第23話 絶対に守りたいもの


「お、お待たせしました!」


 翌、日曜日の10時過ぎ。

 改札を出て辺りを見回した敦司あつしは、すでに到着していた待ち合わせ相手を見つけて、慌ててそこに駆け寄った。ベンチに座ってスマホを眺めていたみおは、気にした様子もなく片手を上げてみせる。


「やあ。おはよう、丹原くん」

「おはようございます」


 今日の澪は、当然だろうが私服だった。くるぶし丈のチノパンに長袖Tシャツという飾り気のなさだが、いつもの制服姿と違うだけで、ずいぶん印象が変わるものだ。斜めにかけたメッセンジャーバッグにスマホをしまい、立ち上がる。


「それじゃあ早速だけど、歩きながら話そうか」


 駅舎を出た2人は、澪の先導で学校へ向かう通りを歩き出す。敦司が普段、通学に利用している道だ。林立する学習塾の間を抜け、滑り止めにされることが多い私立高校の校舎を横目に、住宅街の中へと入っていく。

 どこまで歩くかは知らないが、どこへ向かうかは知っている。だから敦司は、その話に水を向けた。


「これから、あの桑原くわばらさんに会いに行くんですよね?」

「会いに行くというか、顔を覗き見に行くって感じだけどね。まだ、本当にその人かどうかもわからないわけだし」

「ああ、そうでした。……でも先輩、どうやってその目星をつけたんですか? 名前とおれが言った見た目くらいしか、わかってることなんてなかったはずなのに」


 本当に、信じられない手際だった。

 もしかして自分が知らないだけで、実はすごいツテがある人なのだろうか。そんなことさえ考えてしまい、尊敬の念を向ける敦司に、澪は居心地悪そうに苦笑する。


「うーん……すごく大雑把な方法だし、運が良かっただけなんだけどね」


 そう前置いて、彼女は手の内を明かした。


「まずはその見た目だね。ワイシャツの上から作業着を着ていた、って話だったでしょう。そういう着方をするのは、〈作業をする場所で、作業をしなくていい〉人だろうなと思ったんだ。少なくとも、汗水流して動く立場なら、作業着の下にワイシャツは着ない。むしろ校長くらいの年齢層なら、そういう人たちの上に立つような人間じゃないかと思った――つまりはお偉いさんだ。加えて、平日昼間から私用で学校長に会いに来ていたこと、背広にも替えず作業着のままで来ていたことを考えると、公務員や大きな会社の管理職という線も消えそうだった。

 そこに加えて、丹原くんが聞いた話の内容だ」

「おれが聞いた話? 70年前の〈呪い〉の?」

「又聞きになるから、もしかしたら、ニュアンスの受け取りを間違えてしまっているかもしれないけど……。私が聞いた限り、その桑原氏は、ごく近隣の地元民という感じだった。『その〈呪い〉は地域に受け継がれている歴史だ』みたいなことを、言っていたんでしょう?」

「あっ……そ、そうです!」


 ただの昔話、迷信だと言う校長に、彼は物凄い剣幕でまくし立てていた。

 70年前に起こったことは事実だと。確かにあった歴史なのだと。


「あるいは地域史が大好きなオジサンが、わざわざ遠方から駆けつけてくださった線もなくはないけど……そこも、で大方否定できると思う。『仕事の合間にできたわずかな時間で、どうしても訴えたい文句を言いに来た』のなら、さほど遠くの人間ではないんじゃないかと思ったんだ」

「なるほど……」

「――以上のことを考え合わせて、地図を見た。そしたら手頃な答えがあった」


 ごくりと息を呑み、見返す敦司。

 その期待を裏切って、澪はまったく別のことを言う。


「西高の隅に、古墳があるのを知ってる?」

「……えっ? ええと、古墳って、前方後円墳とかのあれですか?」

「そう、その古墳。ただし西高にあるのは、風化して崩れかけた円墳だけどね。草や木に覆われて小山みたいになってるけど、今でも土器の破片や玉製品が、その足元に転がってるって言われてる」


 普段は立ち入り禁止になってるけどね、という言葉に、保健室の裏側にあった雑木林と丈高いフェンスを思い出す――先日、心の相談員である山口やまぐちと話をした時に見ていた先であり、そしてその後、同級生を手にかけた鈴倉吉城すずくらよしきが自らその命を絶った場所だ。

 けれど、それとこれとに、なんの関係が?

 無言の戸惑いに、澪が告げる。


「どういう区割りをしたのか知らないけど、古墳の半分が西高側に、もう半分が外にあるように敷地が分かれているんだけどね。――その外側部分がある敷地の所有者が、〈桑原重工業株式会社くわばらじゅうこうぎょうかぶしきがいしゃ〉なんだ」

「えっ――!?」


 桑原の名前。そして、作業着を着用していてもおかしくない場所。

 それがまさか、そんな近くに――舟崎西高校の、すぐ隣にあったなんて。


「ちょっと出来過ぎなくらいで、逆にんじゃないかとも思ったんだけどね。柚羽ゆうちゃんとみなみの調査結果を聞いて、もしかしたら本当に、そうなのかもしれないと思って」

「そういえば、柚羽先輩たちも調べてくれてたんですよね。なにがわかったんですか?」


 うん、と頷いた澪が少し足を止める。信号機がない横断歩道だ。日曜の今日は車が多いそこを、慎重に左右を確認しながら横断して、彼女は改めて口を開いた。


「まずは柚羽ちゃんのほうだけど……例の怪談の初出がいつかは、あまりはっきりしなかったらしい。50代の人が高校時代に聞いたことがある、っていうのが今のところ一番古い時点らしいけど、そもそも、その掲示板を見てない人には聞けないわけだからね。期間も短かったし、それに関しては収穫なし。

 ただ、そこで語ってもらったそれぞれの〈血濡れた花嫁〉の話を、パターン化して分類しようとして――気づいたらしい」

「なにに、ですか?」

「〈血濡れた花嫁〉の目撃例は、校内の片隅、で多いことに」


 後ろから来た普通車が、一車線の細道だというのに減速もせず、2人の隣を飛ばしていく。それを胡乱な目で見送って、澪は静かに言葉を続ける。


「南が調べてくれた過去記事のほうは、主に、舟西ふなにし校内での連続怪死事件についてだった。新聞に取り上げられていたのは、今から71年前が初らしいけど、それより前にも、同様の事件があった可能性があると書かれていたそうだ。

 それからもうひとつ。――73年前の新聞に、あの古墳関連の事件があった」


 それは戦後まもなくの、2月某日。

 当時、すでに舟崎西高校の敷地にかかっていた例の古墳の森の中、1人の女性が自殺を遂げたという――それは地方紙片隅の小さな記事だが、それでも今この時、目に留めるだけの内容がそこにあった。

 その女性が、ある屋敷での披露宴から抜け出してきた、花嫁だったこと。

 そして彼女は、自らの首を守り刀で突いて果てたこと。


 それはつまり、と思う敦司に、行く手を見たまま澪が言う。


「その女性の名は、あさがわちょうこ」

「あさがわ、ちょうこ……」


 それがあの、白無垢姿の霊の名なのか。

 その存在が現実のものとして近付いてくるような、そんな感覚に粟立つ腕を撫でて呟くと、澪がちらりと横目を向けた。


「丹原君。昨日、きみから電話をもらったよね。きみのおじいさんの出生と、おじいさんの実のご両親について」

「え? はい」

「おじいさんの、お母さんだった人の名前。〈てふ子〉さんだって言ってたね」

「……はい」

「古文かなにかで習ったと思うんだけど。――昔はね、虫の蝶々のことをと書いて、と読んだんだよ」


 思わずその場に立ち止まる。

 行き過ぎた澪が、振り向いて告げる。


「――新聞にあったその名前。表記は〈てふこ〉になっていた。そして多分、きみのおじいさんのお母さん、〈てふ子〉さんの読みも〈ちょうこ〉さんだ」

「…………まさか……」

「そう。まさか、なんだけどね」


 震える声での呟きにも、澪は淡々と頷いてみせる。


「だけどそれなら、納得できることもある――きみを見て、彼女が動きを止めたこと。血縁の勘か隔世遺伝か、あるいは家族の絆のなせる業かはわからないけど。きみが彼女の子孫であることで、彼女に歯止めがかかったのかもしれない」


 そうかもしれない。そうなのかもしれない。

 大事な幼なじみを死の縁に追いやろうとしているのは、顔も知らない自分の先祖なのかもしれない――そんなふうに納得しそうになる自分が嫌で、敦司は大きく首を振り、強く反駁した。


「でも……でも、それじゃあ筋が通りません! だって、おれのひいじいさんは、戦争で死んだって話だったんですよ! 戦後に披露宴なんて、できるはずないじゃないですか! それに……それに名前も! ひいじいさんの名字は、ハトウだったって……!」

「そう。その通り。それだと筋が通らない。だけど、どうせすべては、私たちの推測に過ぎないんだ」


 新聞記事の自殺女性が、〈血濡れた花嫁〉だというのも。

 漆箱に入っていた時計と巾着が、敦司の曾祖父母のものだというのも。


「バラバラに落ちていた材料を集めて、なんとなく見栄えのいい形に整えただけに過ぎない。だからこそ、その見栄えにそぐわないものを弾き出して、見ないフリをするのには危険も伴う」

「……っ」


 敦司の片腕にそっと手を添えて促しながら、澪は再び歩き出す。

 鉛がついたような足を動かすには自分の力だけでは足りなくて、その手にすがるようにして、敦司も前に踏み出した。


 見慣れた通学路を進み続け、気付けば西高の間近までやってきていた。

 しかし目指す桑原重工は、正門とは真逆の位置にある。そこへ続く脇道に入りながら、腕を取ったままの澪がぽつりと呟く。


「私たちには、見えていないもののほうが多いと思う。人間は、見たいものしか見ないから。……だからこそこういう時、きみみたいな子は、感情的に目を逸らす真似はしちゃいけない」

「……おれみたいな、って?」


 怨霊の血縁かもしれない出生のことか。それともそれが見える体質のことか。

 けれど澪は、そのどちらでもない答えを返す。


「きみみたいな――〈絶対に守りたいもの〉がある人は、ってこと」

「絶対に……守りたいもの」


 その言葉で脳裏に浮かんだ笑顔に、すっと、自分の中のドス黒さが落ち着くのがわかった。――そうだ。敦司には守りたいものがある。それは顔も知らない過去ではなくて、幼い頃からずっと見てきた、幼なじみのあの笑顔だ。

 そうだとわかると、一気に肩の力が抜けた。


「……そうですね。すみませんでした、おれ、ムキになっちゃって……」

「そうだよ。まったく、意固地にならず、好きな子のことはちゃんと守らないとね。高校生活も始まったばっかりだし、この呪いだの幽霊だのを片付けたら、ちゃんと告白して夏をエンジョイしないと」

「ごふっ!」


 あまりの話題の落差に、思わず盛大に噎せ込んでしまう。


「こっ!? なっ!? こ、告白とかそんな……!」

「だって好きなんでしょ? 小野辺さんのこと」


 見てるだけでわかるよ、とまで言われて、耳の先まで熱くなる。


「すっ、好きかどうかで言われたら、そりゃ……っ!」

「そりゃ?」

「…………好き……ですけど……!」


 視線の圧に負けて言ってしまうと、「わあお」と面白がる気満点の反応。


 だけど、いや、違う。好きというのは幼なじみとして、小野辺皐月という人間に対してであって、告白をしてどうこうという種類のものではない。そうやって面白がられるようなものではないのだ。親愛の情とかそういうものだ。

 そういうことを半ば混乱しながらまくし立てても、澪はふんふんと頷くだけで、納得の欠片もしていないことがわかる顔のまま。

 その温かな眼差しから逃れようと、身体ごとそっぽを向いた時だった。


「――え?」



 そこに、呆然と立ち尽くす幼なじみがいた。




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