②
同時刻 ヴァリダーナ回廊 〈
「暇だなぁ、ゲルト」
そう呟いたのは、深紅色の髪をぽりぽりと搔いている青年。帝都でディアーク達と出会った時とは異なる様相で、緑に塗られた
「ああ、暇だな。ジグムント……って違ぇだろ! 明日はいよいよ戦なんだぞ!?」
そう言って呑気な雰囲気の傭兵団長に喝を入れるのは、少年ゲルト。
彼も普段の農民のような恰好ではなく、
「得物をあの従士に取られちまうようなお子ちゃまが何を言ってんだか」
「……っ! いや、あれは返せって言うのを忘れたってだけで」
「それが緊張感ねぇって話だよ。そのせいで慣れない剣を使うハメになってんだろ」
ジグムントの返しに、ゲルトが「うっ」と痛いところを突かれた声を出す。
帝都での盗賊との戦いの折に、少年が落とした
戦に臨む緊張感が無いと指摘したゲルトに対し、完璧なカウンターパンチを繰り出したジグムント。得意げな表情を浮かべた後、すぐに青年は真顔に戻った。
「それに、両軍の状況は殆ど頭に入ってる。どんな戦いになるのかも、おおよそ予測もできてる。油断なんてしちゃいねぇ。……その上で、今の状況のまま開戦すれば間違いなく帝国軍は勝利するだろうし、俺達も無傷で生還できるだろうさ」
「……なんで、そんな風に確信できんだよ?」
真剣な表情とは裏腹に自信ありげな言葉を言ってのけた青年に、ゲルトは半信半疑といった目を向けた。ジグムントは意味ありげに笑うと、急に地面に腰を下ろした。
「それを説明する為には、まず両軍の状況を確認しなきゃなんねぇ」
ジグムントは近くに落ちていた木の棒を拾うと、土が露出した地面に何かを描き出した。不思議そうにそれを見つめるゲルトも、自然と腰を落としてしゃがんでいた。
そんなゲルトの様は、まるで兄に読み書きを教えてもらっている弟のようだった。
「第一に、俺達の雇い主である帝国軍の陣容だ。今回は皇帝のエルンストが直々に参陣してるが、皇帝直属の軍なんてのは全軍の極僅か。一千の帝国騎士団だけ。俺達、紅の狼傭兵団も帝都から騎士団に帯同してここまで来たわけだが、聞く話じゃ騎士団の殆どは本軍に参加して、皇帝がいる本陣には数十人しか残らないんだと」
ジグムントはこの回廊地帯を表しているのであろう二本の横線を描いた後、その中央あたりに二重丸を描いて本陣とする。そこから離れた左の方に一つの小さい丸を描いて、皇帝直属の近衛騎士団〈グリューネヴルム帝国騎士団〉を表す。
「直属軍が千人つっても、他の軍も皇帝の言うことはちゃんと聞くんだろ?」
「まあな。そこが、このアルザーク帝国が大陸の覇権国たる所以さ。騎士団以外の計一万余りの兵が全て、皇帝の、正確に言えば実質的な指揮権を任されてる副将の命令に従う国なんてな。『臣下の臣下は臣下ではない』なんて言葉もあるってのに」
『臣下の臣下は臣下ではない』。
つまり、直接に主従関係を結んでいない『臣下の臣下』は『主君の主君』に対する奉仕義務が存在しないということを表した言葉である。なるほど、これは帝国の隣国たる聖王国では通用する道理だ。聖王に仕える貴族、そしてその貴族に仕える騎士がいたとして、その騎士には聖王に対して何の主従関係も発生しないのだ。
しかしこの帝国ではそうはならない。
アルザーク皇帝は、帝国内に住むあらゆる人々を
「ま、それに関しては説明不要。あのレガリアの恩恵ってことで話は終いだ」
そんなジグムントの雑な説明にもゲルトは相槌を打つ。帝国で長らく住んでいる者にとっては常識のような話。いや、このルミエルド大陸中の人々ならば皆が知っているような話だからだ。……『あのレガリア』が無ければ、この大陸の平和は根本から突き崩されることになるのだから。
それはともかく、青年は話を続ける。
「話を戻すぞ。聖王国軍による回廊占領を阻止する為に参陣したのは、帝国騎士団以外を大まかに分けて五つの軍だ。まずは帝国南西部を鎮護するシルヴィーツ辺境伯の軍勢が三千、更に帝国南方を治める帝室の分家・ザリエルン大公の軍勢が三千。この二つの軍勢が今回の戦における帝国軍の主戦力と言っていい」
先ほど一つの小さな丸を描いた辺りに、更に六つの丸を適当に追加する青年。
ヴァリダーナ回廊自体が帝国南部・聖王国南部・都市同盟北部の結節点に位置するのだから、必然的に帝国軍の主力は南部諸侯となるわけだ。
「騎士団を合わせ、これら七千の本軍第一陣が明日の戦で敵主力と衝突することになる。それから主力同士の戦いの様子を見て、随時援護するのがすぐ後方の第二陣。帝国西部、聖王国と接するヴェストアール地方の諸侯軍を主体とする軍勢で、計三千。特にアルテナ伯とリヒテンブルク伯はそれぞれ千人の兵力を動員してる。残りの千はヴェストアールのみならずザリエルン地方の中小諸侯も合わせた混成軍さ」
合わせて七つの丸が集まったところの少し右方に、青年は三つの丸を描いた。
敵主力とぶつかる本軍第一陣に、それを機動的に援護する第二陣。確かに諸侯同士で軍は別れてはいるが、決して無秩序ではない、単一の指揮系統に従っているような帝国軍の配置である。
「第一・第二陣合わせて本軍の数はおおよそ一万。そして本軍と本陣……この両者のちょうど間に配置されるのが、千人の
ちょうどジグムントが言った通りに、二つに分けられた本軍と二重丸の皇帝本陣の間にはぽっかりと間隙ができており、そこにしゃりっと土の音を立てて一つの丸が描かれる。五百、といっても〈紅の狼〉傭兵団だけで五百人いるわけではない。
「今回、帝国側に雇われてる傭兵団は二つのみ。俺達、紅の狼傭兵団が三百。全員が歩兵だ。そして、それを援護してくれるってのが……」
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