第18話 カフェ・ブランでの会合


 その次期部長から連絡が来たのは、10分とたたないうちだった。

 駅へと向かっていた敦司は、自分のスマホを震わせたそのメッセージを一読して、目を瞬いた。それは簡潔な、文章とも言えない箇条書きの風体で。


『招集命令――場所:カフェ・ブラン 日時:今日、今すぐ』

「…………はいぃ?」


 なにかの間違いじゃないか、と返信しようとする前に、地図アプリのスクリーンショットが送られてくる。いやでも、と躊躇う間もなく、更に店の外観らしき写真までもが届き、次いでまた『情報共有のため待機』という短文だけが届くに至って、ようやく敦司も、これが間違いでもなんでもないと信じることができた。


 そのカフェは、学校を挟んで駅とは正反対の方向にあった。

 交通量の多い通りに面したヨーロッパ風の外観で、モルタルか漆喰か、真っ白な外壁が印象的。左隣の花で溢れたコバルトブルーが鮮やかな美容室とあいまって、まるで地中海にでも訪れたかのようだ。

 男子高校生には恐ろしく高い敷居を越えて入店すると、男にしては長い髪を後ろでくくった店員に迎えられた。待ち合わせであることを告げると、奥のテーブル席へと通される。

 そこでようやく、敦司は、見知った顔に安堵の息をつくことができたのだった。


「あっ! やっほー、丹原くん! ひさしぶり!」


 真っ先に敦司へと手を振り上げたのは、大西朋香おおにしともかだった。

 短い三つ編みに、小動物のような大きな目。『笑み崩れる』という表現がぴったりくるような屈託ない笑顔は、一度見たら忘れようがない。


「ひさしぶりー。どうぞ、こっち座って」


 続いて手招きをくれたのは、確か熊野柚羽くまのゆうと名乗っていた美少女。

 シニヨンに結い上げた栗色の髪が色白のうなじに幾筋か零れ落ち、恐ろしいほどの色香を放っているが、少年のような頓着ない口調としぐさが不思議と似合う人だ。


「わたしは1回、会ったんですよねー。ま、ひさしぶり」


 取ってつけたように流れに乗ったのは、南叶芽みなみかなめ

 これで三度目になる邂逅のおかげで、彼女が見た目通りの温厚な文系女子でないことは、敦司にも薄々わかっている。だからそのメガネ越しに向けられたこちらを軽んじるような視線は、あまり気にしないことにする。


「昨日ぶり」

「ね」


 短く言葉を繋げる澪と織江おりえは、相変わらず仲のよさを手元で主張している。向かい合わせになった敦司の目の前には、しっかり握り合わされた二人の手が晒されている。恥ずかしくないのだろうかと思う反面、すでにそれに慣れつつある自分もそこにいた。

 先に注文をすませたという面々にならって、敦司もコーラを注文した。それがテーブルへともたらされるのを待って、澪がおもむろに口火を切った。


「じゃあ、始めたいんだけど」


 可否を問うような目に、敦司は思わず「あの」と手を上げた。


「……でも、いいんですかね? こんなとこ、先生に見つかったら……」

「ああ、ヘーキヘーキ!」

「ばれなければ、どうということはない」

「というか先生方も、今日ばっかりは、それほど暇でもないだろうしねえ」


 連なる否定に、確かにそうかもしれないと思い直す。こうも連続する生徒の死に、管理職はもちろん、クラスの担任や専科教員も、各方面への対応でいっぱいいっぱいであってもおかしくないだろう。

 納得する敦司を見届けて、澪が続ける。


「取り敢えず、ある程度のことは、丹原くんを待つ間に話しておきました」

「聞いておきました!」

「た!」

「た……、た?」


 揃って敬礼を作る朋香と叶芽に、少し遅れて柚羽が続く。それに諸手を上げて「たーっ!」と応じる前者2人のノリは通常運転のようで、敦司以外、驚きもしない。


「あの、ある程度っていうと……?」

「えっとー」


 と朋香が小首を傾げる。


「今あってる〈舟西ふなにし連続不審死事件〉で、丹原くんにはその被害者に〈殺害予告紐〉がついてたのとか、その死体の近くに〈和装の花嫁〉がいたのとかが見えていた!」

「他の誰にも見えないのに!」

「でも、あたしやおりーが撮った写真には、同じようなのが写ってた!」

「元々ないのにも浮き出てきた!」

「被害者の共通点は、どうやら〈この間の学力テストで首位になった生徒〉っぽい!」

「今日ので5分の4が証明された!」

「それで、もしかしたら次は――」

「――丹原の幼なじみかもしれない!」


「……くらいかな?」


 叶芽の合いの手を受けながら言い終わった朋香に、柚羽が付け足す。決して楽しい話ではないはずなのに、やたらとリズミカルでテンポがいいせいで、漫才でも聞いているかのように緊張感が解けてしまった。


「なにか、付け足すようなことがあったら」


 どうぞ、と澪に片手で促されて、慌てて横に振りかけた首を一時停止する。


「…………。その……直接関係は、ないのかもしれないんですけど」


 敦司は話した。今日の騒動の直前、校長室前で聞いてしまった、校長と誰かとの口論めいたやり取りのことを。

 目を丸くして聞き入っていた一同は、とりわけ〈首位〉と〈呪い〉の件に関して興味を示してきた。


「そりゃー無関係なんかじゃないよ、丹原くん!」

「で、でも……呪いなんてそんな、非現実的なこと……」

「この期に及んで」


 澪はそこまでしか声にしなかったが、言いたいことは確実に伝わった。――そもそも、女の幽霊が見えたと言い出したのは自分なのだ。今更、そんな理由で否定できる立場ではない。

 唇を引き結んだ敦司を認めて、澪が続ける。


「実は、先に説明した時、柚羽ちゃんが思い出したっていうことがあるんだ」


 柚羽が頷いて、後を引き取る。


「舟崎市にまつわるオカルトの掲載サイトを、一時期巡回してたことがあってね。その時に、似たような話を読んだ覚えがあって」

「オカルトサイト、ですか?」

「そう。今はもう閉鎖されてるんだけど。そのタイトルは――『さまよう花嫁』」


 そのものずばりな表現に、うさんくささを感じてもいいはずなのに、敦司の背筋にはぞくっと悪寒めいたものが走る。

 それを色素の薄い瞳で見据えて、柚羽は続けた。


「タイトルの通り、舟崎西高校の敷地内をさまよう、花嫁の幽霊についての話なんだけど」


 そう前置いて、彼女は語る。曰く――


 舟西校内には、花嫁の霊がさまよっている。

 白無垢の裾を引きずって、時に血にまみれた姿で、廊下を、校庭を、屋上を、階段を、体育館を、グラウンドを、さまよい歩いている。

 その姿を見たものは、長くは生きられないという。

 あるいは事故で、あるいは病的発作で、しかし必ず、校内で死ぬこととなる。

 まるで、血濡れた花嫁に導かれるかのように――


「…………」

「オカルト話としては、捻りもないしストーリー性にも欠けるし、特に面白みがあるわけじゃないんだけど。〈血濡れた花嫁〉っていうのが印象的で、描きたいなーって思って、実際いくつか絵にしたから、覚えてたんだ」


 言葉を失って見返すより他にない敦司の目をどう捉えたのか、「あ、わたし、美術部なんだけどね」と説明を付け足す。そんな解説を求めたわけではなかったが、取り敢えず「はあ」と頷いておいた。


「すっげージャストミートだよね」

「むしろこの話からでっち上げたんじゃね? ってレベルですよね」


 朋香に辛辣な迎合を示す叶芽の、表情ばかりは笑顔だが、敦司に向けられている時点でそれは確実に皮肉だった。さすがにかちんときたが、相手にしない方がよさそうだ。


「でも……校長の話が〈首位〉に限定されていたのは、気になるかも」


 澪の呟きを聞き逃せず、すかさず訂正を滑り込ませる。


「言ってたのは、校長先生じゃなくて、その相手の人なんですけど」

「たいして違いはないよ、二人の間で話が通じていたんなら……」


 口先だけで応じながら、考え込むようにカップを眺める。

 その隙を埋めるように、隣の叶芽が身を乗り出した。


「まあここまで来たら、誰だって予想できますよね。実際、私が知ってる限りでも、そういうウワサがもう広まってますもん」

「そういう?」


 と尋ねたのは織江だ。それに頷いて、叶芽は続けた。


「死んでるのって、この間のテストでトップになったヒトたちだよねーって。最初の鞘川さやかわ先輩と、次の湯井沢ゆいざわ先輩くらいじゃ、そんなウワサもなかったですけど。さすがに今日の二人まできたら、わかるヒトにはわかりますもん」

「広まってるって――1年の間で?」


 はたと目を向けた澪の思いのほか厳しい口調に、驚いたように叶芽が答える。


「1年もですけど、多分、全校で知ってるヒトは知ってると思いますよ。SNSとかで、普通に流れてますもん」

「……えっ! ちょっと待って、だとしたらもしかして」

「え? 『もしかして』?」


 間が抜けたような反復が悪かったのだろう。

 織江は眦を吊り上げて、敦司を睨んだ。


「しっかりしてよ丹原くん! ――小野辺おのべさんよ! 小野辺皐月さつき! そんなウワサ、本人の耳に入ったら、どんな気持ちになると思ってんの! しかもネット上でなんて……っあたしたちがこんなところでくっちゃべってるのを立ち聞きするのとは、次元が違うでしょう!」

「あ――」


 ようやく思い至ったそのことに、愕然と目を見開く。しかしそんな行動は、今はなんの役にも立ちはしない。


「どうしよう、1人にしちゃダメだよね?」

「でも、もう帰っちゃってるんじゃないですか? 確か小野辺さんって、めっちゃ真面目でしょう」

「家庭クラブは? ともちゃん」

「今日は全部お休みだし!」

「なんか知らないの、丹原くん!」

「え、い、いや、あの……今日はまだ、会ってもなくて……」


 矢継ぎ早の最後に鋭い目を向けられて、思わずしどろもどろになる。


 家同士が近く、物心がつく前から家族ぐるみの付き合いをしている敦司と皐月だったが、それも双方の高校受験期に入ると同時にすっかり薄れてしまっていた。

 どうせ同じ高校を目指すのならば勉強を見てもらったらどうかなどと、呑気な両親がそんなことを言っていたこともあったが、敦司が断固拒否したのだ。――自分と皐月では、そもそもレベルが違い過ぎる。より高得点で特進を狙う彼女の邪魔をするわけには、いかなかったのだ。

 中学で交換した連絡先は健在だし、先日のように、会えば言葉を交わしもする。しかしその一線は、2人の間に確実に引かれていた――あるいは敦司の心の中に。


 だが今に限っては、そんなことを思っている場合ではなかったのだ。


「もうっ……この間から、あたしたちにはわかってたことじゃない! あの子も危ないかもしれないことなんて! なんでちゃんと注意してあげてなかったの……!」


 もどかしげに織江がまくし立てる、その通りだった。

 思えば皐月と話したのはあの掲示の日が最後で、後は全校集会やその移動中に、体育館や廊下で遠目に姿を見ただけに過ぎない。

 変わった様子はなかったと思うが、考えれば考えるほど、そこに確信などないことに気付かされる。自分の間抜けさに打ちひしがれる間もなく、「取り敢えず連絡取ろう」「あたしライン知ってる!」「丹原くんは?」と、やり取りの真ん中にスマホもろとも引きずり出された。


「……まあ、それほど急がなくても、多分、大丈夫だとは思うけど」


 部員たちの頼もしい姿を眺めながら、澪がぽつりと呟いた。

 向かい合わせた敦司が問うように見ると、淡々とした口調で理由を語る。


「南が言う通り、4人の共通点に気付けば誰にでもわかることだから……まして採点や掲示をしていた先生たちならね。彼女について注意喚起がされているかもしれないし、もしかしたら親御さんにも、もう連絡が入れられてるかもしれない」

「あ、でも……小野辺さんち、昼間はおばあさんしかいないんですけど……」

「それでも、1人でいるよりは心強いでしょう。これまでの経緯と、柚羽ちゃんの知ってた怪談通りなら、校外にいる方が、むしろいいはずだし」


 まあわからないけどね、と切り上げて、澪はなおもしゃべっている部員たちの合間を狙い、少し大きめの声で口を挟んだ。


「小野辺さんと連絡が取れて、もし近くにいるようなら、合流してもらおう。もう帰っているようなら、取り敢えず、彼女のことは丹原くんに任せる」

「えっ! お、おれですか?」

「幼なじみでしょ。それくらいしなさい」


 ばっさりと言ったのは織江だ。それから「それがいいと思う」と遅まきながらの同意を澪に示す。順序が逆だろうとは思うものの、それを指摘することなど敦司にできるわけがない。

 他のメンバーからも同意をもらった澪は、ほっとしたように頷いて続ける。


「叶うことなら丹原くんには、今夜一晩、小野辺さんとひとつ屋根の下してほしいけど……」

「ええっ!」

「いや、さすがにそれはヤバイでしょう」


 叶芽の即座の反対に、必死で首を縦に振る。しかし続いた言葉は辛辣だった。


「そもそもがいたところで、たいして役に立つとは思えません」

「ひでえ!」


 思わず出た田所相手のような反応にも、むしろ叶芽は嬉しそうだ。面白がるような笑みのまま、「ハ! 本当のことを言ってなにが悪い!」などと悪役のような台詞を吐いてくる。その様は大人しい文系少女などでは間違ってもなく、いうなればそう、女帝のようだった。

 しかし澪は、「そうでもない」と静かに反論した。


「実際、丹原くんは1度、七留ななどめさんを救っているからね」

「そうね」


 との同意は、やはり織江だ。


「その幽霊が見えるのも丹原くんだけだし、もしなにか起こったとして、すぐに気付ける人が近くにいるだけで、随分違うかも」

「や、で、でも、無理ですからね? 泊まりとかは、さすがに……!」

「別に、二人っきりでいなさい! とかは言わないよー。兄弟姉妹とか御両親とかを、こう、うまいこと説得して巻き込んだら……」


 その時、目の前に置いていたスマホが震えた。

 はっとして覗き込んだ画面に表示されているのが渦中の幼なじみの名前であることを認め、敦司は慌ててメッセージを開いた。

 隣から叶芽が、向かいから澪が身を乗り出す。


「小野辺さん?」

「なんだって?」


 長くはない内容に目を通して、敦司は、ほっと息をつく。


「……駅前の塾に寄ってたらしくて。まだこっちに、いるのはいるみたいです」

「あ! あたしのも来た!」


 対角線上の席で、朋香も声を上げる。そこに届いた内容も、敦司と大差ないものらしい。

 しかしやり取りの速さで言えば、朋香の方が格段に上だった。敦司が返信を考えているうちに、あっという間に数度の送受信を繰り返し、合流の約束を取り付けていたのだった。


「よしっ! じゃあ駅に行こう!」


 朋香が弾んだ声音でそう言った時、敦司はまだ、最初の返事を打ち終えてすらいなかった。




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