いけないボーダーライン

猫柳蝉丸

本編

 やっぱりこうなると思ってた。

 夏祭りに誘われた時からこうなるんじゃないかって気はしてたんだ。

 それでも、まさか花火が始まった途端、藪の中に引きずり込まれるとまでは思ってなかった。そう言えば前の夏祭りでも花火が始まってすぐにキスをされて最後まで盛り上がっちゃったんだっけ。

「ちょっ……、待ってよ……!」

 僕は藪の中で目立たない程度に抵抗する。

 細身なのに何処にこんな力があるんだろう。押し倒されながらいつも思う。

「もう駄目なの、我慢出来ないのよ、りっくん」

 暗がりでもはっきり分かるくらい紅潮した頬を僕に見せる。

 その姿に扇情を覚えないと言ったら嘘になる。

 でも、今日だけはその欲望に身を任せるわけにはいかないんだ。それでこの前の夏祭りでも酷い目に遭っちゃったんじゃないか。あの時の後悔はまさしく地獄の業火に焼かれてるみたいだった。あの後悔を二度と繰り返しちゃいけない。

 だからこそ、僕は迫り来る唇から逃げながらはっきり拒否の言葉を口にするんだ。

「駄目だよ、こんな所で。誰かに見られたらどうするんだよ。それに……」

「私は誰に見られても構わないわよ? ほら、お隣さんも盛り上がってるじゃない」

 言われて指し示された方を見ると、確かに少し離れた場所で盛り上がってるカップルが居た。しかもよく見ると男同士みたいだった。更によく見るとカップルの一人は同じ高校の牧田君の様な気がした。間違いなく牧田君だと思ったけれど、僕はそれを気にしない事にして反論を重ねた。

「よそはよそ、うちはうち、でしょっ?」

「そうよね、お隣さんなんて気にせずに私達も盛り上がりましょう、りっくん」

「そういう意味じゃなくて……!」

「じゃあ、どういう意味なの?」

「こんな所で盛り上がる必要なんてないじゃないかって事だよ、お母さん!」

 それでもお母さんは僕の言葉を気にせずに僕の唇を奪って舌を絡めた。

 ああ、また流されてしまう……。

 それにしてもお母さんはどうして夏祭りに限って嘘みたいに積極的になるんだろう。

 夏祭りの特別な雰囲気が気分を高揚させちゃうのか?

 それはあると思う。夏の夜の独特な雰囲気は僕だって不思議な気分にさせられる。

 でも、それ以上に……。

 夜空に大きな花火が咲いた。僕の地元みたいな田舎にしては見事とも言える大輪の花。

 綺麗な花火、それに照らされるお母さんの顔は、お母さんのくせに綺麗だと思えた。

 でも、それ以上に僕達に影響を与えたのはその大きな音だった。心臓自体に響く轟音。まるで僕とお母さんの心臓が一緒に鼓動しているみたいな。二人の鼓動が融けて混じり合うみたいな……。

 吊り橋効果なのかもしれない。乱れた心臓の鼓動を恋のときめきと勘違いする効果の。そう、この前の夏祭りだって、花火が始まった途端に心臓が恋みたいに高鳴り出したんだ。お母さんの心臓も、僕の心臓も。

 ひょっとしてお母さんはそれを狙って僕を夏祭りに誘っているのかもしれない。

 普段の日常生活では恥ずかしくて行動に移せない秘められた想いを実現させるために、夏祭りの花火って非日常を利用して。

 舌を放れさせて、僕の唇を解放したお母さんが着ていた浴衣を肌蹴させる。

 一緒に歩いている時からまさかと思っていたけれど、お母さんは浴衣の下に下着を身に着けてはいなかった。あっと言う間に露わになるお母さんのいやらしい部分に僕の大事な場所も反応せざるを得ない。

 お母さんの裸なんて見慣れてる。こんな関係になる前からずっと見てたし何とも思わなかった。何とも思わなかったはずなのに、お母さんとこんな関係になってからお母さん以外の裸を見ても反応しないまでになってしまっていた。慣れなのか、成長なのか、それとも調教なのか、深く考えるのはやめておこう。

「せっかくの夏祭りじゃない。盛り上がりましょうよ、りっくん」

「だからって、こんな場所じゃなくたって……」

「駄目よ、りっくん。お母さん知ってるのよ? 明日、杏子ちゃんとデートに行くんでしょ? デートを止めるまではしないけど、その前にりっくんが誰のものなのか思い出しておいてほしいのよ」

「だ、誰に聞いたんだよ、それ……!」

「杏子ちゃんのお母さんに決まってるじゃないの。狭いご近所だもの、そんなのすぐ噂になっちゃうものよ」

「と、図書館で一緒に勉強するだけだって」

「りっくんがそのつもりでも杏子ちゃんも同じ気持ちとは限らないでしょ?」

 年甲斐も無くお母さんが頬を膨らませる。

 ああ、そうか、今日夏祭りに誘ったのは僕とまた肌を重ねるだけが目的じゃなかったのか。杏子ちゃんとの関係を疑っての事だったんだ。普段はそれを問い質す勇気も無いから夏祭りにかこつけて焼きもちをぶつけるつもりだったんだな。

 杏子ちゃんの事は好きだ。よく揺れるポニーテールと日焼けした健康的な手足が眩しい。いつも明るいその性格にはいつも救われてる。付き合えるとはとても思わないけど、ひょっとしたら告白くらいいつかしていたかもしれない。お母さんとこういう関係になってさえいなければ。

 お母さんは面倒臭い。お父さんと離婚して女手一つで僕を育ててくれてるのは感謝してる。それでもいつもおどおどしてて大きな声が苦手で眼鏡で小柄なおばさんで、胸だけは何故か大きくて……。そんなお母さんの事が僕は……。僕は……。

 気付いてた。お母さんが僕のオナニーを隠れて見てた事。

 知ってた。僕の背中を流すって言い訳でいつもお風呂に入ろうとしてた事。

 分かってた。お母さんが僕に向ける視線が恋する乙女のそれだったって事。

 また、夜空に大輪が咲く。

 大きな大きな花火。僕とお母さんの心臓がまた連動して鼓動する。

「りっくんはお母さんのものなんだから、杏子ちゃんにはあげないんだから……」

 気付く。お母さんの目尻が潤んでる事に。

 ああ、お母さんは本当に面倒臭い。こんな形でしか僕の気持ちを留められないと思っているのが更に面倒臭い。夏祭りの花火の鼓動に頼らないと正直になれないところも、何もかもが面倒臭い。

 どうして僕はこんな面倒臭いお母さんの息子として産まれて来たんだろう……。

 ちょっとだけ神様って奴を恨みたくもなる。

 それでも、それが僕のお母さんだから、面倒臭くても付き合うしかない。

 僕は大きな溜息を吐いてから、身を起こしてお母さんの頬にキスをしてあげる。

「大丈夫だよ、お母さん。杏子ちゃんとは図書館で勉強する予定なだけなんだ。それに杏子ちゃんに僕なんて相手にされないよ。杏子ちゃんはもっと背が高くて運動が出来るイケメンの方が好きなはずだよ」

「それはそれでりっくんが甘く見られてるみたいで嫌だな……」

 面倒臭い……。

 僕のその表情に気付いたんだろう。お母さんが微笑んで僕の大事な部分を触り始めた。

「傷付かなくてもいいんだよ、りっくん。杏子ちゃんを忘れられるくらいお母さんがりっくんを大切にしてあげる。いっぱいの大好きをあげる。何度も何度も気持ち良くしてあげて愛してあげるからね。大好きよ、りっくん」

「だ、だから、お母さん、こんな所じゃ駄目だってば……!」

「お母さんは聞こえません」

「聞こえてるじゃないか……!」

「聞こえませーん」

 そうして僕はお母さんの中に里帰りしながら幾度も果てる事になった。

 夜空に大輪の花火が咲く度に、何度も何度も……。



      ☆



 夏祭りが明けて真夏の朝。

 僕とお母さんはこの前の夏祭りの後と同じに大きく後悔していた。

 だから、夏祭りの熱に浮かされて藪の中で関係を持つのは嫌だったんだ。

 僕の隣で裸で寝転がっているお母さんが苦しそうに呻く。

「りっくーん、どうにかしてえ……」

「自業自得だよ……。我慢して、僕だって辛いんだから……」

「えー……」

「それとしばらく僕に近付かないでよ、お母さん、気持ち悪いから」

「気持ち悪いってひどい……」

「いや、気持ち悪いよ、その顔」

「くすん……」

 そう言いながら僕は手鏡で自分の顔を覗き込んでみる。

 お母さんに言えた立場じゃなかった。これはひどい……。

 具体的に言うと顔中どころか全身が虫刺されであちこち腫れ上がっていた。

 当たり前だった。真夏の夜、藪の中に裸に近い状態でずっと横たわっていたんだ。

 はっきり言ってこうならない方がおかしい。

 だからこんな所じゃ駄目だって言ったんだ……。

 この前の夏祭りでそれは僕もお母さんも痛いくらい分かってたのにね……。

 でも、逆に言うとお母さんはそれでも僕と夏祭りで肌を重ねたかったって意味なのかもしれない。夏祭りは僕とお母さんが初めて結ばれた特別な行事でもあるんだから。僕だってお母さんの事は大好きなんだ。蚊に刺されさえしなければ、いつだってお母さんを愛してあげたいくらいに。

「泣かないでよ、お母さん」

 僕はお母さんの虫刺されの頬に唇を重ねて伝える。

 この溢れ出しそうな愛しい気持ちを。面倒臭いお母さんにちゃんと伝わるように。

「虫刺されが治ったらまた夏祭りに行こうよ。ちょっと遠いけど隣の県でも花火大会があるみたいだよ? 虫除けスプレーをいっぱい持って行ってまた楽しもうよ、今度は虫刺されなんて気にしないでさ」

 そう伝えながら僕はまたお母さんの中に里帰りするのだった。

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