U大学のゼブリンから連絡があったのはそれから三日後のことである。

 先日U大学内で見つかった新資料の大体の目録が出来たからである。実は、ゼブリンから連絡をもらう一日前に、すでに新資料に関するニュースが流れていた。ニュースでは、紫の悪魔の遺伝子解析を行っていた、当時のヤコブ研究室での研究内容が大量に発見されたことが最も多く報道されていた。特にヤコブ研究室は、モディファイドヒューマンプロジェクトに深く関わっており、モッド創成期に関する研究を行っている人たちにとって非情に貴重な資料になるらしい。

 特にこの中では、モッドの新生児を育てるためにシェルターに入った人々、すなわちマザーズに関する資料が大きな話題になっている。マザーズには遺伝子操作は当然されていなかったから、モッドが活動を始めたあとも、彼らはシェルターで一生を過ごさざるを得なかった。またマザーズの何人かは結局紫の悪魔に罹って死んでもいるのだ。

 プロジェクトを秘密裏に開始したときの、このマザーズを選ぶ際の選考基準、またマザーズ候補者の具体的な情報が記述されている資料が見つかった。すでにマザーズに関しては、全員の名前や素性は広く知られているが、他の候補者まではこれまでも知られていなかった。また、選ばれた人と選ばれなかった人の差は何だったのかもあまり知られていなかった。この辺りが、新資料によると相当詳しく書いてあるらしい。

 アナンはその他の資料がないか、ニュースの内容をいろいろと調べてみたが、残念ながらシミック研究室に関する資料の話は一切触れられていない。ニュースを見たアナンは少々落胆したが、それでもゼブリンからの連絡をとりあえず待つことにしたのである。そして、わずか一日で連絡が来たことは、アナンを大変喜ばせた。

 ゼブリンからの報告はさらにアナンにとって嬉しいものだった。ゼブリンによると、シミック研究室に関する資料も見つかったというのだ。ただし、公式な論文は無く、各研究員の筆記で書かれたノートであるとか、実験結果を分析する前の生数字が書かれた紙などが見つかったらしい。


 連絡を受けたアナンは、翌日の朝にU大学を再び訪れた。アナンはまず、先日と同じようにゼブリンのいる研究室で彼と会った。

「よう、アナン。君にとっちゃお宝ザックザクかもな」

「本当ですか。嬉しいなあ」

「まずはこのリストを見てくれ」

 ゼブリンはそういうと、手元のモニターにリストを映した。この中で、シミック研究室に関するもので検索をかけると、全部で十五件が引っ掛かった。量的にも、これ以上は無いと思われるので、恐らく今回の新資料ではシミック研究室に関してはこれだけなのだろう。

 ゼブリンはアナンにリストを見せた後、少し声を落としてこう言った。

「申し訳ないんだが、この資料を見せるには許可がいるんだ。全くの新資料なんでね。全部の内容を、許可を得た人間が完全に把握し終えるまでは、通常は一般公開できない。一般公開するまでに見たいのなら、許可を得なきゃダメだ」

「誰の許可を得なくちゃいけないんですか?」

「杓子定規に言えば、文化省大臣、あるいは直接裁定を下す特別文化保護担当課長ということになるが、実際の決定権はウチの教授にある」

「教授に会わなきゃいけないんですね」

「アナンは行かなくてもいいよ。話は俺がしておいてもいい。ただ、アナンが見たいと言っている、という理由だけじゃ、ちょっと厳しいかもしれない。つまりだな、もう少しはっきりした目的があればいいんだけど」

「研究じゃないとダメってこと」

「──いや、その、特にそんな規定はないんだが……。要は教授に納得してもらわないとね」

「シミック教授による移住計画の研究、じゃあダメですかね」

「もうそんな研究五万とされているからなあ」

 ゼブリンの言葉はいつもに比べると今ひとつ歯切れが悪い。

「じゃあ、何て言えば……」

「いや、研究なんて自分が重要なテーマだと思えばそれで十分だ。問題は中身が伴っているかってことさ。アナンがしっかりした研究テーマを持っていれば、それでいいってことなんだが……。いや、まあいい、俺が何とかするよ。ちょっと、三十分ほど待ってくれるかい」

「それはありがたいんだけど、ゼブリンに全部任せてしまっていいんですか? 僕が言ったほうが良ければ行きますが」

「大丈夫さ。心配するな。待っている間、まあこのリストを眺めといてくれ」

 ゼブリンは教授のところにアナンを連れていくのを逡巡しているようにも見えた。ゼブリンが一人で行くというので、悪いと思いながらも、アナンはとりあえず感謝の気持ちを伝え、ゼブリンが許可をもらうまで待つことにした。そして、モニターに表示されたリストをもう一度じっくりと眺めてみる。

 ざっと見て、アナンは真っ先にこれだというタイトルを探し当てた。

『No.23-00152 シミック研究室  A.D.研究ノート 2012-13』

 A.D.はアンディ・デイヴィスの略ではないだろうか。とすると、これがアンディの研究ノートである可能性は高い。研究ノートの中身が例の日記と同じように書かれているとは思えないが、アンディやシミック教授に関することが何か書かれているかもしれない。

 しかし今更ながらアナンは、無意識のうちにこれほどアンディのことに執着している自分を再認識せざるを得なかった。島で聞いていたファーストビジターはすでに伝説の人々だった。しかし、彼らの生身の人間としての苦悩を知ったとき、アナンは五百年の時を超えて彼に深い同情を感じ始めたのかもしれない。

 ナルチスシティでは誰もが、好きな研究活動や芸術活動をしている。ならば、アナンはこのナルチスシティにとどまって、五百年前にゴルトムント島に到着したファーストビジターに関して研究してみたら面白いのではと考えていた。それは、ゴルトムント島に育ったアナン自身の自分探しにも繋がるし、これからゴルトムント島はどのように変わっていくのか、あるいは変わらなければいけないのか、それに対する答えも見つかってくるような気がするのである。

 それにアナンはやはり、あのアンディのノートはこのナルチスシティで公開すべきではないかと考え始めていた。ナルチスシティでも、五百年前シミック教授がゴルトムント島に着いたとき、島はすでに無人島だったと考えられている。しかし、実際に島には人が住んでいて、住民との確執の上、悲劇が起きたことを知ったら、人々はどのように感じるだろうか。シミック教授の思想を成就するために、どれだけの犠牲が必要だったのか、もう一度残された私たちは考えねばならないのではないだろうか。ゴルトムント島の人々にとってその真実は残酷すぎるけれど、ナルチスシティの人々なら公正な判断が出来るのではないだろうか。

 アナンの興味は、ファーストビジターが何を考えて、どのように島で暮らそうとしたのか、そういった彼らの極めて個人的な心情にある。それを学問だと考えていいのか、アナンにはわからない。しかし、聖書だって、イエスとその弟子たちの赤裸々な個人が描かれているではないか。イエスを非難する人々に囲まれたペテロが、私はそんな人のこと知らない、と叫んでしまったその心の弱さは、誰の心の中にも存在するものだ。先人がどのような状況で、何を行ったのかを知ることで、一人一人が学ぶべきことはたくさんあるはずだ。そして、アンディが自殺するに至った苦悩は、人々に知ってもらうに値する事実なのではないだろうか。


 ゼブリンが戻ってきた。彼は部屋に入るなり、腕を振り上げてOKサインを出し、首尾良くいったことを伝えてくれた。

「アナン、教授に許可をもらった。ただし条件がある。今資料を保存してある保管庫内で読んでくれ、とのことだ。中には監視カメラがあるからね、要するに変なことしないように見張ってるってことさ」

 持ち帰りが出来ないことは予想できたから、こういった条件は仕方がない。ゴーグルを使って、自分が見たものを保存する方法をクサーヴァから教えてもらったので、それを作動させれば後で読み返すこともできるだろう。そう思って、アナンはおもむろにゴーグルをかけようとした。

「ああっともう一つ、条件。ゴーグルはつけても構わないが、記録内容は君が個人で反芻するだけで、人にまだ公表してはいけない。一般公開が始まった時点で、研究などに引用しても良くなる。一応これは法律だからな、守らないと罪になる」

 保存もいけないと言われるかと思い、アナンは一瞬あせったが、人に見せないということなら約束はできる。アナンは了解した、という意味で軽く頷いた。「じゃ、行こうか」といい、ゼブリンは保管庫にアナンを案内した。保管庫は地下にある。入り口は頑丈な扉になっていて、外から閉められたら一生出られないように思える。ゼブリンは、アナンに「さあどうぞ」と言って、自分は扉の外にいたまま、アナンを中に招いた。アナンは少し躊躇したが、ゼブリンが指示するように部屋の中に入った。

 ゼブリンは扉の外にいたまま、中を覗き込んで、アナンに向かって大きな声で言った。

「アナン、そこの奥のテーブルの上に一つずつ置いてあるだろう。その辺がシミック研究室の資料だ。とりあえず俺は外にいるから、だいたい用事が終わったら、この扉の内側のこのインターフォンを押してくれ。俺は研究室にいるからな。あんまり遅くならないようにしてくれよ。じゃあ」

 そう言って彼は扉を閉めた。その後、ガチャッと鍵を閉める音が聞こえた。アナンは寒々しく薄暗い空間に閉じ込められた。誰もいない保管庫はシーンとしていて恐ろしいほどの静けさだ。しかし、こうしている間もアナンは監視カメラに捉えられているのだ。

 アナンは早速、シミック研究室関連の資料が広げられたテーブルのところに行ってみた。お目当てのアンディのノートはすぐ見つかった。なぜなら、彼のノートは、アナンがゴルトムント島で箱の中から発見したあのノートと全く同じ形、色をしていたからだ。アンディはこのタイプのノートをずっと使い続けていたのだろう。

 ノートの表には『A.D.研究ノート 2012-13』と書かれていた。

 アナンは緊張した面持ちで、ノートをめくり始めた。ノートは題の通り、研究ノートだった。ノートを見る限り、アンディは鳥に関する何らかの研究をしていたように見える。そもそも、アナンはこういった専門研究に関しては全く疎かったから、具体的な内容は残念ながらよくわからなかった。ノートには、鳥の化石の解析結果やDNA鑑定などの結果が断片的に記録されているようである。中にはF島やゴルトムント島の名前も見えた。どうやら南洋の島に生息する鳥や、その化石などを調べて、閉ざされた環境内での生物進化の進み具合を研究していたらしい。

 ページをいくらめくってもそのような断片的な記述しか現れなかったが、ノートの終わりの方でまとまった文章があることにアナンは気付いた。文章の冒頭には次のように書かれている。

『シミック教授との討論に関する所感 二〇一三年 三月二五日』

 この後、文章は二つの内容に分かれていた。それぞれ議論した内容が違うようである。アナンはまずこの文章を読んでみることにした。


『その一 ヒトの遺伝子操作の是非について

 シミック教授との定例議論でヒトの遺伝子操作に関して討論した。すでにヒトのクローン胚による実験が世界各地で行われているが、国によってはまだ禁止されているところも多い。また、ヒトのクローン胚については根強い反対意見も多い。そこで今回の討論は若干社会的、倫理的な議題となるが、将来人間は自らの意志で遺伝子を変えても良いものか、それを討論することにした。

 公正を期すために、必ずシミック教授とブラウン助教授は反対意見になるようにするのだが、毎度のことのようにシミック教授側に付く連中が多すぎる。ところが、なぜか私の意見はいつもシミック教授と逆で、毎回シミック教授と敵対してしまう羽目になる。しかし多勢に無勢、おまけにシミック教授の舌鋒には勝てるわけがない。そういう雰囲気を敏感に察知してか、みんな教授側に付くというわけだ。今回は、ヒトのクローン胚反対意見は私とブラウン助教授、そしてキャシーの三人だけとなった。しかし、キャシーなどいないも同然じゃないか。

 私たちの側の主張は、いかに遺伝子操作が自然に反するかという内容に終始した。生物進化の営みは、長い目で見れば自然淘汰によりある方向性を示す場合もあるが、その本質が突然変異という偶然によるものであり、そこには一切の意図が含まれない。

 人間が何らかの意志を持って遺伝子を操作する場合、そこに偶然ではない意志が介在することになり、自然が進化を起こす摂理を逸脱していると考えることができる。つまり、人為的な遺伝子操作は自然に反する。それは最終的に、人類を正しい方向に導かない、と私は主張したのだ。

 ブラウン助教授もほぼ同じような考えだった。助教授は主に人為的な遺伝子操作が引き起こす社会的影響や、それによって生じる人類の画一性を説明し、結果的に多様性を失った人類が、ほんの小さな一撃で滅んでしまう可能性を示唆した。

 これに対するシミック教授の考え方は、さらに大局的な見地に立ったものだった。つまり人間の意思さえ、自然の産物であると反論したのだ。この世の中に、自然に反するものなどないということなのである。生物進化の中で人間が誕生したのも自然が作ったことだ。その人間が考えて行ったことは、全て自然が行ったことの範疇であるという考え方だ。

 地球上で遺伝子を中心とした生物進化の仕組みが作られたことは、もちろん生物個体の自由意志によるものではない。そして、人間が遺伝子操作することは、一見人間の自由意志によるもののように思える。しかし、そもそも生物個体の自由意志と呼んでいるものが人間にはあるのだろうか。そう思うのは人間の驕りではないか。人間が日常生活の中で考えている事は、自らが生物として生きなければいけないという束縛から離れることができない。私たちの行動の八十パーセント以上は、生物の基本欲求に伴うものだ。たまたま、科学技術が発展して、自らの遺伝子を操作することができるようになっても、操作したいと思うその動機のほとんどは生物としての欲求から発していると思われる。

 むしろ急激に進む文化の発展、環境の変化に人類の進化が追い付かないのは自明であり、マクロ的な観点から見ても、生物が自らの遺伝子を変えることができる能力を持つことは、反自然ではなく、むしろ自然の摂理に基づいているとも言えるのである。

 もちろん、動物が持つ自由意志とは何なのか、という議論はある。それでも私からすれば、遺伝子操作ができる文明を持っていること自体が、自然に反しているように思える。また、これまでの地球の生物進化に対して何らかの意志があるのだとすれば、これこそ神の仕業だとも思えるのだ。人間が一人一人考えていることが、私には神の仕業の一部だとはどうしても思えない。私たちは、自分が考えたいことを考えているのではないか? 本当にそこまで神にコントロールされているのか?

 私が神と言い出したのがさらに失敗だった。今度はシミック教授だけでなくて、ピーターまでも神の話なんかしてない、と突っ込む有様だ。無論、私は神を信じる、信じないの話をしているわけではないのだ。進化の方向をつかさどる意志のことを神と呼んでみただけなのだ。しかし、それが皆からは科学者としてあるまじき発想のように思えたらしい。

 討論は当然ながら惨敗だった。私はシミック教授の言っていることも理解しているつもりだ。生物は自らが生き延びて、子孫を残すという目的を遂げるようプログラムされている。人々が長生きしたかったり、性欲を満たしたいと思ったり、美人に思わず見とれてしまったり、脂肪や糖分の多い食物に食欲をそそられたり、強い者に従い、弱いものを叩いたりすることは、全て生物的欲求に起因しているせいなのだと思う。でも人間はそのような欲望ばかりに従って生きているわけではない、と私にはどうしても思えてしまう。そう思うのも、論理的ではない人間の情緒的な反応なのであろうか。


 その二 遺伝子とミームの相互干渉について

 これはシミック教授の持論であり、討論というよりシミック教授の独演会になってしまうことが予想された。従って、研究室内の多くの人が反対側に回って、教授への質問者になろうとした。たまには、反対側に回って教授に質問した方が、教授のウケがいいのである。

 ミームというのは、文明や文化の発展を遺伝子の進化のアナロジーと捉え、あたかも生物が進化するかのごとく文明も進化する、その一因子のことを一般にそう呼んでいる。しかしそれはあくまで、文明の発展が生物の進化と似ているということから来た考え方であり、双方が扱う内容は全く次元の違うもののように思われる。

 ところが、シミック教授はこの二つが微妙に絡み合い、地球規模の環境変化に対して、相互に影響しあっていると主張している。そして、その絡み合い自体を一つの学問として研究することができないだろうか、と教授は思っているらしい。もちろん人間が様々な活動をすることによって文化は生まれる。その文化を生んだのは、人間の脳であり、それを育んだ遺伝子である。つまり、これは遺伝子がミームに与える影響と考えられる。

 そしてその逆の、ミームが遺伝子に与える最大の影響は、これが前の討論に繋がるのだが、遺伝子操作ということになる。つまりシミック教授は、遺伝子操作は人間による自由意志などではなく、ミームによる遺伝子に対する干渉の一形態だと捉えているのである。

 現在シミック教授が研究対象として考えているのは、人間の脳の肥大化である。脳の肥大化は数百万年前に急激に起きたと考えられているが、これは人類の祖先といわれるホモ・エルガステルが持っていた文化、すなわちミームとの相互作用によって説明ができないかと教授は考えているのだ。

 具体的には言語研究が最も分かりやすい。現在の人間が脳内に持っている言語野を調べ、それらがどこまで遺伝子による指示で生成されたのかを調べる。そして、人類が持っている言語の普遍文法の獲得状況を年代順に調べることによって、当時のホモ・エルガステルがどのような言語環境を発展させようとしていたかを推測しようというのだ。これは取りも直さず、文化的な生成物である言語というミームが、実際の遺伝子の進化に干渉したことを示すというわけである。

 ミームを扱うとなると、生物学の範疇を超えてしまう。少なくとも我々は人文系の学問には疎いので、言語学なんて話になるともうお手上げだ。しかも、化石や骨を扱っている我々の研究室で脳科学なんてそりゃちょっと無茶だ。二つ目の討論議題は、予想通り教授が一人で話していたが、このままでは誰も突っ込みを入れられそうもなかった。

 ようやくブラウン助教授から、ミームは常に遺伝子の成果物による結果であって、ミームが遺伝子に影響することは無いのではないか、という素朴な質問が発せられた。ブラウン助教授によれば、生物進化は全て自然淘汰の賜物であり、ミームが遺伝子と連続性を持つのであれば、まずミームは自然淘汰を通して、生物進化に介入する必要があると主張したのである。確かに、私から見てもブラウン助教授の発想は尤もなように思えた。所詮、ミームが遺伝子に作用するなどというのは荒唐無稽な話だ。

 ここでシミック教授が披露した仮説というのは、一般的な常識からかなり外れるもので、正直に言うと我々は大変驚いた。

 人が獲得した形質に関して、遺伝によるものか、それとも生後に獲得したものか、俗に言えば生まれか育ちか、という議論が必ず生まれる。しかし、シミック教授は、生後に獲得した形質が、その子供の遺伝子に影響する方法があるのではないかと考えているのだ。

 つまり医療行為による遺伝子操作でなくても、生殖細胞に対する遺伝子操作を、生物の仕組みとして個々の生物が行っているということなのである。もしこれが本当だとしたら、進化が遺伝子の突然変異だけに頼っているという従来の考え方は覆されることになる。大変刺激的な推論だが、果たしてそんなことがあり得るのか、正直に言って私を含め多くの研究員は疑問に思ったに違いない。

 そこで私も質問してみた。「その仮説を証明するためには、どのような実験をすべきだと思いますか?」というものだ。

 教授はしばらく考えた後、限られた人間を閉ざされた社会で生活させ、その様子を監視したらどうか、と答えたのである。そのようにすれば、その環境でのミームは、社会が閉鎖的であるがゆえに把握し易くなり、その獲得形質が子供に伝わったか判断しやすいだろう。

 ただ、結果が出るのに千年近くの年月がかかるだろうとも言った。その後「もちろん冗談だがね」と笑いながら否定したが、もし環境さえ揃うのなら、シミック教授は自分を冷凍保存してまでも、その実験をやりかねないかもしれない、と私は思う。


 おっと、この所感は個人的な感想と備忘録であり、正式なレポートではないので、私以外の誰かが読んだとしてもシミック教授に告げ口しないでね。


 以上、シミック教授との討論に関する所感より───』

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