第4話「彼女の日常を守るということ」

 西暦2050年、東京……すでに、深界獣しんかいじゅうの侵略が日常茶飯事となって、12年が経過していた。

 破滅へと向かう中でも、人間はしたたかでしなやかだ。

 そこには日々の営みがあり、暮らしがある。

 文明レベルこそ半世紀ほど後退したが、深界獣とラピュセーラーの戦いがあったすぐあとでも、すぐに街はいつもの表情を取り戻していた。

 そして、猛疾尊タケハヤミコトもまた、その中へと溶け込もうとしていた。


「……酷いもんだ。再開発と復興より、襲われ破壊されるスピードの方が段違いだ」


 愛車のホンダを停車させ、運転席から出る。

 この時代、復興のために運転免許や重機免許は15歳から取得できる。また、高校への進学率は50%を切っていた。若い頃から工場で働いたり、工事現場で汗を流す少年少女は驚くほど多い。

 尊だって、高校には行ったことがなかった。

 閃桜警備保障せんおうけいびほしょうに保護され、そのまま15歳から社員として働いた。通信教育で夜間に勉強しながら、食っていくために働いたのだ。

 そして今も、さる特殊任務のためにこの場に立っている。


「しかし……毎度ながら、慣れん。こういう仕事は、同じ女のルキアにやらせるべきなのだ」


 だが、残念ながらルキア・ミナカタは12歳だ。運転免許は勿論もちろん、本来ならばギガント・アーマーにも乗れない年頃である。

 そこらへんは、いわゆる超法規的措置ちょうほうきてきそちである。

 ルキアはこの時代の子供たちの中でも、特別であるらしかった。

 それにしても、居心地が悪い。

 それは、目の前に立つ荘厳な建物から漂ってくる、神聖な雰囲気。見上げれば、尊の視界いっぱいに巨大な大聖堂がそびえ立っていた。

 聖オオエド大教会を中心とした、キリスト真教しんきょうの敷地が広がっている。

 そして今、華美な制服を着こなす乙女たちが一人、また一人と出てくる。


「授業は終わったようだが……ああ、いたか。おい、華花ハナカ!」


 聖オオエド教会の敷地内部には、古式ゆかしいミッション系の中高一貫校がある。世界中の乙女が集う、清らかなまなである。自然と男子禁制の世界で、校舎は奥の方で完全に守られていた。

 尊の声に、スラリと長身の少女がこちらを振り向く。

 宮園華花ミヤゾノハナカは尊を見付けて、満開の野の花みたいな笑顔になった。


「あっ、みこっちゃん! お疲れ様ー!」

「だから、みこっちゃんってなんだよ」

「えー、尊だから、略してみこっちゃん!」

「……略してないだろ、それ。長くなってるだろ」


 長い長い黒髪に、健康的なスタイル抜群の華花が駆け寄ってくる。天真爛漫てんしんらんまんそのものといったおもむきの彼女は、周囲の学友と言葉を挨拶を交わして走った。


「おっ、ハナハナー! また明日ね!」

「妹さん、いつもお迎えお疲れ様だよね」

「バイバーイ! 今度私たちも、そのカワイイ車に乗せてねっ!」


 これだ。

 これである。

 

 目の前まで来たハナハナこと華花は、尊より頭半分ほど背が高い。並ぶとどうしても、童顔もあって尊は妹に見えてしまうらしい。

 凄く、凄く凄く不満だ。

 だが、持って生まれた女顔はしかたがない。

 ジーンズに革ジャンという格好でも、男に見てもらえない程度にはかわいい顔してるらしく、鏡を見る度に溜息ためいきしか出なかった。


「いいから早く乗れ。家まで送る」

「はいはーい! いつもありがとっ、みこっちゃん!」


 なんて屈託くったくのない笑顔だろうか。

 無邪気で無垢で、そしてとてもまぶしい。

 尊はあの日からずっと、笑ったことがない。

 心の底から笑ったことなど、一度もないのだ。

 深界獣は尊から、母と一緒に笑顔まで奪ってしまったのだった。

 それでも、営業職じゃないから不自由はない。

 ただ、華花の太陽みたいな笑顔を見てると、なんとも言えない気分になるのだ。


「そだ、みこっちゃん。本屋さんに寄っていーい?」

「好きにしろ。俺はお前の護衛兼運転手だからな」

「よっろしくー! ……ねえ、みこっちゃん」

「ん? なんだ」


 助手席の扉を開けて、ふと華花が見詰めてきた。

 大きな瞳の中に、無数の星がまたたいている。まるで、秘密の花園に満ちた花々のように眩しい。思わず吸い込まれそうに思えて、慌てて尊は目を逸した。

 華花はいつもの調子で、いつもの質問を投げつけてきた。


「そろそろ教えてよ、みこっちゃん。わたしの保護者になってくれた人って、どんな人?」

「そ、それは、だな」

「足長おじさん的なのだろうけど、今どき両親に死なれて天涯孤独なんて珍しくないよ?」


 華花の両親は、彼女が生まれるのと前後して、死亡している。

 深界獣の襲来によって、まず父親が死んだ。

 そして、妊娠していた母親の死体から、彼女は未熟児のまま取り出されたのだ。それが今では発育いちじるしく、尻やら乳やら立派に育った。

 彼女の正体は、あの神装戦姫しんそうせんきラピュセーラーである。

 どういう訳か、ある日突然彼女は正義のヒーローとして戦い始めた。誰もが知ってる最強ヒロイン、しかしてその正体を知る者は少ない。

 そして、華花自身は……

 勿論、尊たち閃桜軽微保障も気づかないフリをしている。


「……華花、時が来ればいずれ会える。それまで、しっかり勉強してほしい……それが、俺の依頼主からの言葉だと思ってくれ」

「そっか。足長おじさんの正体は秘密かあ」

「俺は話せる立場にない。わかったら早く乗ってくれ」

「はーい。……ま、誰にでも秘密の一つや二つくらい、あるよね」


 そう、これが尊のもう一つの仕事。

 ラピュセーラーの正体である宮園華花を、その秘密ごと守る護衛任務である。

 自然と親しくなったが、屈託のない華花に尊は終始振り回されっぱなしだった。


「でもさ、みこっちゃん。こうしてボディガードつけてくれるって……きっといい人なんだね、足長おじさんって」

「ん、まあな。もっとも、お前みたいな跳ねっ返りの御転婆娘おてんばむすめに、護衛がいるかどうか……ん? ああ、華花。先に車に乗ってろ」


 近付く気配を感じて、振り向く。

 すぐに、クラシックな一眼レフのフラッシュが尊を襲った。

 二人組の男が、小さな尊を見下ろしてくる。

 見るからに胡散臭うさんくさい、ヨレヨレのジャケットにスラックス。ネクタイは締めておらず、手にはレコーダーを持っている。

 二人のうちの、せた細長い影みたいな男が話しかけてきた。


「やあ、ちょーっといいかな?」

「断る」

「おいおい、お嬢ちゃん! そりゃーないっしょー? な? 小遣いやるかーら、話を聞かせてほしいのよぅ」

「俺は男だ。あと、仕事中なんでな」


 それだけ言って、尊も運転席に乗り込みドアを閉めようとする。

 だが、もう片方のいかつい岩みたいな男がそれを遮ってきた。片手で掴まれたドアがびくともしない。尊だってそれなりに鍛えてはいるが、これぞ馬鹿力といった感じで閉めることができないのだ。

 そして、先程の男が再び言葉を続ける。


「オタク、閃桜警備保障の子だよねえ? こーんな若い子を働かせて、とーんだブラック企業じゃなーい?」

「……任務中につき、お応えできません。ただ、今どき働いてる子供なんて珍しくもない」

「だよなー? ブロークン・エイジからこっち、復興の人手が足りない足りない、一方で親のいない孤児も食ってかなきゃいけない訳で……あ、僕はこーゆーもんだよーん?」


 おどけた口調で、男は名刺を渡してくる。

 週刊サロメの記者で、狭間光一ハザマコウイチというらしい。

 光一はもう一人の巨漢に指示して、再び写真を撮らせた。


「うちへの取材なら、広報を通してくれ」

「いやいや、深界獣と唯一戦える民間軍事会社ってのも、気にはなーるんだけどね?」

「うちは警備会社だ。それ以上でもそれ以下でもない」

「旧式とはいえ、ギガント・アーマーを配備してても? ま、いっかぁー?」


 尊が苛立つのを楽しむように、光一はグイと身を乗り出してきた。

 その視線が、尊を通り抜けて助手席の華花に注がれる。


「いやね、スクープを追ってるんだけど……特ダネだよーん? ……ラピュセーラーの正体、知ってたら教えてほーしんだわあ」


 ビクリ! と華花が震えた。

 尊は、ついに来たかと内心舌打ちをこぼす。こういう事態も想定しての、護衛を兼ねた運転手である。

 同時に、自分でも普段から思ってることを吐き捨てたら、自然と笑いが零れた。


「じゃあなにか? 記者さん……こいつが、華花がラピュセーラーに変身するって?」

「そそ、詳しく聞きたんだけど」

「ハハッ! そりゃ傑作だ! こいつが巨大ヒーローに変身できる訳ないだろ? アニメの見過ぎだ、記者さん。華花は見た通りの普通の女子高生で、普通どころかおっちょこちょいで落ち着きがなくて、オマケにだらしない性格で……グハッ!」


 隣から肘打ひじうちが飛んできた。

 だが、キョトンとしてしまった光一たちに、助手席から華花が叫ぶ。


「だらしなくて悪うございましたー! なによっ、おっちょこちょいって。落ち着きがない? 失礼だよ、もぉ!」

「イチチ……ま、そういう訳だ。記者さん、こんなことしてる暇があったら深界獣の謎でも追ってくれよな。じゃ」


 相手がひるんだ隙に、ドアを閉めるや急発進。

 小さなハッチバックタイプの自動車は、あっという間に首都高速の方へと走り出すのだった。その間ずっと、ぷぅ! とふくれっ面でくちびるとがらせ、華花はねて外ばかり見ているのだった。

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