サリユクカコカラニジムヤミ(4)


               ※


『戻橋にね、夜な夜な鬼が出るそうだ。キミが斬りに行くといい』


 戸を開けるなりそう切り出され、俺は面食らっちまった。

 ったく、呼び出されて来てみれば、単刀直入にもほどがあるだろ。こちとら挨拶どころか、入室すらしてねえんだぞ。

 相変わらずだな、この人は……。


『……あのなぁ大将、歌にも枕詞ってあんだろうよ。もっとこう前置きとかそういうのをだな……』

『その鬼は、大層な美女の姿をして現れるらしいからね。ならば、こちらも相応の美男を差し向けるのが、風雅というものだろう?』


 大将は不思議そうに、ともすりゃあ戸惑うみたいな顔で〝何かおかしかったかい?〟と、首をかしげなさる。


 ……ホント、浮世離れっつーか、ズレた人だよな。


 俺はやれやれと溜め息を吐きつつ、座敷の床にどかりと座り込むと、ジト眼で大将の御尊顔を睨みつけてやる。


『……で? 鬼退治だって?』

『ああ、今夜にでも出向いて欲しい。もう、ずいぶんと多くの民草が喰われている……』


 大将は優雅な姿勢で肘掛けに寄り掛かったまま、だが、その切れ長の双眸は、穏やかならぬ感情に細められていた。


 ああ……だいぶキレてんな。ま、当然か。


 民草の笑顔と平穏のために、それが武士もののふの使命である……そう教えてくれたのは、他でもないこの人だ。


『俺ひとりでいいのか?』

『ひとりじゃ自信が無いのかい?』


 ニッコリと返される。

 やれやれ、そう言われちゃあ、天下の頼光四天王として、応えねえわけにはいかねえよな。

 俺にとってこの大将と〝   〟は特別だ。期待と信頼は絶対に裏切れねえ。


 …………ん?


 ……何か今、頭ん中がフワッと霞んだっつーか…………何だ?


 …………まあいいや。

 

 俺は気を取り直して、ゴキリと首をひと鳴らし。

 それから、ズイと居住まいを正して背筋を伸ばすと、両拳を床に突き、伏して一礼仕る。


『主命、このみなもとつな、確かに承った』


 強い声音と硬い言葉で、そう返す。


〝……真剣な応答には、相応の態度を示すように……〟


 俺の常態はどうにも軽薄に見られるようだからな、誤解されたくない時には、ちゃんとしろ……ってのが〝   〟の教えだ。


 …………まただ。


 何か、思考の中に妙な違和感がある。


『……ふん、まあ、精々頑張ることだね』


 向けられた言葉に、ハッとして顔を上げれば、大将の皮肉げな笑み。

 いやいや、こういう時こそニッコリ笑って送り出してくれよ。何でこの人は素直に臣下を労えないかね。

 内心であきれていれば、大将はゆるりと傍らに手を伸ばす。そこにあるのは、黄金細工で拵えられた、いかにも神器霊宝って感じの飾太刀。揃えで置かれた双刀の、その片方を手に取り、こちらに差し出してきた


『持ってお行き』


 事も無げにそう言う。

 けど、これは大将の佩刀で、しかも……。


『……こりゃあ、源氏の宝刀だろ?』

『そうだね、だから、源氏のキミが携えても問題ないだろう』

『…………いや、そうだけど……』

『悪いけど、あげるわけじゃない。貸してやるだけさ。終わったら返しにおいで……それは大切なものだからね、ちゃんとキミ自身の手で返しに来るんだ。いいね?』


 そっぽを向いたままに念押しされる。

 ああ、これはいつものアレだ。

 要するに、無事に帰って来いっていう意味の、微妙に回りくどくい気遣いだな。素直に言えばいいのに……どうにもこの人は、人に優しくするのが苦手らしい。

 難儀な性分だが、まあ、そんな大将が、俺も嫌いじゃあねえ。


「お心遣い、痛み入る! 必ずや無事に御返還致します!」


 宝刀を恭しく受け取って、殊更に力強く声を張り上げてやれば、大将はいかにもイヤそうに耳を押さえ、顔をしかめた。


『……うるさい、怒鳴らなくても聞こえるよ。さっさと行け』


 長い黒髪を掻き上げながら、ウンザリと吐き捨てる我らが御大将。けれど、その顔色を見れば照れてんのはわかる。相変わらず天邪鬼なこった。


 俺は笑いながら立ち上がった。

 そして、握り締めた太刀に視線を落とす。

 借り受けた宝刀、黄金造りの拵えに白金の刃を持つ、霊験あらたかなる御剣。その神秘的な輝きと、霊威まとう存在感。


 やはり、改めて確信する。


「…………同じ刀……だよな…………」


 微睡まどろむようにぼんやりしたまま、俺は声に出して呟いて……。


 瞬間、周囲の景色が一変した。


 気がつけば電車の中、布団に寝転がって天井を見上げていた。


「……………………」


 まるで夢から覚めたみたいな感覚に、しばし、状況確認……。


 ……ああ、そうか、寝てたんだった。


 ……なら、やはり今のは夢か?


 眠りに落ち、夢を見る。

 別に特別なことじゃない。

 死人になった今でも、眠気や疲労は普通に感じる。理屈は知らないが、眠くなったら寝るのが当然だ。だから夜は普通に寝る。

 屍鬼がくれば、気配でわかるしな。それが生来の感覚か、イクサになったがゆえの特性なのかは知らないが、ともかく、どんなに眠り転けていても、屍鬼の接近には気づく。


 だから、俺はいつもこうしてガキ共の守りを兼ねて電車の中で寝ているわけなんだが……。


 何か、懐かしい夢だったな……。


 つい今し方まで、つらつらと流れていた情景。

 ホントに、懐かしい記憶だった。

 ずいぶん古い記憶。実際、当代からはものスゲー過去の出来事なんだろうと思う。俺がまだ生きていた頃だからな。


 懐古は、かつての仲間たちのことを連想させる。

 季武すえたけや金の字、デカブツの荒太郎……あいつらみんな、ちゃんと成仏出来たのかねえ。

 俺みてえに、無念に囚われてなきゃいいんだが…………。


 それに、御大将…………。

 あの人こそ心配だ。人一倍優しくて、心配性で、そのくせ斜に構えて気取ってる困ったちゃん。

 ひとりで色々と抱え込んで思い悩んで、それこそイクサになって迷い出てもおかしくないだろう。


 俺が現世にイクサとして黄泉返ってから、もうずいぶんと経つ。だってのに、今更にそんなことを思い、夢にまで見たのは……やっぱり、あの刀を見たせいなんだろうな。


 テンが携えてた黄金造りの太刀。

 改めて思い返しても、やっぱり似ている。大将の佩刀である揃えの二刀にそっくりだった。

 だからこそ、こうして改めて夢に見ちまったんだろう。


 遊園地からここに戻る道すがら、あれは黒羽根の影姫とやらに貰ったもんだと説明された。源氏の英雄の生まれ変わりってのも、かなり眉唾だって聞かされた。

 まあ、それはどうでもいい。

 聞く限り、どうやら俺の大将とは別人みたいだからな。源九郎義経……だったか? 俺らより百年以上後世の源氏らしい。


 ともかく、気になるのは、やっぱりあの黄金刀だ。


「……同じもん、なんだろうな……」


 再度、しみじみと呟いた。

 俺があの時に借りた方か、別の方か、どちらなのかはわかんねえ。

 それに、正直、模倣した別物だって言われても否定出来ねえし、そもそも〝二本だけじゃなくてもっと数があったのさ〟とか言われたら、あらそうかい……って話だ。


 けど、もし、大将が持ってたのと同じもんだっていうのなら……。

 それを、何で影姫が持っていたのか?

 たまたま? それともその影姫が源氏にゆかりあるのか?

 だとしたら……。


「大将や四天王連中がちゃんと成仏してるのか、知らねえかなぁ……」


 やはり、身内のことは気になるってもんだ。

 クルミが自分の兄貴を探してたみたいに、イクサになったって、仲間や家族を想う気持ちは変わらな────。


「……ッ……!」


 頭の芯が、ガツンと揺れた気がした。

 痛み……なわけないか。ともかく、何か頭に杭でも打ち込まれたみたいな感じだった。

 けど、それも一瞬のこと、今はもう嘘のように治まってる。


 ……で、えーと、何だっけ?


 そうだ、クルミだ。クルミの兄貴……死んでたのがわかったんだった。

 しかも、あのテンの肉体が、クルミの兄貴の肉体らしいって、ケンに聞いた。何がどうしてそうなったのかは良くわかんねえけど、とにかくだ。


 あの偉丈夫のケンが、あんだけ参ってたんだ。

 クルミは、もっとツレーだろうな……。


 視線を横に向ける。

 いつも俺の横に寝てるクルミを確認しようとしたんだが……そこに彼女は居なかった。

 毛布がめくれ、もぬけのカラ。慌てて身を起こして見れば、他のガキんちょ共はスヤスヤ平和に眠ってる。毛布を検めてみれば、まだ温かい。


「……ったく、何やってんだ俺ぁ……!」


 寝転けてたって異変にゃ気づく……そう宣っといて、ガキんちょひとりの気配を逃しちまったか!


 俺はすぐに立ち上がる。他のガキんちょ共を起こさないよう電車から出てみれば、クルミはすぐそこに居た。

 地下鉄ホームの壁際のベンチの所、座した猫耳の影姫と、その膝枕で横たわるイクサを前に、何やらジッと立ち尽くしている。


 後ろ姿でその表情は窺えねえ、けど、剣呑な気配もしねえ。


 ひとまず、どっかに行っちまったわけではなかったことに安堵しつつ、俺はゆるりとクルミの傍に歩み寄った。


 ベンチの上、ナナオもテンも安らかな寝息を立てている。

 クルミが見つめているのは、やはり、テンの顔だった。立ち尽くしたまま、ジッと見つめている。その表情は……何だろうな? 思案げとでもいうか、何かを考え込んでいる風で……。


「……うん、やっぱり、このひとは、おにいちゃんじゃないね……」


 やがて得心した様子で、そう言った。

 そこには、悲壮感とか、絶望感とか、そういう暗いのは感じられねえ。いつものクルミの姿。

 何だ?

 兄貴が死んだのが理解出来てねえ……って、わけじゃねえよな……、ここのガキんちょ共は、みんな身近な死そういうのを見せつけられてきてんだ。


 なのに、唯一の家族の死が、悲しくないのか? それとも、こんなガキんちょの身で、受け入れて克服してるってのか?

 死んだ兄貴の身体に、知らねえヤツが乗り移ってるって異常事態を?

 確かに、コイツは妙に達観してるっていうか、胆が据わってるガキんちょではあるが……。


「ねえ、カイナ?」


 俺が近づいていたのは気づいていたのだろう。ツイとこちらを仰ぎ見て呼び掛けてきた。


「カイナは、しんじゃった〝しびと〟なんでしょう?」

「……ああ、そうだ」

「しんじゃったのに、〝てんごく〟にいけなかったんだよね……?」

「……ああ、そうだ。この世にやり残したことがあったからな」


 俺が刻んだ因果……おそらくは自分の〝右腕〟を取り戻すこと。


 それを成すまでは、俺は成仏出来ない。


 まあ、成仏しても極楽に逝けるとは思えねえがな。

 六道輪廻りくどうりんね……だったか? 昔、荒太郎が言ってた。戦い争い合う業深い魂は、その六道のひとつ〝修羅道〟に落ちるのだと。なら、武士は揃って修羅道逝き決定だろう。


「……おにいちゃんは、〝てんごく〟にいけたのかな?」

「…………さあ、どうだろうな」


 聞く限りじゃあ、こいつの兄貴は大した聖人君子だったみてえだし、地獄逝きはないだろう。無念に囚われていなければ、成仏して天道に昇れたんじゃねえかな。


 けど……。


「大切な家族を残して逝くのは、未練だろう? もしかしたら、おめえのことが心配で、イクサになって黄泉返ってくるんじゃねえか?」


 戦士ではない御霊はイクサにはなれないらしいから、実際にはそれはねえと思う。だから、半ば不謹慎を承知で並べた戯れ事だ。

 見た目がどうあれ、幼いガキんちょが家族を亡くして悲しくねえわけがねえ。だから、そんな戯れ事でも、少しは気休めになるかと思ったんだ。


 クルミは、しばし、考えるように首をかしげて……。


「じゃあ、だいじょうぶ。おにいちゃんは〝てんごく〟にいけたよね」


 安心した様子で、そんなことを言う。

 ……どういうこった?

 問い返そうとした俺に、けど、クルミはニッコリと破顔した。


「だって、クルミのことは、カイナがちゃんとまもってくれてるよ」


 最愛の妹の安全は、この隻腕のイクサが絶対守り抜く。だから、死んだ兄貴は未練無く、安心して成仏しているだろう……って?


 やれやれ、何だそりゃ?


 ガキんちょがナマ言ってらあ…………けど、そんなに無邪気な笑顔で真っ向から信じられたら、武士として応えねえわけにはいかねえやな。


「そうだな。兄貴が化けて出ねえように、おめえは俺が守ろう」


 こいつも、他のガキんちょも、それと、きっとケンのことも、伊佐良木光彦にとっては大切な身内であり、守りたい仲間だったんだろうからな。


「……そら、もう寝ろ。子供は夜更かしすんじゃねえ」

「うん、おやすみ、カイナ」


 クルミはちっこい手を精一杯振り返すと、電車の中へと小走りに駆けて行く。その後ろ姿を見送ってから、俺は大仰に肩をすくめつつ、背後のベンチを顧みた。


「……んじゃな影姫さん。イチャついてるとこ、邪魔して悪かったな」


 謝罪の言葉を投げれば、猫耳の影姫は片方の耳をピクリと揺らして、楽しげに口の端を釣り上げたのだった。



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