F島とナルチスシティは、ほとんど地球の正反対に位置しており、二十六世紀の今となっても移動には十時間近く飛行機の旅をしなければならない。

 アナンがF島に連行されてから一週間後、二人は定例報告のためにナルチスシティに向かった。ゴルトムント島監視局から送られた小型高速旅客機に、二人は乗り込んだ。客席のスペースは必ずしも広くはなかったが、たった二人で乗るには十分な広さだ。各シートを倒しこめば、ベッド代わりにもなる。もちろん、この旅客機も完全自動で制御されており、二人以外に乗員は全くいない。

 アナンは初めて乗る飛行機にワクワクしていた。飛行機が離陸した直後は、アナンは窓から見える外の景色をいつまでも眺めていた。しかし、飛行機が上空に達し、しばらくしてあまりに早い夜が訪れると、景色を楽しむこともできなくなった。次第に乗り心地のあまりの快適さに、空を飛んでいるということさえ忘れてしまった。

 暇を持て余したアナンは、ここ一週間と同様、またブック端末を読み始めた。ラウリーは一週間前からブック端末を片時も離さず読んでいるアナンを見て、いささか呆れ気味だった。いくら、ゴルトムント島の外の世界に興味があるといったって、この熱中ぶりは異常に思える。ラウリーにはアナンのその旺盛な知識欲がどこから来るのか全く理解が出来なかった。

 結局、旅客機に乗っている間、二人はほとんど話すこともないまま、出発したときとほとんど同じ時刻である午前十時にナルチスシティに到着した。F島は現在午後八時になる頃だ。アナンは初めて時差というものを体験することになった。

 アナンは少し名残惜しそうに、ブック端末をラウリーに返した。「さあ降りるか」ラウリーはアナンにそう告げ、端末を飛行機の中に置いたままにして、飛行機に着けられたタラップを真っ先に降りていく。

 ナルチスシティに住むほとんどの人は、ナルチスシティ以外の土地に行くようなことは滅多にない。従って、ナルチスシティの空の玄関であるこのナルチスシティ空港内でもほとんど人は見かけない。空港内のいたるところに空港内の情報を現す電子掲示板があるが、そこを見ても飛行機自体の往来がほとんどないことがわかる。実際、この空港で定期便というのは非常に限られており、ほとんどはチャーター機の離着陸ばかりである。

 しばらくすると、その電子掲示板に、ラウリーとアナンの出迎えの車が空港の外で待っている旨の連絡が表示された。

「ほら見えるだろう。おいらたち、呼ばれてるぜ」

 ラウリーはそう言って出口に向かい、きょろきょろしながら出迎えの車を探した。アナンはふらふら歩くラウリーの後をついていくしかなかった。出迎えの車はドアを開けて二人を待っていた。他に車は無かったからこの車に間違いはない。車には飛行機同様、運転手はいない。

 ナルチスシティでは、道路は規格化され、ほぼ全ての交通システムは人間による車の操作を必要としなくなっている。道路にはレールのような物理的な拘束はない。しかし車は道路に配備されたセンサーを感知しながら、道路に沿って自動に走行することが可能だった。車は走行中もナルチスシティ内の交通情報を常に収集し、目的地に最も早く到着するようにダイナミックな道路検索を行う。もはや、ナルチスシティにおいては、二十世紀のように車をドライブするという楽しみは、人々にとって必要ないものであった。

 二人は車に乗り込んだ。ほどなく二人を乗せた車は静かに発進した。アナンは車の中から街の風景を眺めた。南国の島であるゴルトムント島、及びF島の自然が生み出す鮮やかな色彩しか知らないアナンにとって、ナルチスシティの日差しはあまりに弱く、見るもの全てが少しずつくすんで見えた。

 しかし、整然とした街並みは洗練した印象を与え、しっとりと落ち着きを持った風情が感じられる。F島の近代的な施設のイメージがあったためか、実際のナルチスシティの街並みはアナンにはむしろ古臭い感じがした。自動車が走る道路は確かに画一化され、近代的な雰囲気を感じさせる。しかし、街の建物のほとんどは石造りであり、ブック端末で見た古いヨーロッパの街並みを思わせる。人工的な丸みを持っていたり、逆にシャープで平面を多用したりするような近代的な造形物はどこにも見られない。

 しばらくしてアナンの乗る車が走る道路は上り勾配になり、地面から段々距離が離れていって、高架の上を走るようになった。そして今走っている道路と真下に、全く平行に走る別の道路があることにアナンは気付いた。

「へえ、この下に別の道路があるんだ。道が二階建てになってるんですね」

「ああ、道路はだいたいどこも上下線に分かれているのさ。上は人間が使うもの。下のほうは完全に物流用の道路だ。

 今じゃ物流の交通量が多すぎて、下の道路はいつでも渋滞気味だ。最近は、三層道路といって、道路全体を三階層にして、下の二つを物流に使おうという計画もあるらしいけど、まあいつ出来ることやらってとこだな」

「物流?」

「人様じゃなくて、モノだけが運ばれるんだ」

「モノって、いったい何を運んでいるんですか?」

「そりゃもう、あらゆるもんさ。

 モッドの連中は、いまどき食料を買いに店になんて行ったりしないぜ。冷蔵庫の食材が足りなくなれば勝手に補充してくれるし、欲しいものがあればネットで発注すればいい。今ならどんな珍しい食材でも一日あれば手に入るだろう。

 あとは消耗部品とか、日用雑貨とか、いくら自動化された社会とはいえ、どうしても生活に必要なモノというのはあるからな。そういうものが、この下の道路をガンガン流れてるってことよ」

「好きなものがいつでも食べられるってことですか」

「ああ、もちろんだ。ただ、それができるのはモッドだけだがな」

 このナルチスシティを人体になぞらえるならば、この物流システムはまさに血液を運ぶ循環器系の器官のようなものだ。人体よろしく体内の各器官が必要とされる物を、必要なタイミングに、必要な量だけ送ることができる。アナンたちの乗る車も、まるで赤血球のように、この人工的な血管の中をするすると滑っていく。

 街にはあまり人を見かけなかった。なんでも居ながらで出来てしまうこの社会では、外を出歩く必要はないのかもしれない、とアナンは思う。しかし、ラウリーはこの便利さを享受していないのだろうか。ここに住む者は皆、この便利な生活が出来るのではないだろうか。便利な生活はモッドだけの特権なのか。

「──前から疑問に思ってたんだけど……。ラウリーはナルチスシティにいるのにモッドじゃないの? お爺さんがゴルトムント島の人って言ったけど、結婚した相手はモッドじゃないの? だったらラウリーだってモッドになるんじゃ……」

「おいらがさあ、微妙にモッドと距離を置いているのがわからないかなあ。

 いいかい、ナルチスシティにはモッドだけじゃない。モッドに対して『ナット』と呼ばれるんだけど、おいら達のような連中が、街のスラム街に住み着いているんだ。ナットはナルチスシティの治安維持や清掃、各種工事などもろもろの仕事で日銭を稼いでいる。ナットが、モッドの社会を底辺で支えているのさ」

「ナット?」

「そうだよ、ナットだよ。アナン、あんただってナットの一人だよ。どうあがいたってモッドにゃなれない」

「ここではモッドじゃないと、便利な生活が出来ないんですか」

「連中はスクリプトFが使えるからな。頭の出来の悪いおいら達には、この車だって、飛行機だって何一つ動かせない。免許を持たない俺たちは、便利さの蚊帳の外だ」

「よくわからないけど、何か不公平だな」

「不公平だって。笑わしてくれるじゃないか。なら、おいらの遺伝子だって差し替えてもらいたいものだね。いいかい、連中とおいらたちは身体の出来からして違っちゃってるんだよ」

「だけど、もし、ナットの人間が、モッドと結婚したらどうなるんだろう。生まれてくる子供はどっちになるのかな」

「ハハハ、結婚だって? ナットとモッドが結婚するなんてありえねえ。どうしてって言われても、あり得ねえものはあり得ねえ。そんな話は美談にもならないよ、この街じゃあな」

「要するに、この街では人間は二種類に分かれてしまったわけですね」

「まあ、そう考えときゃ間違いはないだろうな」


 二人が会話しているうちに、車はとある大きな建物の前で停車した。建物の入り口には『環境省』と書かれている。この建物は、車窓から眺めたような荒削りの石造りの建物ではない。表面は石造りのように見えるが、外壁はつるつるに磨かれている。今までの印象と少し違い、アナンには近代的な建物のように感じられた。

 車を降りて、アナンは初めて外の空気に触れた。そこでこの地がゴルトムント島やF島に比べ、肌寒い気候であることにようやく気付いた。北半球のさらに北にあるこの国の初秋はもうコートが必要なほどの寒さだ。アナンは車から降りた瞬間、ぶるっと震えると、すかさずラウリーは上着を手渡してくれた。アナンは急いで袖を通したが、こんな服装をしたことをないアナンにとって、この分厚いコートは息苦しくて仕方がなかった。

 二人は建物の中に入った。建物の中ではほとんど誰とも会わなかった。ラウリーはアナンを連れ、エレベータに乗り三階で下りた。三階の廊下をしばらく歩いていくと、『ゴルトムント島監視局』と入り口に書かれたドアをアナンは発見した。

「ここですね」

「ああ、ここだ。だが、中には誰もいないがね」

「誰もいない?」

「モッドにとっちゃ、政府の仕事なんて片手間にやってるだけなのさ。ボランティアだから仕方がない。やつらは他にもたくさんやることがあるからな」

 ラウリーはドアを開けて、ゴルトムント島監視局と書かれた部屋の中に入っていった。アナンもその後について行く。二人が入ると、部屋の明かりが自動的に点灯した。

 ラウリーの言ったとおり、部屋には人は誰もいない。誰もいないどころか、部屋は閑散としていて、ほとんど物が見当たらない。部屋の中にあるのは、机が一つと椅子が四つほどだ。机の上には、キーボードが一つ置いてある。

 ラウリーは椅子に座り、キーボードを手元に運んで、素早く打ち始めた。しばらくすると、ドアの向かいの壁全体に人の顔の映像が映し出された。

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