29.殺意の傷

「どうして、そんなことが出来るの? シャハ」

「どうしてじゃと? この世界で殺意与奪を握る事こそが自由であるという事だろう?」

「私はそうは思わないかな」

「カハハ。嬢、ワシは自らの命が他に脅かされるなど考えただけで恐ろしい」

「うん、私も同じ。でもさ、それって今までシャハが知らなかっただけじゃないかな?」

「何をだ?」

「ふふ、内緒。でも、きっといつかわかるよ。だって私たちは皆で足りないモノを補い合っているから――」






 さぁ、どうする?

 街に夜よりも深い影がかかる。月の光を遮るほどの巨大氷塊は誰が見ても夢かと思うほどに現実味のない滅びだった。

 『殺害者』の能力で現れた氷塊はあまりにも規格外。の殺し屋が本気で戦うと言うのはそう言う事なのだ。


「『いにしえよりことわりささえしえし火よ――』」


 静かな言葉がルー口から優しく告げられる。


「『おのが役割を思い出せ。おのれが何者なのかを思い出せ。大地に生まれしらよ天を見よ。今一度、崇め、贄を捧げよう』」


 服が乾燥し、ちりちりと焦げる。それは『殺害者』にとっては久しく感じた命を脅かす“悪寒”だった。

 これは死ぬか――


「『太陽光サンシャイン』」


 熱が収束し、氷が消えてゆく。物理概念を超えるほどの超高温を前に、あらゆる物質は形を維持できず、無となり消え去って行くのだった。無論、正面に居た『殺害者』も例外ではない。


 完全詠唱の『太陽光サンシャイン』は上空に放たれたが、その余波によって街の気温は一時的に10度ほど上昇する。


「…………痛い」


 現れた巨大氷塊が一瞬で消え去った様を地上から見ていたサナエは、自らの頬をつねって夢ではない事を確認する。


「サナエ、ちょっとすまん」


 光陽は力なく落下していくルーを見てサナエを下ろすと彼女を受け止めるために落下地点を合わせる。

 すると、ルーは翼を開き落下速度を落とすと光陽を見つけて旋回しながら着陸姿勢へ――


「!? ってバカ!」


 不意に態勢を変えて背中から落ちるルーを光陽は咄嗟にキャッチする。


「ふむ。これがお姫様だっこというやつか。イイね」

「普通に降りてこい……」


 首に手を回すルーに対して少し照れながらも、光陽はまた彼女が無茶をしたのだと感じ取っていた。


「驚きの連続じゃわい。カハハ」


 服の一部が焦げ、殺意が増した『殺害者』がその場に現れる。

 やっぱり躱してやがったか、とルーは抱えられたまま『殺害者』に視線を向ける。再び『太陽光サンシャイン』を――


「……お……とうさん――」


 街を容易く壊滅させる者同士の衝突は気を失っていた義手の『鉄砂』の声によって遮られた。

 義手の『鉄砂』は倒れている男に這い寄り、声をかけている。その様子を見た『殺害者』は本来の任務を思い出したように嘆息を吐く。


「……興が削がれたわい」


 いつの間にか光陽とルーの正面から移動していた『殺害者』は二人の『鉄砂』の傍に現れ、共に消え去った。






 列車の最終便の出発は滞りなく行われようとしていた。

 屋根のある駅では、先ほど起こった巨大氷塊の出現と消滅に関しては認識しておらず、乗員の最終確認などが行われていた。


「確認は終わったか?」


 駅員が乗員のリストを片手に不正に乗り込んだ者がいないかを照らし合わせ終わると、同僚が声をかけてくる。


「問題は無し。出発の合図を出してもいい」

「荷物車両は調べたか? サナエが飛び込みで入ったらしいぞ」

「そういえばそうだったな」


 普段は乗る事のない場所の確認は見落としていたと、駅員は荷物車両を開けて確認する。


「居ないぞ?」

「居るよ」


 背後から聞こえた声に駅員は振り向くと、切符を押し付ける様に渡すサナエと、ルーを背負った光陽が荷物車両に入り込む。


「やけに疲れてるな」

「色々あって……切符は問題ないでしょ?」

「ああ。……大丈夫か?」


 心底疲れた様子のサナエと乗り込んだルーと光陽は手頃な空間で座り込む。


「大丈夫。もう出発でしょ?」

「お、おう。出発していいぞ」


 駅員は手信号ハンドシグナルで機関員に出発の合図を送ると角笛が響き渡る。


「珍しいな」


 いつものサナエは元気など有り余っているほどに爛漫である。切符を買いに来た時はそうでもなかったが、この三十分で何があったのかと駅員は疑問だった。


 列車が動き出す。車輪がゆっくりと回りだし、重々しく車両が進み始めた。


「サナエ、大丈夫か?」


 一息ついて座る光陽は疲れた様子のサナエを気にかける。


「大丈夫だよ」


 サナエは振り絞るような笑みで答えた。どこか無理をしていると誰が見ても悟れるほどに彼女は消耗している。


「そう言うの良くない」


 ルーはサナエばかりを気にかける光陽に頬を膨らませる。


「ハイハイ、助かったよ」

「感情が込もってないぞ。足りない分はキスで補って貰おうかぁ!」

「ちょっ、お前! やめろ!」


 ふらふらの癖に謎パワーを発揮するルーに光陽は押し倒されるも必死に抵抗する。


「じゃあ、お二人さんはごゆっくり。ボクは用意されてる席に座るから」


 それだけを言い残し、サナエは荷物車両から出て行った。






「……ハッ」


 サナエは荷物車両の扉を後ろ手で閉めると乗客車両に行く前に、その場で崩れ落ちた。


 ヒトは……あれほどに殺意を放てるものなのか……


 『殺害者』の殺意に当てられた時、全身が動くことを停止した。ソレだけじゃない奴が視界に居るだけで、もはや立ち上がる事さえも出来なくなったのだ。


「……まずいなぁ……これは」


 手の震えが止まらない。もし、もう一度……『殺害者』が現れたら――


「怖いよ……お父さん……」


 何も出来ずに殺されるという様を直に受けたサナエは、年相当の少女に戻っていた。






「まったく。何がそんなに不服なのかね? こんな美少女がキスしてやろうといっているのにさ」


 上に乗ったままルーは彼に対して疑問をぶつける。そんな不遜な彼女に光陽は真っすぐ眼を合わせて告げた。


「…………お前さ、あんまり無茶するなよ」

「ふふん。それは貴様だけには言われたくないよ」

「お前が戦ったジイさんは師匠やサウラさんと同等かそれ以上の奴だった」

「我も解っていたよ。奴の名前は『殺害者』。その類稀なる殺傷力から『五柱』にも数えられたことのある災害だ」

「……レベルが違った」


 光陽は眼を腕で覆う。

 何も出来ずに殺されるかと思った。『殺害者』から当てられた殺意は今まで相対して来たどの存在よりも強烈なものだったのだ。


 どこか思い上がっていた。どんな敵でも返り討ちに出来るのだと、しかし今夜の戦いで思い知らされた。


「だが、貴様は戦ったぞ。到底勝ち目のない相手に向き合って戦った」

「ただ、殺される時間が伸びただけだ……お前が来なければ死んでいた……」


 ルーは初めて弱音を吐く光陽の上に倒れる様に抱き着いた。きっと彼は自分に泣き顔を見せたくないと思ったから――


「光陽が戦わなければ我は間に合わなかった。みんな死んでいただろう」

「……ただ必死だっただけだ」

「それでいいんだ。我は貴様が生きていてくれれば、それだけでいい」


 優しく囁くルーの言葉に光陽は己の無力さを強く噛み締めていた。






 列車の出発する音を腕を組みながら暗闇で聞いていた『殺害者』は、傍らにいる『鉄砂』の二人に視線を向ける。


「……リィン。これで……『鉄砂』は無くなった……お前は……自由に生きなさい……」

「本当に……本当にこれしか方法は無かったの?」


 義手の少女は仮面を外し、背骨を破壊されて永くない父に涙を流しながら改めて問う。


「……『本家』から逃げ延びるには……全滅したと思わせなければな……ただ……桜サナエと付き人の実力は……想定外だったが……」

「…………」

「……『殺害者』」

「偽善はやっとらんぞ」


 情にほだされて娘を引き取れと言われるものだと察し、断りを先手で告げる。


「……いえ……娘を……安全な場所まで……お願いする……」


 元より『殺害者』に依頼した内容は『鉄砂』と彼らが捕縛した桜サナエを転送で運ぶことだった。彼の殺し屋に殺害を依頼する場合、国庫に匹敵するほどの莫大な依頼料が必要なのである。

 光陽たちと交戦したのは、完全に『殺害者』の気まぐれだった。


「依頼はこなすわい。安心して逝け」


 その言葉を聞いた彼は娘に看取られながら息を引き取った。


「ワシは次の依頼が入っとるでな。すぐに飛ぶぞ」

「はい……」


 と、『殺害者』は少女と死した彼女の父親に触れる。


「お前らを運ぶのがワシの依頼だ。こやつを埋めたい場所があるなら、そこに飛ぶぞ?」

「……故郷へお願いします……」

「鉄と灰の国か。まぁ、妥当な所じゃわい」


 『殺害者』と『鉄砂』の少女は消える。巨大氷塊の件でアスルの街が滅びかけたと騒がしくなるのは明日の朝からだった。

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