【四】


 入学式。

 新しい一年生を各々の教室に連れていく先導役が終わると三年生はお役御免だ。

 あかりとみつるは連れだって正面玄関を出た。

 春の陽光が暖かく、日差しはいくぶんかやわらかかった。

「あー、やっと終わった。めんどくせー」

 ううん、と伸びをするみつる。

「来年はあたしたちが入学する番だよ、高校に」

「そうだよねー、早いね」

 アプローチから駐車場へ至る道には十本ほどの桜が並んでいる。開花は七・八分といったところか。

 今年は少し遅いかな。あかりは思った。

 植込みの芝生には大きな沓石がある。二人は桜の花を見上げながらぶらぶらと歩くと並んで沓石に腰を下ろした。

 かすんだような春独特の空気。あかりは目を閉じて胸いっぱいに吸い込んだ。かすかに花の匂いがする。

 大あくびするみつる。眠いわよねえ、春は、と言って座ったまま膝から下をぴょんぴょん上げ下げした。

「みつるが眠いのは年中じゃないの」笑った。

 そうかも、と珍しく絡まずにみつるが答えた。

「――なんか平和っぽくない?」

 うん、と頷くあかり。桜の枝先を見つめる。

 薄いピンク色の花弁が透けて、春の陽光に溶けている。


 悲しみのように美しい。


 春になるとなんだか一年がリセットされているような気になる。

 多分にそれは、「桜」という一年のうちの特定の数日間しか話題にならない植物のせいだろう、とあかりは思う。

 またそれが一年の節目に当たる季節だけに満開になるからなおさらだ。


 だから、ひとの想い出には必ずどこかで、この花びらが舞っている。

 この花を壁紙にして、人の中のシステムは再起動するのだ。


 人の気分に関係なく季節は移ろう、と誰かが言っていた。たぶん、そうではない。

 季節が移ろうから、人の気分が移ろうのだ。


 それは結局、人がどんなに世界からかけ離れたつもりでいようとも

『お前はこの星の生物以外になることなどできはしないのだよ』

 と自然に諭されているような気もしてくる。


 春、かあ。

 あかりは何となく物悲しい気分になっていた。


 ふわっ、と風が吹く。あ。声が出る。


 ……わかる。遠い「誰か」の思い。

 胸ふたがれる切なさ。届かない悲しさ。やるせない、遥かな、遥かな思い。

 まただ。

『鍵』はかかっているのに、なぜ?

 戸惑った。


「いま」じゃない。「ここ」じゃない。遠い遠い何処か。

 ――「いつ」なの?「だれ」なの?


『鍵』をはずしたい衝動。でも、今はダメ。


 ――わたしはなにをすればいいの?

 ――わたしになにができるの?



「どしたの?」

 みつるの声にはっと我に返る。

「あ――いや、春ってなんか考えちゃうなって」

「春を憂う乙女よね、ってか最近あかり、そういうの多くない?」

 そうかなあ、と言って黙った。

 理由はわかってる。不安なんだ。なにかが起こりそうな不安。

 でも――。


「あー、いたー、みつるー!」

 玄関口のほうから声がする。

 鮮やかな金髪が遠くからでもよく見える。

「あれ、ティナだ」

 ぱたぱたと駆けてくる。近くまで来るとそばかすが目立つ。確かノルウェー生まれだったかな。

「みつる、ロブ先生が呼んでるよ。広報のパンフ取りに来いって」

 あらっ、と声が出た。

「忘れてた、じゃあね」

 みつるは駆けだした。ぼんやりと後ろ姿を見送るあかり。

 あかりも行こ、ティナが促す。うん、と答えて立ち上がる。

 戻りぎわ、もう一度桜の花を振り仰ぐ。


 ――春よ。


 考えても仕方ないよね。


 あかりも歩き出した。







 木の扉が開く。

「呼んだか、ジェン」

 入りながらバトンガは表情を殺して言った。

 椅子に座ったままじろりとバトンガの顔を見る。

「……病院を吹っ飛ばしたのはお前か」

 ぴくりとバトンガの眉が動く。空気に気圧けおされる。腕は互角のはずだ。自分に言い聞かせる。

「だったら?」

「誰に断って能力者を狙わせた」

 重く低い声。重量が圧力となってバトンガを押さえる。

「――この国の警察を甘く見るな。連中はOZオズともつながっている。ドジを踏まない保証でもあるのか」

 ぬう、バトンガが唸った。

「能力者を始末して何が悪い」

「能力者を見つけては片っぱしから殺して回る気か。絶対数の少ない俺たちがそんなことをしたらどうなるか、わかっていて言っているのだろうな」

「あんたのやり方じゃ埒が明かん」

 ジェンは口の端を曲げた。

「じゃあ、アネハラにそう言って来い。奴がそんな無駄遣いを許すとは思えんがな」

「――俺にできないと思っているのだな?」

 半歩踏み出した。ジェンは微動だにしていない。

「あいつらが引っ張ってくる金なしでお前が動けるというのならやってみろ、と言っているだけだ」

 バトンガは黙った。

「その『剣』は伊達や酔狂でお前に預けているわけではないぞ」

 腰元を見やった。奥歯を噛みしめる。言葉が出ない。

 バトンガは黙ったまま部屋から出て行った。

 くそっ。


 しばらく後ろ姿を見送ってから、腕輪のボタンに触れた。

「カポラか。バトンガから目を離すな。――おかしな動きをしたら報告しろ」







 頼んだジン・ライムが目の前に置かれた。

 ひと口舐めてみた。ライムが強すぎる。

 胸元から長めの箱を抜くと、茶色く細長いタバコを一本振り出した。

「JOKER」という名前が気に入っているだけのタバコを咥え、ペーパーマッチで火をつけた。

 煙をぼんやりと吐き出し、店内を見渡す。

 六帖ほどの広さのバー。カウンター席の奥にはビリヤード台がひとつ。若い男が二人、ナインボールに興じている。

 弾かれる玉の澄んだ音が店内に響く。あまり静かな場所でもかえって困るのでちょうどいい。

 中年のバーテンはザキと反対側のカウンターにいる客と話し込んでいる。


 ザキはそのままの姿勢で「探知」を始めた。目を閉じる。

 感覚が蜘蛛の糸のように放射状に伸びていく。店を越え、通りを越え、さらにその先へ。

 糸の先端が糸に触れる。むっ。

(敵の網か)

 眉が動く。そっと糸を伸ばし、大きさを探る。

(でかい……なんてでかい網だ。どのぐらいあるんだ半径、なん十キロ、いやなん百キロか)

 掴みきれない。敵の能力者のものだ。間違いない。

 こいつが噂に聞く敵の「眼」だな。桁違いの索敵能力だ。

 ザキは「糸」を消した。酒を口に含んで煙草をもみつぶす。


(やはりこの街あたりとまでは踏んでいるのか。検査の結果が漏れているはずはない)

(とすれば「あの娘」になにか動きがあったのを連中が掴んだということだ)

 

 ――まずいな。


 ザキは酒を飲みほして立ち上がった。







 珍しくなかなか寝付けない。あかりは何度目かの寝返りを打った。


(鍵をかけていても届いてくる思い)

(なぜ届くの? あなたは誰?)


 なんだろう。気になる。

 気配を察知したのか、ゴンが枕元にすり寄って来る。

 なーお、と小さく啼いた。


 もともとはまだあかりが小学生の頃、雨の日に家に迷い込んできた猫だった。母親が構い始め、次いであかりが構い始めるといつの間にか当然のような顔で家に居座っていた。

 今では堂々と家族の一員面である。


(そうだねゴン。もう寝なきゃ)


 布団をかぶり直した。




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