第3話


「五十嵐くんが行ってる大学ってさ、あのすっごい頭いいとこでしょ⁉ 五十嵐くん、頭いいんだぁ! 素敵!」

「いや、そんな事ないですよ。大した事ないです。ついていくのが精一杯で」

「もう! 謙遜しちゃって~! 可愛い!」

 ――次の日。店内に入ると、サユリさんと五十嵐くんの楽しそうに話している姿が目に入る。二人は私に気が付くと、温かい笑顔を向けてくれた。

「あ、ミズホちゃんだ。やっほー!」

「橘さん、おはようございます」

 二人の笑顔につられ、私もつい笑顔になる。

「二人共、おはようございま……」

 私が返事を返そうとすると、すかさずサユリさんが私のところに突進してきた。それも、まるで猛牛! ……いや、闘牛のように。

 彼は、キョトンとした表情でこちらを見ていた。

「ちょっと、ちょっと! 五十嵐くん、よくない⁉ 優しいし紳士的だし、何よりかっこいいし! 歳下だけど、ありだわ! ありよ、あり!」

 小さい声だが興奮高らかにそう話すサユリさんは、まるで恋する乙女のように頬を赤らめていた。

「……え? え? あ、そうですか?」

「じゃあミズホちゃんも来たし、私先に上がるね~。お疲れ様、五十嵐くん! ミズホちゃん、一緒に中に行こう! さぁ!」

「え? あ! サユリさん、ちょっと!」

 私はサユリさんに腕を組まれ、無理矢理スタッフルームへと引っ張られていく。……否、引きずられていく。『お疲れ様でしたー』という、五十嵐くんの声を背後から聞きながら。


 私とサユリさんはタイムカードを切ると、共にスタッフルームへと向かった。

「ねぇ、正直言ってミズホちゃんはどう?」

「はい? 何がですか?」

「五十嵐くんの事よ。昨日、色々話したんでしょ? もしかして好きになった?」

「はぁ⁉ ないですよ、ないない! 第一、昨日初めて会ったばかりですよ? 有り得ないですってば!」

「えー? 恋に時間は関係ないじゃない! 恋は突然やってくるものよ」

 ……この人に、昨日の彼の姿を見せてやりたい。きっと、今とは180度違う言葉が返ってくるだろう。

「はぁ、いいなぁ。五十嵐くんと長時間一緒に入れるとか。私、掛け持ちしてるから無理だし。けど……恋には障害が付き物よね? ファイトだ! サユリ! イケイケ、サユリ!」

 完全に熱くなっている彼女に、私は思わず苦笑いを浮かべた。こうなると、彼女の話はとんでもなく長い。

 私はロッカーに荷物を置き、急いでエプロンをつける。早く入らないと、お客さんが来たら五十嵐くんも困る筈。

「サユリさん、その話はまた今度ゆっくり聞きますから! とりあえず五十嵐くん一人、店内に残しておけないので……私、行ってきますね!」

「あ、そうだった。うっかりしてたわ! 彼、新人なんだっけ! ごめん、ごめん! いってらっしゃ~い!」

 まったくこの人は……彼の事が気になるのに、そういうところは気にならないのだろうか?

 しかし……

「サユリさんが、五十嵐くんを……ねぇ?」

 何だか今日のサユリさん、凄く可愛かったなぁ。恋は女性を美しく変えるって言うのも、あながち間違いじゃないのかも。……なんて思いながら、私は足早にカウンターへと向かった。


「ごめんね、五十嵐くん! 遅くなって!」

「大丈夫ですよ。お客さんも全然来なかったし、平気です」

 彼はそう言うと、優しくにこりと微笑んだ。

 あー成る程。この笑顔にやられたんだな、サユリさんは……なんて思いながらカウンターに入る。

「じゃあ今日届いた取り寄せ分のリストのチェックしてから、電話連絡。それが終わったら在庫チェックの続きやろうか!」

「はい!」

 彼は飲み込みがとても早いし、とにかくよく動く。本の置き場所も、もう大方覚えてしまったみたいだ。

 ポップ作りのデザインもセンスがあるし、イラストもとても上手い。お客さんの興味を引くような作り方を徹底している。

 細かい事にもよく気がつき、目が行き届いていて、本当に感心させられる。

 そして彼は、とてもよく笑う。

 勿論顔だってかっこいい部類に入ると思うし、サユリさんでなくても夢中になる女の子は沢山いるだろう。

 けど、何故だろう? 私はこの笑顔に何の魅力も感じない。

 昨日の彼を見た後だからだろうか? この笑顔も全部偽物のように感じる。

 張り付けられた笑顔の仮面の下で、彼は一体、どんな表情をしているのだろうか? ……うん、気になる。

「橘さんこれ、どうしたら……」

「あの……橘さん?」

「橘さーん! 聞こえてますかー?」

 あー……詮索はやめようって決めた筈なのに、どうしても気になってしまう。

 こんなの五十嵐くんにも失礼だ。……ちゃんと仕事しよう。

「……君が視る景色、触れるものは全て本物か? 知らぬ間に僕達は幻の中にいるのかもしれない」

「あ、新刊のキャッチコピー!」

 彼の台詞にまるで連鎖反応のように即答する私を見て、彼は『ぷはっ!』と吹き出し、笑った。

「やっぱり、橘さんは面白いです!」

 彼はお腹を抱えて笑う。……これだけ笑われると何だか面白くない。

「反応しちゃうんだから、仕方ないでしょ!」

「さっきからずっとうわの空だったのに、夜科蛍の話になると凄い勢いで食いついてくるんですもん」

「……え? あ! 何か言ってくれてた? ごめん! 話聞いてなかった! 何⁉」

「これです、これ! どこに出せばいいかを聞いてたんです」

「あ! これね、これはそこの棚の……」

 またやってしまった。一つの事考えていたら周りが声が耳に入らない。

 彼は今も楽しそうにケラケラ笑っている。さっきの笑顔とは違う、子供のような笑顔で。

「けど夜科蛍も、そこまで作品を愛されてたら本望でしょうね。ははっ、おかし!」

 ……うん、こっちの笑顔の方が良い。

 完璧すぎる笑顔はまるで機械のように冷淡に見える。声を上げて、少し崩れた表情で笑う方がずっと人間らしくて良い。

「はいはい。とにかくお仕事、お仕事!」

「はいっ! ご指導よろしくお願いします。でもあまり自分の世界に入り込まないようにお願いしますね?」

「……肝に銘じます。本当に申し訳ない」

「いえいえ」

 反省する私を横目に、彼はクスクスと笑った。


 ――ちょうどその時、ゆっくりと自動ドアが開く。私と彼は急いで入り口に視線を向けた。

「二人ともお疲れ様!」

 そこには優しく穏やかな表情を見せる老紳士と、上品で気さくな老婦人の姿があった。

「あ、店長と奥さん! 今日はお出かけの予定だったんじゃ……」

「それがね、この人ったら途中で気分が悪いとか言うから引き返してきたのよ~。で、どうせ帰り道だし店に顔を出しに来たの。あ、これ、シュークリーム! 良かったら休憩中にでも食べてね」

「え⁉ 店長大丈夫なんですか?」

「大丈夫、大丈夫。ちょっと疲れただけだよ。年は取りたくないもんだねぇ」

 老紳士は『情けない』と言いながら笑う。その寂しそうな笑顔を見ると、何だか胸がグッと締めつけられた。

「――店長、奥さん。お店の事は橘さんと俺に任せて、今日は自宅でゆっくり休んで下さい。締めまで責任を持って、ちゃんと二人で終わらせますので」

「五十嵐くん、ありがとう。しかし昨日、ミズホちゃんと休憩から戻ってきた時の君の変貌にもとても驚かされたが、面接の時の君とはまるで別人だね。……何故、あの姿で面接を?」

「……いつもはあんな感じなんですよ。けれど橘さんに昨日、服装と髪型何とかしろってきつく注意されたんです。で、反省してこういう形に……」

「……え⁉ ちょっと! 五十嵐くん!」

「はっはっは! ミズホちゃんもなかなか言うね」

「ウフフ、今は男性よりも女性の方が強い時代ですものね」

 老紳士は豪快に笑い、老婦人はクスッと上品に笑う。

 私は隣にいる彼を、恨みがましくジィーっと見つめると、視線に気付いた彼は私を見てニッコリと笑う。

 策士め……策に溺れやがれ、なんて思いながら、私もニッコリと笑い返した。


 店長と奥さんが帰った後、私達は淡々と仕事をこなし……そろそろ閉店の時間だ。私は有線を閉店時にかける音楽に切り替えた。

 ホタルの光が流れる頃、店内には誰もいなく、非常に静かで何だか少し物悲しい。

 レジ締めも終え、今日の仕事もこれで終わり。

 ブラインドを下ろしに行っていた彼が、戻ってくるなり私に尋ねてきた。

「橘さん、この後少し時間ありますか?」

「え、この後? うちに連絡しとけば大丈夫だけど、どうかしたの?」

「実は、俺……橘さんに聞きたい事があるんですよ」

 ――私に?

 彼は一体、私に何を聞きたいというのだろうか? ……まったく見当もつかない。

「わかった。いいよ!」

「ありがとうございます」

 私がそう言うと、彼は嬉しそうに笑った。

 タイムカードを切ってロッカーにエプロンを直す。彼には先に店を出て、外で待っててもらう事にした。

 私はその間に自宅に電話し、一言断りを入れると、戸締りの点検をして裏口から出た。


 外はすっかり真っ暗で、電柱に設置されている外灯などには沢山の虫が集まっていた。

 いつものように風もない蒸し暑い夜ではなく、今日は少し風がある。イタズラな風が、イタズラに私の髪を揺らした。

 気紛れな風が運ぶ夏の夜の匂いが、妙に心地良く感じる。

 ――暗闇に浮かぶ、彼の後ろ姿。

 私は、急いで彼の元へと駆け寄った。

「五十嵐くん! ごめんね、待たせて」

 振り返った彼は、私を見てそっと笑う。

 その表情は暗くてはっきりとは確認できないが、いつもの彼とは違い、何だか大人で……物静かでミステリアスな雰囲気に包まれていた。

「ミズホ、お疲れ」

 突然呼ばれた名前に、私の心臓は大きく跳ね上がった。

 彼の甘く低い声が私の名を呼ぶ。

 高鳴る心臓の音が、はっきりと聞き取れるくらいに響き渡り、頬がみるみるうちに紅潮するのがわかった。

「ミズホ……? どうかした?」

 彼は私の顔を覗き込む。まるで別人のような彼に、戸惑いを隠せない。

 私は高ぶる気持ちを何とか落ち着かせ、動揺を隠すように、明るく彼に話しかけた。

「……ちょっと〜! いつもは敬語だし、橘さんって呼ぶのに、何でいきなりミズホ? びっくりしちゃうじゃん、もう!」

「あ、そっか。仕事中とプライベートはちゃんとわけてるんだ、俺。……駄目だった?」

「別に、駄目じゃないけど……」

「そ? なら良かった」

 彼はそう言って静かに笑うと、『行こう』と一人歩き始めた。

「……ねぇ、どこ行くの? 五十嵐くん」

「ソウ」

 彼は立ち止まりゆっくりと振り返ると、じっと私を見つめる。

「俺の事はソウでいいよ、ミズホ」

 ――まただ。私の中で、新たな五十嵐想が生まれる。

 もしかしたら多重人格者ではないのか、と思うくらいにコロコロと雰囲気の変わる彼は、まるで掴もうとしても掴めず、指と指の間からサラサラとこぼれ落ちる砂のようだ。

 本当に掴みどころがない。

「わかった?」

「う、うん。ソウ……くん」

「ミズホは、本当に今時珍しいくらい古風な女性だね。いいと思うよ。そういうの」

 彼はそう言い軽く微笑むと、私の髪をそっと撫でた。苦しいくらいに胸が高鳴る。

「近くに公園があるから、そこに行こうか」

「うん……」

 私は前を歩く彼の背中を見ながら何とも言えないような複雑な感情に包まれ、居心地の悪さを感じていた。

 彼はそんな私の気持ちも知らず、呑気に口笛を吹きながら歩いていた。


 夜の公園は緑の匂いに包まれ、風は木々を優しく揺らしていた。

 彼は近くにあったベンチに座る。私は、彼から人一人分の空間を空けて、そこに座った。

「何でそんな離れてるの?」

「……別にいいでしょ、何でも!」

 彼は『俺、怖い? 別に何もしたりしないよ』とクスクス笑う。

 決してそういうつもりではなかったのだが、彼にそう言われた事で自意識過剰に思われたのではないだろうかと、ほんの少し恥ずかしい気持ちになった。

「……で、私に聞きたい事って何?」

「うん、単刀直入に聞くけど……ミズホは店長夫妻の事をどれくらい知ってるの?」

「え? 店長夫妻⁉」

 彼の口から突然飛び出した店長夫妻の話題に、私は思わず怪訝な表情を浮かべる。

「そう、藤尾さん夫婦の事だよ。どんな事でもいい、何か知っている事があれば教えて欲しいんだ」

 彼は真剣な表情を見せながら、そう私に問いかけてきた。

 そんな事を突然言われても、店長と奥さんの一体、何を話せと言うのか?

 悩んで言葉を詰まらせる私に、彼は痺れを切らしたかのように話を続けた。

「ミズホはあのバイト長いんだよね?」

「長いのかな……? けど、あのお店が建った時にオープニングスタッフとして入ったの。高校の時からだからもう三年くらい、かな?」

「それじゃあ、店長と奥さんとはかなり親しくなっている筈だよね?」

「うーん。確かに、可愛がってもらえているとは思うけど……」

「あの夫婦から、何か変わった話を聞いた事がなかった?」

「話って、どんな?」

 私がそう尋ねると、彼は暫し黙り込んだ。そして何かを決心したかのように口を開く。

「たとえば、不思議な島の話とか……」

「島? ……ううん。そんな話、今まで店長夫妻から一度も聞いた事ないけど」

「……そっか、そうだよな」

 彼は小さな声で『頑なに口を閉ざしていると聞いたし、そう簡単には他言しないだろうな』などと意味深な事を呟く。

 ――不思議な島? 一体、何の話だ?

 けれど私の脳の片隅で、何か引っかかるものを感じる。不思議な島……不思議な世界……

 不思議な――

「あっ!」

「……ミズホ、何か気になる事でもあった?」

「そう言えば昔、奥さんと小説の話をしていた時……」



***


『ミズホちゃんは、本当にファンタジーが好きなのね』

『はい! 大好きです! でも、最後まで読んでしまった後……何だかいつも虚しくて、悲しい気持ちになるんです。素晴らしい物語がまた一つ、終わってしまった……って。それで一気に現実に引き戻されてしまって、今まで以上に、この世界にもこの世界で生きている自分にも幻滅させられます。……駄目ですね、私。別世界なんて、存在するわけがないのに』

『……わからないわよ? 気付いていないだけで、貴女の知らない世界が、本当は存在しているかもしれない。ただし、それが貴女の思うようにただ美しいだけとは限らない。時に恐ろしく、貴女の心を深く追いつめてしまう危険な世界かもしれないわ。異世界とは本来、憧れではなく恐怖を抱くべき場所なのかもしれないわね……』


***


「……あの時の奥さん、いつもと雰囲気が違って見えた。この世界には誰も知らない不思議な街や不思議な島が隠されているのかもねって寂しそうに笑って話していたのが、何だか印象的だったけど……」

「……やっぱり、そうか」

「え、何が?」

「記述にあった通りだ、間違いない。あの夫婦はきっと、島の生還者だ」

 彼は立ち上がり、ブツブツと呟きながら何かを考えているような素振りを見せる。真剣な表情ではありながらも口角は上がっているし、目は爛々と輝いていた。

「ミズホありがとう! 君のお陰で確信が持てたよ!」

 月明かりに照らされた彼の笑顔は、今までに見た事がないものだった。

 赤子のように愛くるしいような笑顔でもなく、思わずとろけてしまいそうな甘い笑顔でもない。ゾクッとするくらい、魅力的な笑顔……

「いが……ソウくん。一体何なの? さっきからわけがわからない、ちゃんと説明して」

「あぁ、ごめんごめん! まぁ、君になら話してもいいかな。他の人間なら信用すらしないと思うけど、君ならきっとわかってくれると思うしね」

 すると、彼はまるで小説の一節のように語り始めた。

「永遠に続く夜の宴。それは不思議で奇妙で恐ろしく、そして何より美しい。悪魔や魔女の宴とも呼ばれるものだ。不気味な島で開かれる夜の晩餐。夜の間はその島で過ごす事になり、朝日が昇れば元の世界に戻れる。――その島の事を、住人達は【夜宴の島】と呼んだ」

「夜宴の島……? 誰かの小説か何か?」

「違うよ。これは実在する島の話だ。いや、実在するっていうのはおかしいか。この世界とその世界は、まったく別の世界なのだから」

「別の世界……それって、異世界って事?」

「流石ミズホ。飲み込みが早くて助かるよ」

 彼の突飛すぎる話に頭がついていかない。彼は一体、何を言っているのだろうか?

「ちょっと待ってよ、本気で言ってるの? 異世界だなんて、そんなものある筈が」

「俺は本気だよ。異世界は確実に存在する」

 彼は怖いくらいに真剣な眼差しで、はっきりと私に言い放つ。

 あまりの迫力に、私は思わず口籠り、それ以上何も言えなくなる。

「藤尾夫婦がその世界に行って戻ってきた。当時の夫婦はその事を世間に訴えたが、勿論誰も信じる事なく……その真実は闇に消えさった。けど、古くから藤尾夫婦と知り合いで、俺の通っている大学で教授をしてる都築先生がその話に興味を持ったんだ。ちゃんと記録に残ってあった。都築先生は当時色々と調べたみたいだけど、結果何の成果も得られなかったみたいだね」

 彼が饒舌に詳細を説明していくのを、私は相槌で返した。

「結局、都築先生自身もその件を放り投げた。今では思い出す事もないだろう。そんな時、俺は教授の部屋で、ファイリングされているその記事を偶然見つけた。一瞬で魅了されたよ。藤尾夫婦は誰も信じてくれなかった事と、夜宴の島での事をあまり思い出したくない一心で、今では口を閉ざしているらしい」

 ――繋がった気がした。彼がうちに面接に来た理由。

「だから俺はその事を調べる為に、あの書店で働こうと思ったんだよ」

 ……やっぱり。

「ミズホは夜宴の島と呼ばれる島が、本当に存在するのか……興味はない? 真夜中の宴会場。人であらざる者達が集まる恐ろしくも美しい世界。……俺は行ってみたい。今すぐにでも」

 彼は少し……いや、かなり歪んでいるように思えた。異世界という世界に心酔し過ぎている。

 けれど……もしそんな世界があるというのならそこに行ってみたいと思う私も、やはり歪んでいるのかもしれない。

 それ程までに、彼の話はとても興味深かった。

 そしてそれは、夜科蛍が創り上げる物語のそれと……どこか少しだけ似ているような気がした。

「――ねぇ、ミズホ。夜科の小説のように、俺達でファンタジーを創り出さないか?」

「え?」

「ミズホだって、この世界に飽き飽きしているんだろう? ……わかるよ。君は俺に、とてもよく似ているから」

 彼は笑う。私はその笑顔の裏に『何かあるのではないのではないか?』と、つい疑ってしまう。

「俺と一緒に行こう。夜宴の島へ」

 彼が手を差し伸べる。……信用出来ないその手を取ってしまったのは、この五十嵐想という人間の事が気になるから?

 ……ううん、違う。知りたいからだ。

 彼という人間の中身を、本当の彼自身を――


「正直信憑性に欠ける話ではあるけれど、そんな島が本当に存在するのなら私も行ってみたい……かもしれない」

「それでいいんだ。必ずしも全部を信じる必要はないよ。君が信じようが信じまいが、真実は一つしかないんだから。いずれ真実の方からひょっこり顔を見せるさ。それまでは半信半疑でいい。君の好きな夜科の文面にもあっただろう? 『千の人間が否定したとしても、自分は一の肯定者でありたい。その選択がきっと、君の視覚、聴覚、知覚をより過敏にし、君を黄泉の世界へと{誘}(いざな)い、招き入れるであろう』と」

「常夜の言の葉……けど、その好奇心が結果的に自分自身を追いつめ、破滅の道に進むんだよね」

「そうだね。でもミズホは、彼のその選択に後悔があったと思うかい?」

「それは……」

「知って後悔するよりも、知らないまま後悔する方がもっと嫌だ。俺には、あの主人公の気持ちがよくわかるよ」

 ソウくんは、鏡花水月以外の作品は好きではないと言った。けれど私にはとてもそうとは思えない。

 彼の言葉から夜科蛍の作品に対する愛情が、見え隠れしていたから。

 私には、彼が嘘をついているようにしか思えなかった。

「わかった。私に出来る事があれば協力する。確かにその話はとても興味深いもの。けど、その代わりに一つだけ教えて」

「何?」

「……貴方は一体何者なの? どれが、本当の貴方自身の姿なの?」

 静かな夜の公園に、私の声がさざ波のように響き渡る。

 夜風が公園のブランコをゆっくりと揺らした。

 まるで、そこにもう一人存在し、私達の話にそっと耳を澄ましているかのように。

「……それは教えられない。答えたくないんだ。自分の素性ほど、愚かで惨めなものはないからね。けど、協力してもらうんだし……一つだけ。ミズホから見て俺という人間が掴めないと思うのなら、それは全て本当の俺ではないからだよ。でも君が見てきた俺は全て、正真正銘本物の俺自身に違いない。……その矛盾、君にはわかるかな?」

 彼は、私の頭にぽんっと優しく手を置く。

「……ミズホが見つけてみてよ。本当の俺自身を。その謎が君の中で、また新たな一つの物語を生み出すんだ」

 そう言うと彼は、『もう遅いから送るよ』と、そっと立ち上がった。私も数秒遅れて立ち上がる。

 気が付けば夜も更け、歩行者や走行車の姿も見えなくなっていた。

 私は空に輝く月を見上げながら、彼の言うもう一つの夜を思い浮かべ、想いを馳せた。

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