その声は、少年のものだった。声変わり途中の、少し枯れた高音。

 盗賊共も一斉に振り返って、袋小路の入り口の方を見た。やがて、誰かが叫ぶ。


「さ、災厄の皇子だ!」


 その渾名を聞いても、盗賊共は強くは驚かない。この街区に〈災厄の皇子〉が住んでいることなど百も承知。一般庶民ならともかく、泣く子も黙る盗賊の一味が恐れるはずのない相手だ。かといっても現れれば警戒せざるを得ない相手でもある。

 盗賊共の表情は硬くなる。一方、ジグムントは占めたとばかりに笑う。


「アンタが災厄の皇子か! いやあ助かったぜ、早く来てく……」


「お前には関係ないことだろう、災厄の皇子!」


 ジグムントの声を遮るように、盗賊の頭目は吠えた。街区に紛れ込んだ二人の一般人を盗賊らしくなぶり殺しにしているだけだ、お前は帰れ、と。

 しかしそんなことはお構いなく、段々と青年たちの方へ近づいてくるディアーク。純白のマントを付けているが、武器となるような物は何も持っていないようだった。

 そして、少年の後ろにぴったりと付いてくるのは深緑色の髪を持った従士ラインハルト。左腰に両用剣バスタードソードを差しているのは普通の騎士と同じだが、今の彼は右手にある物を握っていた。それを見て、ゲルトは驚きの声を上げる。


「お、おい! それ、俺が背負ってた翼槍スペトゥムじゃねぇか!」


 従士は顔色を変えることなく、穂先の根本から翼のような刃が伸びた槍を構えた。ディアークの斜め前に立って、両腕で翼槍を頭の高さまで持っていく。穂先と目線はまっすぐ盗賊共の方に向けながら。高貴なる〈Finestra〉の構えである。

 完全に臨戦態勢を取る従士の姿に、盗賊たちは困惑している様子だ。

 集中していて口を開くことの無いラインハルトに代わって、ディアークが言った。


「街区の入り口あたりに落ちていたから、我が従士が拾ったのだ」


「……おい、ゲルト。まさか気付かなかったのか?」


 ジグムントの呆れたような声に、ゲルトは「やべっ」と声を漏らす。最初に入った住居を出てから必死に盗賊共の攻撃を凌いでいたので、背中から滑り落ちていることに気を回している暇など無かったのだ。まあそれは良いかと肩をすくめてから、赤毛の青年は再びディアークに助力を求める。


「災厄の皇子! 俺は参事会の命令で盗賊狩りに来たもんだ! 加勢を頼むぜ!」


「ハッ、笑わせる! 災厄の皇子が貴様らに手を貸す道理などあるか!」


 ジグムントが喋るのに呼応して、またも盗賊の頭目が下卑た目をして怒鳴る。しかし彼の言うことは真っ当だ。参事会という公権力がジグムントの側に付いているからといって〈災厄の皇子〉が青年を助けなくてはならない理由など無い。そもそもディアーク自身が帝室という最大の公権力から疎外された、いわば最大の反社会分子なのだから。更に身も蓋も無いことを言ってしまえば、ジグムント達を助けたところで何の金の足しにもならないのだ。命の危険を冒してまで彼らを助ける意味が無い。


「おうい、災厄の皇子! こんな奴ら守る意味無ぇって分かってんなら、そいつの槍を下ろさせて寝床へ帰れ! それとも何か? 丸腰で俺らと戦おうってのかぁ!?」


 今までの会話を聞いても一切構えを解こうとしないラインハルトに苛立った様子の頭目は、ずんずんとディアークの前まで長剣をちらつかせながら歩いてきた。

 二エーレelle(約一・八メートル)を優に超える巨躯を持つ頭目は、自身の胸あたりまでの身長しかない少年を完全に舐めきっている様子だ。黒髪に紅い瞳を持つ呪われた皇子、確かに不気味ではあるがそれだけではないか、と。

 頭目は更に調子付いて、ディアークの眼前に長剣の刃先を見せつける。


「俺達が怖ぇなら、とっと尻尾撒いて逃げ……」


「—―――黙れ、屑が」


 頭目が言い終わる前に、ディアークは突き付けられた刃先を左手で握った。 

 何の躊躇もなく、更に強く、強く、握りしめる。

 掌からぼたぼたと紅血が零れ落ちて、地面を赤黒く染める。長剣の表刃を伝って、つばの方にまで血が流れていく。その場にいたディアーク以外の全員が、彼のしたことを理解できなかった。やられている当人の頭目も「な、何を……」と狼狽える。

 するとディアークはその左手を離し、空中でそれを少し右に傾ける。それから一気に、反時計方向にのである。少年の紅眼が、輝きを増す。

 刹那。


「ぐ……ぐあぁぁぁぁッ!」


 血飛沫ちしぶきが上がる。

 ディアークの前にいた、頭目の顔面から。

 まるでディアークが廻した掌が、傭兵の頬から眼球、そしてまた頬へと至る半月状の部分を抉り取ったかのように。頭目の二つの眼球が地に堕ちる。その様を見ながら、ゼバルドゥスが死んだ時も同じような情景だったなとふと追想した。

 だが、ここで物思いに耽る時間は無い。ディアークは低い声で告げた。


「そこの二人に手を貸す道理は無いが。……貴様らには罪を償う道理があろう」


 ディアークは、血に塗れた自身の左手を見た。

 地面にうずくまって「光はどこか」と呻く、先ほどまで頭目だった男を見た。

 そして残された、二十人近くの盗賊共を見た。

 彼らはハッと我に返ったかと思うと、口々に「頭目の仇だ」と言って少年の方へ走ってきた。もはや盗賊団としての統率も何も無い、ただの暴徒だ。何も失うものなど無い、捨て身の攻撃であるからこそ恐ろしい。


「…………」


 そんな彼らの突撃を全て、不動の構えを敷いていたラインハルトが受け止める。ディアークに背中を見せながら、次々と襲い掛かる盗賊共の得物を翼槍で受け流し、払いのけ、一度の反撃だけで仕留めていく。盗賊の武器はまちまちで、その全てに対処するには間合いの取り方にかなり熟練していなければならない。

 しかもラインハルトの得物は、さっき拾った翼槍だ。一体どれほど武術に精通していれば、こんな芸当ができる? 何も言わず、何も感情に出さずに、自分を護る為に戦い続ける従士を見て、ディアークは空恐ろしく思った。

 そして一分と経たない内に、十人近くの盗賊の死体が従士の周囲に倒れる。


「ははっ。そこの兄ちゃん、随分と腕が良いな。見惚れちまったよ」


 ジグムントはそう言いながら、大剣を携えて舌をなめずった。ゲルトも再びダガーを構え出した。残った盗賊共は悟る。じきに自らに訪れる、確定した死を。

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