ゆうきのおうのつがいどり

 深幽境しんゆうきょうを支えているのは、一つの巨大な花木だ。

 名を、ミカガリという。

 地下深くにぽっかりと掘られた深幽境の中心に根を張り、その花木は天井を支えるように茎を伸ばす。巨大なその花木にとって、いくら国のように幽鬼がたくさんいようとも深幽境は狭く、天井につっかえた茎は頭を垂れるように下向きに花をつける。この花の蜜から精製されるのが火蜜かみつである。

 地上ではミカガリに似た花を、藤と呼ぶらしい。

 蕾でありながらふわりと微かに漂う花の香りを嗅ぎながら、ユハは巨鳥の姿でミカガリのてっぺんまで這い上がり、天井と茎の間に潜り込んだ。

 星の瞬きも見えず、姿を隠された月が雲の向こう側でか細い光をちらりと見せているような、ぼんやりとした薄暗さの中、てっぺんからミカガリを見下ろす。

 ミカガリの茎は、茎と言ってもその巨大さから、まるで枝のように太く頑丈だ。ほどよくしなった茎は僅かに弾力があり、ちょうど巣のようで、心地いい。

 すっぽりと収まると、ユハはうとうととまどろみ始めた。

 朱璽鬼しゅじきは夏の盛りになると、こうしてミカガリの上に座り込む。

 この地は、真上に住む人間の影響を受けやすい。清浄な祈りや歌声、怨嗟や邪な思いも全て土に染み込み伝ってくる。

 聖と暗、光と闇、どちらの気が多すぎても、深幽境の幽鬼にとって良いものではない。

 崩れたバランスを立て直すため、朱璽鬼は深幽境を支えてそびえるミカガリの天辺に座り、ミカガリが普段吸い上げ溜め込んでいたそれぞれの気を、穢れを引き取る。そうしてミカガリを正常に蘇らせることで、再び深幽境を支えてもらうのだ。

 通常ならば、三日三晩。

 その間、朱璽鬼はこの場を離れることができず、この間の食事は赤い早夏のみである。

 そういう決まりがあるわけではないが、そういうものなのだ。それ以外に食べたくないし、食べられない。

 深王しんおうの役目はこの期間中、朱璽鬼に赤い早夏を届けることである。

 始終まどろんだ状態にある朱璽鬼は、自我をはっきりと保つことが難しい。欲望のままに実を欲し、満足するまで食べ、寝て、花木の疲れと穢れを己の身に写し取る。

 朱璽鬼の要望に応えられる量の赤い早夏を用意することができない王は、その化身である赤い早夏の代わりに、己がばくりと食べられてしまうこともままあった。

 今回は、今までのツケもあるので長丁場になることがあらかじめ予想できていた。通常で三日三晩なのだ。それ以上に時間がかかるとなると、食事量も比例して増える。それに備えたっぷりと用意し、儀式が始まり早夏を食べる様子がわかったところで、ノジーたちとローラムたちが協力しどんどんと白い早夏を収穫していく算段である。

 ――大丈夫だ。何も心配はない。

 はっきりと頭が冴えたら、目の前でローラムが倒れていたなんてことにはならない。絶対に、大丈夫だ。

「もう寝てるの? 口を開けなよ」

 ユハの不安を拭い去るように、くちばしの先につんつんと何かが当たる。僅かに口を開ければ、隙間に押し込まれるようにころりと入り込んできたのは早夏だ。

 酸っぱくて、でも激烈に美味い。

 やめられない味。

 この実のためだけにローラムを求めたわけではないが、やはり、ほかの何よりも格別だ。

 ごくりと飲み込むと、腹の奥が温かくなる。確かな満足を得て、ユハはまた口を開けた。

 ふたつ、みっつと口の中に早夏の味が広がる。

 くすくすとおかしそうな笑い声を聞きながら、ユハはともすれば閉じてしまう目を上げた。

 艶やかな服は、どこか懐かしさも感じさせる伝統的な作りをしている。ローラムが率先して着たそれは、以前はアララギのものだった。人目に付きやすい場に出るからこそ着なければ、と言っていたローラムの考えていることはよくわからない。見事に着こなしていたアララギと違い、ローラムは着慣れていない服に、着られている感じがする。

「花を生かし、花に生かされる。不思議なからくりだね」

 そのからくりの中に自分も組み込まれているなんて、とローラムは呟いた。花のてっぺんにまで届く長い梯子の上で胡坐を組み、早夏の入った籠を携えて。

 人とも鳥とも違う生き物として花の上に陣取り、ユハは早夏だけを食べて、日を過ごした。



 十日後、痺れる足でユハはミカガリの花の上に立ち上がった。

 頭を強かにぶつけ、恨みがましく天井を見る。地下なので当然むき出しのままである土は、崩れ落ちてくる心配もないほどしっかりと固められ、もはや岩盤のようだった。

 体を傾け過ぎたと気付いたのは、その直後だ。

 ぐらりと傾いた体はそのまま、ミカガリの花に立てかけられていた梯子の上に落ちる。梯子にぶつけた背が痛く、なすすべなく、ずるずると滑っていく。

 ローラムがいなかったことが幸いだ。このまま滑って行けば、楽に下に着ける。

「ユハッ? なんで落ちて……く、来るな!」

 落ちている最中にローラムの声が聞こえ、ぎょっとする。無理やり顔を下向けて見れば、ローラムが早夏の籠を背負って梯子を上ってくるところだった。

 このままでは、ぶつかってしまう。

 ユハは腕を伸ばし梯子に掴まろうとしたが、生憎今のユハの手は翼だ。

 翼ではものを掴めない。

 ユハは息を止めて梯子を蹴り、翼を懸命に動かした。

 ばさばさと羽音を響かせ、ユハはローラムを飛び越えた。

「どこまで飛んで……うわあ!」

 梯子がぐらりと傾き、ひっくり返る。ユハは素早く呼吸をすると再び息を止め、宙で旋回をした――つもりで、実際には回りながら落ちており、その途中で近付いたローラムを背に乗せた。

「助かった……て、ない! 助かってない! ユハ、もっと羽ばたいて! 落ちてる!」

 言われなくてもやっている。

 懸命に翼を羽ばたかせるも、高度はどんどん落ちていく。翼の機能はきちんと働かず、空中でおぼれているようだった。

 近くにきらりと輝く水面を見つけ、ユハは背にローラムを乗せたまま、ミカガリの太い茎を蹴り、落ちるように泉に飛び込んだ。

 ぷはっ、と水面に顔を出し、ローラムが息をする。目の前がくらりと回ったユハはローラムに水面上に引き上げられた。

「大丈夫、ユハ?」

「う……はい」

「良かった。ああ、びっくりした。怖かったー」

 ローラムが笑う。

 人の姿になったユハは、冷たい水を湛えた泉の波紋の間から、ローラムを見た。どこにも怪我はないようだ。

 冷たい泉の水が、ユハの火照った体の熱を奪う。心地よい冷たさに浸っていると、ローラムが声を上げた。

「あ! 光ってる」

 ローラムが示した先には、たった今までユハがいて、ローラムがてっぺんを目指していたミカガリの花があった。

 一つの茎から二つ、三つと房が垂れ、直線状に並ぶ花は、土気色にくすんだ姿を一変した。

 ぼんやりとした薄暗さに始終包まれていた深幽境に、光が差す。

 しおれかけていたミカガリの花が瑞々しさを取り戻し、花を僅かに持ち上げる。花弁に包まれた花の中心が発光している。

 それは目を眩ませる太陽のように強くはないが、蛍の光のように明滅し、柔らかで穏やかな灯りをかがり火のように深幽境に分け与えてくれる。

 ミカガリは、花のランタンだ。

「綺麗だな。……まるで祝福されちゃったみたいだ」

 房に連なる一つ一つの花に光が灯り、激しかった明滅も次第にゆっくりと安定してきた。

 泉にもミカガリの灯りが届く。

 水面にぽわぽわと映る、小さな光の玉。

 ローラムが興味深そうにのぞき込んでいるそれを、ユハは波を作って歪ませた。

「あ。酷いな。綺麗だったのに」

「ローラム様。本当に祝福されているといたら、俺と一緒にここに……深幽境にいてくれますか」

 ずっと、続く限りいつまでも。

 ユハもローラムも永久はないと知っている。

 どこまでと言い切れない期限の中で、けれど短くはない時間の中で、それでも繰り返し夏が来るたびに、こうして儀式を終え、二人でミカガリを見上げられたら。

 ローラムがばしゃりと水を跳ね上げさせながら、ユハに何かを放り投げる。

 宙を舞う早夏の赤が放物線を描く。

「いいよ。そのために僕は生かされていたんだろ」

 早夏を両手で受け止め、ユハは水面に顔をつけるほど深く、頭を下げた。

 そうしなければ、泣き顔を見られてしまいそうだ。

「ユハが花から離れたってことは、花はもういいの?」

「はい。もう大丈夫です」

「そう。良かった」

 ミカガリの花は復活した。明滅する花の灯りはやがて深幽境全体へ浸透し、明るく照らす。

 ぼんやりと薄暗い生活は終わりだ。

 ローラムが突然、水の中に倒れた。慌ててユハは水をかき分け、ローラムを抱きかかえる。気づけば真っ青な顔で、ローラムはぐったりと目を閉じていた。

「う……くらくらする……」

「ローラム! 気を確かに!」

 急にどうしたのだろう。何か悪いものでも食べたか。それとも何か悪い病気だろうか。

「いた、見つけた! 勇隼いさはや先輩。親分!」

 遠くから玖那くながカシーや臥朋がほうと共に駆けてくる。

 ユハはローラムを抱えて泉を飛び出し、彼らに応援を頼んだ。

「カシー、ローラムが! ぶっ倒れて、息はしてるんだが、何か、変な病気とか! 変なんだ! 目が開いてない! 息はしてる!」

「落ち着け、勇隼。ローラムはただの貧血だ」

「本当かカシー! でも貧血で死ぬ人間もいるのかもしれない。どこかに貧血で死にそうになって生き返った人間の死因の情報がないか調べないと! まだ息はしてるんだ!」

「勇隼、ただの貧血だから。少し休めばきっと大丈夫だ」

 ぽんぽんと両肩をカシーに叩かれ、ユハの焦る気持ちもゆっくりと落ち着いていく。

「あ、ああ……そうだな。俺としたことが、うっかり取り乱した」

「あれ、先輩は親分の前だとわりといつもそんな感じですよ。平常運転です、心配なさるな」

「ああ?」

 ユハはぎろりと玖那を睨んだ。ローラムの前ではいつだって冷静沈着なできる男の姿でいるというのに、何を言い出すのか。

「親分の前でいつもイイコでいようとしている反動、こっちに向けて出さないでくださいよ。先輩は俺の数少ない嫌いじゃない者の一人なんですから。ほらほら、親分がゆっくりと休めるように布団まで運びましょう」

 乾いた着替えと温かい飲み物、いつ目を覚ましてもいいように食事なども用意しよう。失くした分の血を補うためには、あとは何が必要なのか。

 ユハの心配をよそに、ローラムの息遣いは命を脅かす気配はなく、穏やかだ。

 まだ短いが、伸びてきているローラムの前髪をかき上げてやる。

 これからはこの人が、ローラムが、深幽境の代表なのだ。

 朱璽鬼と王は、確かにつながった。


 そしてユハこと勇隼は、正真正銘の『幽鬼の王のつがい鳥』――『幽つ鳥ゆうつどり』となった。

 

 

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幽鬼の王のつがい鳥 八川はづみ @hazu8ga

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