【二十三】



 ナイアが悲鳴を上げ、頭を押さえて立ち上がった。

 動けない。全身が震えだす。


 怒涛のような思念の波がナイアの思考を押し流そうとしていた。


 炎の津波。燃え上がる怒りの暴風。

 逸らせることも、閉ざすこともできない。

 必死に壁を作り、食い止めようとするが勢いの物凄さに立っているのが精一杯だ。


(『超越者』が、目覚めた。――だめ、遮断しなければ)


 意思を振り絞る。

 心を閉ざそうとする。閉じようとする扉を押し開けるように炎のような怒りが流れ込んでくる。

 こらえる。

 こらえる。

 ぐわっと真っ赤な大波が襲いかかり扉もろとも弾き飛ばされた。


「きゃあああああ!!」


 絶叫した。

 頭の奥でぶつっと何かが切れた。視界が血の色に染まる。


 鼻と耳から血が噴き出す。

 血を流す目を見開き、口を開いたまま意識が遠ざかる。


(――ジェン……さま)


 羽が舞い落ちるように昏倒し、そのままナイアは絶命した。







 壁の向こう側から物凄い思念の熱気が襲いかかって来た。


 飛び離れたギイがすかさず杖をバラージモードにする。杖から四方八方に稲妻が散る。壁や天井の石が弾け飛んだ。

 ジェンが篭手をかざす。稲妻が弾かれた。身体が押される。

「むう!――まだこんな力があるか」

 ジェンが呻く。

「わたしじゃないわ!」

 暴れる杖を必死に支えながらギイが叫んだ。


 ジェンのいる側から離れた壁が爆発した。瓦礫が飛び散る。

 怒涛のような思念の奔流が流れ込んでくる。


 壁に開いた大穴から炎のような白光が入って来た。


 全身から白い光を放つ人影が室内にゆっくりと踏み込んでくる。

 杖から発する稲妻が勢いを増した。ギイが目を見開く。人影を見つめた。


「――あかり……さん?」


「こいつが――『超越者』か?」

 教授のことがちらと頭をよぎった。実験とやらはどうなったのか。

 それともこれが実験の結果なのか。

(いずれにせよ、こ奴は生かしておけぬ)

 篭手をかざしたまま剣を構えた。

 ギイの方をわずかに見て、光る人物に向かって足を踏み出した。


 あかりがゆっくりとジェンの方を向いた。

 白く光る両眼と胸元。

 逆三角形の光源がジェンの目を射た。光が増す。


 轟。


 燃え上がる白い炎がジェンに襲いかかる。篭手をかざした。身体が押される。踏みとどまる。ざりざりと床が音を立てた。

 思念を集中する。こめかみに血管が浮き上がる。

 押される。後ずさる。燃えたぎる巨大な溶岩が迫ってくるような圧力に気圧される。


 全く歯が立たない。山を焼き尽くす業火に手水を撒いているようだ。

 ジェンが目を見開いた。


(何だ、これは。この力は。――こ奴、本当に人間か)


 剣を手にしたまま、篭手をかざす腕を片手で押さえた。物凄い圧力が腕にかかる。

「ぬううう!」

 歯を食いしばる。堪える。足が動かない。


 ぴしっと音を立てて篭手に亀裂が入る。

 ぴし、ぴし、ぴし。


「――ば、馬鹿な!?」


 篭手が粉々になって飛び散った。

 ばあん、とジェンの身体が跳ね飛ばされる。


 全ての圧力を乗せられたまま奥の壁に思い切り叩きつけられた。全身を強打する。

 骨が砕けたのがわかった。

 がはっと呻き、口から血を吐く。


 あかりが両手を前に出し、掌を開いた。

 ジェンもろとも背後の壁が前に崩れ、身体を押し潰す。虚空を掴む手がわずかに見えた。

 その上に石の天井がどどどど、っと崩れ落ちた。


 かすかな悲鳴が聞こえたが轟音にかき消された。







 警報が鳴っていた。

 教授はふらつく頭を押さえながら机にしがみつき、立ち上がった。

 地鳴りがする。部屋中、いや、山全体が低い振動音とともに揺れていた。

 壁じゅうの機械をぎしぎし、ぎいぎいと音を立てる。

 何かが床に落ちて割れる音がした。

 奥の機械のどこかでぱあん、と音を立てて火花が飛び散った。


 よた、よたと機械に歩み寄る。


(こんな――こんなことで、儂の研究が。もうじき、もうじきだ。完成するのだ。儂が、人類を)



 足元で爆弾が炸裂した。







 通路の奥、遠くで立て続けに爆発音がした。


 巨大なダクトが振動で軋み、不穏な音を立てていた。


 ごごごごごごごご。


 通路全体が揺れている。

 ジュディとみつるが立ち止まった。天井に目をやる。

 ぴしぴしと亀裂の入る音がする。


「なんかこれ――やばくない?」

 みつるの顔がひきつる。

「爆弾、爆発してるね。――走るね!」

 ジュディが叫ぶ。


 二人が再び走り出した。







 トキと隊員たちが走り込んできた。

 爆発音が続けざまに響く。部屋が揺れる。

「チェッカー!逃げて下さい!」

 杖がまだ稲妻を発している。

「まだあそこに!あかりさんが!」


 部屋の奥でめらめらと白く燃え上がり、強烈に発光する人影がギイたちに背を向けて立っていた。

 トキが目を見開いた。


「あれは……何だ?」

 思わず駆け寄ろうとする。光の圧力が身体を押さえる。動きが止まった。

「だめだ――これ以上近寄れない」

 あかりの周囲の壁や天井が音を立てて崩れ始めていた。

「無理です!チェッカー!逃げましょう!」

 トキがギイの手を引く。


 一旦足が動く。立ち止まって振り返る。


「あかりさん!落ち着くの!自分を取り戻して!逃げるのよ!――あかりさん!」

 後退しながら叫ぶ。

 あかりは背を向けたまま動かない。


 前後左右で振動が大きくなっていく。近くで、遠くで崩壊する音が連続する。


 唇を噛んでギイは走り出した。







 三人の夜勤職員がパネルに取りついていた。

 建物全体が振動している。

 びいびいと警報が鳴り、赤ランプが狂ったように点滅する。

「だめだ!止まらない!」

 スイッチを何度も押す。

「加速レベルは下がらないか!」

 職員がモニターから顔を上げる。

「だめです!臨界値まであと三十!パワーゲージ九十七!持ちません!」

 ばしっと音がしてパネルから火花が飛ぶ。

「緊急停止!」

 一人が樹脂製のカバーを開き、スラスターを押し倒す。

 振動が止まない。

 もう一度倒す。二回、三回。

「停止できません!制御不能!」

 蒼ざめた顔が振り向いた。


「逃げろ!――爆発するぞ!」


 職員たちが椅子を蹴倒して走り出した。







 ごごごごごごごごご。


 山が唸り声を上げていた。

 地面が揺れる。

 地上の広い駐車場の真ん中まで走って、みつるとジュディが座り込んだ。

 はあはあと息をつきながら顔を上げて山を見上げる。


 どおん、と腹に響く音がして岩山に隣接する建物から煙が噴きあがった。


 建物の角を曲がって車が二台走ってくる。ライトが二人を照らす。二人が振り向いた。

 傍まで走ってきて車が停まる。

 ドアが開いてギイと隊員たちが降りてきた。

 ジュディが走り寄る。

「あかりは?――あかりは一緒ないですか?」

 ギイがわずかに下を向いた。

 口を引き結んで首を振った。

「――ごめんなさい」

 みつるが目を見開いた。

「――そんな!」


 ごおっ、と山が鳴った。

 全員が振り向く。

 闇夜にもうもうと土煙が上がる。果てしなく続く地響き。鈍い音と共に山が形を崩した。

「基地が潰れたんだわ」

 ギイがつぶやく。


「あかり……あかりが」

 立ち上がったみつるがへたり込んだ。


 山の頂が弾け、岩塊が崩れ落ちる。

 土煙の中にぱあっと光の柱が立ち上がった。


「あれ……なに?」

 みつるが声を漏らす。

「――まさか」

 ギイが一歩近寄る。


 頂から光る球体が現れた。

 ゆっくりと空に上昇する。

 目を凝らす。かすかに人影が見えた。


「――あかりさん、だわ」

 ギイの声に二人が振り向く。


「生きてるの?――でも、あの光は?」

 ギイは答えられない。


 球体の光が徐々に大きくなる。

 目を開けていられない。



 みつるたちの視界が光に呑み込まれた。




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