2-4 不動の言い訳
ぼんやりと紙コップを見つめていると談話室の入り口が騒がしくなる。高い声音に女子の集団が入ってきたのだと視線を向けなくとも分かった。
昔から女子というものが苦手だ。小学生の頃は足が速いというだけで格好いいと騒いだくせに、身長が止まってからは「自分より小さい男とかありえない」と手のひらを返す薄情さが嫌だった。こっちはお前らなんか相手にしてねえよと言ったところでモテない男の僻みだと周囲には笑われる。
これもそれも小さいからだ。高身長とはいかなくとも平均まで育っていれば。せめて女子よりは大きくなりたかったのにと何度も思い、お腹を壊すほどに牛乳を飲んだのに俺の背は少しも伸びてくれなかった。
「あっ、小口さん」
苦い記憶を思い出していた俺の耳にその名前はハッキリと届いた。頭で認識する前に体が動き、気づけば新田が顔を向けている方向を見ていた。その先にいる背の高い少女に目が奪われる。
いるかどうかも分からない神に対しての不平不満を内心で言い連ねていると視線に気づいたのか、友達と話していた小口さんがこちらに顔を向けた。目があう。その瞬間、小口さんは頬を染め小さく笑みを浮かべた。ひかえめで可愛らしい、小口さんらしい笑顔。それを見た瞬間、体温が一気に上がった感覚がして、俺は慌てて視線をそらす。
「翔~、あからさま~」
「何がだよ!」
ニヤニヤ笑っている新田に噛みついた。上がった温度をどうにか逃がしたいという衝動的な行動だったが、新田のニヤニヤ笑いを見ていると普通にムカついてくる。コイツは俺を苛立たせる天才なのか。
「小口さん、こっち見てるよ? いいの~? 話さなくて」
「何を話せっていうんだよ」
ツンツンとわざとらしく俺の腕を突っつく新田を睨み付ける。心底楽しそうなその顔に水でもぶっかけてやろうかと紙コップを握りしめるが、行動に移す前に天野のあきれた声がした。
「新田、あんまりからかうな。こういうのは本人同士の問題だろ」
「いやでもさあ、明らかにお互い意識してますって態度を目の前でされるとさあ、文句の一つやお節介の二つや三つ、したくなるでしょ」
「すんな。黙ってろ。動くな」
低い声を出して睨み付けても新田に効いている様子はない。これも俺が小さいからだろうか。小さい男はいくら睨んだって迫力がないのか。そう思ったらどんどんイライラしてくる。
「俺のどこが意識してるっていうんだよ」
「女の子苦手な翔ちゃんが小口さんとは目合わせる時点で答えでてるようなもんでしょ」
新田は両肘を机の上に置き、組んだ手の上に顎をのせ、楽しそうな顔で俺を見つめてくる。否定したいのに否定の言葉が出てこない時点で負けなのだろう。俺だって本当は分かっている。小口さんを見るたびに背中の翅がうずく。気を抜いたら今にも落ちてしまいそうな翅を俺は今必死で抑え込んでいる。
「小口さんも翔ちゃんのこと好意的に思ってるみたいだし、ここは男らしく告白して、めでたく退院しちゃいなよ」
「……小口さんは誰に対しても優しいだろ」
女子たちの輪に入っている小口さんをチラリと見る。会話はハッキリ聞こえないが楽しそうだ。声を出さずに笑う姿は今まで見てきた女子とは違い、おしとやか。中学時代の女子ときたら口はうるさいし、声はデカいし、俺のことをチビだなんだ言ってきて最悪だった。俺が入院している間に彼氏が出来た姉だって化粧と外面で猫を被っている暴君だ。小口さんのように綿菓子みたいな柔らかくて甘そうな雰囲気はない。
間違いなく俺は小口さんに惹かれているが、小口さんの方が俺を好きという確証はない。何よりの証拠は……
「翅落ちてないし」
俺の言葉に新田と天野が顔を見合わせた。かすかに眉を寄せなんとも言えない顔をする。
恋をすれば翅が落ちる。それがクピド症候群の特徴だ。だから翅の落ちていない小口さんは恋をしていない。俺に笑いかけてくれても、他の男より話しかけてくれたって、照れたように頬を染めていたって、俺に恋しているわけではないのだ。
翅が震える。それを俺は必死に押さえ付けた。向こうは俺を好いているわけじゃないのに、俺だけが舞い上がって翅を落とすなんて間抜けすぎる。モデルみたいに高身長でスタイルがよい小口さんと女よりも小さな俺では釣り合わない。そう言われているみたいで気も滅入る。
「脈ありだと思うんだけどなあ……」
「しつこい」
テーブルに顎をのせてブツブツいう新田の頭を小突く。新田は「痛い」と形だけの苦情を入れてから俺をじっと見上げた。
「翔ちゃんは退院したくないの?」
その問いに俺は答えられなかった。
退院したら自由になれる。けれど、目の前にいる新田と天野と外で会えるかは分からない。クピド患者は全国から集められているから、病気が治って地元に帰ったら自然と交友は途絶えてしまう。それが俺は少し寂しい。このまま退院すれば小口さんとの接点だって完全に絶たれるだろう。
なにより翅が落ちたら、もう飛べない。
黙り込む俺を見て新田は困った顔をした。仕方ないなあという顔を見て年下扱いすんじゃねえと思ったのに、口から言葉が出ない。
「俺は退院したくないな。ここに骨を埋める」
「それもどうなの」
天野が本気なのか冗談なのか分からないことをいい、新田が笑う。俺のことを気遣って、あえて軽い空気にしてくれたのだと分かった。
「そういう新田も、退院する気ないだろ」
二人の気遣いに乗っかって、何事もなかったように会話に加わると新田はわざとらしいほど大きなため息をついた。
「ここを出たら、地元に残してきた女子たちに包丁片手に追いかけられるだろうから、俺は安全のためにここにいる他ないんだよ」
「お前、何したんだよ」
「俺はただ平等に皆と楽しく遊んでいたつもりだったのに、気づけば俺の彼女を名乗る女子が一人、二人、三人と」
「お前がクズなことは分かった」
半眼で見つめると真剣な顔をした新田が「不思議だよねえ」と腕組みをしている。顔だけみたら難題を前にする学者みたいだが、言っていることは最低だ。というか新田は話を盛りがちだし、涼しい顔で嘘をつくのでどこまで本当なのか分からない。
一つだけ分かることがあるとすれば、新田は退院する気がないということだ。
「設立当初から居座ってる患者っているのか?」
「
天野の疑問に新田が答える。
俺も鳴瀬さんの噂は知っている。食事以外はほとんど自室に引きこもって出てこない、恋そのものを拒絶しているような女性だ。誰とも打ち解ける様子がなく、いつも暗い顔をしていることを考えるのに、何かしらの事情を抱えているのだろう。
入院当初は恋が出来ないくらいで世界の終わりみたいな反応するなとあきれていたが、入院期間が長くなるにつれ、恋とはそんな簡単な話ではないのだと気づいた。目の前にいる二人だってきっと俺には言いたくない事情を抱えている。分かっても俺はそれに気づかないふりをする。
「まあのんびりしようぜ。恋なんて無理矢理するものでもないし」
気楽な口調で告げる新田に俺は心底安心した。
まだここに居ていい。そう言われているような気がしたのだ。
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