣には、ザリエルン大公の魔導軍が二百人布陣して、状況次第じゃ先鋒の魔導士同士の戦いに加勢する。そして俺達が明日布陣する後詰にも、魔導士が百人

配備される。すなわち、ヴァルトブルク家のルードリンゲン魔導伯軍。指揮官は現当主のマリウスじゃなくて、前当主のレイナードって奴だそうだ」


 つまり魔導軍は計七百。それ以外の四つの軍の総勢は一万一千。合わせて、約一万一千七百が今回の会戦で帝国軍が動員した兵力である。

 するとゲルトが思い当たる節があるようで、疑問を投げかける。


「……ルードリンゲン伯爵? 帝国北方の名門じゃんか、なんでこんな南の回廊なんかに。それにレイナードっていえば、皇帝に随分気に入られてる奴じゃなかったか? なんで本陣じゃなくて、後詰なんて中途半端な配置なんだろうな」


「お前、帝都とか貴族のことにはやけに詳しいな。災厄の皇子の話といい……。俺達が酒場に入り浸ってる間、ちょこまか動き回って情報収集でもしてたのか?」


 根掘り葉掘り聞いてくるのをかわすために露骨な話題逸らしをする青年だったが、まんまとそれに釣られるは流石、純朴なる少年ゲルト。


「まあな。になりそうな情報だったら、いくらでも集めるのがゲルト流よ」


 得意げに鼻の下を擦る少年に「がめついところは子供らしくないわね」と、ヘルガが口を挟む。子供って言うなとばかりに女を睨み付けるゲルト。「なんだい坊ちゃん?」と更に挑発するヘルガ。だが、ジグムントはそんな二人の様子を微笑ましくは思えなかった。複雑そうな視線をゲルトの方に投げかけている。

 その時、青年の視線がゲルトのそれと交錯した。すると何かを思い出したように

怒りの顔を止めて、少年が口を開いた。


「なぁ、そういやどうして俺達はなんだ? 傭兵には先陣切らせてナンボだろ」


 その一言に、ジグムントの表情は一瞬だけ強張った。まるで触れられたくない話題の一端に足を踏み入られてしまったかのように。

 

「いや、それは……」


 ――――ぽつり、ぽつり。

 青年が答えようとした刹那、彼の背中に数滴の雨粒が落ちた。その雨は最初はほんの小さなものだったが、すぐに無数の雫が天から降り注ぐようになった。地面に描いていた地図も途端に水の泡となってしまう。雨水に青年の視界が滲む。天を仰ぐと、東の方からやって来た雨雲が天球の過半を埋め尽くしているのが見えた。


「……おいおめぇら! 一旦、作業打ち切って天幕に引き上げろ!」


 勢いよく立ち上がって、周囲の傭兵たちに指示を出す青年。『おお!』と威勢の良い返事が聞こえてくる。ちらりとゲルトが後ろを確認すると、いつの間にかミヒャエルはどこかへと消えていた。女傭兵も長い髪を軽く梳きながら立ち上がる。


「大して話せずに終わっちまったねぇ。私も部下に指示を出してこなくちゃなんないし、余裕ができたらまた集まらないかい?」


「ああ、そうしよう。……そうだ、最後に聖王国軍の兵力を確認しとく」


 そう言う青年は、濡れた赤髪で右目が隠れる状態になっている。それでもジグムントがヘルガに放った最後の一言は、風雨の中でもしっかりと響いた。


「—―――俺達の。詳しくは分からんが、それだけは確かだ」


 それを聞いてそのまま走り去っていくヘルガとは対照的に、鳩が豆鉄砲を食らったように口を開けるのはゲルト。青年が先ほど言っていたこととは全く話が違う。


『今の状況のまま開戦すれば間違いなく帝国軍は勝利するだろうし、俺達も無傷で生還できるだろうさ』


 それはつまり、後詰を出すまでもなく先鋒と本軍だけで二倍以上の聖王国軍に勝てるということ。その自信は一体どこから来るのか。

 少年の困惑とは裏腹に、ジグムントは天幕の方に走っていった。


「……なんで?」


 濡れ鼠となったゲルトは一人立ち尽くして、そう呟いた。

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