第三章:氷の園に這い出る悪魔 7

「対話……だと? 隣人同士だと?」


 アイシアの演説を聞いて弘樹の心に生まれたのは怒りだった。彼の家は、魔法世界併合に伴う世界の激変によって滅茶苦茶にされた。魔法によって殺された。それは違えようのない事実だ。


 そして、当のアイシアと対話し、決定的に価値観が違うことを示された。決して分かり合うことがないと突き付けられたのだ。それを今になって対話だの隣人だのと言われることが我慢ならなかった。


「綺麗事を……。対話をすれば俺たちが矛を引くとで思ったか……!」


 端末を忌々しく見つめる。流れるコメントには、アイシアの発言を絶賛する声が並ぶ。掲示板を見ても、彼女の発言前後で世論の流れが急激に変わっていた。ISIAの理想の体現者だと、彼女を賛美するものまで現れる始末だ。


 悔しかった。こんな上っ面の言葉程度で覆されるものなのか。いままで歩んできた道が間違っていると、全世界から非難を食らっている気分になった。


 確かに、いまの弘樹は何もできていない。グリーンランドに来て魔法使い候補者と会話をしているだけだ。決死の覚悟で日本に来たというのに負け続きで、振り上げた拳を向ける矛先が見つからない。


 世界だってそうだ。魔法使いに敗北し続けている。いまこの瞬間とてそうだ。人類社会に魔法が浸透している。人類は、もはや魔法無しでは生活できない。多くの犠牲の果てにできた社会が、魔法廃絶を許さない。


 そんなことは弘樹とて分かっている。それでも、怒りが止められないから立ち上がったのだ。理不尽を許せないから拳を振り上げたのだ。いまさら引けるはずがない。引くべき場所などこの世界にはどこにもないのだ。


「ふざけるな! 自分たちが侵略しておきながら、いまさら隣人面か! 厚かましいにもほどがあるだろう!」


 誰にでもなく、世の理不尽に対して弘樹は怒鳴った。


 人類にとって、魔法使いは侵略者だ。社会基盤を根底からひっくり返し、魔法の恩恵で豊かにしたと錯覚させている詐欺師だ。事実、社会は潤っただろう。それは一部の勝ち組だけだ。弘樹のように負け組になったものだって多い。


 後悔はある。激変した社会で生き残る術は他にあった。適合する道も確かにあった。それでも、魔法使いが対話を求め、隣人面をすることだけは我慢ならなかった。


 たぶんこれは、弘樹が引き返せない場所まで来てしまったからだ。全身を血で染めた復讐者に言葉など意味がない。だから彼は銃を携えいままで戦い続け、ここまでやってきたのだ。


 いま何ができるのかと弘樹は己に問うた。


 フェリクスは説話の戦いを見ろと言った。


 アイシアは対話し理解し合おうと言った。


 弘樹には怒りしか残っていなかった。この怒りを全世界に発信するしかないと思った。世論はアイシアの言葉に揺れた。なら、それを更に揺らすしかない。


 懐からサバイバルナイフを抜く。端末を見る円珠庵の背後に回り、首筋にナイフを突きつけた。


「悪いが、人質になってもらう」


 凶器を向けられてに円珠は冷静だった。色々なことが一日で起き過ぎて、危機感が麻痺しているのだろう。


 円珠が静かに問う。


「私が人質になって何が変わりますか?」


「変わらないかもしれない。だが、何もやらないより何かをやる方が遥かにマシだ」


「あなたは、反魔法主義団体の人ですね?」


「そうだ」


「魔法によって職を奪われたと主張する人たちでしたね」


「そうだ!」


「なら、私はなんですか? 私も魔法によって未来を奪われました。この私を人質にして何を訴えるっていうんですか?」


 何も言い返せなかった。杉下弘樹の底の浅さが浮き彫りになるかのようだった。


 弘樹は怒りを糧に暴力の世界に飛び込んだ。敵は、暴力という名の銃で撃ち落としてきた。だから、人々に訴えかける言葉を持たない。


 魔法が悪い。魔法が社会をこんな風にした。それしか言えない。


 決して捨ててはならなかった思考を放棄し、魔法を排斥することのみに人生を歩いてきた彼には、人々の芯に響く言葉がないのだ。あるのは暴徒を立ち上がらせる言葉くらいだ。一体、世の中のどれだけがそれになびくだろう。


 このとき、弘樹は決定的に道を間違えたのだと気づいた。


「俺が、俺がやってきたことは……なんなんだ?」


「反魔法主義の言っていることは単純です。魔法が世界の秩序を乱した。言い換えれば、魔法が生んだ機会に乗り遅れた人の怨嗟です。つまり、負け犬の遠吠えでしょうね」


 女子高校生に負け犬と呼ばれ、頭に血が上った。


「ふざけるな! 誰も彼もが勝てる世の中じゃない! そういう世の中に魔法がしちまったんだ!」


「そうです。誰も彼もが勝てるわけじゃない。アイシアさんが言っていたじゃないですか。魔法使いだって貧しくなった人がいるって」


 そこを突かれると弘樹は何も言えない。魔法使いにも立場が弱い者がいる。それを利用したのが今回の事件だからだ。


 円珠が諦めの声で言う。


「誰でも勝てて、誰でも負ける可能性がある。努力しなければ蹴落とされる。運が悪くたって転がり落ちる。それ、魔法が誕生する以前と何が違うんですか?」


 違う。そう言いたかった。だが、口が動かなかった。


 円珠が掠れた声で笑う。


「私たちは負け犬です。境遇がそうしました。私たちの意思なんて関係なく、私たちを負け犬の立場に突き落としたんです」


「……そうだ」


「でも、できることはあるはずです」


「どうしろっていうんだ」


「上を向いて登ることはできます。努力することはできます。私たちは人間です。私たちは進化を科学技術と魔法に託しました。そうやってここまで進歩してきました。なら私たちもそうすればいい」


「できない人はどうする」


「知りませんよ。社会福祉にでも助けてもらってください。すべてを救ってもらおうなんて、そんなのさすがに甘いですよ」


「それは暴論だ」


「あなた達だって暴論を振りかざしているじゃないですか。魔法のせいで職にあぶれた? 雇用が失われた? どうして他の仕事をしなかったんですか。できることならあったはずじゃないですか。嘆くだけで何かが変わるとでも? バカじゃありませんか?」


 それは、弘樹の父を愚弄する言葉だ。許せるものではなかった。だが、高校生に言われたことで背筋がさっと寒くなった。


 セーフティーネットは確かに存在した。いまも、昔もだ。死を選んだのは、選んでしまったのは父の過失であり、父の選択だ。決して弘樹のものではない。


 弘樹がやっていることは、他者の死を利用して怒りを振りかざしているにすぎない。それが正当なのか不当なのか、もはやいまの彼には判別がつかなかった。


 わなわなと足が震えた。土台が崩れ去ったような気分だった。


「なら……一体なにが正義だ……?」


「知りません。分からないから色々なものが変化していきます。法律だってそうでしょう? 誰も正しいことなんて知らない。誰も、全知全能の神じゃありませんから」


「どうしてそこまで達観できる……? お前だって当事者だったはずだ」


 ナイフを離して、弘樹は円珠に問う。彼女は恥ずかしそうに笑って言った。


「だって、私の未来のために戦ってくれる人がいるんですよ? 私の選択を嘆いてくれる人だっていました。私のためにメディアから声を向けてくれる人がいました。そんな世界で、いつまでも泣いてばかりいられないじゃないですか。落ち込んでばかりいたら、あの人たちに申し訳が立たないじゃないですか」




 ◇◆◇




「ほぅ、あのレライエを倒したか」


 アリーシャの釘による攻撃の連打を白金の剣で捌きながら、フェリクスが愉しそうに呟く。


 フェリクスの周りに旋回している書は五冊。《テンペスト》、《ニーベルングの指環》、そして《レメゲトン》の頁を一枚ずつ収めた空の書が三冊だ。


「見事なり。しかし、説話の力をまだ知らぬと見える」


 レライエを召喚した書はまだ開いている。一度開いた書は、説話魔導師が止めるか意識を失うまで閉じることはない。つまり、フェリクスがその気になればレライエは何度でも蘇る。


「させませんよ!」


 雷の女王となったアリーシャが無数の釘を生み出し射出。《電磁結合》により通電された釘は、フレミング右手の法則によって磁力で超加速する。音速など薄紙のごとく貫く速度で放たれた釘をフェリクスは空中を疾走しながら避ける、避ける、避ける。アリーシャがフェリクスを追う。


 その戦いはまるで現代の戦闘機同士の戦いだった。


 後ろに付かれたフェリクスが大笑する。


「三次元戦闘で点の攻撃はそうそう当たらん。重犯罪魔導師対策室の割に攻撃が雑だぞ?」


 無言のまま、アリーシャが超加速した荷電粒子を展開。その数、実に百二十八条。


「飽和攻撃で俺の行動を回避に専念させるつもりか。あまり失望させてくれるなよ?」


 アリーシャの荷電粒子砲が放たれる。光の洪水がフェリクスを襲う。


 エアリアルが濃密な風でフェリクスを覆う。速度が更に加速する。放射状に展開された荷電粒子砲の隙間を掻いくぐる。そこに先の攻撃で散っていった釘が疾走してくる。荷電粒子砲の隙間を埋めるべく、飛散した釘を磁力で操ってフェリクスへ殺到させているのだ。


 フェリクスが超高速でふたつの攻撃をかわす。釘の一本が腕を掠める。初めて彼に傷を負わせることに成功した。


 フェリクスの唇に野獣の笑み。


「さすが重犯罪魔導師対策室。この妙技は驚かされたぞ!」


 戦闘中においてもフェリクスは口を開く。敵が素晴らしければそれを称える。これが彼にとっての戦いなのだ。


 鷹の男が吠える。


「もっと来い! 核融合魔法はどうした? もう撃てぬのか? それとも機を見ているのか? さあ、もっと俺を楽しませてみせろ!」


 戦闘はアリーシャが優勢に見える。だが、戦場をコントロールしているのはフェリクスだ。説話魔導師以外の戦線をひとりで維持しているのだ。むしろ、その状況下でアリーシャの攻撃を避け続けていること事態がおかしい。


 現在、レライエが倒されたことでフェリクス側の情勢が悪くなっている。しかし、アリーシャが攻撃を続けなければ悪魔は再び蘇る。


 エアリアルを使役するフェリクスを未だ完全に捉えることができていない。雷を支配するASU最速と謳われるアリーシャですら、エアリアルという幻想に速度で負けているのだ。


 フェリクスが上昇を始める。荷電粒子砲を再び展開しつつアリーシャも続く。


「さあ、早く来い! こたびの戦場は混沌よ! あやつらが来るには良い具合に煮え切っている! 早く! 早く! 早く! 我らが悲願のために!」




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