幕間 狼の玉座

幕間 狼の玉座


               ※


『この世でもっとも周囲に迷惑をかけず、なおかつ、死に逝く当人が最も苦しむ死に方は餓死だそうだ。

 臓物や排泄物で場を汚すことなく、ゆっくりと死の痛みに苦しみ続けた果てに息絶える。良く憶えておくといい』


 溜め息とともに淡々と紡がれた台詞。

 その不穏な発言の意図がつかめずに、コウシロウは首をかしげた。


 目の前に座した青年。

 コウシロウにとって数少ない同世代の同胞であり、それゆえに、接する機会が多い。と言っても、コウシロウの方が一方的に話しかけるばかりで、この偏屈な同胞は書物を片手に気のない相鎚を打つのが常なのだが……。


 そんな彼から、珍しく会話らしい答えが返ってきたかと思えば、そんな不穏な内容。


 コウシロウは、こうして山奥で隠者のように生きる一族の寂しさと、外の世界にあるであろう自由への憧れを語ったつもりだったのだが……。


 そう問いかければ、同胞の青年は相変わらず書物に視線を向けたままに苦笑う。


『だからだよ。そんな生ぬるい幻想にまみれた愚か者は、誰にも迷惑を掛けぬよう、その上で苦しみ抜いて果てるべきだろう』


 静かに、落ち着いた態度で語られた辛辣な感想に、コウシロウは鼻白んだ。


 他の年経た同胞たちならいざ知らず──。


 コウシロウと歳も近い彼が、こんな、文字通りに夢も希望もない反応をするとは思わなかった。


 こうして森の奥で、大昔の掟や因習、迷信に囚われた日々に、彼は満足しているというのか?

 こうして世俗と隔絶された場所で延々と息をひそめることに満足だと?


 それこそ、書物を読みふけるしかやることのない毎日。

 否、その書物でさえも、外の世界には数多く、それこそ読み切れないほど多くの書物があふれているだろうに!


『そうだろうね。外には面白い物語や記録が数多くあるのだろう。そして、つまらない物語や記録も多くある。それこそ、読んでいるだけで虫唾が走るようなものもね』


 彼はゆるりと書物から顔を上げて、コウシロウを睨みつけてきた。


『それを理解した上で、なお希望を謳うのならばまだしも……。キミは、それこそ夢見るままに理想を並べているだけだろう? 他者の言葉や書物に描かれた内容を真に受けて、酔っているだけ……寝ボケるぐらいなら、黙って寝ていろ、我らが王よ』


 静かな怒りと軽蔑を込めた声音。


 王を王とも思わぬ無礼な言動に、しかし、コウシロウは無礼と憤るのではなく、ただ、理解を得られぬそのことが寂しく、悲しかった。


 世界は、本当はとても広いのだ。


 こんな閉ざされた森の奥でゆっくりと朽ち果てて逝くのはもったいないことなのだ。


 そう改めて熱弁するコウシロウ。


 だが、熱くなる王とは対照的に、臣下の態度はあきれも深く冷めていく。


『そうやって、あの客人に感化されたか……』


 ウンザリと呟いた同胞。

 コウシロウは微かに息を呑んだ。


『何を驚く? その図体で動けばイヤでも目立つ。キミが近頃、境界ギリギリまでコソコソ出向いているのは、妹君も承知しているよ』


 指摘の通り、コウシロウはここしばらく、外の人間と接していた。

 数日前から森の近くに訪れているひとりの人間。

 森の景色を描きにきたというその人は、コウシロウの姿に驚くことも怯えることもなく、話し相手になってくれていた。


 銀狼の王として敬われ、畏れられ、傅かれてきたコウシロウにとって、自分と普通に接してくれる相手はそれだけで喜ばしかった。


 その絵描きの語る外界の話は、どれも楽しく刺激的だった。

 もちろん、時に悲しく苦しい内容もあったけれど、それでも、森に閉じ籠もることの残念さを思い知るのは充分だった。


 別に、外の人間に会っていたことを隠していたつもりはない。しかし、それを後ろめたく思っていたのは確かである。


 コウシロウはバツの悪さを誤魔化すようにそっぽを向く。

 そんな情け無い王に、同胞は手にした書物をゆるりと閉じて立ち上がった。


『キミは我ら銀狼の王であり、この森の主だ。好きに振る舞えばいい。だが、王としての責務を放棄することだけは、してくれるなよ』


 真っ直ぐにコウシロウを見つめてそう静かに進言し、踵を返す。

 立ち去って行く同胞と入れ替わりに現れたのは、綺麗な銀色の髪を流した女性。


 シオリ。


 コウシロウにとって最も近しく、大切な、最愛の妹。

 彼女はいつものように、明るく楽しそうに微笑んで、コウシロウに寄り添ってくれる。


 愛しき家族。大切な同胞。


 ああ、だからコウシロウは、やはり心から思うのだ。

 そんな最愛の者たちとともに、自由に生きることができたなら、どんなに楽しく幸福であるのかと──。


『……兄様……』


 けれども静かに、彼女は祈る。


『……私はただ、兄様とずっと一緒にいられるなら、それだけで良いのですよ……』


 静かに、安らかに、そんな寂しいことを囁くのだった。


 ──それは、もう過ぎ去りし記憶。遠い故郷の追想。


 自由を夢見て、旅立ちを望んだコウシロウ。


 それを愚かとイサめた無礼な同胞。


 このままで良いのだと応じた健気な妹。


 ああ、だから、コウシロウは今さらながらに思い知る。

 王と敬われ、畏れられ、傅かれてきたコウシロウだけど……。

 それでも、彼と真っ直ぐに向き合い、対等に接してくれていた者は、当の昔にそばにいてくれたのだと。


 全てを失った今さらながらに、思い知ったのだった。


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