35.新たな技

 暗闇により光源の光が王都を煌びやかに照らし始めた頃、桜玄斎は屋敷へ帰宅していた。


「おかえりなさいませ、桜当主」


 少し遅れたシロウは、戸を開けて入ってくるゲンサイから上着を受け取ると、濡れたタオルを手渡す。


「――サナエが戻っているな」

「はい。先ほど奥様と戻られました」


 魔力感知をしつつ足を拭くゲンサイは孫娘が戻っていることを察した。


「怪我をしている様子は?」

「特にありません。今、ご入浴中なので大事があれば奥様より話があると思います」

「それと客が来ているな」


 ケイとサナエの傍に感じるもう一つの魔力は、馴染みのある者ではないが覚えのあるモノだ。


「エリスン様です。桜光陽さんと共に来訪されました」


 ゲンサイは光陽の名前を聞いて雰囲気が変わった。殺気の混じる冷ややかな眼。その様子に思わずシロウは背筋が冷える。


「奴を中庭に呼べ」

「は、はい」






 ほどなくして、光陽は室内からの光に照らされる中庭に案内されると、そこにはゲンサイが腕を組んで佇んでいた。


「答えを見つけたか?」

「……いえ。まだです」

「ならば、なぜ村を離れた?」

「…………」

「己の存在を天秤にかけたつもりか? 自惚れるな。お前にはその価値すらないのだ」


 シロウはここまで他に厳しく当たるゲンサイを見たことが無かった。光陽に対する対応はまるで別人のようだ。


「ワシの前に立て」


 光陽は裸足のまま中庭に降りるとゲンサイと向かい合う。


「今から【青龍】を伝える。何も変わらぬままであるのなら、そのまま死ぬ」

「……はい」


 半身に向かい合い、中腰で相手に対する攻撃の面積を減らす構えは地に体重を預ける事で不動のごとき力強さを得る。

 互いに構えたのは【玄武】。それが最良であると二人は間を置かずに察したのだ。


「シロウ。ケイとサナエには飯の用意をさせろ。誰もここに近づけるな」

「は、はい」


 シロウはゲンサイの意図を察し、その場を離れた。

 これから行われるのは“桜の技”の伝授。見届けることが出来るのは同じ血を持つ者だけ。


「【玄武】『一門』」


 ゲンサイが一歩踏み込み掌底打を放ってくる。

 見えていた。踏み込みから間合いに入り、掌を突き出してくる所まで見えていたのにであるかのように避けられない。


「【白虎】『白――」


 力の流れを支配しようとした光陽の【白虎】は逆に。地に足をつけた【玄武】の重心は低く無類の安定性を誇り、体勢を崩すことは困難を極める。


「本質を見切れ」


 『一門』が身体に突き刺さる。身体の芯に響く衝撃に対して光陽は手放しかけた意識を強く留めた。

 自分でも使うからこそ分かるのだ。【玄武】は技を放った後に一瞬の硬直がある。二の撃は無――


「【朱雀】『天脚』」


 つなぎ目さえも感じさせない切替スイッチによって放たれた【朱雀】の技は、ゼロ距離で顎を膝が跳ね上げた。反応が間に合わない。

 光陽は視界が上空に向けられ、意識が霞む。


「既に二回死んでいるぞ!!」


 ゲンサイの恫喝が響き、それが意識を覚醒させた。

 本能から身体は一歩後ろに下がる。正面を向きなおすとゲンサイは容赦なく間合いを詰めてきていた。

 技の質がまるで違う。正面から見ていても技。同じ『一門』でも全く別の技だ。


「【玄武】『震撃』」


 光陽はその場で大地を踏みしめる。轟音と共に衝撃が中庭に走り地が沈む。相手の攻め手を抑える為に放った最善手――


「幼稚だ……“桜の技”を使う者同士の戦闘は想定しているハズだろうが!」


 ゲンサイの動きは止まっているが、間合いを開けるに至らなかった。その場で同じように『震撃』を放ち相殺していたのだ。


 何も通じない……


 そう感じさせるほどに桜玄斎という存在は光陽にとって根底から超える事の出来ない存在であるかのように――


「【玄武】――」


 気が付くとゲンサイは光陽の左胸に拳を当てていた。

 全てが無拍子である彼の行動の一つ一つは敵対者にとって確実な死そのものなのだと今になって気が付いてしまった。


「『重撃』」


 籠った音と衝撃は光陽の心臓に放たれる。心臓が大きく揺れる。命が一度止まり、そして――


「それが【青龍】だ」


 刹那には命が溶け始め――抑制していた血が――目に見えるモノ全てを――


「ここからが地獄だぞ光陽。【青龍】に呑まれずに戻って来れるか?」


 ゲンサイは項垂れながらも佇む光陽を見て、完全に【青龍】を宿したと悟った。しかし……


「「誰だ? お前は――」」


 【青龍】の作用として、光陽の声は二重に発せられた。そして、彼はゲンサイを認識できていなかった。


「……認識と記憶の混濁からか。つくづく、お前は才能が無いな」

「「死ね――」」


 【青龍】を宿した光陽に対してゲンサイは【玄武】で迎え討つ――






「あれ?」


 浴場から出たサナエは胸上からタオルを巻き、入浴中にシロウが持ってきてくれていると想定していた。


「替えの服は無しか。コレは自室に自前で取りに行くパターンか?」


 来ていた服は後に洗濯をするという事で再度着る事は想定していないのだ。


「シロウ君はお義父さんの対応と重なったみたいね~」

「タイミングが悪かっただけか。どうする? 待つのか?」

「そうね~。あの子も忙しいし、自分たちの服くらいは取りに行きましょうか~」


 三人はこのまま脱衣所で立往生するよりも、タオル一枚で外に出る事に抵抗は全くない性格であった。


「! すみません! いま、替えの服をお持ちしました!」


 戸を開けようとしたところでシロウが外から声を出した。ケイは少し隙間を開けて三人分の浴衣を受け取ると、お礼を述べる。


「エリスンさん、着付けわかる?」

「初だ。教えてくれ」

「シロウ君、お義父さん帰って来たの~?」


 義父の魔力を感じ、まだ扉の向こうにいるであろうシロウに尋ねた。


「はい。戻られています。それと、奥様とお嬢様には食事の用意をするようにと」

「そう……光陽は部屋に通してあげた?」

「はい」

「――それじゃ、お義父さんは光陽と話をしているの?」


 その言葉に着付けの途中だったルーは竜眼を発動し、透視と千里眼で離れたところに居る光陽をシルエットで視認する。

 彼は中庭でゲンサイと打ち合っていたが、次の瞬間には『穿牙』を受けて俯せに倒れた。


「わ!? エリスンさ――」


 ルーは戸を壊さん勢いで開けると、浴衣の着付けも終わらぬまま脱衣所から走って出て行く。


「ふざけるなよ! あの老害がぁ!」






 俯せで倒れた光陽から【青龍】が解けた様を確認するとゲンサイは構えを解く。


「…………光陽」


 彼を見下ろすゲンサイの眼は、先ほどまでの厳しいものではなくなっていた。

 そのまま起き上がらない家族を心配するように片膝をつくと手を伸ばし――


「離れろ――」


 側面から襲い掛かったルーに反応し、光陽から離れた。ルーは倒れている光陽を見て歯を強く噛み締める。


「やはりいたか」

「ああ、居たぞ……それが貴様の生涯最後の不幸だ!!」


 鱗を両腕と両足に出現させ竜眼はゲンサイに最大の敵意を向けていた。膨れ上がるような魔力ではない。人一人分の身体に膨大な魔力を凝縮するように彼女は身体能力を引き上げていた。


「屋敷を壊されても困る」


 逆にゲンサイが距離を寄せる。


「馬鹿が!!」


 向かってくるゲンサイに対して、ルーは怒りのままに拳を向けた。ただ力任せの拳打であるが、城壁を容易く吹き飛ばすほどの威力を纏い彼の顔面を破壊する。

 だが、確実に粉砕したと思ったゲンサイは煙の様に消え去った。


「!?」


 全ての感覚において見誤る事はなかったというのに、まるで煙でも殴ったかのように化かされたのである。


「六式封印『相剋』」


 タイミングをずらして接近したゲンサイはルーの顔を鷲掴みにするとそのまま地面に叩きつけた。


「く……そ――」


 衝撃による意識の喪失ではなく、何かに意識を吸収されるような感覚。ルーは倒れた光陽に手を伸ばすも届かずに意識を失った。


「エリスンさん! って! これ何事!?」


 その場に追いついたサナエとシロウは倒れている二人とゲンサイを見て状況の認識が追い付かない。


「サナエ、この娘を蔵へ運べ。シロウ、蔵の周りに四式封印を行え。その娘を入れた後に発動させワシ以外の入室を不可にせよ」

「は、はい」


 当主からの指示に二人は優先して動き出す。状況の説明さえも求められないほどのゲンサイの気迫に押されての行動であった。


「物騒ね~」


 唯一二人とは別の感情を持つケイも遅れて現れると困ったように頬に手を当てる。糸のように優しそうな細眼が僅かに開かれ、光陽とルー、そしてゲンサイを見ていた。


「風呂上がりで悪かったな」

「光陽に関して説明は聞いても良いのかしら?」

「説明するから怒るな。お前は先に飯を頼む。流石に腹が減った」


 気を失った光陽に肩を貸すゲンサイの様子にケイは今は矛を収めるように溜息を吐いた。

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