灰かぶりの白雪(2)


 ジャラワンでの騒動から十日ほどが過ぎていた。


 特に大過なく公演日程を終了し、いつものように荒野を越えて、次に訪れたのは大陸東部でもっとも大きく栄えた都、シャロワ。


 帝都とをつなぐ鉄道機関も通っているという大都市。


 それは蒸気機関の整備機能を備えているということでもあり、移動劇団〝語り部語りテイルズテイル〟はこの都市で〝波鎮号ウェイブスィーパー〟の整備を兼ねて長期滞在するのが通例となっているらしい。


「こ、今回は、一ヶ月……くらい、滞在することになるって……。こ、公演も、五日区切りで、えっと……三回予定してる。つまり……その、五日休んで、五日公演して、の、繰り返しなんだ、けど……」


 途切れ途切れの説明をくれるのはアルスラ・ミソラ。

 一座の看板スターのひとりにして希代の舞姫たる〝輝夜姫シンデレラ〟その人である。


 ここは陸走型蒸気船〝波鎮号ウェイブスィーパー〟の厨房。

 乗員たちの胃袋事情を一手にまかなうここは、大型レストランの厨房にも引けを取らぬ広さと設備を誇り、常駐する七名の調理人たちも皆、腕は一流。


 それは良いのだが、やはり、全員が仮面に黒布をスッポリかぶった異装である。黒布の上から白いコック帽とエプロンを身に着けている姿は、なかなかに愛嬌があるけれど、シュールなのは変わらない。


「と、とりあえず、明日一日だけは特別公演があって、そのあとは、い、一週間、船を整備して……そこから、五日サイクルに、その、入るんだ……」


 たどたどしい説明は相変わらずうつむき加減で目を合わせてくれぬまま。

 それでも、こうして逃げずに応答してくれているのだから、随分と打ち解けてくれたものだと、コウシロウはやや感慨深くうなずいた。


「ところで、気になってたんですが?」


 コウシロウはアルスラの手もとを見つめて問いかける。さっきから説明している間も丁寧に正確に動き続けているその器用な手先。

 彼女の目の前に置かれたふたつの大きな寸胴鍋。

 片方から取り出したジャガイモを、手にしたナイフでゆっくり丁寧に皮をむき、芽を取って、もう一方の鍋にそっと収める。


 作業速度はむしろのんびりしているのだが、その精度が尋常じゃない。


 一個一個、美術品でもみがくように慎重に丁寧に、そうしてむかれた皮の薄さは正に透き通るほど。身の部分がわずかにでも削れているものは見当たらない。

 その技術は、確かにスゴいのだが──。


「さっきから何をしてるんですか?」

「え? あの、その、ジャガイモの皮むき……なんだが」

「それはわかります。そうじゃなくて、何で一座の看板女優が厨房でジャガイモの皮むきしてるんですか? ってことですよ」


 重ねての問いに、アルスラは一瞬質問の意味がわからない風に呆然と。


 それから、しばし考えるように視線を泳がせてから、ポツリと「……趣味……かな」と呟いた。

 そうしている間にも、新たに薄皮を脱ぎ去ったジャガイモが鍋に移される。


「趣味……なんですか?」

「うん。こういう単純作業って、その、何だか落ち着くんだ」


 はにかむように嬉しげな微笑。そういう仕種は、まあ、可愛らしいのだろうけれど……。

 単純というには少々偏執へんしつ的なまでの精密作業。

 見れば皮をむき終わったジャガイモはそろそろ寸胴鍋の縁に届く量なのだが、この人はいったい何時間ここで作業し続けているのだろうか?

「ファナティアさんなら三個で飽きて放り出しそうですね」

「ああ……ファナティアは、たまに……付き合ってくれるけど。まだ、一個もむき終えたことが……ないかな……」


 微笑むアルスラに、予想を裏切られたコウシロウは口の端を下げる。


「ところで、アルスラさんは、ファナティアさんと仲がいいですよね」

「え? ……うん、そうだね。でも、ファナティアは誰とでも仲良くできるから……」


 言外に〝自分とは違うのだ〟という意が込められたそれは、けれど、自虐ではなく憧憬からこぼれたものなのだろう。アルスラの微笑はどこまでも柔らかだった。

 コウシロウは意識して明るい笑顔を作る。


「それでも、アルスラさんは特別ですよ。嬉しそうに〝姉さん〟って呼んで慕ってるじゃないですか」


 そう返せば、彼女はビクリと身を縮こめた。が、単に照れているのだろう。

 真っ赤になりながら、ジャガイモをむく手つきがあわあわとせわしなくなった。


「ほ、本当は、わたしよりも、ファナティアの方がしっかりしているから……。最初は、わたしが彼女を〝姉さん〟って呼ぼうとしたんだけど……〝シンデレラの姉〟はイヤだって言われて……」


 確かに、シンデレラの姉では、妹をイジめる悪女になってしまう。


「それはイヤがりそうですね」


「うん……イヤがってた。いつも通り笑顔で……。けど、あの時のファナティアは、いつも以上に嬉しそうな笑顔だった……だからかな? 何だか、ものスゴく、イヤがってるように思えたんだ」


 アルスラは回想に集中するように、皮むきの手も止めて、深く吐息をこぼした。


「……は、その……ファナティアのことを、訊きにきたんだ……よね?」


 顔色をうかがうような上目遣い。

 誰もコウシロウの名をまともに呼んでくれない中で、彼女は一座でただひとり、いや、この大陸にきて初めて、彼の名を正確に発音してくれる人だった。

 だから、まだほとんど機会はないが、彼女が呼びかけてくる時は、少し、感情がザワついていた。いや、今だってザワつくのは変わらない。


 けれど──。


「……何だか、最近は〝クーちゃん〟と呼ばれるのも、満更じゃあないんですよ」


 わざとらしく肩をすくめて苦笑えば、アルスラもまた微笑み返してくれる。

 まだまだ緊張に堅いながらも、コウシロウの用件は察してくれているようだった。


「ファナティアは、六年くらい前に……団長が連れてきたんだ。北の山岳地方にある村が、盗賊に襲われて……生き残ったのが、彼女だけだったんだ……って……」


 家族も知り合いも皆殺しにされて、天涯孤独になった少女。

 その幼い彼女に類い希な技芸の才を見出した金色孔雀は、保護したその場で勧誘し、一座に引き入れたのだという。


「その時、わたしが十二歳で……彼女は少し下……十歳くらいに見えたかな。でも、栄養失調でガリガリに痩せてたから、本当は同い年くらいなのかもしれない……正確な年齢は、本人も把握してなくて……でも、とにかく、ファナティアは、初めて一座にきた時から、ずっと笑顔のままだ。ずっと楽しそうで、幸せそうなまま……」


 最初に連れてこられた時から、明るく朗らかだった彼女は、その唱歌の才と輝く美貌で皆をとりこにし、看板スターに上り詰め、今では大陸一の歌姫となった。


「……とてもツラい思いをすることで、感情の一部が凍ってしまうことがある……って、北の学者さんが書いた本で読んだ。ファナティアの明るさは、その……確かに不自然で、もしかして、そういう感じなのかな……って、思ったこともある。けど、追求したことはないんだ。だから、これ以上は、わたしはわからない。……それに、もし、知っていても、勝手に話してはいけないことだと……思うんだ」


 アルスラはうつむきがちに、けれど、確かにコウシロウの目を見つめてそう結んだ。

 彼女の弱々しくも真剣な眼差し。

 それは、ファナティアを傷つけたら赦さない──と、そういう警告であると同時に、ファナティアを助けて欲しいという懇願でもあるのだろう。


(……責任の一端は、僕にあるのかもしれませんからね……)


 後は、あの仮面の団長に訊いてみるしかないだろうか。

 そうコウシロウが考えていると、厨房の扉が乱暴に開け放たれ、鋭くも冷静な叱責が飛び込んできた。


「アルスラさん、いつまでサボってるんですか!」


 決して荒げてもいなければ、大きくもないのに、強く良く通るその声に、当のアルスラだけでなく、コウシロウや仮面の調理人たちも一様にビクリとしてしまう。


 入口に現れたのは藍色の瞳に淡い赤毛の少女。

 以前は無造作に伸び放題だった髪はととのえられて、服もパリッとノリの利いた礼服をまとっている。男装だが、幼い体格と生真面目な態度とが相俟あいまって、真っ当に少女として可愛らしい。


「う……ぁ……ゴメン、ユリシャ……!」


 しどろもどろになりながら謝罪するアルスラに、十歳近く年下の付き人は毅然とした足取りで歩み寄り、その腕をグイッとつかんで引っ立てる。


「いいですから、すぐに準備してください。もう他の皆さんは始めてらっしゃいますよ」


 明日に備えたリハーサルや舞台設営のことだろう。

 言われてみれば、当に開始予定の時間を過ぎてしまっている。用心棒には特に関係ないのだが、女優であるアルスラはそうはいかない。


 残りのジャガイモを名残惜しそうに見つめる長身の美女が、小さな少女に連行されていく、その客観的には愉快であろう姿を見送りながら。


 コウシロウは、さて、どうしたものかと考えて。


 特に何か思い至ったわけでもないのだが、同じくそのまま劇場の方へと歩み出したのだった。


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