それでいい

 学生街とは全く違う雰囲気のニーズー繁華街には、多くの露天や店が軒を連ねている。

 大通りに沿って、店と店がくっつくような密集具合で、七色にひかる奇妙な果実。大きな魔獣の肉があったかと思えば、その横には高級そうな宝石が売られている。


 ものすごい混雑具合で、大きな男の人や獣人にぶつかって転びそうになるのをかき分けるように歩いた。

 冒険者風の屈強な男女をよく見かけて、心が踊った。

 彼らはどんな魔術を使うんだろうって。実践的な魔術は、自己流でも学んではいるけれど、プロのものも見てみたいじゃないか。


 繁華街では、オレとしては新しい魔術書か杖の素材でも見たかったんだけれど、


「あ。そうだ。エカルテ。フリック君に水泳教えてもらったんでしょ? お礼買っていけば?」


 シエルのそんな一言で、一通り買い物や見物を終えた後は、フリックへのおみやげ探しに目的が変わっていた。

 

 そうだよね。3日もみっちり付き合ってくれたんだ。お礼しなきゃ。


「フリックの好きなもの、あなたは知っているのかしら?」


「ナッツクーヘンとか好きみたい。意外と甘いもの好きだよね、フリック。そうだ、ナッツクーヘンにしよう、お土産」


 シュシュに答えると、彼女は鼻を鳴らした。なんか悔しそうな顔だ。

 待ち合わせのときにオレの格好を見て、やっぱりちょっと不機嫌だった彼女は、それでも買い物を目一杯楽しんでいるようだった。


 目の前の事を楽しむ。

 死ぬほど癪だけど、ヴァロッテからもらった視点だ。


 オレも、今日はすごく楽しかった。

 女子の集団にまざってあれこれおしゃべりして、買い物して。


 そんな毎日が続くのも、いやじゃない。

 これからもシエルやフリック、友人たちと毎日を過ごしていくんだ。


「じゃあ、わたくしの好きな食べ物は?」


「何張り合ってるのさ。リ・オ・レでしょ」


「ふふん。正解よ。わたくしもお世話になりましたからね。フリックにお礼をなにか買って帰るとしましょうか」


「機嫌を直してくれて何よりです。お姫様」


 オレがからかうように言うと、シュシュは子供っぽく頬をふくらませる。


「子供扱いしないで頂戴!」


「ごめんってば」くすりと笑って、睨みつけてくるシュシュを躱すと、シエルに向き直る。「そうだ。シエルにも、お礼したい。いつもお世話になってるし。お菓子屋に入ったらシエルの好きなものも――」


 そこで、言葉に詰まった。

 シエルの好きなお菓子って、何?

 いつも何でも美味しそうに食べているのは知っている。

 嫌いなものがないのも知っている。

 

 色は青が好きなことも知っている。

 普段は意外と女性らしい服はそんなに好まず、動きやすい服装とパンツルックが好きなのも、知っている。


 でも。あれ?

 シエルの好きなお菓子って、なんだろう。

 なんでそんな事も今まで話さなかったんだろう。

 

「あ。わたしはなんでも好きだよ。なに、エカルテ買ってくれるの? でも、お小遣い大丈夫ー?」


 シエルがにっこりと微笑んで、両手を胸の前であわせている。


「お小遣いは、まだ大丈夫。杖作りの手伝いはじめたんだ」


「そっか。じゃあわたしもナッツクーヘン買ってもらおうかな! えへへ。嬉しいな」


 なんだか、心臓を冷たい手で握られたような気持ちがした。

 いつも優しくて、にこにこしてて。

 オレに色々な事を与えてくれて、受け入れてくれるシエル。


 オレは、彼女のことが大好きだ。

 彼女がいるから、オレは女である事も少しずつ受け入れられて、今日こうやって楽しんでいる。

 オレが今生きていられるのは、色んな人に救ってもらったからだ。

 

 シエルも、そこに大きく刻まれている。

 でも、知らないんだ。彼女の好きなお菓子すら、知らない。

 いつもオレの事ばかり話してて、シエルのこと、オレはちゃんと知ろうとしてたのだろうか。


「エカルテ。大丈夫? どうかした?」


 心配そうなシエルの声にはっとする。

 シエルから瞳を覗き込まれていて、いつもどおり姉としてオレを心配してくれている顔だった。

 そればっかりで、いいの?


「だ、大丈夫だよ。シエルの好きなお菓子でいいよ!」


「わたしも、ナッツが好き。だから一緒に選ぼうね。ほら、行こ?」


「うん」


 よく晴れた日差しの元、シエルから手を引かれて、歩いていく。

 また、こうやってなんでもないように流れていく。


 それでいいわけない。

 オレは、ちゃんとしたい。

 シエルの気持ちがちゃんと知りたい。強く、そう思った。



……。



 時々、どうしようもない衝動に襲われることがある。

 そんなときは、感情が表に出そうなときは、深夜の応接室で月を見上げることにしている。

 満月の日も新月の日も、晴れの日も雨の日も、月はたしかにそこにあって、わたしを落ち着かせてくれる。


「エカルテ」


 誰も居ない深夜の応接室で、彼女の……彼の? 名前をよんで見る。


 『シエル』


 彼女がわたしの名前を呼ぶ響きを思い出してみる。

 口の中に甘美な感覚が広がって、唾液を飲み込むとお腹の奥がぞわりとした。


 ナッツクーヘンのお土産を、フリック君はずいぶん喜んでくれていた。

 エカルテとフリック君。お互い渡す時には顔を真赤にして、なんだかとても可愛らしいって思う。

 シュシュちゃんとも、今日の買い物でずいぶん親しげに話していた。

 それで良いって、わたしは思う。


 ふたりがエカルテに思いを告げた時、わたしはとても嬉しかった。

 良かったって、本心から思ったんだ。


 ”ちゃんと”した人たちが、エカルテを今後も守ってくれる。そう、知ったから。

 ふたりともすごくいい子だし、エカルテの事を第一に想ってくれている。

 どっちを選んでも、きっと幸せだ。


 のんびりなエカルテだっていつかは好きな相手を見つけて、大人になって、そして人生の伴侶を選んでいくのだろう。


 クラスのみんなは、魔族であるわたしにずいぶん慣れた。

 魔族でも”ちゃんと”していけば、受け入れられるっていうことも、分かってるし、実感した。

 すごく幸せなことだって思う。

 人はやがてわかってくれる。それは知っている。


 だけど、私はその過程を後何回繰り返せば良いんだろう。

 新しい人に出会うたびに拒否される事を、後何回繰り返せば、わたしは大人になって傷つかなくて済むのだろう。


 その過程に、もうエカルテを巻き込みたくは無い。

 彼女は辛いことがたくさんあったんだ。

 たくさん傷ついて、泣いて、泣いて、泣いて、最初は自分なんてこの世界に必要ないって顔してた。


 ようやく最近心から笑うようになったんだ。

 もう、傷ついてほしくない。幸せになってほしい。

 

「わたしは、エカルテが好き」


 小さく口に出して、もう唇に触れた。彼女の血の暖かさがそこにまだ残っている気がして、嬉しかった。


 彼女に出会ってから、こんなにも楽しい事が世の中にはあるんだって知った。

 わたしをひとりじゃなくしてくれた。


 だから、彼女が幸せになるまで、いつまでだって側にいる。

 いつか彼女が自分を見つける時までは、あなたは必要とされているんだってことを伝え続けようと思う。

 わたしを必要としなくなるその時まで、いつまでも隣で笑っていようと思う。


 結婚しようかな、なんて冗談めかして言った事もあったっけ。

 なんだか遠い昔みたいだ。あの頃がずっと続けばよかったのに。


「はーあ。わたしってば弱いな」


 思わずため息を付いた。

 エカルテに偉そうなことを言って、ずっと今が続けばいいなんて思っているのは、わたしの方だ。


 分かってるんだ。

 矛盾だらけだ、わたし。

 ちゃんとした人がエカルテの前に現れた以上、もう、わたしは深く関わるべきじゃない。


 わたしは、お姉ちゃんでいい。


 そう思っているのに、彼女に傷痕を付けた。

 血を、もらってしまった。傷痕が残ればいいなんて言ってしまった。

 それがエカルテを惑わせる結果になるかもしれないって、理解してたのに。


 どうしたって衝動が抑えられない時がある。

 それは、たぶん。わたしの弱さだ。


「ねえ、エカルテ。わたしが好きなお菓子は、クイニーアマンなんだよ」

 

 彼女にはそんな事すら、伝えていない。


 最近は意識して自分のことはあまり話さないようにしているのだから、当然だ。

 でも、それで良いんだ。わたしのことを知ってもらうよりも、もっと知るべき相手がいる。


 あまり仲良くなっても、別れが辛いもんね。

 だからわたしは。どうしたってやるせないときは、こうして一人で月を見上げている。


「早く大人になりたいな」


 誰からも傷つけられず、傷つけない。そんな大人になりたい。

 あ。さっきまでは子供のままで居たいって思ったのに、また矛盾してる。

 よく、わかんないな、自分のこと。


 明日も笑って彼女の隣に居られますように。

 ほっぺに手をやってぐしゃぐしゃだった表情を整えた。 


……。


 アントルシャはその夜本を読んでいた。

 古今東西の様々な英雄が描かれた歴史書だ。

 その中の一つの記述に、天啓を得たかのように全身にしびれが走った。

 アポテオーズ王国建国の祖に関する記述だ。


 ドラゴンの卵を持ち帰った彼は人々から大英雄として認められ――

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