9歳の終わり



 トレントは魔力に反応し集まる性質を持つ。


 それを知ったのは、森での一件が終わった翌日、朝食時にリンバがなんの気なしにいったからだ。



 男たちは魔石を隠し持っていて、それにトレント達は惹かれていた。


 そんなところに、オレたちが大量に魔力を垂れ流したものだから、さあ大変。


 男たちも結局捕まり、王国に送還されたのだという。


 かなりの重罪らしいから、どうなるかは、神のみぞ知る。



 本にはない知識もあるのだということを痛感するけれど、悪い気はしなかった


 オレの世界が、また一つ広がって、今日も明日もこの先も、まだまだ続いていくことがとても嬉しかった。



 さあ。今日は何をしよう。


 オレは朝日と共に布団から出……ない。


 もうお昼が近いけれど絶対に出ない。



 「うああああああああ!」



 布団にくるまって枕に顔を押し付けたまま、叫ぶ。


 そのまま、足をじたばたさせ、ベッドの上でごろごろと転がった。



「やってしまったやってしまったやってしまった」



 勝手にブチ切れて。勝手に泣き喚いて。


 挙げ句にグランに暴言吐いて。


 それが元でフリックがグランに大嫌いとか言い出して。



 オレ、なんなの?


 これが男のやることなの?


 女みたいに泣きわめいてさ。


 なんで自分があんなことをしたのかさっぱり理解できないのだ。



「エカルテ! いい加減起きな! フリック君きてるよ!」



 布団の向こう側から、ソレイユの声がして、オレは布団をぎゅっと握りしめた。


 エカルテは絶対籠城の構え。


 今は絶対会いたくない。とても顔向け出来ないし絶対怒っている。


 きっと文句を言いに来たのだ。



「いない」



「フリック君、今日も外で待ってくれてるんだよ。5日目だよ5日目! いい加減にしなッ! フリック君が可愛そうじゃない! 喧嘩したのかなんだか知らないけどさ。さっさと謝って楽になんなって」



 5日も。


 それほどオレは恨まれているのだ。


 当然だ。大好きだったお父様との仲を引き裂いたのだから。


 ……土下座したら許してくれるかな? だめだろうな。ああ。胃が痛い。



「エカルテは死んだ。もういない」



「あーそう。そういう事言う。じゃあもう容赦しない」



 一瞬だけ、静寂が訪れた。


 感じるのは魔力の高まりだった。



「……!」



「うりゃあ! 舞いきたれ疾風、ウィンド!」



 ソレイユは風魔術の構え。布団が浮かび上がる!


 天井に向かって登る龍のごとく、布団が舞い上がって、しがみついていたオレも宙ぶらりん。


ついに安住の地を破壊され、オレは断罪の光のもとにさらけ出された。


 軽い体重が恨めしい。早くリンバみたいな立派な男になりたい。



「いーやーだー! ラド! ラドラドラド!」



 オレも風を操作し、舞い上がった布団に当てる。


 布団ごしにぶつかりあった魔術で、布団が激しく上下に動きはじめる。



「いい加減にしろ、このばか娘!」



 ソレイユがさらに魔力を高めて、オレも対抗する。


 布団はもはやぐるぐると超高速で回り始め、捕まったオレも当然それに巻き込まれ、オレも大回転だ。


 オレ、負けない。



「私は、負けない!」



「はっはっはー! あたしに勝てるかな!」



 そりゃあ。


 家の中で魔法をぶっぱなしていたら、部屋中大変なことになって。


 家がとんでもなくガタガタ揺れて。


 リンバがすっ飛んでくる。



「おめえら、なにやってんだ! 家がぶっ壊れるからやめろ! 親子そろってアホなのか!?」



「黙れ旦那! あたしは今子供を躾けてるんだ!」



「助けてお父さん! 私は今いじめを受けてるんだ!」



 売り言葉に買い言葉。ついお父さんなんて言ってしまった。



「お、おう。シエルはどう思う?」



「……とりあえず、お父さんはお母さんを止めて。わたしはエカルテちゃんを止めるよ」



「そうすっか」



 リンバの顔もシエルの顔も、回転する世界の中ではよく見えない。


 けれど、どちらもとても呆れた声なのは、わかる。


 こっちは必死だと言うのになんてやつらだ!



……。



「外でやれ外で!」



「すびばぜん」とソレイユ。


「ごめんなさい」とオレ。



 腕組みをしてオレとソレイユを睨みつけるリンバの前に、仲良く正座させられた。


 オレの後ろではシエルが櫛を持ってオレの髪をなでつけている。



「もう。ぼさぼさじゃない。せっかくきれいな髪なのに、もったいないよ」



「あれ、シエル。お母さんにはしてくれないの?」



 髪が長いから、オレ以上に大爆発して大変なことになっていた。


 銀髪なのもあって、どこかのデーモンみたいだ。



「お母さんは後。フリック君待たせてる事忘れてるでしょ」



「あ、忘れてた! そうだった! フリック君来てるんだよ、エカルテ!」



「……会いたくない」



 ソレイユがしまった、みたいな顔をして「ちょっとまってな!」と叫んで、勢いよく部屋から出ていく。


 オレの言うことなんて聞いちゃいない。


 と思ったらすぐ戻ってきた。



「ほれ、とりあえずこれ着とけ! シエル、髪留めお願い!」



「うん! 任せて!」



 そこからは親子の連携は早かった。


 あっという間に服を脱がされ、水色のワンピースに着替えさせらる。


 ベリーショートの髪に、赤いヘアピンを差し、おでこを少し出した。



 ああ。胃が痛い。


 二人にむりやり部屋から押し出され、行かざるを得なくなってしまった。


 お腹をさすりながらリビングへ向かう。


 ついにこの時が来た。もう逃げられない。



 フリックはソファーに座っていて、そのつむじが見えている。紅茶には手を付けて居ないようだ。



 どんな顔しているんだろう。きっと怒っているだろうな。


 殴られるかな。嫌だなあ。



 そうだ。殴られたら殴り返そう。うん。そうしよう。


 あとで謝ろう。



 決意を胸に息を吸い込んで、オレはフリックの背中に声をかけた。



「や、やあフリック。いいてんきだね! 今日はなんのようだい」



 白々しい口調になった。


 フリックは立ち上がり、振り返る。



「エカルテ! すごい音だったけど、大丈夫だったの!?」



 驚いたように、目を丸くしている。


 あれ。怒ってない。



「あ。うん。大丈夫」



「そっか。ずっと風邪だって聞いてたから、心配してたんだ」



「あ。うん。風邪。カゼ」



 心配? そうか。獲物が自滅してはつまらない。そういうことだ。



「実はさ……」



 ほらきた。


 オレはいつでも防御出来るように拳をぎゅっと後ろで握りしめた。



「ずっと、お礼言いたくて」



 お礼。


 お礼?



「はい?」



 素っ頓狂な声が漏れた。



「エカルテのお陰で、お父様とまた仲良くなれたんだ」



「……えっと。どういうこと?」



 大嫌い、なんて言わせちゃったのに。


 フリックは照れくさそうにはにかんだ。



「ぼく、始めてお父様に本音を言ったんだ。そしたらお父様も次の日、ぼくのこと大好きだって言ってくれたんだ。


 ぼくが本音を言ってくれたから、お父さんも言えたんだよって。久しぶりにいっぱい話ができて嬉しかった。


 本音を言えたのってエカルテのおかげだよ。……お父様、なんかすごい二日酔いだったけどね」



「私の、おかげ?」



 え。まじで。



「そうだよ!」



 フリックはオレの近くに来て、にっこりと笑った。「ありがとう、エカルテ。大好きなお父様と、仲良くさせてくれて」



「う、うん」



 なんか釈然としない気はするけれど、憑き物が落ちたような表情のフリックを見ていると、良くわからないうちに上手くいったみたいだ。


 よく分からない。



「でもさ。5日も風邪引くなんて、本当に大変だったね。大丈夫?」



「タイヘンダッタナー」



「そっか。すごく疲れてたもんね。エカルテが無事で本当によかった。ぼく、君に何かあったら――」



 言いよどんで、妙に顔を赤らめてフリックはもじもじしている。


 一方でオレも罪悪感でたぶん、すごい顔をしていたのだと思う。


 疑ってごめん。フリック。



「顔、怖いよ? もう休んだ方がいいかも。無理して出てきてくれて本当にごめんね。会えて嬉しかった。長居したら悪いからぼく、帰るよ。お大事にね、エカルテ」



 本当に心配そうにオレの目を覗き込んだ後、フリックは軽くお辞儀をした。


 ああ、いい子だなあって思うから、余計に胸がちくちくする!



「フリック」



 オレは思わず彼を呼び止めた。



「なに?」



「えーとその」



 ごめん、というのも今更で。


 じゃあ、何を言うべきか。


 さっき、フリックが言っていた言葉を、ふと思い出した。


 これだ。



「私も、会えて嬉しかった」



「う、うんっ」



 うん? 


 ますますフリックは顔を朱色に染める。


 フリックこそ風邪を引いているんじゃないか。



 彼はとてもいい子だし、男同士の友人として今後も仲良くしたい。


 だから早く風邪を治してもらって、また遊びたいし、鍛錬も一緒にしたい。


 そんな事を思った。



 本当は心のどこかでは、それが間違いだって分かってる。


 男同士。本当にそうなのかな。



 オレの心は紅茶に入れられたミルクのように不可分で、ぐちゃぐちゃとしている。


 男と女。そんなものが溶け込んで混ざり合っている。


 いつか時間が経てば、成分が沈殿して分離する日も来るのだろうか。



 オレは、ちゃんと男に戻れるの?




 そんな事を考えつつも、シエルやフリックと鍛錬や遊びに明け暮れる毎日が過ぎていく。


 子供として過ごしていると、暫くはすっかり自分の体が女だってことを忘れていた。


 油断しきっていた。



 時間は進む。留まることなんてありえない。


 オレも成長をするのだ。そんな当たり前の事すら忘れていた。



 いや。忘れたかった。



 そんなある日のことだった。



 胸にしこりが出来ていて、触ると痛みがある。


 最初は病気かと思った。『それ』を見た時、一気に現実に引き戻されたのだ。


 もうすぐオレは10歳になろうとしている。

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