あいだのはなし②



「エカルテ・シルフィード。シュシュ・バーデン。どうかしましたか? 体の調子でも?」



 ぬっと影が差して、オレ達は顔を上げた。


 とんがりメガネのカドリー先生が、いつまで経っても座りっぱなしのオレ達に気づかないはずもない。



「いいえ、先生。わたくし達は泳げないのです」



 シュシュの隣でオレも全力でうなずきまくる。泳げないのです。



「そうですか。でしたら私がつきっきりで泳ぎ方を教えましょう。と、言いたいところなのですが」



 はあぁ、と大きくため息を付いて、カドリー先生はオレ達から視線を外した。


 視線の先を追ってそちらを見やる。皆は豆粒程にしか見えないけれど、なにか人が集まっている?


 先生が杖を向け、呪文を唱えると、人だかりの中心から何かが水から引き上げられて、凄まじい勢いでこっちにすっ飛んでくる。



「――ぁぁぁうわあああああ!」



 音が近づいてくる。豆粒が段々大きくなって、すぐに顔がわかった。ヴァロッテだ。


 弾丸のように飛んできて、先生の寸前でぴたりと止まる。



「あああ? あ、た、たすかった!」



 空中に浮かんだまま、ヴァロッテはゲホゲホとむせこんで、水を吐いていた。



「ヴァロッテ・クラエル。足がつりましたね? あれほど準備運動をしなさいと言っていたはずですが」



「あ、あはは……先生。実は俺、平気でしたよ」



 空中で頭をかいて、それでもごまかそうと目を泳がせている。


 彼、溺れかけてたみたい。それなのになんてたくましいやつ。


 先生はやれやれと嘆息して、ヴァロッテをゆっくりと下ろしたあと、オレ達に目線を戻した。



「と。このように今日はどうやらあなた達につきっきりとは行かないようです。うちのクラスはやんちゃがすぎる子が多い。水泳の時は教師二人体制にするよう、教頭に上申するべきでしょうか。あなた方への指導はフリック・フラックに任せるとします」



「え!?」とオレ。


「なぜよりによってフリックなんですか!? 男子なのですよ!」とシュシュ。



 ほぼ同時に言った。


 カドリー先生はメガネを上げると、淡々と事務的に答える。



「まず、彼がクラスリーダーである点。彼の魔術指向が、あなた達が仮に溺れた時、助けるのに適している点。――無論、基本は私を呼ぶように伝えますが。


 さらにあなた達とは友人である点。彼の教えるのに向いた性格。ざっと見た所、クラスで一番泳ぎが上手い点。それらを勘案した結果です。彼以上の適任者は居ないと思いますが。泳ぎ方を教えるのに、男女の関係がありますか? シュシュ・バーデン。意見があれば忌憚なくおっしゃいなさい」



「……いいえ、先生」



 あれ。シュシュはあっさり引っ込んじゃった。


 良いの?


 オレは良くない。



 だって、他の男子も、女子も、近くで見られるのは嫌だけど。一番水着姿を見られたくない相手はフリックだ。


 もちろん、嫌いとかじゃない。ただひたすらに、理由はわからないけど、一番恥ずかしい相手なんだ!


 理屈まみれのカドリー先生への反論は、オレのちっぽけな頭じゃ結局思い浮かばず、もごもごと口をさせているうちに、先生はさっさとフリックを呼びに行ってしまった。



 あああ!


 どうしよう。どうしよう。どうしよう!


 クロークを手繰り寄せようとしたら、シュシュに睨まれた。



「なにやってるのよ、あなた。まさかそれを着る気じゃないでしょうね」



「だって……」



「だっても何もあるものですか! わたくし一人に恥をかかせる気!?」



「う……だって」




「良い? わたくしだって、恥ずかしいのよ。男子に、しかもクラスの皆の前で教わるなんて。一緒に、耐えるの。良いわね、エカルテ」



「だって……」



 だってしか言ってない。ちゃんとした理由が頭に思い浮かばないんだ。


 でもシュシュの恥ずかしいと、オレの恥ずかしいは、なんだか違うっていうのは、分かる。


 この感情、なんて名前なんだろう。本に書いてあるのかな。



「な、なんかごめん、教えるのがぼくで」



 いつの間にか、ばつ悪そうに頬を掻いているフリックが目の前に来ていた。



「わあっ!?」



「ちょっとエカルテ! なにやってるのよ!」



 思わず悲鳴を上げて、シュシュの後ろに隠れる。



「わあって! 酷いよエカルテ!」



「や。はい、ご、ごめん。でも、待って。こんなの、やだし」



 しどろもどろもいいところ。体中が沸騰したように熱い。自分で何言ってるかもわからない。



「いい加減覚悟決めなさい。ほら! さっさと前に出る! 教わってしまえば、わたくしたちにもう弱点はないのよ!」



 シュシュに手を捕まれ、ぐるっと背後に回り込まれる。


 そのまま腰を両手で押されて、フリックの方に差し出されてしまった。



「あ。エカルテも、水着なんだ」



「……うん」



 片手をぎゅっとにぎって、自分の体を抱いて隠した。


 俯いたら朝露の残った草の上でまあるい水の玉が光って落ちた。



 フリックは、どんな顔してるんだろう。


 私、変じゃないかな。いや、たぶん変って思われてる。


 男だったのに、こんな格好して、変じゃないわけ、ない。


 そっか。オレが元々男だって知ってるフリック相手だから、こんなに恥ずかしいんだ。



「泳ぐんだから、当然でしょう」



 シュシュが答える。魚みたいに口をぱくぱくさせるだけの私に変わってくれた。



「あ、そう。うん。じゃあ行こう」



 彼にしてはとてもそっけない態度。


 すぐに背を向ける気配があった。


 やっぱり、変なんだ! この格好。


 はあ。もうやだ。水着なんてだから嫌だったのに!



 泣きそうに、鼻がツンとしてきて、それでも彼が背を向けて、ようやく顔をあげることが出来た。


 ほっそりとした、上半身裸の、同い年の肩が目に入る。


 肩には少し筋肉が浮いていて、腕を振る度隆起するそれは、私にもシュシュにも無いものだ。


 いそいそと私はその背中を追った。

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