第26話「宮園華花の秘密」

 サイレンが鳴り響く中で、八王子支社はちおうじししゃは慌ただしい緊張感に満ちていた。

 閃桜警備保障せんおうけいびほしょうは、深界獣対策室しんかいじゅうたいさくしつだけで戦っているのではない。他の多くの部署が、会計や兵站へいたん、広報活動などでお互いを支えているのだ。

 鳴り止まない電話に、ひっきりなしに届く最新情報。

 どこもてんてこまいな中、猛疾尊タケハヤミコトは走った。


「くっ、仮眠室にはいなかった……どこだ、華花ハナカっ!」


 休ませていた部屋に、宮園華花ミヤゾノハナカの姿はなかった。

 彼女はまだ怪我人で、その上に酷く疲れている。

 だが、尊は知っていた。

 深界獣が現れる時、彼女がなにを選択するかを。

 傷付いて倒れても、そのために立ち上がるのが宮園華花という女の子なのだ。

 それが尊には今、この上なく切ない。

 華花を守りたいのに、いつも守られてばかりだ。

 れる気持ちが全身に燃えて、尊は階段を駆け上がった。くまなく社屋しゃおく隅々すみずみまで探したから、最後に残ったのは今回も屋上だけだった。

 金属製のドアを蹴破るように開ければ、長身の少女が振り返った。


「ハァ、ハァ……華花!」

「みこっちゃん! どしたの、汗びっしょりだよ?」

「どしたの、じゃ、ない……お前! お前っ……」


 華花は今、検査着のようなワンピースを着せられている。それが風にたなびき、朝日に彼女のシルエットが透けて見えた。

 長い黒髪を棚引たなびかせて、華花はじっと尊を見詰めてくる。

 呼吸を整えると、尊はそんな彼女に近付き手を取った。


「行くな、華花っ!」

「え……あ、そっか。もう知ってるんだっけか、みこっちゃん」

「ラピュセーラーじゃなくても、サンプル零号ゼロごうは倒せる! 俺が倒してみせる!」

「でも……わたし、行かなきゃ。それがわたしの使命だから」

「俺が心配してるのはラピュセーラーじゃない、お前だ! 宮園華花なんだ!」


 自分でも驚くくらい、大きな声が出た。

 華花がビクリと身を震わす、その気配が手から手へと伝う。

 だが、そのまま詰め寄るようにして尊は言葉を続けた。

 話してないと、華花が行ってしまいそうな気がしたから。


「よく聞け、華花。サンプル零号は、さっきは対獣自衛隊たいじゅうじえいたいで撃退できた。人間だけでも十分に勝機はある! ……もう、お前が、お前だけが痛い思いをする必要はないんだ」

「……駄目だよ、みこっちゃん。そんなこと言われると……決心、にぶっちゃうな」

「俺たち人間は、お前に頼り過ぎた。なにもかも背負わせ過ぎたんだ」

「あっ、それはね、いいの。いいんだよ、みこっちゃん。わたし、守りたいもの。みんなも、地球も……も。うん、守りたいな」


 いつになく華花の声が、優しく柔らかい。

 まるで、尊を許して慰めるような響きだった。

 そう、恐らく彼女は全てを許す。無力な人間たちの弱さを、今までずっと許してきた。許し過ぎた。まさに神頼みで、神の実在を証明するラピュセーラーが、人間社会の危機を救ってきたのだ。

 だが、それだけでいいはずがない。

 人間の世界は、神を信じる人間たちで守らなければいけない。

 祈りも願いも全て、自ら行動する人間の力でなければいけないのだ。


「華花……お前の秘密、知ったよ。タケルから、聞いた」

「えっ? ちょ、ちょっと、みこっちゃん!? ……え、ちょっと待って。わたし、あのタケルってにそんなこと話してない」

「全部、教会が……キリスト真教の連中が、父さんと仕組んで……そして、その計画が失敗して! それで、お前がラピュセーラーに選ばれた。選ばれちまったんだ!」

「あ、そっちか……それ、知っちゃったんだ」

「ああ。だから! ……ッ!?」


 不意に、華花に抱き締められた。

 ふわりといい匂いがして、少しだけ消毒液が香った。

 包帯の肌触りが、強く強く尊を抱き寄せる。

 華花の胸に顔を埋めて、尊は言葉を奪われた。


「みこっちゃん……わたし、ラピュセーラーになれてよかったよ? だって……みこっちゃんに会えたから。ずっと私を守ってくれたのって、わたしがラピュセーラーだから、だよね?」

「……すまん。ずっと、知ってた」

「いいよ、いいの。みこっちゃんだって、パイロットをやってて、ずっと助けてくれてた。いつでもわたしを守ってくれてたんだ。だから」


 そっと離れると、華花は微笑ほほえむ。

 朝日に咲く野の花のように、とても自然ではかなくて、今にも消えそうな笑顔だった。


「みこっちゃんに、わたしの最後の秘密、あげるね?」

「……もう、知ってる。だから、いいんだ……もう、戦わなくても! お前は!」

「わたし、宮園華花は――」


 尊は耳を疑った。

 一瞬、なにを言われたかわからなかった。

 よほど間抜けな顔をしていたのか、プッと華花は笑い出す。


「もうっ、二度も言わせないでよ……みこっちゃん。……。ううん……大好きだよ」


 衝撃の告白だった。

 唐突過ぎて、尊はまばたきしかできない。

 好きだと、大好きだと言った。

 華花は尊のことを、好きだと言ってくれたのだ。


「これがわたしの一番の秘密……ばれちゃったら、もう戻ってこれなくなりそうだから」

「華花、お前……ま、待てっ!」


 華花の全身が光り出した。

 舞い上がる風に、あっという間に着衣が千切れて消える。

 眩い輝きの中で、華花の声はどこまでも澄んで優しかった。


「いつも、戦う前に必ず想うの……また、みこっちゃんに会いたいって。身よりもなくて、一人ぼっちになっちゃったわたしを、ずっと守ってくれる人。足長おじさんなんかじゃなく、いつも側にいてくれる人」

「待て、華花……行くなっ! もういい、戦うな!」

「わたし、みこっちゃんが好き……この気持ちを秘めて、いつか打ち明けられたら……そう思えば、いつでも立ち上がれた。いつまでも、みんなを守れる気がしたんだ」


 ふわりと華花が浮かび上がる。

 彼女の裸体はすでに、光そのものになっていた。

 眩しさに目を手で庇いながら、吹き荒ぶ風圧の中で尊は叫ぶ。

 だが、その声はもう届かない。


「じゃあ、行くね……今度はちょっと、もう会えないかもしれないから。戻ってこれなくても……それでも、必ずみんなはわたしが守るからっ!」


 宮園華花の、ラピュセーラーの秘密。

 それは、教会の神秘の力でも、12年前のブロークンエイジの真実でもなかった。

 ただ一人の女の子が、好きな人を想うって秘めた……恋心だったのだ。

 それだけを支えに、彼女はずっと戦ってきた。

 そして今……悔いを残さず飛び立ってしまった。

 尊の胸に、熱く燃える疼痛とうつうを残して。


「華花……お前、なんで……」


 立ち尽くしたまま、こぶしを強く握るしかできない。

 手の中に食い込む爪の痛みすら、今の尊には感じられなかった。

 そんな時、背後で声が響く。


「彼女は……行ってしまったようだな」


 振り向くとそこには、松葉杖まつばづえを突いた初老の男が立っていた。

 包帯姿も痛々しい、尊の父親……猛疾荒雄タケハヤスサオだ。

 彼はゆっくりと尊の隣まで来て、華花が飛び去った空を見上げる。


「どこまで知った? 尊」

「……あらかた聞いた、と、思う」

「私を恨んでいるか、尊。ならばいつか、全てが終わった時……私はお前の憎しみに向き合い、全てを受け止めよう。もう、父親としてできることはそれくらいだからな」

「格好つけんなよ……そんなことより先に、今のことを考えろよ!」


 思わず尊は、荒雄の襟首えりくびを掴んで引き寄せた。

 だが、よろけて咳き込む父親を前に、引き絞る拳を振り下ろせない。

 そのまま手を放し、逆に倒れぬよう支えてやる。

 親子で寄り添うなど、久しぶりだった。


「父さん、俺は……華花を守る。人類を守る彼女を、俺が守る!」

「……そうか」

「父さんだって、守りたかった筈だろ? だから……汚名を着てでも、あの海底の穴を……ふちを、閉じようとした」

「だが、私は失敗した。そして全てを失い……神の力に縋ったのだ」

「淵より来る者……深界獣。これは、人類を脅かす敵だ。だから、人間が戦わなきゃ駄目なんだ。都合のいい神様頼みで、一人の女の子に全部背負わせちゃ駄目なんだ!」


 そっと離れると、松葉杖にしがみついたまま荒雄が息を荒げる。

 だが、彼は苦しげに言葉を絞り出した。


「ならば、行け……尊。お前が戦うなら、私はせめて力になろう。お前に……渡したいものがある」

「俺に?」

「そうだ……フフ、私とて"羽々斬ハバキリ"の開発者だ。ギガント・アーマーが戦いの主流となる中で、必ず"羽々斬"が旧式化、陳腐化するのは予測していた。だから、ゲフッ! ゴフ、ゴファ!」

「父さん! ……大丈夫だ、心配しないでくれ。欠けても折れても、俺たちの剣は"羽々斬"だけだ。今ある機材でベストを尽くす! 父さんはもう少し休んでてくれ」


 心配だったが、そっと荒雄は震える手で尊を押しやった。そうして、なんとか松葉杖に頼って立つ。その姿に大きく頷いて、尊は走り出した。

 まだ修理は終わっていないだろうが、"羽々斬"で出撃するしかない。

 これ以上もう、華花だけを戦わせてはいけない気がした。

 そして、彼女の告白に返事をするためにも……絶対に守らなければいけないと覚悟を新たにするのだった。

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